裏側の教師の事情
生徒の前では偉そうにして説教たれるが、教師も所詮ただの人。朝寝坊はするし、料理を作るのは面倒だって思うし、休みがもう少し多ければとも思う。沢山失敗してきたから、子供にはああしない方がいいとか、こっちの方が近道だと煩く言ってしまう。
でも私は自分の事をちゃんと知っている。生徒達の前では完璧で強い女を演じてはいるが、結構大雑把だし流されやすい性格だ。情にも割と厚い方で、自分の事を好きになってくれた人に対してとことん親切にしてしまう。いい教師だとは言われることも多いが、いい人間だとは決して思わない。私は優柔不断でどうしようもない大人なのだ。
***
ある日のことだ。授業が終わって職員室へ戻れば何やら騒がしい。放課後なので生徒たちもまばらにいるが、どうやら騒がしくしているのは先生達のようだ。
「どうしたんです、一体」
「……ロッテ先生」
ニコラス先生がなぜか私の方を気まずそうに見てきた。どうしてそんな困り顔をするのかと思って首を傾げたその時、職員室内から高くて鋭い女の声が聞こえた。
「ですから!あたくしはジェラルド様と結婚をしたいと!そう申し上げているのです!」
ジェラルド先生と結婚という言葉にびっくりし、ひょこっと職員室内を見れば、赤いドレスを着て大きな帽子を被ったご令嬢がジェラルド先生に食って掛かっていた。縦ロールの黒髪の美人で、年は二十代前半というところか。
「ですから…僕はあなたと結婚するつもりはありませんよ、ミルフィーヌ」
「どうしてですの!?あたくしと結婚すると…あたくしの事を好きだと!仰って下さいましたよね!」
まさに修羅場。見たところ、ミルフィーヌと呼ばれたご令嬢はジェラルド先生の元へ押しかけて来たのだろう。ジェラルド先生はと言えば、うんざりとした表情をしている。何だろうか、あれは…。もしかしてミルフィーヌと呼ばれた女はジェラルド先生の過去の恋人だろうか。
「あの…ロッテ先生、気にしない方がいいですよ…」
ニコラス先生は小さい声でそう言う。そこでピンっときた、ニコラス先生が気まずそうにしていた理由が。
成程、私とジェラルド先生が付き合っているという噂は先生達も耳にしているということか。それで私を気遣ってくれているのだろう。ここは当然、誤魔化すしかないけれど。
「気にしないが方がいいって…別に気にしないですよ。もしかして噂を信じています?私とジェラルド先生が付き合っているとかいう噂でしょう?違いますから。本気にしないで下さい」
ニコラス先生は驚いて「そうなのですか…てっきりお付き合いをされているものだとばかり」だと。
嘘は言っていない…。私達は決して、付き合っているわけではないだろう。大人の付き合いではあるが、恋人的な付き合い方はしていない。してはいない…が…。
内心で何故か落胆していつ自分がいるわけで。やっぱりあの人、裏で何かあったわけか。自分の事を語りたがらないし、結婚を拒絶している節もあったし。思わず溜息。変なの、少なからず、胸がチクリと痛むのは確かだ。ああ、少しはジェラルド先生に情はあったんだろうね。
「あれはチャイルホープス家のご令嬢だと記憶している」
「わ!…クラウス先生…いつの間に」
「驚かせたか?すまない」
ニコラス先生がヘコヘコと頭を下げながら私から離れたのに対し、横に立っていたのはクラウス先生。この人って気配を感じさせないところがあるなあ…。
きちっと黒髪を束ねてぴしっと背を伸ばす美貌の講師・クラウス先生は相変わらずだ。表情を一切変えずにジェラルド先生とご令嬢のやり取りを見つめている。
「ロッテ先生が傷ついていると思ったのだが…案外普通なので少し驚いた」
「って…どういう意味ですか…。まさかクラウス先生まで、私とジェラルド先生の噂を聞いていたんですか?」
「…噂ではなく真実だろう?ロッテ先生を見ていると分かる。ジェラルド先生を好いているのではないか?」
「……何ですかそれ…、違いますよ」
新参者のクラウス先生まで私達の事を聞いていたとは…いや、何よりこの人に知られることは恥ずかしい事この上ない!この人には私の弱いところばかりを見せている気がするし…やりにくい。
視線を合わせない私に何か感じることがあったのか、彼は再びジェラルド先生とご令嬢の方へ顔を向け直す。沈黙に耐え切れず、私から口を開いた。
「クラウス先生はあのご令嬢を知っているようですね」
「…私は社交界にはあまり出ないが、それでもあの家のことは知っている。商家だが、そこら辺の貴族よりも財産が多いと聞いたこともあるしな」
チャイルホープス家は商家だったのか…。…だとすると、ジェラルド先生との関係は…?疑問に思っていると、クラウス先生がその答えをくれた。
「ジェラルド先生はチャイルホープ家に婿入りをしているはずだ。そこの長女と結婚したと記憶している。およそ九年前だったか…。ミルフィーヌと呼ばれているあのご令嬢は、そこの三女だったはずだ」
「……ああ、なるほど。そう言えば聞いたことがあります。ジェラルド先生は商家の娘さんと結婚されていたと」
ジェラルド先生は二回結婚しており、どちらも商家だったと言っていた。その最初の結婚をしたお相手の家が、チャイルホープ家ってわけか。だとすれば、あのミルフィーヌというご令嬢は、自分の姉の結婚相手だったジェラルド先生の事を好きだったってことでいいのかな?
