*十七* 獣人のこと
◆ ◆
ウィケウスの種を撒いてから、一週間が経った。
予定どおり、ウィケウスは今日の朝、花を咲かせた。花が開く瞬間の弾けるような芳香は寝室にまで届いていた。
ラーウスさまにウィケウスが咲いたことを知らせると、朝食後に、薬草園に赴いてくださった。
ウィケウスの独特の甘い香りが、薬草園全体に広がっていた。
「あぁ、この香りだ」
ウィケウスの畑の前で、ラーウスさまはそう呟いた。
「ルベルからする香りと一緒だ」
「え……」
「いつも甘くていい匂いがすると思っていたけれど、そうか、ウィケウスの花の香りだったのか」
前にラーウスさまは、ウィケウスの花の見た目と香りが好きだとおっしゃっていたのを思い出した。
「ずっと疑問に思っていたんだ。ルベルから、どこかで嗅いだ匂いがしていて、それがなにか思い出せなくて、モヤモヤしていたんだよ」
「毎日、ウィケウスを煎じて飲んでいるから、匂いがするのでしょうか」
もし、そうだったのならば、匂いで獣人とバレてしまうのではないだろうか。
「そういう感じではなくて、ルベルの持ち物からするから、匂いが染みついているのではないのかな」
ウィケウスの花の香りは好きなので、タンスの中にポプリを入れているし、ブレスレットにもウィケウスの花を仕込んでいるし、言われてみれば、匂いがしないわけがない。日常的にしている匂いだから、鈍感になっていた。
この匂いがウィケウスだと知る人がいて、獣人と縁が深い植物ということも知っていれば、必然的にバレてしまうということで……。
「匂いから獣人ってばれてしまいそうですね」
と思わず呟けば、ラーウスさまは首を振った。
「その心配は無用だよ」
「え、どうしてですか?」
「まず、ウィケウスの花の匂いを知っている者が少ないし、そしてなにより、獣人がこれを煎じて飲んでいるというのも、知る者は少ない」
「しかし、」
と反論しようとしたところで、一度、口を閉じた。
ラーウスさまは首を傾げて、無言でわたしに続きを促してきたので、意を決して口を開いた。
「知る者が少なくても、もしも、知っている人が獣人を忌み嫌っていて、このことを広げたら……」
「ルベル、今までそんなことはなかったし、私は知ってしまったけれど、だれかに言うつもりはまったくないよ」
「…………」
「ルベルは私のことを疑っているのかい?」
「いえっ、そういうわけではありません!」
ラーウスさまを疑っているのではなく、秘密というのはいつかどこからか洩れるものだ。そのことを危惧しているのだけれども、それを口にすれば、わたしがラーウスさまを疑っているようで、そう思われるのは嫌だったので、違うという意味を込めて、首を大きく振った。
「ルベル、私はね」
ラーウスさまはそういうと、わたしの手を取った。
「ルベルが獣人でよかったと思っているんだ」
「え……?」
「ルベルも知っていると思うけれど、一部の貴族が獣人を鎖につないで“飼って”いるのを知っている。私はそれを知った時、激しく憤ったんだ」
「ラーウスさま……」
「でも、私はなにもできなかった」
「…………」
「それが悔しくて、悔しくて。だって、獣人は、なにか悪いことをしてきたのかい?」
「いえ」
「見た目が違うというだけで差別されるのは、おかしいと思わないかい?」
「…………」
ラーウスさまがそんなことを考えてくださっているとは思わず、わたしはラーウスさまをじっと見つめた。
目と目が合い、ラーウスさまは苦しそうな笑みを浮かべた。
「意思の疎通ができるし、別に悪いことをしているわけではない。むしろ、私たち人間のほうが悪いことをしているではないか」
「…………」
「だから私は、第三王子という立場を利用して、獣人のためになにかしたいんだ」
「ラーウスさま。そのお気持ちだけで充分です」
「ルベル、気持ちだけではなんの解決にもならないんだよ」
「……そうですが、そう思っていていただけるだけで、わたしたちは救われます」
ラーウスさまがそう考えてくださっているだけで、本当にわたしたちは幸せだと思う。
「私は自分の身分を利用して、獣人の立場をよくするために、動きたいと思う」
「え……」
「だから、ルベル。キミの助けが必要なんだ」
「わたしがお役に立つのなら、いくらでもお手伝いいたします」
「ルベルならそう言ってくれると思ったよ、ありがとう!」
そう言って、ラーウスさまはわたしをぎゅっと抱きしめてきた。
ラーウスさまからは、いつもの甘い匂いが漂ってきた。その匂いにくらくらしながら、わたしもラーウスさまを抱きしめた。
