後編
不意に腕がちくりと痛んだ。
何か刺さった? そう思った後から記憶が無い。
パッと目が覚めると、そこは知らない場所だった。見慣れた森の中ではなく、豪華な部屋のベッドの上である。
もしかして浚われた?
この扱いからして落人とばれた上での誘拐の可能性が高い気がする。
どうしようか、と思ったけど、どうすることも出来ないとすぐに気付いて溜息を吐く。だって私には何の力もない。落人のしての力以外には平均以下の身体能力しかないのだ。
ヒューゼルは多分大丈夫なはずだ。
しっかり治したし後は体力さえ回復すれば、いつも通り戦えると思う。
でも、クロは……
だってクロはすぐに無理する。それが当たり前だとヒューゼルもミラも、もちろんクロだって気にしていない。
ヒューゼルたちの目もあるし、クロもすぐ怒るから、いつもきちんと治療は出来ていないし心配だ。心配したってもう届かないんだけど。
もう一度溜息を吐いた時、ノックの音が響いてドアが開いた。ハッとそちらを見れば、これまた眩い銀髪に青い目の美丈夫が立っている。
「具合は悪くないか? 聖女よ」
私に呼び掛けながらこちらへと近付いてくる。お盆に乗せた水差しを片手に、優雅に歩いてくるその姿は間違いなく貴族だ。そして、多分上位の貴族じゃないかと思う。
こう言ってはなんだけど、何だかヒューゼルとは格が違う気がするのだ。
「……大丈夫です。あのここは?」
返事をしない、という選択肢は彼のオーラが許していない。恐る恐るの返事と一緒にこの場所の説明を求めると、銀髪様はあっさりと答えてくれた。
「私の別邸だ。おまえはここでゆっくりと過ごすと良い。あんな森の中で体を壊したらどうするのだ? おまえの力は私のような者の為にあるのに」
このくらいはっきりと言ってくれた方がきっと良いんだろうと思う。
甘い甘い言葉で夢見させて使い捨てるより、最初からその力しか必要としていない、と言われる方がずっと優しい。
ただ虚しいだけで、傷付いたりしないから。
「それしても、おまえは男のようだな。髪は短いし痩せ過ぎている。もう少し見られるようになれば夜の世話をさせても良いが」
きっとこれも当たり前のこと。
見た目が悪くて助かっているけれど、所詮聖女なんて名前だけの使い勝手の良い存在なのだ。
役に立つなら可愛がってやる。
堂々と言い放つ彼らにどれだけの聖女とやらが色んなものを捧げてきたんだろう。
きっとヒューゼルは助けに来ない。助けに来れない。
敵わない敵には、逃げ出す事が最善の策だと彼は言っていたから。
私はこのまま、この人の側でモノとして生涯を終えるのか。
そう諦めそうになった瞬間だった。
部屋の窓が割れて大きな炎が噴き出した。思わず顔を庇おうとして持ち上げた腕を誰かが掴む。
「……ワタル」
私を呼ぶ声に心が震えた。
顔を上げると炎を纏ったクロがそこにいた。体中を燃やしながら私を濡れた布で包んで、そのまま外へ飛び出す。
クロの髪が溶けていく。頬が焦げていく。
なんてバカなんだろう。
「バカで悪かったな」
どうやら口に出していたらしい。
返ってきた言葉が優しく聞こえて、一気に視界が潤み始めた。
「初めて命令じゃなくて、自分でやりたいと言った。今のオレはあいつのモノじゃない」
初めて聞くようなクロの力強い声に、自分の体の奥にある力がどんどん強くなっていくのが分かる。
うん、そうだね。
今しかないよね、この力を使うのは。
外に出たいと暴れ出しそうな力を宥めながら、ゆっくりと手のひらからそれを解放していく。
全部の力を使い切れば、聖女は聖女でなくなる。帰る方法も無くしてしまう。
上手く力を残して、誰も大事な人を作らなければ聖女は元の世界へ帰れるのだ。
それはいつのまにか植え付けられていた記憶。
一年間、この世界の者達を癒したら帰って良いと神様に教えられた。その代わり、力を使い切ってしまえば、神様が見つけられないから帰れなくなるよ、と。それから、こちらの人達と体を繋げても駄目だ。そうしたら、こちらの人間になってしまうからね、と。
どうせ、平凡で特に綺麗でもない私をそう言った意味で求める人はいないだろうから、必ず元の世界へ帰ると決めていたんだけどな。
力を失った聖女の末路なんて碌でもないのが目に見えているし。
でもまあいいか。
どちらの道を選んでも後悔しないようにと、こちらにいる間は元の世界の記憶は消されている。きっと家族はいたんだろうけど、ごめんね。でも、ここでクロを見捨てるような私だったら、本当にほんのちょっとも生きている意味がないモノになってしまうと思わない?