ふむ、と一人で頷いた私を見ていたクラウス先生はぽつりと言う。
「……既に知っていたのだな。ジェラルド先生がかつて結婚していたということは」
「前に本人から教えてもらいましたからね。でもどうしてクラウス先生はジェラルド先生の婚姻事情を知っているのですか?」
「……貴族ならば知っている。狭い社会だからな。婚姻関係は特に、すぐに知れ渡る」
納得。ジェラルド先生もクラウス先生も貴族だからね。知っていておかしくはないね。でもクラウス先生がジェラルド先生の事を把握しているのは驚いた。それに今の言い方は、この学園に来る前からジェラルド先生の事知っていたってことなのかな?
「ミルフィーヌ!いい加減にしてくれないかな。ここは学園だよ。勝手に押しかけてきて大声でこんな事を叫ばれたら、流石の僕でも怒りますよ」
「怒りたいのはあたくしですわ!一体何年あたくしを待たせたとお思いですの!?」
あ、どんどん凄いことになっている…。とうとう校長先生まで出てきてジェラルド先生とミルフィーヌ・チャイルホープ嬢を宥めている。これじゃ職員室で仕事なんてできる雰囲気じゃないよ…。
「ロッテ先生、少し付き合わぬか」
さてさてどうするかと考えて入れば、クラウス先生からのお誘い。どうやらクラウス先生も仕事が出来ないと思っていたようで、サロンの方で休憩するそうだ。ナイスだ、クラウス先生!あの職員室は入りたくないしね…。
クラウス先生は紅茶を淹れるのが実に上手い。私もそこまで下手ではないと自負しているけれど、先生には敵わないなあ…。お湯の温度から茶葉の量まで正確に測っているんだもの。
「くどいようだが、ロッテ先生とジェラルド先生は恋人同士なのかと思っていた」
「……まあそう思っている人、本当に多いみたいですけれど…」
私自身も謎だよ。恋人ではないけれど、お互いに友達以上の関係だし。けれど大人の関係ですとはクラウス先生には言うまい!(いやいや他の先生にも言えないけれど)
「ジェラルド先生は女生徒に人気のある先生だ。ロッテ先生も惚れているものだと思っていたが?」
「女生徒に人気あるのはクラウス先生も同じでしょう?クラウス先生を見ると、皆嬉しそうにしているじゃないですか。美形さんは得ですよね」
「…話を反らしたな」
低い声が部屋に響いて思わず身体が強張った。
「ロッテ先生はジェラルド先生が好きなのか、と聞いたのだが?言いたくないのか?」
「……ええと…別にお伝えする必要性は感じませんけれど…。私がジェラルド先生を好きか嫌いかという感情については…」
「気になるから聞いている」
「な…なぜ…」
いつもとは違うクラウス先生の強い口調に怯む。一方で一切の表情を変えないので、先生の美貌が冷たさを伴って更に際立っているように感じた。なぜ先生がここまで私とジェラルド先生の事について突っ込んで来るのか不思議でならない。しかしクラウス先生の答えに、私は思わず目を丸くした。
「意外に鈍感なのだな。私はロッテ先生を一人の女性として好いている」
「!?」
「だからこそ、ジェラルド先生と関係がないと分かれば遠慮はしない」
クラウス先生は椅子からスッと立ち上がると、私の前に跪いて、優しく私の手をとる。
まさかの告白に絶句した。天下一と言っても過言ではない超絶美形の男性から愛の告白をされるなんて…。
「…どうして私を…?クラウス先生だったらもっといい女性がいるでしょうに…」
「あなたがいいと思ったからだ。生徒の事で一生懸命で、ストレートな物言いのくせに変なところで脆いというあなたがとても愛おしいと思ったのだ」
「……私、脆くないと思うのですけれど…」
自他ともに認める「強い女」だと言えば、クラウス先生は小さく首を横に振った。
「気づいていないようだから言うが、ロッテ先生は他人と関わる時、ある程度距離を置いている」
「…そんな事はないですけれど…」
「いいや、そうだろう。ロッテ先生はあまり自分の事も話さない主義だ。それは自分の弱いところを晒したくないのが理由だろ?」
「……別にそれは誰だって一緒でしょう?クラウス先生だって、自分の事をあまり話したくはないでしょう?」
