*六* 食堂で
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なんだか興奮してしまって、なかなか寝付けなくて、目が覚めたらかなり陽が高くのぼっていた。あぁ、せっかくの休みなのに、なんてもったいないと思ったけれど、そういえば、ラーウスさまから起きたら部屋に来るようにと言われていたのを思い出した。
のそのそと寝台の上に起き上がり、大きく伸びをする。
とそこで、すっかり朝寝坊をしたために、耳と尻尾が生えてきていることに気がつき、わたしは慌ててブレスレットの中に仕込んでいるウィケウスの花の香りを嗅いだ。途端、しゅるんと音を立てて消える耳と尻尾。
われながら、どういう仕組みで耳と尻尾が消えるのか分からないけれど、この花が獣人の特徴を消すことができるというのを発見した人に、心からお礼を言いたい。そうでなければわたしたちはあの町でいつ人間に見つかるかと震えながら生きていかなければならない。いや、獣人の特徴が消せなければ、いくら同じ獣人がいるとはいえ、町や村は作れなかっただろう。
それくらい、ウィケウスは、わたしたちにとってはなくてはならない大切な物だ。
本当ならば、ウィケウスの花を干して乾かしたものを煎じて飲むのが一番、効率がいいのだけれど、その肝心のウィケウスを干した物の在庫が切れているのだ。だから今はこうやってことあるごとに匂いを嗅いで誤魔化しているのだけど、それもそろそろ危険な域に入っている。
というのも、ウィケウスの花の香りが薄れてきていて、頻繁に嗅いでいないと、耳と尻尾が出てきてしまうのだ。
ちなみに、獣人にも色んな人がいて、わたしのように人型に耳や尻尾だけが生える人もいれば、完全な動物型になる人もいる。動物型になれる人は森などでも暮らしていけそうだけど、人としても獣人としても中途半端なわたしみたいな人たちは、完全に隠れてしまうか、ウィケウスを煎じて飲んで、人として暮らしていくか、どちらかしかできない。
とまあ、暗い話は置いておいて。
わたしは手早く着替えを済ませて、少し遅くて早い朝食兼昼食を食べに食堂へと向かった。
中途半端な時間だったため、食堂はガラガラだった。
「おはようございます」
顔なじみの食堂のおばちゃんに声をそうかければ、
「おはようというには、ちょっと遅いんじゃないかね」
と気安く言われ、思わず笑い返した。
「ご飯はいつものでいいかい?」
「はい、いつものでお願いします」
と言えば、山盛りのサラダに、ご飯と魚、そしてスープが出てきた。
「今日は新鮮な魚が手に入ったから、塩焼きだよ」
「わー、すごーい!」
食堂に入ったときからいい匂いがしていたけれど、本当に新鮮でいい魚のようだ。
トレイに乗ったそれらを受け取り、いつも座る端っこに座り、わたしは遅い朝食で早い昼食を摂り始めた。
食べ終わって食器を片付けにいくと、いつもは出てこない先ほどのおばちゃんが出てきて、興味深そうにわたしの手を見ていた。
その視線をたどると、わたしの左の薬指に向いていて、そういえば、と思い出す。
「あれ、あんた、昨日はしてなかったよね、それ」
「え、あ、はい」
「あんた、いつの間に結婚したんだい!」
昨日の夜です、と答えるより早く、奥にいた他のおばちゃんたちがわらわらと集まってきた。
うわ、これは予想外!
「あらまあ、ようやく殿下、求婚したのね」
「求婚どころか、一気に結婚したのよ」
「まあ、ほんとだわ。ほんと、長かったわねー」
「ほんとにねー」
と、わいわいとおばちゃんたちが話していた。
え、ちょっと待って?
わたし、一言もラーウスさまって言ってないのに、どうしておばちゃんたちは、相手を知っているのっ?
