7 国王になった男と、族長になる娘と
――国王陛下が水属性の幻術を使える。
それはもし明るみになったとしたら国を揺るがす大事件だ。
なにしろ、王国は一族の幻術を恐れて敵対してきたのだ。
王国の頂点が幻術を使ってしまっては、話の根幹が崩れる。
しかも、問題はまだある。
幻術は一族の人間しか扱えないはずなのだ。
かつてご先祖さまが捕えた余所者の罪人たちを処刑する前に気紛れに術を教えてみたことがあったそうだが、誰一人として使えなかったという。
幻術の能力は、一族の血に宿るーーそれが我々の導き出した結論であり、揺るぎない常識だった。
なぜ、一族ではない人間が平然と幻術を使っているのだろう?
私はありえない光景を前にして、ただ立ち竦むことしか出来なかった。
国王は目をつぶって集中力を高めている。
指先から迸る水の流れがまっすぐに火元へと伸びていく。
一族の人間と遜色のない、惚れ惚れするほどに正確な術の行使だ。
炎はたちどころに小さくなり、やがてふつりと消えた。
もう、大丈夫だ。
「陛下……どうして……」
安堵とともにぽつりと零れた私の呟きを拾った国王は、両手をゆっくりと下ろすと私に身体を向けた。
火と相対していた時は毅然としていたその顔が、不意にくしゃりと歪む。
まるで懐かしい旧友を見つけたかのような、切なさと喜びを湛えた笑みが形作られる。
「リラ、だな。君はサーラに生き写しなんだなあ」
「母をご存知なのですか?」
サーラとは母の名前だ。
国王からしてみれば敵方の長、憎き敵であるはずなのに、その名を告げる声色はどこまでも穏やかで優しい。
何か繋がりがあったのだろうか。
母は自分のことを語る人間ではなかったから、私は母の過去を知らない。
戦で敵味方の長として相対した、その姿しか知らない。
「ああ、知っている。なにしろ彼女はかつてこの王宮へ侍女として入り込み、儂の寝首を掻こうとした女傑だぞ」
物騒な内容を、国王は実に愉しそうに言い放った。
曰く、若き日の母サーラは、王国への敵意を人の形に具現化したような人間だったらしい。
一族の中でも王国との関わりについては色々な意見があって、なるべく和平を目指す穏健派もいれば、絶対に討滅してやると意気込む過激派もいた。
母は、後者の急先鋒とも言える存在だった。
血筋から言っていずれ族長となることが確実な身でありながら、族長という上に立つ立場に相応しいバランス感覚を欠いていると憂慮した当時の族長(母の母、つまり私の祖母だ)は、手を変え品を変え様々に説得を試みたという。
しかし、言い合いは平行線を辿り、関係がこじれにこじれ、ついに彼女は一族の里を飛び出した。
そして、大胆不敵にも母は敵の大将首――先王の早逝により十代で玉座に就いた若き王――に狙いを定めた。
王宮に侍女として入り込み、勤勉に職務をこなして周囲の信頼を勝ち取りながら、機会を伺った。
そして、とある国王付き侍女が家族の急病で家に帰らなくてはならなくなった時、善意を装って自分が職務を代わると告げたのだ。
「その夜、風属性の幻術を使いながら気配を消して忍び寄り、儂の喉元に剣先を突きつけてきたんだ。いやあ全く、本当に見事な手並みだった! が、みすみす殺されるわけにはいかないから『話せば分かる』と宥めて、腹を割って話し合ったんだ」
「豪胆ですね」
殿下が呆れたようにつっこんだ。その通りと言うほかない。
国王を一人で殺しに向かった母も、そんな刺客と普通に話す国王も。
「詳しいことは二人の秘密ゆえ割愛するが、話してみると結構気が合って、意気投合して。我々は友人になり、ともに王国と一族の和平を志すようになったのだ。リラ、その首飾りはサーラから受け継いだのだろう? それは儂とあいつの誓いの証なんだ。その首飾りは指輪と対になっているものでな、互いに持ち合うことにしたんだ」
「ほら」と言って広げられた国王の左手には、指輪が光っていた。
首飾りと揃いの石があしらわれたそれを、大事そうに撫で擦っている。
「あいつに首飾りをあげる代わりに、儂は幻術の能力をもらった。もらうばかりでは気がすまないがめぼしいものを持っているわけでもない、今の自分に与えられるものがあるとしたならそれは幻術の力だけだ、などと悩んでおったゆえな。ならばその力をくれ、と。一族以外の人間は力を受け取れないと言っておったが、どういうわけか問題なく出来た。それがさっきの水だ」
言いながら、国王は指先からもう一度水を出してみせた。
「……しかし、儂はしくじった。いくら長年の戦いに終止符を打つことに成功したとしても、儂はあんな結末を望んではいなかった。あいつの犠牲の上に成り立った和平だなんて、こんなに虚しいことはない。しかも、戦い自体は終わっても、民の敵意はいまだに根深く巣食っている。本当に情けないことだ」
国王は指輪をじっと見つめ、「顔向けできないな……」と絞り出すように呟いた。