*十九* 思い出の洞窟
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わたしたちが転移してきた場所は、どこかの洞窟内のようだった。夜ということもあり、灯りを持たないで来てしまったので、真っ暗で、周りがまったく見えない。とはいえ、わたしは夜目が利くので見えるけれど、ラーウスさまのことを考えて、ここで朝まで過ごすことにした。
幸いなことに、周りの気配を探ると、特に危険な動物などはいないようだった。
「ラーウスさま。朝まで時間があります。少しお休みになった方がよいかと思います」
「……そうは言っても、ルベルは?」
「わたしは大丈夫です。ラーウスさまは先ほど、大量に魔力を消費されたので、疲れているのではありませんか?」
いつもなら甘いいい匂いがしてくるのに、今のラーウスさまからはうっすらとしかしてこなかった。ということは、魔力を大量に消費して、体内魔力が少なくなっているという証拠だ。少しでも休んで、体力と魔力の回復をしてもらわなければならない。
「正直言うと、疲れている」
「はい」
「素直にルベルに甘えることにするよ」
ラーウスさまはそうおっしゃると、わたしの膝に頭を乗せて、横になった。
まさかの体勢に、わたしの身体は固まった。
「ラ、ラーウスさまっ!」
「うん? こうした方が休めるだろ?」
「そ、そうですけど!」
まさかの膝枕に、わたしはどうすればいいのか分からない。
「ルベルの太股、ほどよくかたくてちょうどいい」
「…………」
「ついでに、先ほどぶつけたところを撫でてもらうと、もっと休めるな」
どさくさに紛れてそんなことを言ってくるラーウスさまに戸惑ったけれど、わたしは言われるままにラーウスさまの頭をやさしく撫でた。
すると、ふわり……とラーウスさまから甘い香りが漂ってきた。
「あぁ、ルベルといると、安心できる」
そう言って、ラーウスさまは目を閉じると同時に、すうすうと寝息を立て始めた。相当、お疲れだったようだ。
それはそうだろう。
転移魔法というだけでも超高等なのに、さらには、行ったことのない場所へ無理矢理、移転したのだから、どれだけ魔力を消耗したのか。
ラーウスさまの寝顔を見た後、わたしは周りを見回した。
ここは、どこなのだろうか。
暗いために細部は見えないけれど、それでも、どうもここは見覚えがある。
あちこちに視線をやりながら、記憶をたどる。
小さい頃、ここに来た覚えがあるような、ないような。
わたしは今、壁にもたれ掛かり、ラーウスさまを膝枕しているために動けないけれど、いや、むしろ、この高さだから、思い出せることもある。
たぶん、立って見ていたら、気がつかなかっただろう。
わたしがもたれ掛かっている場所は、洞窟の最奥だと思われる場所の、角だ。
丸みを帯びた角にはまり込むようにして、座っている。こうすれば、見張る場所の角度が少なくなる。
そして、わたしの右側の壁に、見覚えのある文字が刻まれていた。
「フロンス……」
声に出して読むと、記憶がはっきりと蘇ってきた。
そうだ、ここには昔、兄と一緒に来たことがあった。
いたずら好きな兄と、おてんばなわたしは、アウリスはとても退屈な場所で、両親から入ってはいけないと言われていた、近くの洞窟に探検と称して、来たことがあった。
そして、この奥までたどり着くと、来た記念にと、兄はここに自分の名前を彫った。
今にして思えば、取った行動も、文字を彫りつけたことも感心しないことであるけれど、その体験のおかげで、わたしはおおよその場所を知ることができた。
ちなみに、ここに来たことは両親にバレて、しこたま怒られた。それ以来、ここには来ていない。
まさか、そんな思い出がある場所に出るとは思わなくて、ちょっとびっくりしてしまった。