驚いて目をぱちくりしていると、先ほど、ご飯を用意してくれたおばちゃんが教えてくれた。
「知らないのはあんただけってくらい、ラーウス殿下はいつも『ルベルはどこにいる?』って探していたのよ」
「え……」
「あなたが休みの日は、必ずここに来て聞いていくのよぉ」
「それにあなたしか眼中にないって感じで、もうね、あたしたちみんな、殿下のことを応援していたのよ」
……知らなかった。
ラーウスさまってそんなに分かりやすい態度を取っていたんだ。
「これで晴れて、殿下の想いが通じたのね」
「そうね、もう、あなたって剣以外は興味ないって顔してるし、殿下のあんなに分かりやすい態度に気がつかないし!」
「…………」
そんなに分かりやすい態度を取っていた、ラーウスさまって?
思い返しても、あまり思い当たることはあまりない。
やさしい笑みも、過度なスキンシップも、人嫌いという噂とは違っているな、程度にしか思っていなかった。
「あなたにだけよ、あんなやさしい表情をするのは」
「え、そうなんですか?」
「そうよー。あたしたちには冷たいもの、ねぇ」
と、おばちゃんが言えば、その場にいた全員が同じタイミングでうなずいた。
それについては思い当たらないことはないけれど、初めからあんな感じだったから、分からなかった。
「それに、ルベルが来てから殿下の顔色も良くなったし、あたしたちみんな、安心していたんだよ」
「そうだね、いつも辛そうにしていたのが、ルベルが来てからなくなったね」
「そう……なんですか?」
そう言われてみれば、ラーウスさま付きになる前にお見かけしたとき、青白い顔をしてふらふらしていたのを見かけたことがある。
あまりにも辛そうだったから、殿下って分かっていたけれど、失礼だと分かりながら、思わず声を掛けたことがあった。
もしかして、それがきっかけだったのかしら?
今の今まで忘れていたけれど、あのときのラーウスさま、確かに冷たい態度だったような気がする。
でも、ふらついて倒れそうになっていたから支えたら、驚いたように目を見開いて、それから名前を聞かれた。
そのとき、初めてラーウスさまの顔をはっきりと見たのだけど、すごく綺麗で、見とれてしまったのまで思い出して、思わず顔が赤くなってしまった。
「まあ、この子ったら! なにを思い出してるんだか」
「あ、いえっ。ラーウスさまと初めてお会いしたときのことを思い出してまして……」
「初めての出逢いですってっ?」
まさかのおばちゃん、入れ食い状態。
カウンター越しにおばちゃんたちが食いついて来たところで、ざわりと空気が揺れて、覚えのある匂いが背後からしてきた。
振り返ると、そこには……。
「ラーウスさま」
「おはよう、ルベル。なかなか来ないから、待ちきれなくて迎えに来てしまったよ」
「すみません、今日はちょっと、寝坊をしてしまいまして」
声は聞こえないけれど、わたしのその発言におばちゃんたちが色めきだっているのがよーっく分かった。絶対に変なことを考えている!
ラーウスさまは嬉しそうに笑うと、わたしの手を当たり前のように取った。そうして指先にキスをしてきた。
カウンターの向こうのおばちゃんたちの、黄色い歓声が聞こえてきそうだった。
「それでは、ルベル。行こうか」
「……はい」
どこに行くのと聞きたかったけれど、今は下手に喋らない方がよさそうだと気がつき、返事をするに留めた。
ラーウスさまに手を引かれて、わたしは宿舎から出た。
「あの、ラーウスさま、これからどちらへ?」
そう問えば、ラーウスさまは楽しそうに笑った。
「今日はキミのウエディングドレスを作る予定だよ」
「ウエディング……ドレス……」
そういえば、そんなことを言っていたような気がする。
「最高のドレスを作ってもらうためには、やはり早く取りかからないといけないだろう?」
「……はい」
そんな立派なものでなくていいですと言いたかったけれど、ラーウスさまは第三とはいえ、王子だ。式はそれほど盛大にしないとしても、あまり変なものを着て、ラーウスさまに恥をかかせてはならない。だから言われるがままになるのが一番だろう。
それにわたしも一度でいいから、美しいドレスを着てみたいと思っていたのだ。
今着ている、無骨な騎士服も好きだけど、それでもドレスだって着てみたかったのだ。
だからわたしは、ラーウスさまの提案にうなずいた。




