5 一族の秘術
「私の前では、御心を取り繕われずともよろしいのですよ」
殿下の様子を見ていたら、思わずそんな言葉が私の口から零れ出てしまった。
最後に見たリネール殿下の顔が、なんだか最後に見た母の顔に重なるように思われたからだろうか。
一度口にしてしまったものは取り消せないだろうと、私は続けて話すことにした。
「私は殿下とともに生きると決めたのです。弱いところや情けないところの一つや二つ、見たところで幻滅したり離れたりはいたしません。むしろ王太子として平常は気を張っていなくてはならないのですから、私的な時間は気を抜かれるべきでしょう。
それから……リネール殿下は死んではいないはずです。私が一族の秘術を使いましたから」
「秘術――『幻術』か。あれは攻撃するだけではないのか?」
「はい、光属性は治癒の力なので。攻撃には使えませんし、他属性だって攻撃に使うことが本分ではありません」
少数に過ぎないブラン一族が敵視され、恐れられてきた理由。
それは、彼らだけが扱える特殊な力――『幻術』に起因する。
遠い異国では「魔法」とも呼ばれるというその力は、人知を超えた驚異の力だ。
力を込めた掌から、ある者は火炎を放射し、ある者は風の刃を生み出す。
やろうと思えば一人で数百、数千の人間を屠ることさえできるほどに強力なものだ。
ブランは王国との戦いでも幻術を用いた。
それゆえに少数で大軍に損壊を与え退かせることができたわけだが、それと同時に、理解を超えた異能を扱う異端者は何としてでも排除しなければ、と執拗に戦闘が繰り返される結果にもなった。
無論人を傷つけたり殺したりすることに積極的に使うものではないと一族の誰もが自覚しているし、幻術を使いこなしてこそ一人前とみなされる一方でその強大な力を無闇には行使しないことがブランの美徳であるのだが。
幻術には、水・炎・地・風・光の五属性があり、使用者の持つ属性に応じた力が顕現することになる。
基本的に使用者の属性は生得的なものだが、稀にその属性を極めた者が自分の認めた他者に力を「継承」するという事例がある。
その最たるものがブラン一族の族長で、族長の血筋は光属性なのだが、族長就任時に他四属性の一番の使い手が集まり、族長に各属性を継承する。
結果として、族長は五属性全てを操る最強の幻術使いになるのだ。
「私は族長の娘なので、光属性を扱えます。それから、ブランの里から逃げる際にお守り代わりにと乳母が風属性を継承してくれました。だから私はこの二属性なら使えるわけです。
……ただし、知識は与えられていましたが実践したのは今日が初めてでした。身体が未熟だと力が暴走しがちなので、子どもが幻術を使うことはご法度とされているのです」
成長した暁には立派な幻術使いになれるように、子どもでも知識だけはしっかり仕込まれていた。
特に光属性は族長の血筋のみなので、母直々に口承で教えを授かった特別な思い入れがある。
『ラカーポ・タルム』――古代語とされるその響きは、光属性の幻術を使う時専用のまじないの言葉だという。
「治癒したいところに手をかざし、祈りを込めてその言葉を唱えなさい」
血だらけのリネール王子を見て呆然としていた私の頭の中に、ふと母の声が蘇った。
それに従って初めて術を行使してみたのだ。
「おそらく効いていると思います。少なくとも、死なない程度の効果は出ているでしょう」
十年前のあの日、幼かった私は術を使うことも出来ず、ただ逃げることしか出来なかった。
成長した私は、もう無力な子どもじゃあない。
あの日を変えることは出来なくても、母と同じような目をしていた子の運命を少しは変えられるだろうか。
「ありがとう、リラ。生きているならば、相応に対処出来る。
リネールは市井に下って学者になりたいと言っていたことがある。今回の一件で側妃の派閥は終わりだし、めぼしい人間は処断される。生きていると知れたら面倒な権力争いの道具になるならば、あれも死んだということにして、密かに逃してやろう。
身分剥奪の上平民落ちだなんて普通は最悪の結末だろうが、あれにとっては思う存分好きに学べる幸福な結末なんだろうな」
最後の方は面白そうに頬を緩めた殿下の様子を見て、張り詰めていたものが解けていく感覚に包まれる。
ブラン一族に生まれた者だからこそ。
私にも、出来ることがある。私にしか、出来ないことがある。
その事実は私の進むべき未来を切り拓く道標のように思われた。