「ありがとうございます」
「お礼を言うのはこちらだよ。私たちの勝手で獣人に肩身の狭い思いをさせているのだから」
いつ、正体がばれるかとびくびくしながら暮らすよりは、獣人だと知られて、ウィケウスのあの苦いお茶を毎日飲まないで済む生活が送れるのなら、後者を選びたい。
だけど、そう簡単にいくとは思えないのだ。
「私に考えがあるんだ」
ラーウスさまのその言葉に、わたしは思わず顔をひきつらせた。
“いいこと”を考えたとは言わなかったけれど、どうせろくでもない考えなのだろう。
それでもわたしは、今回のラーウスさまの考えがどんなにとんでもないことであろうとも、乗っかることにしようと思った。
もちろん、失敗して大変なことになるというリスクのほうが高いというのはわかっている。
だけど、今回のように、ウィケウスの“不作”や、その他、予期せぬ出来事が起こったとき、破綻してしまい危険性のほうが恐ろしいのではないだろうか。
幸い、獣人であるからといって、殺されてしまうわけではない。
人道的な観点から見て、問題のあることをされるだけで、命まで取られてしまうわけではない。
もちろん、鎖につながれて“飼われる”なんてことは絶対にお断りだけど、命に勝るものはないのだ。生きていれば、いつか必ず救われる。
そう思わなければ気が滅入るし、やっていられない。
「ということで、ルベル」
「はい」
「ウィケウスも咲いたことだし、私の準備もそろったことだし、今日の夜あたりから、アウリスに向かおうと思うんだけど、どう思う?」
「…………」
ラーウスさま、本気の本気で行くつもりなのですか?
いや、そもそも、どうやってここを抜け出して、アウリスまで行くつもりでいるのでしょうか。
「それで、ルベル」
「はい」
「ウィケウスの花はどうするの?」
「え……?」
いきなり話が変わったことで、急に対応できなくて、思わず瞬きをして、ラーウスさまを見た。
「だって、このまま置いておけないだろう?」
「いえ、そうですけど……」
「私も手伝うから、どうやって処理をするのか教えてほしいな」
「え、ラーウスさまのお手を煩わせるわけには……」
「ルベル、これは私の研究だよ?」
「あ……」
そうだった、ラーウスさまはウィケウスを研究したいとおっしゃっていたのだ。それならば、どうやって処理するのかも知りたいに決まっている。
「まず、この網の中に素早く入ります」
わたしは溝を大股で渡り、出入口にしている網の端を持ち、素早く中へ入り込んだ。
それを見たラーウスさまは、同じようにして素早く中に入ってきた。
「ほう、これはなかなかだな」
「はい。とてもきれいに咲いています」
外からも見えるけれど、中に入ると、ウィケウスの花が満開になっているのがよくわかる。紫色のかわいらしい花が、六角形の畑の中に所狭しと咲いていた。
「真ん中を残して、全部、根っこから抜きます」
「え? 全部抜くの? 花だけ詰むのではなくて?」
「はい。ウィケウスの花はこのようにたくさん咲いていますから、ニックスの花のように花だけ詰んでいたら、終わりません」
「言われてみれば、そうだね。ニックスは一輪咲きだけど、ウィケウスは一株にたくさんの花が咲いているね」
「そうなんです。それに、葉と茎も乾燥させないと、処分ができないんです」
「え、葉と茎は使わないの?」
「はい。必要なのは本当に花の部分だけでして、残りは乾燥させて、薪に火をつけるために使ったりします」
「それはもったいないな」
「もったいないと思いますけど、葉と茎は花よりもっと苦いし、花の部分と違って、煎じて飲んでも獣人の特徴を隠すことができないんです」
「ほう、そうなのか」
葉と茎の部分は、乾燥させただけでは匂いがあまりないし、そしてなによりも、煎じて飲んでみたことがあるけれど、苦すぎて飲めたものではなかった。ただ、燃やした時はウィケウス独特の甘い匂いがするので、お香代わりにしている獣人もいるとは聞いたことが……。
「あ」
お香にする、というのを思い出して、もしかしたらいけるかもしれないと思い、ラーウスさまに顔を向けて、口を開いた。
「葉と茎は燃やすといい匂いがするんです」
「へぇ、そうなんだ」
「これ、乾燥させた後に粉末にして、お香を作ることってできないですかね」
「お香かあ。それはそれでいいかもしれないね」
「はいっ」
葉と茎の匂い成分が花と同じであれば、もしかしたら、あの苦いお茶を飲まなくても済むかもしれない。
「うん、いろいろと研究のし甲斐がありそうだ」
ラーウスさまはそう言って、楽しそうに笑っていた。




