*二十一* ウングラとの遭遇二
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ウングラと遭遇してしまって、どうにかピンチを切り抜けたのだけど、それでもどうしてだろう、まだ、ぞわぞわとした嫌な感じが続いていた。
それは後ろ方向──先ほど、ウングラがいた場所の辺り──からしている。
ギュッと手を握りしめると、ザリザリとした独特の感触が手のひらにした。これはたぶん、先ほど、ブレスレットの中に入っていた乾燥したウィケウスの花びらの残りで……。
ちょっと待って? もしかしなくても、ウングラは、手のひらについているこれさえも見てしまったというのっ?
「ラーウスさま」
「うん?」
「ウングラが、わたしの手のひらに残っているウィケウスの花びらに気がついてしまったようなんです」
「なにっ?」
わたしは一度、抜いていた剣を鞘に戻し、手のひらについている残りを手を叩いて振り払った。
手のひらについていたウィケウスの花びらは細かくて、パラパラと地面に落ちた。
ウングラはそれに気がつき、緑の瞳を紫色に変えて、素早い動きでこちらに向かって来ているのが分かった。
「ラーウスさま、逃げましょう!」
わたしはラーウスさまの手を取ると、思いっきり走った。
「ルッ、ルベル、ちょっと待って!」
とラーウスさまの制止する声が聞こえたけれど、ウングラ、怖い! ラーウスさまを引きずるようにして、わたしは必死の思いで走った。一歩足を踏み出すごとに、ぞわぞわが遠ざかっていく。
どれくらい走っただろうか、ラーウスさまがわたしの手を引っ張って、引き止めたので、仕方なく足を止めた。
ラーウスさまは肩を大きく上下させて、荒い息を吐いていた。対するわたしは、鬼の騎士団長と第二王子のしごきのおかげで、それほど息を乱していなかった。
「ル、ルベル、……ちょっと……ま……って」
「もうここまで来たら、大丈夫です」
「そ……れ、なら……ぜぇぜぇ、よか……った」
ラーウスさまはそういうなり、地面に座り込んだ。
ラーウスさまが座っている横で立っているわけにもいかなくて、横にひざまずいたら、腕をひっぱられ、膝の上に抱き上げられた。
ちょっと、ラーウスさま! なんてことを!
「ラーウスさまっ?」
「はー、ようやく息が落ち着いた」
走ったときはなんともなかったのに、ラーウスさまの膝の上に乗せられた途端、心臓がばくばくとし始めた。
しかも! ラーウスさまとの距離が近い上に、顔がっ! 顔が真横にあって、ドキドキする!
「ほんと、ルベルは無茶をする」
ラーウスさまが口を開けば、わたしの後れ毛を揺らす。そのくすぐったさに身を捩ると、ラーウスさまは笑った。するとまた、くすぐったい。これでは悪循環ではないか。
「ラーウスさまっ」
「なんだい?」
耳元で甘い囁きが聞こえて、恥ずかしいし、くすぐったいし、でも、ラーウスさまの膝の上の居心地が良すぎて、動く気になれなくて、どうすればいいのか分からない。
「ルベル」
「ひゃっ、ひゃいっ」
思わず、変な返事をしてしまった。すると、ラーウスさまはまた笑った。
「ラ、ラーウスさまっ」
「ん?」
「あの、立ちませんか?」
「どうして?」
「また、ウングラが来たら……」
「ウングラなら、どこかに去ったのを確認したよ」
めざといです、ラーウスさま!
