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アデールは宿に泊まった事も無かった。糊の利いたシーツに挟まれ、しとしと降る雨が雨樋を落ちる音を耳に、いつもと違う寝床に眠れないなか考えていた。
今日は日が暮れていたし、家に帰るのは無理だった。だからこうして宿に泊まっているけれど、明日になったら森の家に帰るのかというと、とても微妙な気持ちだった。
暗闇の中でパッチリと開いた瞳で隣のベットで休む、ルーファスの背中を見つめる。
そもそもちゃんとお礼をしていない。胸元にある魔道具をアデールは握りしめた。
夕飯も宿代も全部ルーファスが出してくれた。流石に悪いので、それは返さなくてはならないと思った。
それに加えてこの魔道具だ。お礼を言うだけで済ましていい事ではないとアデールは思った。
そしてルーファスの身におきた不思議な出来事。アデールは本来なら、ルーファスを家族の元へ送り届けるはずだった。本当なら家族と楽しいひと時を、今頃ルーファスは過ごしていたのだ。
何ができると言うわけではないが、一人にはしたくはなかった。これからどうするのか聞く事は躊躇われたが、どうするのか分かるまでは見届けたいと、アデールは考えていた。
「さて、どうしたものかな?」
朝食を食べ終えるとルーファスは呟いた。宿は朝食付きだったようで、宿の部屋で食事を取った。
アデールは昨日食べた夕飯の方が断然美味しかったと思いながら、肥えてしまった舌でパンをちびちびと食べていた。
「仕事を探すのかい?」
「そうだなー……、探すと言うか、企業し直す」
「きぎょう?」
「んー、仕事は魔法陣設計技師って決まってるからな。雇われるんじゃなくて仕事の拠点を作りたい」
「でも、お金ないんじゃないのかい? 家に帰ればいくらか僕も蓄えはあるけど、そんなには無いなあ」
ルーファスは笑って、アデールの頭を乱暴に撫でる。
「出資者を探すさ。生憎、俺は優秀な魔法陣設計技師でね。それをよく知っている相手に手紙でも書くさ」
「その人が昨日あてがあるって言ってたやつかい?」
「ああ、そうだ。昔から色々世話になってたし、今どうしてるかも気になる……。それはそうとアデール」
「なんだい?」
「お前の身の振りなんだが……」
「しばらくは王都にいたい! お金なら少しはあるよ! もし、ルーファスに持ち合わせが無くなっても大丈夫。最悪森で獣を狩ってお金にする、今弓矢を持ってないけど得意なんだ」
捲し立てるように話すアデールに、苦笑いを浮かべながらルーファスは答えた。
「はは、お金の心配はいらない。あてがあるって言ってるだろ? そんな事よりこれからの暮らしの事だ。王都にいたいなら丁度良いかもしれない。孤児院に行ってみないか?」
「孤児院?」
「そう、モリス大聖堂に付属している孤児院で、俺もそこの出身なんだ。だから俺はモリスっていうんだ。司教様が良い人……だったんだが、今はよくわからないな……」
口にしてからルーファスは気がついた。息子に子供が三人いるほどの月日が経っているのだ。
自分を可愛がってくれていた司教様は、当時でもうかなり歳を召されていた。生きているわけがない。
「……ともかくだ、見学にでも行かないか?」
「……別に暮らしに困っていないよ」
「そうかもしれないが……、森で一人で暮らすの大変だろう? それに危険だ。何かあった時に頼れる人がそばにいないのは、心許ないだろう?」
「……」
「見学だけだ。別にそこで必ず暮らさなくちゃ行けないわけじゃない。便箋を買うのに雑貨屋が開くまで時間がある。暇つぶしにさ。そういう所もあるって知っておくのは悪く無いだろう? アデール、そんな顔をするな。暮らす場所を確保するだけだ。会えなくなるわけじゃない」
アデールの頭を、またぐしゃぐしゃとルーファスは撫でた。
優しそうに目を細めるルーファスを、アデールは見つめ返していた。そんな顔と言われたが、どんな顔だか見当がつかない。不満でわない。当たり前だと納得できる。
「……わかったよ」
偏屈な祖母が亡くなった時に、村の人達にも言われていたのだ。王都の大聖堂を頼ってはどうかと。
アデールはその時も平気だと言ったのだ。年老いた祖母は仕事など出来なくなっていた。そのうえ身の回りの世話もしていたのだ。何も困らないと思った。
でも実際一年ほど一人で暮らして、一人では生きていくのが大変だと知ったのだ。何かあっても相談すらする相手がいない。自分の行動を監視する人がいない。
自堕落になっていくのを感じていた。だからこそ仕事を放棄して、あの洞窟にも入ったのだ。
あのまま森で一人過ごすのは良くない。自分でも感じていた事だ。
でも納得できても悲しいのだろうとアデールは自分で思った。
ルーファスの為にできる事は何もないと言われたような気がして。