私から溢れ出した光がクロを包む。
無くなりかけていた黒髪が戻り、焦げて黒炭のようだった肌が戻り、あ、潰れていた左目まで治ったみたいだ。
神様、大盤振る舞いありがとう。
後は無事に着地させてくれれば何の文句もありません。
抜け出した力のあまりの大きさに、すっと意識が遠退いていく。
「……ワタルッ!」
こんな風にずっと名前で呼んでくれたらいいのに。
そんな贅沢なことを思いながら、私の意識はそこで途切れた。
※
気付いた時には、やっぱり私は力を失っていた。でも、無事なクロの姿を見たら後悔なんて一つもなかった。
「ワタル、力が無くなっても僕に君を守らせてくれないか?」
ヒューゼルからそう言われた時には本当に驚いた。まだ私には利用価値があったっけ? とすごく考えてしまう程に。
多分、私には物凄く勿体無い言葉なんだとは分かっている。それでも気付いた時には首を横に振っていた。
「返事は分かっていたけどね」と寂しげな微笑みを浮かべたヒューゼルは、私の頭をポンポンと優しく撫でてくれた。
「あなたのように、見る目のない愚か者は見たことがないわ」
ミラはそう言ってプリプリと怒っていた。
力は無駄遣いするわ、ヒューゼルの好意は蹴るわ、彼女からしたらとても有り得ないことらしい。
「……だけど、今回のことは私の失敗だわ。ヒューゼルが怪我を負った時に、早く戻って治療させなければ、と騒いでしまった。それで聖女の存在を他者に知られたの」
ミラのことは特に好きだと思ったことはない。でも、どんな時も真っ直ぐと向けてくる言葉と瞳は嫌いじゃない。
何かを言い掛けて止めたミラは、無言のまま私に袋を差し出してきた。
その勢いに思わず受け取ってしまった皮の袋は結構重くて、両手で抱えるとじゃらりと音がする。
「炎の小魔石よ。私の力を封じ込めているから、火が欲しい時に使いなさい。料理くらいなら一つで充分だから」
ごめんなさい、の代わりなんだろうから、有難く受け取っておこう。
あの銀髪様に捕まった事が、果たして私にとって悪いことだったのかは分からないけど。でも、そこは秘密にしておいても構わないだろう。
「これからきっと大変だと思う。だから、最後に君に贈り物を贈るよ」
今までありがとう、という言葉が本当に優しくて、あなたの為に力を使えなくてごめんなさい、という気持ちを込めて深く頭を下げた。
「本当に趣味が悪いわ」
「聖女達は平和的な感覚の持主だと言うだろう? その時点で僕に勝ち目はなかったのかもしれないね」
僕達はどこまでいってもやっぱり貴族だからね。
そんな自嘲めいたヒューゼルの呟きの意味は良く分からなかったけど。
「何をしている? 早く行くぞ」
切れ長の黒い双眼が私を見つめている。
ヒューゼルからの贈り物はクロだった。これからは私と一緒に来てくれるらしい。
「一緒に来てくれるのは、命令だから、ですか?」
聞いてみたくなった。
あの時のクロはヒューゼルのモノじゃないと言ったけど、今ここにいるクロはどうなんだろうか?
「……さあ、どうだろうな?」
そう言って、ほんの少しだけ笑ってくれたその顔を私は一生忘れないだろう。
いつか、自分の意思でここにいてくれるとそう言ってくれたらいいな。
急がなくてもいいよね?
だって、私達は今やっと人として歩き出したんだから。