*十五* 小屋ができることになりました
◆ ◆
ニックスの花を摘んだ、次の日の朝。
予想より早く摘めたことと、仮眠を取っていたので、朝の目覚めは思ったよりも清々しいものだった。
カーテンの隙間から差し込む朝日に目を細めながら、そっと自分の頭を撫でると、いつもならある耳が今日もやはりなかった。ウィケウスを煎じたお茶を飲んでいないのに、どうしてなんだろうか。
耳と尻尾がなくなった訳ではない。理由はわからないけれど、ウィケウスの花を嗅がなくてもいいから、とても楽だ。
わたしたち獣人は、基本は獣の姿なので、意識さえすれば、耳と尻尾を出すことはできるのだが、その逆は意識しても無理なのだ。だから、ウィケウスの花の力を借りることになる。なんとも不便な作りになっているなと思うけれど、人間に化けるというと語弊があるけれど、従来の姿ではないものになるためにはなにか媒介がないとなれないと思えば、納得は行く。
それなのに、ここ数日のわたしは、ウィケウスの花の力を借りなくても、耳と尻尾が出ていない。どうしてなんだろう。
そんなことを悩んでいると、ラーウスさまも目を覚ましたようだった。
「おはようございます、ラーウスさま」
「ルベル、おはよう」
少し寝ぼけ眼のラーウスさまを見て、きゅんっと胸が騒いだ。
こんなに油断した姿を見せてくれるということは、それだけわたしに対して心を許してくれている、ということだと思うと、ラーウスさまに対して、さらに愛しさが増すのだから、不思議だ。
「それにしても、ルベルはいつも朝が早いね」
「早くはないですよ。わたしも今、目が覚めたところですから」
「それでも、起こされてもないのに、自然に目が覚めているではないか」
少し恨みがましそうに言われたけれど、自然と目が覚めるのだから、仕方がないのではないでしょうか。
「ご飯を食べたら、ニックスの花の様子を見に行こうか」
「はい、そうですね」
昨日の夜、すべての花を摘まなかったため、残したニックスの花がどのような状態になっているのか、確認しておかなければならない。
ラーウスさまはわたしの頬におはようのキスをすると起き上がり、着替え始めた。
毎朝のこととはいえ、わたしは未だにそれに慣れない。
赤い顔をしながらベッドから降りて、隣の部屋に行き、畑作業がしやすい服に着替えた。そういえば、ここのところ、騎士服に袖を通していないような気がする。それだけこの国が平和だという証拠なのだろう。
わたしたちは、それぞれの部屋で朝食を済ませて、執務室へと向かった。
ラーウスさまはすでに机に着いていて、なにやら調べ物をしていた。
わたしが入って来たのを視界の端で確認すると、椅子から立ち上がった。
「それでは、行くか」
「はい」
薬草園に行くには、執務室のベランダに一度出て、そこから庭に降りて行く。
「ベランダに小さな小屋を建てようと思っているんだ」
「小屋……ですか?」
「あぁ。執務室で薬草を乾燥させるにも、スペースがそろそろ足りないだろう」
「そうですね」
今の執務室の半分は、薬草を乾燥させるために埋まっている状態だ。四分の一のスペースにはラーウスさまの蔵書と書類、残り四分の一が執務スペースとかなり狭い。
「幸いなことに、ベランダは無駄に広いから、ここを小屋にしても問題ないだろう」
「……問題ないというより、見た目の問題で……」
せっかくのベランダに小屋を置くと、執務室に入ってくる光も遮られるし、そしてなによりも、そんなものがあるのは景観的にどうなんだろうか。
「それなら、問題ないよ。ベランダに合った小屋の外観を考えているし、そしてなにより、すでに陛下の許可は取ってある」
うん、相変わらずやることは早いですね。
「小屋は今日から作業に入って、三日後には完成予定になっている」
「三日後……ですか?」
そんなに早くできるものなのだろうか。それに、三日後ってちょうど、ウィケウスの花が咲く頃ではないだろうか。
「ウィケウスの花を乾燥させる場所がないだろう?」
「はい」
「そこを使えばいいよ」
まさかそこまで考えてくださっているとは思わず、驚きのあまり、足を止めた。
「ルベル?」
「ラーウスさま……その、すごく、すごく嬉しいです!」
あまりの嬉しさに、ラーウスさまに思わず抱きついてしまった。
「ありがとうございます!」
嬉しすぎて、無意識のうちにこんな行動に出てしまったのだけれど、ラーウスさまから甘い香りが漂ってきたことで、ハッと気がつき、慌てて身体を離そうとしたら、ぐっと腰を引きつけられた。
「まさかルベルから抱きついてくれるとは思わなかったよ」
「す、すみません! あまりにも嬉しくて、つい。失礼しました!」
「いや、私もルベルがこんなに喜んでくれるとは思わなくて、すごく嬉しいよ」
ラーウスさまはわたしの身体をギュッと抱きしめると、額にキスをしてきた。
「あぁ、ルベル。すごくかわいい」
「っ!」
「仕事でなければ、このままベッドに持ち帰りたい」
「ラッ、ラーウスさまっ!」
「ほんと、かわいいなぁ。かわいくて、手放したくないよ」
ラーウスさまはことあるごとにわたしのことを“かわいい”とおっしゃるけれど、そんなにかわいいと思うような行動を取っているとは思えない。
「ルベル、私は本当に幸せ者だよ。好きな人が常に側にいて、一緒に仕事ができる。私は今、本当に幸せだよ」
そう言って笑ったラーウスさまの笑顔に、わたしは思わず、見とれてしまった。
本当に幸せそうに笑っていて、わたしもつられて、笑みを浮かべた。
「わたしも、幸せ過ぎて怖いくらいです」
「怖くはないよ、ルベル。なにも心配しなくていい」
ラーウスさまはもう一度、わたしの額にキスをすると、するりと腰から手を離し、手を握ってきた。
「さて、様子を見に行こうか」
「はい」
わたしたちは手を繋いで、並んでニックスの花の元へと行った。
ニックスの花は、太陽の光の下では、しんなりとしぼんでいた。昨日の幻想的なまでも美しい花弁を知っているだけに、ちょっと淋しい気分になったけれど、それでも、ニックスの花は、しぼんでいても美しかった。
「このまま置いておけば、問題なく種になりそうだね」
「そうですね。毎日、確認しますね」
「あぁ、そうしてくれると助かる。種になったら、葉と茎に気をつけて、種を回収して」
「はい」
「種を回収したら、葉と茎も抜くけれど、それはわたしがやるから」
「はい、かしこまりました」
ニックスの葉と茎には毒が含まれているから、扱いを慎重にしなければならない。とはいえ、きちんと扱えば、そんなに恐ろしいものではないのだ。それに、少量であれば、薬になる。そのため、ラーウスさまは少しだけ残して、後は処分をされているようだ。
「それでは、ルベル。いつものように、薬草園の手入れを頼んだよ」
ラーウスさまは名残惜しそうに、繋いでいた手を離し、それだけ告げると執務室に戻っていった。
ここから執務室の中をのぞくことは難しいけれど、執務室の中からは外がよく見える。
早いところ作業を済ませて、執務室に戻ろうと心に決めて、わたしは薬草たちに水をあげるためにバケツとひしゃくを準備した。




