婚約破棄につきまして 2
「メリー」
校長先生の指定された部屋に行けば、そこにはメリーが座っていた。部屋には他に誰もいない。校長先生、本当に私に任せたのだな…。そしてゴットフリート王子はどこだろう?まああの馬鹿王子はどうでもいいけれど。
綺麗に結いあげられたメリーの茶色の髪が少し乱れているのは気のせいだろうか。そう言えば表情が暗いようだが、その理由が分からない。ゴットフリート王子とめでたく婚約できたのだから、もう少し嬉しそうな顔をしてもいいような…。
「ロッテ先生…!」
メリーは私を見るなり、なんと泣きだした!
ええ~…勘弁して欲しい。さっきグレーディアを慰めてきたばかりなのに。こっちもか。そもそもメリーに泣く理由なんてないでしょう、全く…。
とは本人には言えないので。溜息をつきながら、メリーの隣へ腰を下ろした。
「それで?メリーはどうして泣いているの?私にはあなたが泣く理由が全く分からないんだけれど…。ゴットフリートと相思相愛になれて、無事に婚約者になれたわけだし?」
「…先生も、私は悪者だと仰いますか?」
「……校長先生にそんな事でも言われたの?」
「いいえ。ただ、ロッテ先生がどう思っているのかお聞きしたくて」
正直に言えば、「割とどうでもいい」につきる。だって十代の少年少女の恋愛話だし。それが王族だの貴族だのちょいと高い身分の人たちというだけだ。
……ということを軽くメリーに伝えれば、
「…よく分かりました。先生のお考えが。ありがとうございます、だからロッテ先生のこと大好きです」
「………ん?」
空耳か?と思ったが、メリーはバッと顔を上げてサッと涙を拭うと
「茶番に付き合わせて申し訳ありませんでした、ロッテ先生」
と潔く頭を下げてきたではないか。これには私も面喰った。
「えっと…?」
「ふふ…先生、困っていますね。でも、私の涙って凄いでしょう?私、すぐに泣けるんですよ」
メリーは申し訳なさそうに、けれど鮮やかな笑顔で口を開いた。
***
「ロッテ先生」
「……ジェラルド先生…。何ですか、私はもう疲れたのですから放っておいて下さい」
メリーとの話し合いの後、すぐにジェラルド先生が私の元へやって来た。
時刻を確認すればもう遅い時間だ。パーティーはお開きになり、生徒達も寮に戻っていることだろう。私も学園の敷地内にある教師たち専用の屋敷に戻る途中だった。
「夜は危ないのでね。一緒に屋敷へ戻りましょう」
「…危ないと言っても、敷地内ですよ。変質者は私の隣にいる人物くらいですし」
「嫌ですねえ、人のことを何だと思っているのですか」
さっきまで私の事を襲っていたクセに、言う事が白々しい。
「いいじゃないですか。それより、メリーはどうだったんです?校長先生の話では、なぜか意気消沈してしまっており、話も通じなかったと」
「…ああ…メリーですね…。そこまで気にする必要もないですよ」
「…そうなのですか?」
「はい。メリーは強かですよ。グレーティアや王子よりも」
そこまで言えば、ジェラルド先生は私の手を取ると、屋敷への道を外れて歩き出す。これはまたどこかに連れて行かれるパターンだなと分かったけれど、逆らうのも面倒だ。男の下半身は理屈でどうこうなるものじゃないとグレーティアにも伝えた通りだし、ジェラルド先生がやりたいならやらせてやってもいいけれど。今は何より、早く寝たい。
連れて行かれた先は温室。流石に真夜中には誰もいない。こんなところで二人きりというのも嫌なのだが。
「で?話して下さいよ。メリーのことを」
「……生徒の個人情報をベラベラと話すつもりはないですけれど」
「つれないなあ。僕とロッテ先生の仲じゃないですか」
一々面倒だな。別にジェラルド先生は他言するような人ではないと思うからいいけれどさ…。
「一言で済ませると、メリーの言動は全部演技ですよ。これまでの事も、そして校長先生の前でおろおろしてみせたのも」
先を促される。
「校長室に王子と共に連れられて、あれこれ聞かれて答えるのが面倒だったからわざと困惑してみせて、話を通じなくさせていたみたいですよ。そうすればとっとと解放してくれると思ったみたいですが、私が校長先生に呼ばれたのは予想外だったようで」