彼の弟・モーゼスの勉強を見てあげた事もあるから、彼の複雑な家の事情は知っている。それでもクラウス先生は私にあまりその事を言いたがらないし。そうやって反論すれば、クラウス先生は悔しいくらいあっさりと認めた。
「その通りだ。私の弱いところは家族に関することだ。だからそこを突っ込まれたくはない」
「……」
「ロッテ先生は私が想像できない過去を持っているのだろう。内乱が続くキュリヴェスの出身で、父上を殺されたとあらば…他人を警戒してしまうのは仕方なかろう」
「……」
クラウス先生は一呼吸した。
「それにロッテ先生は意外と流されやすい性格をしている。私が弟の勉強をみてくれるように頼めば、あっさりと承諾してくれたし。いや、流されると言うよりは頼みごとを断れない性質だな」
「……」
「まあ今は、それらの事はいいだろう…。済まない、話がずれてきたな」
私の手を握ったまま、クラウス先生は立ち上がる。そして私も椅子から立たせると、自然とクラウス先生と見つめ合うようになった。
「……クラウス先生…」
「知っての通り、私は貴族の嫡男とは言っても家督は継がぬ。いずれ侯爵家から離れて平民となって暮らすだろう。教師という職業はなかなか気に入っているので、この先もこの仕事を続けていくと思っている」
「…立派です」
「その横に、あなたがいてくれたらと思う。あなたのような元気で明るい人が隣にいてくれたら…きっと楽しい家庭を築いていけるものだと」
心臓が高鳴るのを感じる。愛の告白にも驚いたが、クラウス先生が私との未来を描いてくれているのだと知って更に驚いた。そして同時に嬉しくも思ってしまう。
自分が思っていた以上にパニックを起こしていたのだろう、私は何も言えずに口をパクパクさせていて、そんな私を見てクラウス先生の表情は初めて緩んだ。ああ、もしかしてこの人も緊張していたのかな。
「こ…こんなに誠実に告白をされたのは初めてで…その…、戸惑っています…」
「そうか。それはいい」
にっこり、ではなく、にやりと笑ったクラウス先生はやっぱり美しいです。なぜこんな美形の人が私みたいな普通の女を選ぶのだ!
クラウス先生は私の手をぎゅっと握りしめ、そっと顔を私に近づけてくる。え、ちょっと…とたじろいだが、
「あなたが嫌がることも、無体な事をするつもりはない」
小さくそう言うと、軽く私の頬に口づけて離す。それは誰しもが挨拶でする時のようなキスだった。
「焦らすつもりはないが…私は引くつもりもない。だから覚悟するように」
「……クラウス先生……っ!」
「なんだ」
「ちょ…なんだって…!なんかズルいですよ…!」
「何がだ?」
「………何がって言われると困りますけれど……。ええと…クラウス先生のお気持ちは嬉しいですけれど…その…突然の事で驚いて…」
「それは済まない。だがいいタイミングだと思った。ロッテ先生はジェラルド先生の事を好きだと思っていたのだが、そうではないとロッテ先生が言った。だからこの時がいいと思った」
「………」
「時間を取らせて済まないな。では私は行く。ゆるりとするがいい」
去り際もスマートなクラウス先生に何か言えるはずもない。熱く火照った身体と頬を冷まそうとするも、心臓は相変わらずバクバク鳴って止まない。考えてみればこんなにときめいてしまったのは久しぶりかもしれない。
「…紳士と言うか…、クラウス先生…何もかも美しいです…。私には勿体ない男性ですよ…」
呟いた言葉は空気の中に溶け込んで消えていく。クラウス先生の気持ちは嬉しいが、でも私には彼と共にいる権利はない。ジェラルド先生と付き合っていないとは言え、関係を持っていることは確かだ。嘘を言っていることをクラウス先生が知ったら、果たしてどう思うのだろう…。
***
その夜、職員室で仕事をしている時だった。他には誰もない。残っているのは私だけ。夕方、クラウス先生と話してしまったから、遅れた分の仕事をしなくてはならずに一人で黙々と手を動かしていた。けれども時間だけが容赦なく進み、私の仕事量はあまり変わっていない。集中できていないという証拠であり、その原因も分かっているのだが…。
