漆黒の勇者の女神
クロが強いのは知っていたつもりだけど、まさか領主様のパーティーに招待される程までだったとは。
たまたま立ち寄った町で受けた依頼は、鉱山に度々現れる魔物を退治してほしいというものだった。
報酬が良いという理由でそれを引き受けたクロは、私に心配する間も与えないくらいあっさりと依頼を終えた。だから、てっきりそう大した魔物じゃなかったんだろうな、って思っていたところに、まさかの領主様からのご招待だ。
『突如として現れた漆黒の勇者を讃えて』
招待状の文面に目が釘付けになる。
「漆黒の……」
「言うな」
思わず復唱しそうになったフレーズを食い気味に止められた。
いつにも増して顰めっ面のその顔に、クロはこういうの嫌いなんだろうな、と妙に納得してしまう。
確かに面倒そうな気はする。でも、領主様とやらの開くパーティーってどんな感じなんだろう? 美味しいものが沢山出そうだし、着飾ったご令嬢達がヒラヒラと踊っていたりするのかな。
そんな妄想を一人繰り広げていたら、隣から小さな溜息が聞こえてきた。
「女連れが基本だそうだから、おまえも一緒に出ろよ」
「え? 私も!?」
「何でオレが知らない女に気を遣わなきゃいけないんだ」
私が行かなければ、クロは誰か知らない女の人とパーティーに出るんだ。
気付かされた事実に、面倒とか大変とかそんな事より何より、ただ嫌だと思ったんだけど。
「で、でも、服とか髪とか……」
「そこら辺は心配しなくていい」
そこら辺が一番大事じゃないの?
思わず首を傾げてクロを見上げたら、「いいんだ!」と外方を向かれてしまった。
まあクロが大丈夫って言うんだから大丈夫なんだろう、と大きく構えていたら、パーティー当日、あれよあれよと言う間に立派だけど見知らぬ馬車へと乗せられた。
「あなたがワタルちゃんね!」
そして、なぜかキラキラな美女と相乗り。
「ずっと会ってみたいと思っていたの! なるほどね〜、こういう感じか」
まじまじと見つめてくる瞳はエメラルドのように輝いている。
興味津々、と顔中で語っているこの美人さん。一体どこのどなたなんでしょう?
「あの、私のことご存知なんですか?」
「名前だけだけどね」
私、生まれて初めて人様にウインクしてもらいました。しかも超絶美人に。美人はどんな事をしても様になると実感できました。
「今日は、その、どうして私を……?」
少しだけ現実逃避した後に恐る恐る聞いてみると、彼女の大きな瞳が更に大きく見開かれた。
「クロから何も聞いてないの?」
「はい、ここで待っていればいい、とだけで」
私の返事に彼女は、「やっぱり男ってダメね」と大きな溜息を吐いた。そして、直ぐさま居住まいを正して、私に向かってとても美しく微笑む。
「はじめまして。私はシルフィ、本当の名前はもう少し長いけど、冒険者の私はただのシルフィだからそう呼んでね」
親しげな言葉遣いでも隠しきれない品の良さ。シルフィさんも上の方の貴族様なんだろうな、と感じさせられる。
「今回の依頼を受ける時に、私と私の仲間であるダンが一時的にクロと組ませてもらったんだけどね、結果的に言えば私達はまったく必要なかったの。でも、魔物は私達三人で倒したって話になってしまったから、今回のワタルちゃんの事はクロへのお礼を兼ねてるのよ。だから、私に任せて」
どうやら私がパーティーに出る為の準備をシルフィさんが手伝ってくれるらしい。
クロは大丈夫って言っていたけど、本当はちょっと心配だったからホッとした。
「よろしくお願いします」
「クロを驚かせてやりましょうね」
頭を下げる私にシルフィさんはとびきりの笑顔を返してくれた。
※
頭が重い。体が窮屈で歩き辛い。そして、心臓が痛い。
「そんなに緊張しなくて大丈夫よ」
美女からとんでもない美女へと変身したシルフィさんが隣でそう言ってくれるけど、こんな美女から言われても何の慰めにもなりませんから。
ついつい恨みがましい目でシルフィさんを見た私に、困ったように微笑み返すその顔さえ麗しい。
「もう、自分でも鏡を見たでしょう? 驚くのはきっとクロだけじゃないわ」
確かに鏡は見たし、まるで私みたいじゃない仕上がりだったけど、それでも日本人の彫りの浅さを舐めてはいけない。
なんか無理に外国人を真似たような派手めの化粧は何だか違和感しかなかった。
出来上がりに「うーん」と首を傾げたシルフィさんがササッと手直ししてくれたけど、その後に鏡を見直す勇気はなかった。
「もう、私の事はいいんです。領主様にお会いしても恥ずかしくない格好をさせてもらっただけで充分なので」
でも、クロに恥ずかしい思いはさせたくないな……
思わず俯いた私の腕を引いて、シルフィさんは扉を開ける。
「大丈夫よ、私を信じなさい」
自信満々なその声に少しだけ勇気を貰って、顔を上げた私の視界に飛び込んできたのは、切れ長の瞳を思いきり見開いて驚くクロの姿だった。
「……うわぁー……」
思わず声が漏れるくらいカッコいい。
黒の詰襟みたいな光沢のある服は、まるでクロの為に作られた服のように似合っている。さりげなく入った同色の刺繍が凄く上品で素敵。これで剣でも構えたら正しく漆黒の勇者だ。
こんなカッコいいクロの横に私が並ぶなんて……
また俯きそうになった私の目に映るクロが、なぜか見る見る内に真っ赤になっていく。
あれ? どうしたんだろう、もしかして具合が悪い?