「ルベルに引っ張られて、無理矢理走らされて、疲れたから、少し休憩したいんだ」
「う……」
それを言われたら、反論できない。
「それにしても、ルベルは走るのが速いね」
「騎士団長と第二王子には勝てませんよ……」
「あぁ、あの二人の身体能力はどうなっているんだろうね。脳みそまで筋肉でできているんじゃないかと常々思っているんだけど、ルベルはどう思う?」
「脳みそまで筋肉でって……」
そう言われて、想像して、あまりの面白さに思わず笑っていた。くすくすと笑うわたしに、ラーウスさまもつられて笑う。
さっきまで危ない状況だったし、そんな場合ではないと分かっているのに、わたしたちは今、こうして呑気に笑い合っていた。
「ルベル」
「はい」
「愛してるよ」
甘い声で甘い言葉を口にして、ラーウスさまはわたしの身体をギュッと抱きしめてきた。その一言に、全身が熱い。それで、わたしは今、真っ赤になっているのが自分で分かった。
「ラーウスさまっ!」
「ずっと愛していると言っていたいくらい、ルベルのことが愛おしい」
耳元で囁かれるその言葉たちは、甘すぎて蕩けてしまいそうだった。
「いつまでもこうしていたい」
「…………」
それはわたしも同じ気持ちだけど、でも、ここは外で、しかもわたしたちは今、こっそりと城を抜け出してきているのだ。呑気にここでイチャイチャしている場合ではない。
「ラーウスさま、わたしも同じ気持ちですが」
「……分かっているよ。そろそろ行こう」
「はい」
あぁ、いつまでもこうやってラーウスさまとひっついていたい……なんて、わたしはラーウスさまの甘さにやられてしまったようだ。
ラーウスさまが渋々といった感じで、わたしの身体に巻いていた腕を解いてくれた。これでようやく、わたしの身体は自由になり、立ち上がることができた。
「ラーウスさま」
ラーウスさまに手を差し伸べると、とても嬉しそうな笑みを向けられた。ギュッと強く手を握られたのでラーウスさまを引っ張ると、勢いよくわたしの身体に抱きついてきた。
「ラーウスさまっ!」
「はは、ごめん、ごめん。ルベルがあまりにもかわいかったから、つい」
今のどこにかわいい要素があったのか分からないけれど、ラーウスさまはますます笑顔になった。なによりも、機嫌が良いようで、良かった。
「それでは、ルベルの実家に案内してくれるかい?」
「はいっ」
元気よく返事をすると、ラーウスさまはおかしそうに声を上げて笑った。
◆ ◆
洞窟から出て、思ったよりも時間が経っているのが太陽の傾き具合で分かった。
洞窟を出てすぐは薄暗かったのが、今はすっかり辺りが分かるくらいの明るさになっていた。
「それにしても、ウングラは気持ちが悪かったな」
「……はい……」
思い出しただけでゾッとするから考えないようにしていたのに、ラーウスさまがそんなことを言うから、あの姿を思い出し、思わず身震いをした。
「あれは確かに、震えるほど気持ちが悪いな」
「はい……」
「薬草園を荒らしたのは、やっぱりアレだったのかな」
「そうだと思います。ウングラは目がいいですから」
「匂いには反応しないのかい?」
「はい。鼻がないんです」
「鼻がない……? あぁ、そう言われてみればそうだな」
ウングラには鼻がないのだけど、呼吸は胴体の両横に小さな穴がいくつか空いていて、そこからしているらしい。
「しかし、ウィケウスの花は匂いが強いのに、ウングラに鼻がないのは、不思議だな」
「そうですね……」
「それにしても、ウングラはウィケウスの花を見つけたら、目の色が変わるんだな。これは知らなかった」
今まで、ウィケウスの花がないところでウングラに遭遇をしたことがなかったのだけど、なんであんな場所にいたのだろうか。
ウィケウスの畑は実家から近い畑にしか植えてないのに、どうしてあんなに離れた場所に? それとも、あの辺りにウングラの巣があるのだろうか。
ウングラがウィケウスの花を好むというのは、獣人の間では知らない者がいない常識であるけれど、実は生態はほとんど分かっていない。
ウングラは集団で生活をしているというのは分かっているけれど、どういうところに巣を持っているのか、そもそも、固定の巣を持っているのか。どうやって増えるのか、ウィケウスの花以外になにを食べるのか──。それを知っている人は、だれもいない。
それに、あんな気持ちが悪い生き物の生態を調べようとしている人がいないため、謎のままだ。
「ルベル、ここから実家までどれくらいなのかい?」
「そうですね、あともう少しでたどり着くかと……」
と口にして、目の前に広がった光景を見て、言葉を失った。