「…すみません、今一つ話が見えないのですが?これまでの事と校長先生とのやり取りが演技なら、どうやってロッテ先生はそれを見抜いたのです?」
「見抜いたと言うより、あの子本人が白状したんですよ。‘全部演技なんです、ごめんなさい’って」
私の前で泣いたのも、全部演技だ。「私はすぐに泣けるのですよ。そのくらい、演技が上手なのですよ」と証明しただけだ。
ゴットフリート王子の前で素直で優しく可愛い子でいたのも、グレーティアの前で礼儀知らずな女でいたのも全て演技だと、王子を落とす為の演技だと暴露した。
ジェラルド先生は首を捻る。
「分かりません。仮に演技だったとしても、どうしてロッテ先生の前で暴露したんです?黙っていればいいだけじゃないですか」
「…私は鋭いから、下手に誤魔化そうとしても仕方ないと思った…というのが理由だそうです」
声を上げてジェラルド先生は笑った。
「それはある意味光栄じゃないですか!ロッテ先生は騙せそうにないってメリーが思ったってことでしょう?」
「いや…それはどうでしょうねえ。メリーは本音を語らない子のように感じたので…」
「ふうん?具体的にどんな話をしたのです?」
私はメリーの言葉を思い出す。
***
「ロッテ先生は知っていますよね。私は貴族出身じゃない。お金は沢山あるけれど、我が家には爵位というものはないです」
だからこそ、爵位や貴族に対する憧れとコンプレックスが強かったと。自分の結婚する相手は必ず爵位のある貴族にしようとメリーは昔から決めていたようだ。
「ロッテ先生はこんな私を軽蔑します?」
「…いや?どこも軽蔑しないよ?玉の輿に乗りたいって子もいるくらいだし、爵位が欲しいって感情は当たり前なんじゃないの?」
「ありがとうございます!そう言ってくれると思ったからこそ、ロッテ先生に話すのですよ」
メリーは嬉しそうに笑う。
「我がブレーメ家にはお金はあります。お父様が血と汗を流して働いて下さったおかげです。成金だと馬鹿にする貴族もいますが、私から言わせれば、お父様を馬鹿にするならば、あなたは一人で同じくらいのお金を稼げるんですよね?と言いたいですよ」
ごもっとも。メリーの父親を馬鹿にするくらいならば、お前やってみろよって私も言いたくなるだろう。
「お父様は凄い方です。若い頃に沢山失敗もしていますが、今では社交界でも顔が通じるくらいの人です。お母様もです。貧乏だったお父様を陰ながらずっと支えてきました。私はそんな両親を誇りに思いますし、他人から馬鹿にされる言われはありません」
「……」
「私には妹が二人おります。幸運にも、私達三人はこの学園で学べることになりました。両親には感謝してもしきれません」
「……」
「だからこそ、私は恩返しをしたい。成金だの商家だの、果ては平民だのと馬鹿にする連中を見返して、お父様達が望んでも手に入れることが出来なかった爵位を手に入れたいのです。その為に、爵位を持つ人を婿で迎えようと思っていたのです。我が家は三人姉妹ですし、私は長女です。それなりの身分の人を婿にしようと決めました」
メリーの強い瞳が私を真っ正面から見つめる。この子は本当に十八歳だろうかと疑問が沸く。メリーはこの学園にいるどの生徒よりも、強かで意思が強いのだろう。そして自ら決めた道を迷わずに進む。
思わずそっと溜息をついた。
「それで…?ゴットフリートを誘惑したってわけ…?貴族って言うか…ゴットフリートは王族だけれど…」
「言い方は悪いですが…そうですね。最初は高位の貴族なら誰でもいいと思いましたが、欲が出ました。貴族よりも上の、王族と関係を持った方がいいと。そう思いましたので」
「……欲…」
「…強欲だと仰いますか?」
言わない。人は誰しも欲を持っている。それを否定するのはおかしいと思うから。
そう告げれば、やはりメリーは嬉しそうに笑った。
「ゴットフリート王子は、あまり頭の良くない方です。自分が一番で、他人には興味がない人物です。そして自分に甘い方です」
「……良く分かっているね」
思わず苦笑が漏れる。まさかここまでメリーが王子殿下の事を見下しているとは予想もしていなかった。
「私の武器は胸です。この胸を殿下の腕に当てる様にして近寄っていけばイチコロでした」
頭を抱えそうになった。この子、ハニートラップをしかけていたってわけか。全く、学生のやる手段じゃない。もうちょっと可愛らしい手はなかったのか。