「どうしよう…」
それはクラウス先生に対してだ。私もここ最近はクラウス先生と話すのが楽しかったし、もっと交流を深めてもいいと思っていた。まだ「親しい同僚」程度の位置づけだったけれど、あんな美しい男性からストレートに告白されれば、心は揺れ動くのは当たり前だろう。
(そうだった…私って、結構面食いなところがあるんだった…)
ジェラルド先生と身体の関係になったのも、彼の容姿が好きだったからだったけ…。ジェラルド先生が不細工で身なりに気を遣わない男性だったら、絶対に断っていた。どんなに性格が良くてもだ。
「ロッテ先生、ここでしたね。絶対に仕事していると思っていましたけれど、本当にいました」
ついついボーっとしていたら職員室にジェラルド先生が入ってくる。その顔を見て思わずギクッとしてしまったことは、幸いにもジェラルド先生には気づかれていない。
「…夕方はお疲れ様です。まさに修羅場でした」
「…はは。みっともないところをお見せしました」
笑いながら私の横の席に腰を下ろすと、その腕を私の腰に伸ばして耳元に顔を近づけてきた。
「ねぇロッテ先生、…僕とミルフィーヌの事、気になる?」
こちらを試すように笑って言う。ジェラルド先生はこういう人だった。その度に私は一々振り回されているのだけれど。分かっていて付き合う私も人がいい…。
「気になると言えば気になりますね。ジェラルド先生は嫁ぎ先の義理の妹まで手を出していたのかと思うと、気になって仕方ないですよ」
多少意地悪を言っても構わないだろう。その瞬間、ジェラルド先生の目つきが厳しいものになったとしても、もう慣れっこだ。むしろ今は意地悪をしたい気分だ。色々と八つ当たりしたい。
「聞きましたよ。あのお嬢さんはジェラルド先生の最初のご結婚相手の家の子なんだって。チャイルホープ家の三女だとか」
「…誰に聞いたのか知らないけれど、早いですよね、情報が」
「…それで?どうするんです」
「……、どうするとは?一体何の事ですか」
「それでどうするんですか?あのミルフィーヌとかいうご令嬢とご結婚するんですか?」
「……する、と言ったらロッテ先生はどうします?」
質問に質問で返すかこの人はっ!どうして私を試すような事ばかりするのだろう。クラウス先生を見習って、たまには誠実な事を言ったりしないものなのか。いや、ジェラルド先生とクラウス先生は全く違うから比べるのは間違っているけれど…。
「ご結婚するならばお祝しますよ。おめでとうございます」
するりと出てきた言葉は、嫌味でも皮肉でもなく、心からの祝福の言葉だ。変なところで他人を拒絶しているジェラルド先生が幸せになれるならば、応援するのがいいのだろうな。
色々と理由付けをしているけれど、結局のところ、私はジェラルド先生が好きなのだろう。好きだけれど、この人とは一緒になれないとどこかで分かっている。
「…よくもまあそんな台詞を言えたものですね、ロッテ先生」
ジェラルド先生はその言葉をお気に召さなかったようだ。私は強く彼に腕を引かれると、そのまま床に押し倒されて肩をぎゅっと掴まれた。険しい顔のジェラルド先生が目に入る。
「本気で言っているの?怒るよ?」
「……なんで私が怒られなきゃならないんですか」
「君が素直じゃないからだろう?ミルフィーヌに嫉妬したくせに。素直にそう言えばいいじゃないか」
「……別に嫉妬はしていませんよ…。嫉妬する理由もないじゃないですか」
「…僕と身体を重ねているくせによく言う」
「言ってしまえば身体だけの関係でしょう?」
益々怖い顔になるジェラルド先生の胸を押し返し、私は起き上がる。本当にズルい人だ。
いや、ズルいのは私も一緒だ。ジェラルド先生との関係は楽で心地よいものだった。だから拒否しなかったし流されもした。曖昧な言葉で誤魔化しているのは私も同じなのだ。
「ジェラルド先生…私はジェラルド先生の事、それなりに好きでしたよ。好きでもない男と身体の関係を持つ程、私はお人好しでもないですからね…。でももう止めましょう…?」
「…どうして止めるのですか?問題はないでしょう?」
「ありまくりです。ジェラルド先生はあのご令嬢と結婚して…」
