流されて生きる方がきっと楽 2
「う…っ!」
店の中は薄暗かった。そして沢山の男女がそこにいて、殺伐とした空気が充満していた。店主と思われる大柄の男は、私達を一瞥しただけで目線を外す。
ビクビクする私の肩を強く抱き寄せるジェラルド先生は、普段からは想像もつかない程堂々としており、早足で店の中へと進んでいく。
確かにその店はお酒を飲むところだった。皆、酒を飲んでいる。
けれど、私が知っている街の飲み屋ではなかった。酒を飲みながら男たちはギャンブルをして騒ぎ、沢山の煙草の煙が天井に舞い上がる。かと思えば殴り合いが始まり、荒々しい男たちは懐からナイフやら銃を出す。
裸になった女が男たちにその場でいいようにされていた。しかし女たちは決して嫌がっているわけではなく、酒に酔っているのか、下品に笑いながら男の首に腕を回している。男女の行為が始まっても誰も気にしない。
いよいよ本格的になった喧嘩に、周りの者たちはどちらが勝つか賭けを始めた。商品は綺麗な娼婦だとか言いながら。
意外にも広い店内の端で、何人か密集して白い粉を交換しているのが目についた。ジェラルド先生も気づいたようで、私を見て頷く。よくよく見れば、その集団の中にハイモもいた。
「やっぱり麻薬に手を染めていたんですか…」
ジェラルド先生だけに聞こえる小さな声で言えば、彼は私を店の端っこへ押しやって腕の中に閉じ込める。ハイモに顔を見られないように、ジェラルド先生は私だけに顔を向けた。
「今この場でハイモに話かけるのは無理ですね…」
「当たり前です!もしかして、現行犯で捕まえるとか考えていたんですか!?」
「半分そのつもりでしたが…無謀だということは分かりました」
「…無謀すぎます!第一、もう充分ですよね?ハイモは確かに麻薬を手に取っていた。学園に戻り、学園長に報告をしてしかるべき罰をしてもらうしかないですよ」
「……」
「ジェラルド先生、お願いですから…。ここは危険です。ハイモは学園の生徒です。生徒を守るのは私達教師の役割であり使命です。でもここではダメです…最悪、私達にも危険が及びます」
背後にハイモ達が麻薬をやるのを感じながら、ジェラルド先生は目を細めた。
「危険だとは分かってはいるのですけれど…。ハイモは流されすぎです…。今すぐ連れ帰らなくては…」
「ハイモの事は後にしましょう?ね?ジェラルド先生、ここは犯罪者たちが集う場所です。私達みたいな素人がいていい場所じゃない…お願いですから」
「………」
「せめて他の先生に協力を仰ぐか、自警団に頼むか…。先生、ここにはナイフや銃を持った男達もいるのですから!」
演技ではなく、心底怖かった。暗い店内、性行為を堂々と行う男女、血まみれになって喧嘩をする男、それを面白がる見物人。麻薬も行われるところ、酒と煙草の臭い。戦場を経験したことがあるとは言え、やはりこういった空気は嫌いだ。
「おっ、綺麗な姉ちゃんじゃねえか。何?怯えているのか?いいねえ、初々しくて!こっち来て遊ばねえか?」
店の隅で小さくなっている私達は目立つのだろう。下品な男たちがこちらに寄ってきた。
私もジェラルド先生も身体を固くする。今絡まれるのは有り難くない。向こうにはハイモがいるのだ。気づかれたくはない。
「煩いですよ。放っておいてください。この人は僕のモノなんですから」
ジェラルド先生はぎゅっと私を抱きしめる。僅かに震えがおさまったが、ケラケラ笑いながら酒の臭いがする男たちがなおも私を奪い取ろうとする。
「兄ちゃん、その姉ちゃんを渡せよ。この店がどういう店か、分かって来てんだろ?」
「だな。女はここでは商品なんだよ。それとも兄ちゃんたちも薬が欲しくて来たのか?」
「まさか酒だけってわけじゃあねえだろ?」
「……下衆だな。僕たちの事は放っておいてもらおうか。こう見えて、僕とこの彼女は身分差があってね。駆け落ちして来たばかりだと言うのだよ」
ギラリと男たちを睨んだジェラルド先生は、いい加減な作り話を男に投げた。と思った瞬間、ジェラルド先生は私の腰を強く引き、男達の前で堂々と私にキスをした。
「……っ!!」