「という訳で、私はゴットフリート王子殿下の婚約者となりました。これからは王族の一員として教育されるでしょうが、私は負けません。絶対に王家と強固な繋がりを持ち、お父様とお母様に恩返しをしたいです。第二王子であるゴットフリート王子はいずれ王家を出て私の家に入るでしょう。その時までに…全て整えておきます」
「王子がメリーの婿になるかどうかはまだ分からないんじゃないの?」
「そうなるようにします」
強く言いきった。
「王族の血統と、新たに与えられるであろう、爵位を持って我が家に迎えたいと思います。それが殿下のお役目です」
何と言うか、思考が男だな…この子は。己の欲望にとことん正直だ。
「そして私の野望ですが…ゆくゆくは貴族と平民の身分を失くしたのです。誰もが出自を気にしなくていい、気楽な世の中にしたいと。これが私の欲であり望みです」
この子は自分の考えを信じて貫いている。他人の意見に耳を貸すことはしないだろう。真っ直ぐで、強い意思だ。
「メリーがそう決めたのなら反対はしないよ。ただ…誰よりも、メリー自身が…」
「はい、何でしょう」
一旦言葉を溜めて、静かに天井を仰いだ。
「……ご両親のお気持ちは分からないけれど…。ご両親は…もしかしたら、メリー程に爵位とか王族との繋がりとかにはこだわっていないかもしれないよ?それより、メリーには幸せになってもらいたいと思っているのかもしれないよ?」
少し沈黙があったが、メリーは静かに笑って
「知っていますよ」
とだけ言った。
知っているならばいいか…。自分で決めた道だもの。突き進めばいい。
「この分じゃ、ゴットフリート王子はメリーの尻に敷かれそうだね」
「上手く操りますよ。彼が馬鹿な事をしないように、しっかり見張りますよ」
「……」
ゴットフリート王子に恋愛感情はこれっぽっちもなさそうだ…。そのことにゴットフリート王子が気付くかどうかは分からない。メリーならヘマはしなさそうだけれど、メリーが疲れてしまわないか心配だ。
***
全てを話し終えてジェラルド先生を見れば、流石に驚いた顔をしていた。
「そうですか…。意外でした。メリーは結構頭の回転が速い子なんですね…。学力はそこまで…という評価でしたが、もしかしたらそれも演技かもしれませんね」
「どこまで演技か分からないですけれど…。メリーが潰れてしまわないか心配です…」
「…大丈夫だと思いますよ」
その根拠はどこに?目線で問えば、ジェラルド先生は優しく笑う。
「彼女の原動力となっているものが、家族だからですよ。誰かの為に頑張れるって、結構続きますよ。これが自分の為だけとなると、いつか潰れると思います。虚しさを感じる時が必ず来ますからね」
「……そうかなあ…?どっちもどっちだと思いますけれど…」
「大丈夫ですよ。ロッテ先生を見ていてもそう思いますから」
私?なぜそこで私が出てくる?
「ロッテ先生も、生徒達に全力でぶつかるじゃないですか。自分の為と言うよりは、その子達の将来を危惧してなのですよね?他人の為に何かをする、奉仕をする…。メリーとロッテ先生のやっている事は似ていますよ」
いや、全然違うと思ったが、反論する気になれなかった。そう思いたいなら勝手に思っていればいいですからね…。
「でもメリーですけれど…。そこまで爵位とか身分にこだわらなくてもいいと思うんですよねえ…やっぱり。本人が決意している事だからあれこれ言うつもりはないですけれど。メリー自身ももっと楽に生きてもいいんじゃないかなって。そこにこだわっているのは私だけのようですが」
「ロッテ先生はそう考えても、メリーの…、人の生き方はそれぞれでしょう?危ない道を渡るのが好きな人もいますよ」
「……」
「それに、‘力なき正義は無力なり’ですよ。メリーが力を、権力を欲するのは自然なことでしょう?」
「……まあそうですけれど」
私にもその感覚は覚えがある。力があったら、私に何かあったらと何度も思った。
「とは言え、メリーと王子では…長続きするかどうか…そこは微妙だとは感じますね」
ジェラルド先生がぼそっと言った言葉に私も頷いた。
「メリーはずっと演技し続けられるかもしれませんが…いかんせん王子がボンクラすぎて…。予想できない行動をしでかしそうですよね」