「しないですよ。言ったでしょう?僕は、結婚はしませんよ。誰ともね」
「………私とも、ですよね。先生は私との未来を描いているわけでもないでしょう?」
「……君は結婚願望なかったでしょう?どうしてそれをこの場で言うの?」
ああ、確かに。ジェラルド先生の言う通り。私はそこまで結婚したいと思わないけれど…。ダメだ、今は自分の考えがまとまらない。
ジェラルド先生と初めて関係を持ったのは、お互いに酒が入った時だったっけ。いい雰囲気になり、流されたという言い方が正しい。ただ私にもジェラルド先生にも特定の恋人がいなかったからズルズルと続いたというわけで、本気でジェラルド先生の事を想う女性がいるならば、私は身を引くべきだろう。
そして私も…本気で想ってくれる男性が現れたのだから、せめて曖昧なこの関係は清算しておくべきだ。要は気持ちの問題だけれど、私がモヤモヤしているのはこういうなのだ。
ジェラルド先生は床の上で座り直し一つ溜息をつくと、ゆっくりと口を開いた。
「……チャイルホープ家に婿入りした時、僕は十六歳でした。相手の娘は二十五歳で、彼女には恋人がいました。当然ですが、僕の居場所などあるわけなく、随分寂しい想いをしたのを覚えています」
驚いてジェラルド先生を見ると、苦い顔つきで、でも相変わらずの笑顔も絶やさないでいた。
「ミルフィーヌは僕と同い年でした。結婚相手と心が通わない日々に疲れていたこともあり、僕はミルフィーヌと関係を持ったんです。まあ…俗にいえば浮気をしたんですね…。結婚している身でありながら」
「……」
「割と続いたんですが、一年半後には離婚しまして実家に戻りました。ミルフィーヌとはその時終わったつもりだったんですよ。そして僕はまた十九歳の時に再婚させられました」
「…でもミルフィーヌ嬢は諦めていなかったようですけれど…」
「…その点では反省していますよ。彼女が未だに僕の事を想っていたなんて想像もしなかったですからね」
「………」
「当たり前ですが、ミルフィーヌとは結婚できませんよ。離婚した先の家の妹と再婚なんて、世間体も悪いですし。ミルフィーヌにはよくよく言い聞かせましたけれど納得してくれたかどうかは…ね」
そうですかと小さく答えれば、ふわりと笑うジェラルド先生が私を抱きしめる。髪から先生の香りが漂って心地よい眠気が襲ってきた。
「…ねえロッテ先生。ミルフィーヌが来たあの時、どこにいたんですか?」
「………え?いえ…どこって…」
「当ててあげましょうか?クラウス先生と一緒にいたんでしょう?」
一瞬の間を開けてしまったことをジェラルド先生は見逃さなかった。
「否定しないって事は肯定しているのと同じですからね。何を言われたのかも予想できますね。どうせ告白されたんでしょう?」
「……」
「それで僕に反発しているってわけですか。単純ですね、ロッテ先生も」
するりと頬に滑らされた手は思いの外優しくて、何と言えばいいのか分からなくなる。こんなジェラルド先生は知らない。
「クラウス先生もなかなか図々しいですねえ、人のモノに手を出そうとするなんて。でも僕はそこまで優しくはありませんのでね」
私はただ、ジェラルド先生に強く抱きしめられるだけ。ジェラルド先生にこうされるのは珍しくないのだが、私は困惑しきりで無言を貫いたままだった。
私はズルい女だ。ジェラルド先生と関係がないとか、どの口が言えることか。クラウス先生に嘘をついて、クラウス先生の告白に心が動いて…。そしてこうやってジェラルド先生に抱きしめられることが心地よいと思ってしまうだなんて。
クラウス先生の潔いところも、ジェラルド先生のダメなところも好ましく思う自分は浅ましい。二人の人物に好意を寄せられて、私は一体どうしたいのか。今はまだその答えが出せないでいる。
こういう時、皆の手本となる「教師」の仮面を被る事が出来ない。ただ感情に振り回され、甘い道の方に進み、自分の居心地のいい場所を選択してしまう。ああ、よくも教師なんて名乗れたものだ。私が子供だったら、私みたいな女に、人生や恋愛のあれこれの指導なんてされたくないなあ…。




