中編
この世界へ落ちた時、私が最初に見たものはクロだ。
瞳にかかる程に長い前髪の間から、切れ長の隻眼が私を見つめていた。
ぼやける視界の中でも、黒い髪と黒い瞳に滴る赤が印象的で。そして何より、その瞳が浮かべる哀しい色にひどく心を揺さ振られた。
「神よ、なぜ……」
小さな小さな声で呟かれた言葉があまりに苦し気で、あちこち体が痛くて堪らないのに、この人を慰めたくて仕方なかった。
空から落ちてきた私を受け止め、身を呈して助けてくれたのはクロだ。
例えその命令を下したのがヒューゼルだったとしても、私はあの時のクロの瞳を忘れられなかった。
※
ヒューゼルたちの職業は、多分冒険者なんだろう。色んな迷宮みたいなところに入り込んで、宝石や薬の原料などを手に入れてくる。
だけど、その分敵、と言うか魔物も多いらしく必然的に怪我人が出てしまう。
かなり上級の冒険者であるヒューゼルたちでもこんなに怪我をするんだから、冒険者たちにとって落人はかなり重要なものらしい。
そんなに毎回都合良く落人が現れる訳もなく、見つけた者達は失わないように奪われないように、あらゆる手段を取る必要がある。
落人の見た目は様々らしいので、容姿から他の人達に落人とばれる心配はない。だから、後は自分から名乗らせないように、自分から離れる事がないように、惚れさせるのが一番手っ取り早いやり方と言われているそうだ。
ちなみにこの情報は全てミラからのもの。
つまりは、だから調子に乗るなと言いたいらしい。そんなこと言われなくても、ヒューゼルが私なんかに一目惚れするとは思っていない。でも、訳も分からずに疑い続ける必要が無くなったので、教えてくれたことはとても感謝しているのだ。
「ワタル! 早く、早く治療なさい!」
ぐったりとしたヒューゼルをミラとクロが両側から支えて戻ってきた。
それを見た私は急いで彼らの元へ走り寄る。
「何であんな場所からAランクの魔物が……っ」
ぶつぶつと呟きながらミラはヒューゼルを見つめるばかりで、一人で支えることになったクロがゆっくりと地面にヒューゼルを横たえた。
そして、そのまま倒れ込みそうになったクロを、今度は私が支える。
細身に見えるけどずりしと重い体。漂うツンと鼻にくるような血の臭い。
そりゃそうだ。だって、怪我はクロの方が酷い。
ミラは後悔のあまりか、意識が朦朧としているヒューゼルに縋り付いてこちらを見ていない。
私は迷わずに先にクロへと光を飛ばした。
不意に浴びた癒しの力に驚いたのか、凄い勢いでクロがこちらを見た。
「おまえっ!」
私を咎めようとしたクロに、唇に人差し指を当てて黙るように合図を送る。
ミラにばれたらクロがどんな酷い目に合わされるか。私の気持ちが伝わったのかどうかは分からないけど、口を閉じてくれたクロは私を押し退けるように地面に座り込み、近くの木に背中を預けた。
とりあえずクロは大丈夫。
自分に言い聞かせながら、今度はヒューゼルの治療を開始する。
「ワタル、ヒューゼルは大丈夫なのでしょう? そうだと言いなさい」
ヒューゼルの手を握り締め、ヒューゼルだけを見つめてミラが尋ねてくる。
こんな時まで上から目線で少しだけおかしくなる。でも、笑ったりしたら恐ろしい目に遭うのは分かっているので、私は小さく頷いておいた。
「大丈夫ですよ、問題ないです」
本当のことを教えながら、癒しの力を体から引き摺り出す。
なぜ、その気持ちを少しはクロに向けてあげないんだろう?
いくら考えたところで無駄なのは分かっている。
彼らは貴族で、クロはモノ。
モノに人と同じ感情を向けることなんてある訳ないのだ。
そして、私はきっと人形なんだと思う。
モノだけど人によく似た形をしているモノ。必要な間はとても可愛がってもらえる。
癒しの力が効いて目を開いたヒューゼルが私を見つめてくる。
そこはミラを見てあげたらいいのに、と思うのに色々と上手くいかないものだ。
「……ありがとう、僕の聖女」
私は上手に笑えているだろうか。
ミラの指示で、クロの手でテントの中へ運ばれていくヒューゼルはじっと私を見つめていた。
それが分かっているのに、私の目はただクロだけを映そうとする。
私はいつまで可愛い人形でいれるだろうか?
そんなことをふと思った。
※
パンをスープでふやかしてパン粥のようなものを作ってみる。
すっきりするような味わいの果実水と共に、ヒューゼルのテントへと運んだ。テントの外からミラの名前を呼ぶと、渋々といった感じで顔を出してくれた。
「もし何か食べれそうなら食べさせてもらえませんか? 必要なかったら捨ててください。後、水分だけでもたっぷりと……」
「言われなくても分かっているわ。さっさと戻りなさい」
引っ手繰るようにそれらを受け取ったミラは、またすぐにテントの中へと消えていった。
きっと側に入れて嬉しいんだろうな、と微笑ましく思いながら、今度はクロの分を準備する。同じように彼の元へ運ぶと、いつもと違ってクロはじっとこちらを見つめてきた。
「おまえは分かっているのか?」
彼が話し掛けてきた事に驚き、そして聞かれた意味が分からず首を傾げる。
「その力のことだ。使い切ったらどうなるのか分かっているのか?」
ああ、やっぱりそうか。
クロは知っているのだ。いや、きっとみんな知っているのだ。
だけど、誰もそれを教えてはくれない。だって自分に不利になることをあえて言う人なんていないでしょう?
なのに教えてくれるクロがおかしくて思わず笑ってしまった。
「おまえ、何笑ってるんだ!」
クロはちょっと短気だ。こんなことを知っているのはきっと私だけなんだろう。
「……知ってます」
ちゃんと理解している。最初からちゃんと分かっているから、決してヒューゼルに惹かれたりしない。
なのに、おかしいなぁ。
クロのことだけはそんな風に割り切れない。
「なら、なぜ?」
なぜ? そんなの私が聞きたい。
なんて、嘘。だって仕方ないよね、笑ってほしいと思ってしまったんだから。
クロの笑顔が見れるなら、この力と引き換えにしてもいいかな、と思えるくらいにあなたを想い始めている。
「良かったら食べてください。そして、早く元気になって」
伝えても迷惑になるだけだから、口にしたりはしないけど。
疼く胸を無視して、私はまた火の側へと戻った。