駆け寄ろうとした私より先にこちらへ向かってきたクロは、怒ったような顔で私に背中を向ける。
「あの……?」
どういうこと? まさか見たくもないくらい酷いとか……?
嫌な考えが頭を過ぎり逃げ出したくなった私の耳に届いたのは、男の人の爆笑する声だった。
「ま、まさかクロのこんな姿を見れるなんてね……っ」
収まらない笑いに苦労しながら、言葉を捻り出しているそんな声だ。
誰だろう? クロの背中から顔だけ出して覗くと、そこにはお腹を抱えるこれまた美形がいた。
本当、ここの人達の顔ってどうなってるんだろう……?
一人理不尽さを実感していたら、不意に顔を上げたその人と目が合う。
サラサラの栗色の髪に優しげな紫色の瞳。爆笑の名残に細められていた少し垂れた瞳が、私を見つけてキラリと輝く。
あ、と思った時には、長い足で数歩の距離を瞬く間に縮めた彼が目の前に立っていた。
「初めまして、勇者の女神。まさかこれ程までに美しいとは。道理でクロが紹介したがらない訳です」
「こいつを見るな。穢れる」
再び私を背中に隠して、クロが嫌そうに言い放つ。
「仮にも仲間に酷いなぁ」
「もう仲間じゃない」
「いやいや、今日この日までは仲間だよ。ちゃんと領主様にそうやって呼ばれたんだから」
ああ、そうか。この人がきっとダンさんなんだ。クロのもう一人の仲間の人。
挨拶した方が良いんじゃ、と思うのに、どうやらクロはさせたくないみたいだ。
「ほら、いつもみたいにじゃれ合ってないで行くわよ」
シルフィさんの一声でようやくクロの背中から解放される。そして目の前に現れたのは、美しい所作でシルフィさんに手を差し出すダンさんの姿だった。
「ボクの女神、今日が終わるまで君の傍に立つ権利をボクに貰えるかい?」
「ええ、いいわ」
まるで映画の一場面のように美しい。思わずうっとりと見つめていたら、シルフィさんの手を取ったダンさんがこちらを向いた。
「勇者の女神よ、今日はそこの勇者の傍を離れてはいけないよ。でないと、きっと知らない誰かに浚われてしまうからね」
そして、ウインク。もしかして、こちらでは美形に流行っているのかも。
星が飛び出しそうなキラキラのウインクに圧倒されていた私の前に、手袋に包まれた大きな手のひらが差し出された。
手のひらの先を見上げれば、眉間に皺を寄せて横を向いたままのクロがいる。
「……あいつの言う事は無視しろ、と言いたいところだが、今回だけは間違っていない。いいか、傍を離れるなよ」
ぼそぼそと話す横顔がほんのりと赤い気がするのは気のせいだろうか?
こういうの苦手だと思うのに、私の事をエスコートしてくれるのが嬉しい。他に誰も適当な人がいないからでも、私なら良い、と思ってくれるのが嬉しい。
「……私、変じゃないですか?」
クロの傍に立っていてもおかしくない程度には着飾れてますか?
うん、と言ってくれたら、周りが何を言おうと気にしないでいられるから。
「…………だから、離れるな、と言ってるだろう」
ぶっきらぼうに呟かれた言葉と共に、差し出す前の手を取られてギュッと握られた。
思っていた言葉とは違うけど……更に赤く染まったクロの頬を見て胸の奥に勇気が宿る。
「はい!」
手を握り返した私を見ないまま、クロは広間へと向かって歩き出す。
「あの、その服、凄く素敵です」
貰った勇気を少しだけ使って言葉にしたら、真っ赤な顔をしたクロに睨まれた。