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モノから人へ

クロ目線

オレの母親は元聖女だった。

オレと同じ黒髪黒目に、彫りが浅く幼い顔をした哀れな元聖女。


あの人を死なせたくなかったから力を使ったのに、力が無くなったら要らないって言われたの。子供だって作ったのに、もう帰ることは出来ないのに。


嘆いて嘆いて死んでいった哀れな女。

馬鹿だ、とは思うけど、そんな無知な女を落としたのは神だろう。なぜ、そんなことをするのか。なぜ、そんな可哀想な女を作るのか。


だから、神など信じない。

信じてこんな目に遭わされては堪ったもんじゃない。そう思って、誰も信じることなく、泥水啜って盗みを働いて何とか一人で生き延びてきた。


あの日はあまりの空腹にパンに目が眩んだ、それがオレの「人」としての最後。

よりにもよって、冒険者のお貴族様のパンを盗むなんて。何のために生きるのか分からずに必死に生きてきたけど、ようやくそれも終わりを迎える、そう思っていたら、今度は「物」としての生が始まってしまった。


あの場で殺してくれれば良かったのに。

何度も何度もそう思った。そして、いつのまにか何も思わなくなった。


言われたことをやる。そうすれば、一日三度パンが貰える。痛みも魔法で取り除かれているので命令の内容に恐怖もない。傷を負えば淡々と処理を行い、今日も死ねなかったことを少し残念に思うだけだ。


そんな日々がある日を境に変わってしまった。


「落人だ! クロ、何としても無事に保護しろ!」


空から落ちてくる女を見つけた瞬間、所有者であるヒューゼルが叫んだ。

でも、オレの体は本当は命令よりも先に動いていたのだ。


空から落ちてくる割にはゆっくりと、でも短い髪が風にはためく程度には速さがある。揺れる黒い髪を目にしたその時、オレは確かにオレの意思で彼女に手を伸ばした。


崖から飛び出し、彼女の体を宙で抱き寄せ、抱え込んで背中を丸める。途中出っ張った石をわざと掴もうとしたり、近くの木の枝を掴んだり、出来る範囲で落下の勢いを消して地上に落ちる寸前、僅かな間ではあったが一瞬光に包まれ目を閉じた。


目を開いた時には既に地上で、彼女を腕に抱えていること以外に違和感はなく、はっきり言ってあの高さから落ちたにしては有り得ない程の軽傷だった。きっと途中彼女から溢れ出た光のおかげなんだろう。


あれが聖女の力、か。

彼女の命綱、ヒューゼルの物になる以上まったく使わないことはできないだろう。でも、母親は「もう帰れない」と言っていた。ということは、力を使い切らなければ、どこかの時点で「帰れる」可能性があるということだ。


どうか無事に帰ってほしい。

あんな哀れな女は母親だけでいい。

そんなことを思ったのは、薄っすらと開かれたその瞳が母親と同じ黒色だったからかもしれない。





ヒューゼルが怪我を負えば、あいつの力を使うことになる。

だから、いつも以上にヒューゼルを庇うことを意識していたのに、何を思ったのかあいつはオレの怪我を治そうとしてくる。


何を考えてるんだ?

やっぱり馬鹿なのか?

痛みを感じないことを伝えても、なぜか辛そうに顔を歪めただけで、治療を止めようとしない。


その上、料理まで始めてオレの分まで作るようになった。

オレはヒューゼルのモノだ。人じゃない。

何度も誰もが言葉を変えてそう説明しても、あいつは悲しそうに首を傾げるだけだった。


聖女は平和を愛する。だからこそ聖女だ。

それは誰もが知る事だ。だから、あまり凄惨な場面を見せてはならないと。

だからだろうか、オレのことを気にするのは。

思い通りにいかないことに激しい苛立ちを覚えるのに、それなのにどこか喜んでいる自分がいることが更に腹立つ。


オレの傷を気にしてくれる相手なんていたか?

歯が折れそうなパンを、こんなに食べやすくしてくれた相手が、オレを気にして火をつけたままにしようと思ってくれる相手がいただろうか?


母親を重ねて、勝手にこの聖女を助けたいと思っていたオレは、気付けばこいつを助けたいと思うようになっていた。


その為にオレは今生きているのかもしれない。

その気持ちはオレの心をいつの日振りかに温めた。





「……諦めるしかない」


ヒューゼルの言葉に思わず拳を握り締める。


あいつが浚われた。

気付いた時にはもうあいつはいなくて、例えじゃなく目の前が真っ暗になった気がした。


なぜ気付かなかったんだ。自分を責めたが、相手の名前を聞いて納得するしかなくなる。


「リースフェルト公爵家なんて……」


ミラの呟きにも諦めが混じっていた。

だって、その名はオレでも聞いたことがある大貴族だ。そんな奴を相手に歯向かうなんて、死にたいのかと思われても仕方ない。


だけど……

脳裏に浮かぶのは、悲しげにこちらを見る瞳、必死の形相でオレを治療しようとこちらへ伸ばす小さな手、空になった器を見てこっそり嬉しそうに笑う顔。


ひどく胸が痛かった。

こんな風に怒りや痛みや、色んな感情を覚えるのはあいつに関することだけだ。


「……オレが行く」

「は!? 何言っているの? え、今の、クロがっ?」


なぜか一人で騒いでいるミラは放っておいて、オレはヒューゼルを見つめた。


「死ぬよ?」

「今も変わらない」


即答したオレに「そうだね」と奴は小さく笑う。


「……失敗した時におまえが僕の持ち物だと困るからね。今からおまえはただのクロだ。いいね?」

「ああ、構わない」


どうせあいつがいなくなればオレは死んだままだ。

公爵様よりはきっと、ヒューゼルの方が大事にしてもらえるだろうし。この命に代えてあいつをここへ戻してみせる。








「賭けをしてみたんだ。おまえがワタルを救えるか、ワタルが全ての力を使っておまえを助けるのか。まあ、負けの予感しかなかったんだけどね」


そう言って笑ったヒューゼルは、餞別だと袋を一つくれた。


「おまえの能力は買っているけど、女連れの旅は何かと入り用だ。今までの働き分と思って使えばいい」


黙って受け取り、最後に頭を下げる。

なんだかんだ、ヒューゼルはマシな貴族だったと思う。貴族と平民やそれ以下のモノでは、何もかも違って当たり前なのだ。その中で随分と良い対応をしてもらった。


「……ワタルを頼む」


顔を上げて、もう一度しっかりとヒューゼルを見つめる。


「オレはあいつといると生きている気がするんだ」


だから、あいつを守るのは当然だ。

全部言わなくても分かったのか、ヒューゼルは小さく頷いてオレに背を向けた。







「一緒に来てくれるのは、命令だから、ですか?」


真っ直ぐ見つめてくる黒い瞳を、こんな気持ちで見つめ返せる日が来るとは思っていなかった。


「……さあ、どうだろうな?」


命令じゃない、と言うのは簡単だけど、それだけじゃ足りない気もして。

でも、もしかしたら、いつかもっとぴったりくる言葉が見つかるかもしれないような気もする。


だから、急ぐことはないだろう?

オレ達の時間はこれから沢山あるんだから。




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