おお、やれやれ、もっとやれ。ついでに薬も飲んじまって狂っちまえ、という声が周りから聞こえる。ジェラルド先生はさあ見ろと言わんばかりに、私に深く口づけを繰り返す。
「ふぁ…っ…」
「…可愛いですよ…。さあ、その可愛い顔を、他の連中にも見せてやりましょう」
調子に乗って!と怒鳴ってやろうと思ったが、ジェラルド先生の目は真剣だった。周りの男達から私を守ろうと必死で、懸命に演技をしているのが分かった。
そんな先生の姿に胸が締め付けれられる。ジェラルド先生にこんな感情を持つ事は少ない。いつも憎まれ口を叩きあう仲だと言うのに…。
「ああ……ん……」
一瞬だけ周りを忘れた。目の前にいるのはジェラルド先生だけ。そう、ほんの一瞬だけ、私は彼との口付けを感じたのだ。
私達の甘い雰囲気に男たちは白けたのか離れて行く。席に座り直すと酒をカブ飲みし、俺たちも騒ごうぜと店の中にいた裸の女達の髪を引っ張って叩き出した。私達から興味を失ってくれたのは良かったが、退屈した男たちは最早手が付けられない状態へと化した。
「ロッテ先生。周りを見ないで下さい。僕だけを見て下さい」
「……」
「いつものように堂々として下さい。怯えると、男たちが面白がります。堂々と、僕とイチャついて下さい」
「………何ですかそれ…」
そう言うと、ジェラルド先生はまた私に口づけてくる。壁に背中を預け、先生からの抱擁とキスを感じることに専念すれば、少しだけ雑音が遠くなった。ジェラルド先生は必至で私を守ってくれている。それは分かった。
分かったのだが、彼の背後で始まった血の祭りに私は身震いをしてしまった。
店の中で大乱闘が始まる。喧嘩で負けた男は、見物していた男たちに殴られて血を吐いている。狂った男たちは更に殴り合いとナイフでの斬り合いを始め、目の前で一人が腹を刺された。刺された若い男は、ううっと呻き声をあげて床に倒れ込むと、そこからどくどくと血が流れる。あ~、こりゃ死ぬぞと誰かが笑っていった。
眩暈がした。この空気に殺される。耐えられない。
ジェラルド先生の背中に腕を回し、ぎゅっと抱き着いた。
「お願いですから…先生、帰りましょう…」
「……」
口づけが止む。鼻の先で私達の視線が絡み合う。普段よりも色気が増したジェラルド先生に見惚れながらも、早く帰りたいという気持ちを抑えることはできなかった。
帰りたいのはジェラルド先生も同じだろう。しかし入口は男たちによって塞がれている。逃げるには少し遅すぎたようだが、ジェラルド先生はもう一つ私にキスをすると、優しく耳元で口を開いた。
「いいですか、ゆっくりと…。先ほども言いましたが、堂々として僕に付いてきて下さいね」
ジェラルド先生は私を抱き寄せ、歩き出す。しかし真っ直ぐ出口に向かうかと思いきや、ハイモがいるところに歩いていくではないか!
麻薬をやっていたハイモはとろんと楽しそうな表情になっていたが、私達の姿を見つけると目を丸くさせて、次には慌てだす。ハイモを連れてきた男はハイモの様子に気付いたようで、どうしたと言っている。
「こんにちは、ハイモ。こんなところで会えるなんて奇遇ですね!折角だから僕と話をしませんか」
努めて明るい調子でハイモに話しかけたジェラルド先生を、男はギラリと睨みつける。しかしジェラルド先生も負けてはいなかった。
「実は僕たちとハイモは友人でして!久しぶりに会えたから驚きましたよ」
「ああん?友人だぁ?」
「はい。折角なのでハイモ、一緒に話しましょう?」
ハイモの腕に手をかけたジェラルド先生に対し、男は威圧感のある声で
「話ならここでしろ。楽しんでいるのはこっちも同じだ!」
と、脅しにかかる。ハイモはカタカタと震えだした。
怖いのは私も同じだった。普段の私からしたら想像もできないかもしれないと周りの人に笑われそうになる程、私もハイモに負けないくらい震えていたと思う。
男とジェラルド先生の会話がしばらく続いたが、結果的にジェラルド先生はハイモを連れ出すことに成功した。
やっとのことで店の外に出られた私達。
しかしジェラルド先生はハイモと私の腕を離さずに、貧民街の出口の方へ向かって早足で歩きだした。戸惑うハイモとフラフラな私を、一刻も早くその場から遠ざけたかったのだろうか。