「ですよね…。そもそも、ゴットフリート王子にメリーは勿体ないですね」
「……そうですよね」
グレーディアもメリーも最高峰の女性だ。そんな女性を侍らせるゴットフリートは凄いが…。どちらの女性も馬鹿王子には勿体ない。
「メリーと第一王子のルードヴィッヒの方がお似合いかもしれませんね…。どちらも意思が強いし、真面目だし…」
確かにっ!!堅物でクソ真面目な第一王子のルードヴィッヒならばメリーとお似合いかも!メリーも実は頑固だという事が判明したし。野望がある辺りでも似ているな。
「でもルードヴィッヒも既に婚約をしている身ですし、世の中上手くいかないものですね」
「……そうですね」
しばし沈黙。ちらりと隣にいるジェラルド先生を見る。
そう言えば、この人も貴族だった。普段忘れてしまう事実だけれど。確か伯爵かどっかの家の次男坊だったかな?二十五歳だというのに結婚もせず、学園で教鞭を振るう辺り、この人も結構変わっているのかも。
「身分の高い方のお家事情は大変なのですねえ…。私は平民なので、本当理解に苦しむ事が多いですよ」
真っ暗闇の中で私の疲れた声が響く。ジェラルド先生はそれには答えず、ただ笑っただけ。
「ゴットフリートも、ダメダメな子ですけれど…。何か思うことあるかもしれませんね」
「それはありますでしょ?彼だって人間ですし。一番純粋だとも思いますよ、僕は」
純粋?まあ…真っ黒なメリーに比べたらそうだろうけれど。
「いずれ王子とも話してみたらどうです?ロッテ先生ならばゴットフリート王子も口を開くかもしれませんよ?」
「さあ…それはどうですかね。私よりもジェラルド先生との方が、仲が良かったでしょう?」
「仲がいいわけではないですよ。ただ単に私が合わせていただけということです」
「………ジェラルド先生はドライと言うか…。基本的に、表面だけの付き合いしかしないですよね」
男性にしておくには勿体ない美貌と、柔らかい言動。人当たりも良く、誰からも好かれているのに心の内を曝け出そうとしない。それが悪いとは言わない。自分の事を曝け出すのが苦手な人も当然いる。
「かと思いきや、王子のように全部出しちゃう人間もいるし」
十人十色ということだろう。生徒も色々な子達がいる。私達教師は、どの子にでも平等に対応していくようにしなくてはならない。難しいけれど、それが楽しくもある。
「あまり難しく考えない方がいいと思いますよ。ロッテ先生は根が真面目ですからね」
ジェラルド先生はそう言いながら私を押し倒した。って…、これってもしや先程の続きをするつもり?ここで?眼鏡を割ってやったというのに、なんともしぶとい。
しかし抵抗しようにも疲れて面倒だ。もう構わない。ジェラルド先生のしたいようにすればいい。そう思っていることが伝わったのか、彼はくすっと小さく笑った。
「男は馬鹿なので、基本的にあまり考えてないのですよ。だから純粋…なのですよ」
「……馬鹿と純粋はイコールじゃないと思います」
「深く考えるのは止めましょう。たまには肩の力を抜いて…」
「……変態の言っている事に突っ込んでも無駄だということを悟りました」
蹴ってやろうかと思ったが、がっちりとホールドされた今、私に出来る事は悪態をついてやることぐらいだ。
「……メリーも…。幸せになれるといいんですけれど…」
「……そうですね…」
私とジェラルド先生の関係は微妙だ。友達以上、恋人未満。しかし関係はあり、お互いに結婚する気はない。遊びかもしれないが、それなりの幸せは私も彼も感じている。
けれどメリーはその気持ちをゴットフリートに抱くことはしないだろう。敢えて抱くならば、恋愛感情を抜きにした情だろうなあ…。メリーがいいならいいけれど、ゴットフリートがメリーの本当の気持ちに気付いた時、果たしてどうなることやら。
この日から数日後、私はゴットフリートとメリーを見かけた事があった。遠目から見ていても、仲良さげに歩く姿はまさに恋人そのもの。全て上手くいくといいけれど、実際にそんな事あるのだろうか?と人知れず溜息をついてしまうのであった。
途中、メリーと目が合った。
メリーは人差し指を立てて、そっと口元に持っていく。内緒ですよ、と言わんばかりのその仕草に、ついつい笑ってしまうのであった。
王子との絡みも上げられたら…