そんなことをつらつらと思い出していると、時間はあっという間に過ぎて、洞窟の出口と思われる方角から、朝日が差し込んできているのが見えた。
ラーウスさまは、時々、寝返りを打ちながら、わたしの膝枕でぐっすりと眠っていた。
下はかたい岩なので、寝づらいかもしれないけれど、寝られないよりはマシかもしれない。それだけ、疲れていたのかもしれない。
起こすのは忍びないと思ったけれど、だれにも言わないで出てきてしまったので、バレないうちに帰らなければならないのを思い出し、遠慮がちにラーウスさまの肩を揺さぶった。
「ラーウスさま、すみません」
「……ん?」
「日が昇って来ました」
「……あぁ」
ラーウスさまは、少しぼんやりしていたけれど、状況を思い出したのか、けだるそうにゆっくりと身体を起こした。
「いたたた……」
「ラーウスさまっ? どこか痛むのですかっ」
「いや、かたい岩の上で寝ていたから、身体が少し痛むだけだ」
普段の生活を考えれば、ここはかなり過酷な場所である。ラーウスさまに申し訳なく思いながら、言葉を探していると、ラーウスさまは身体を解して、立ち上がった。
「だけど、ルベルの膝枕のおかげで、だいぶ、調子が回復したよ」
「それはよかったです」
恥ずかしくて、顔を赤くしていたら、ラーウスさまは笑った。
「寝る前は暗くて見えなかったけれど、朝日が差し込んできて、ようやく周りが見えるようになってきたね。ルベルが赤くなってるのもよく分かる」
「っ!」
「さて。ここがどこか、ルベルは分かるかい?」
急に話が変わったけれど、それはいつものことだったので、わたしはまだ少し赤い顔のまま、立ち上がり、口を開いた。
「ここは実家の近くにある、洞窟です」
「ほう」
「ここに、兄がいたずらで彫った名前が残っているのを見つけて、気がつきました」
「兄? ルベルには兄がいたのか」
「あ、はい」
そういえば、ラーウスさまに、家族構成を伝えたことがなかったような気がした。
「三つ上の兄と、父と母の四人家族です」
「ほう」
「ここに一度、兄と来たことがあります」
「そのときに残した物が?」
「はい。わたしは止めたのですが、兄はいたずら好きで、来たという証にと名前を彫りました」
そのおかげで、現在地を把握できたのだから、結果的には助かったのだけど、やはり複雑な気分だ。
「それでは、ここからルベルの実家は近いのだね?」
「はい。少し歩きますが、行かれますか?」
「あぁ、そうしよう。現状を確認したい」
「はい」
ラーウスさまはわたしの手を取ると、歩き始めた。
と言っても、途中、腰をかがめて歩かなくてはならない場所があったり、手をつないだままでは歩きにくいところもあったので、そのときは手を離した。
手を離すときの切ない気持ちは、なんと言えばいいのだろうか。近くにいるというのに、なんだか淋しい気持ちになった。
この洞窟は、それほど大きくない。
ただ、歩きづらいので、出るまでに時間が掛かった。
腰をかがめて出口をくぐれば、見覚えのある景色が広がっていて、ホッとした。
この洞窟は、アウリスの町はずれにある。
自然にできた物なのか、だれかの手による物かは分からないけれど、入口は小さくて、大人だと腰をかがめないと進めない場所だ。そして、なにかの拍子に崩れ落ちたら危険だからと、行かないように言われていた。
幸いなことに、昔と変わらぬ姿で残っていたので、助かった。
これで出入口が塞がっていたらと思うと、恐ろしかった。
そして、町はずれのここは、だれも手入れをしていないので、雑草や木が自然の思うがままに生えている。
わたしは、この洞窟の手前までは何度か来ているので、実家への道も分かっていた。
両親にはよく怒られていたけれど、そんなことにめげずにうろうろしていたことが、今になって役立つというのだから、皮肉なものだ。
ラーウスさまと手をつなぎ、わたしは実家へと向かったのだった。




