*十一* ウィケウスの花のこと
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目が覚めたら、目の前にあどけない寝顔のラーウスさま。気持ち良さそうに寝ているけれど、そろそろ起きないといけない時間だと思う。
でも、麗しい寝顔をもっと見ていたくて、じっと見つめていたら、視線に気がついたのか、ゆっくりとまぶたが開いた。寝起きだからなのか、少し潤んだ灰色の瞳が美しくて、思わず見とれていた。
「ルベル、おはよう?」
じっと見つめて動かないわたしを訝しく思ったのか、疑問系での朝のあいさつだった。
「ぁっ、おはようございます、ラーウスさま!」
思わず見とれていたなんて言えなくて、慌てて応えれば、ラーウスさまは楽しそうにくすくすと笑った。
「そんなにじっと見つめられたら、恥ずかしいよ」
「そのっ、すみません! 気持ち良さそうに眠っていらしたので、つい……」
「それはルベルが側にいてくれるからだよ」
朝からの甘い言葉にくらりとしていたら、ラーウスさまはわたしの頬を撫でてきた。
「ルベルが側にいてくれるから、とても体調がいいのだよ」
確かにここのところ、ラーウスさまの顔色はとてもよい。機嫌も良さそうだし、ラーウスさまの騎士として嬉しい限りだ。
笑みを浮かべれば、ラーウスさまも同じように笑みを返してくれた。大好きなこの笑顔を独り占めできるなんて、なんという贅沢だろう。贅沢すぎて、怖くなることがある。
ラーウスさまはわたしのほんの少しの表情の変化を読み取ったのか、小さく首を傾げた。
「ルベル」
「はい」
「耳、触りたいな」
そう言われて、慌てて頭の上を押さえたけれど、耳は生えていなかった。昨日と今日、起きてすぐにウィケウスの香りを嗅いでいないのに、どうしてだろう。
「だっ、駄目です! 昨日、さんっざんっ! 触ったじゃないですか!」
そうなのだ、朝、約束したからと言われて、ラーウスさまはずーっとわたしの耳を触っていたのだ。さらに! 第二の弱点である尻尾もずーっと触っていた。
「じゃあ、今日の夜ならいいのかい?」
ラーウスさまは悲しそうに瞳を潤ませ、上目遣いにそうやって聞いてきた。
これはずるすぎる。
「……うっ」
実際のところ、ラーウスさまに触られるのは嫌いじゃない。というより、むしろ好きだ。好きなんだけど、気持ちが良すぎて、前後不覚になってしまうのがいただけない。
「ルベルの髪の毛も気持ちがいいけど、尻尾と耳の毛の触り心地、最高なんだよ!」
わたしの頭の上に生える耳の毛と尻尾は、髪の毛と同じく、赤くて細くてふわふわだ。自分で触っても気持ちがいいと思うのだから、自分以外が触っても気持ちがいいのだろう。それは分かる。分かるけれど、だ。
「……あんまり触り過ぎないでくださいね?」
「それは約束しかねる」
そんな馬鹿正直に答えなくても。
でも、そんなところもラーウスさまのいいところだと思う。
「ところで、ルベル」
「はい?」
「耳と尻尾はどういうときに出てくるんだ?」
いきなりの話題転換に戸惑ったけれど、いい機会だと思ったから、説明をすることにした。
「わたしたち獣人は、基本は獣の姿をしています」
「そうなのか。じゃあ、ルベルは犬になれるのか?」
「いえ、完全な獣姿の獣人もいますけれど、わたしの場合は耳と尻尾のみです」
「ほう」
「獣人は、ウィケウスの花を干して煎じたお茶を飲めば、人間と同じ姿になれるのです」
「ウィケウスの花といえば、紫色のかわいらしい花だよな」
「はい。種をまけば、一週間で花を咲かせるような、成長が早い花です」
とそこまで説明して、ふと疑問が浮かんできた。
荷物が届かなくなる前に送られてきた荷物に入っていた手紙に、ウィケウスの花が不作だと書かれていたのを思い出した。
だけど、ウィケウスの花はとても丈夫だし、手入れもそれほど必要がないくらい、強い花だ。それが不作って、やっぱりおかしい。
「ルベル?」
急に黙ったわたしの顔を、ラーウスさまは心配そうにのぞき込んできた。というか、顔、近いです、近すぎです!
「ラッ、ラーウスさまっ!」
「うん、どうしたんだい、ルベル?」
今にもキスができそうなくらいの距離に、ラーウスさまの顔があって、慌てて飛び起きた。
「近すぎます!」
「キスくらい、させてくれてもいいじゃないか」
「────っ!」
そっ、そんなっ、朝からだなんてっ!
と思っていると、ラーウスさまは、素早く起きあがって、ベッドから降りるときに、頬に掠めるようなキスをした。
もっ、もうっ!
真っ赤になったわたしを面白そうに見た後、ラーウスさまはベッドに腰掛けた。
「それで、今、なにを考えていた?」
「え……? あ、はい。ウィケウスの花が、今年は不作だと聞きまして……それでなのか、荷物が届かなくて、困ってるのです」
そうだった。
わたしが獣人だとバレてしまったのは、実家から荷物が届かないからだったのを思い出した。今の今まで忘れていたのは、ラーウスさまとの結婚が衝撃的だったのと、ここのところ、どうしてなのか、ウィケウスの香りを嗅がなくても、耳と尻尾が出なかったからだ。
ラーウスさまは眉間にしわを寄せて、唸っていた。
「不作?」
「はい、そう手紙に書かれてました」
「ウィケウスはとても丈夫で、いや、むしろ丈夫過ぎて、植える場所を選ばないといけないと聞いていたのだが」
「はい、そうです」
ウィケウスは、獣人たちにはなければならない植物であるけれど、人間たちからは逆に、疎まれている。理由は、ラーウスさまが語ったように、繁殖力が強すぎて、植える場所を考えないと、すべてがウィケウスに占領されてしまうからだ。
それほどの繁殖力があるのに、不作って、やっぱりなにかがおかしい。
「ウィケウスの種、あるんだけど」
「えっ」
「ルベルに任せている薬草園の片隅に植える?」
「えっ、いいんですかっ?」
「いいよ」
「ありがとうございます!」
ウィケウスは繁殖力が非常に高いけれど、きちんと管理さえすれば、問題のない植物なのだ。
「それでしたら、ラーウスさま」
「うん?」
「街に買い物に行ってもよろしいでしょうか」
「買い物……?」
「はい。ウィケウスをそのまま路地植えすると、際限なく広がってしまいますし、なによりも、ウングラが来て、畑を荒らしてしまいます」
「……ウングラ?」
「はい」
と答えた後、その姿を思い出して、ぶるりと思わず震えてしまった。
名前を口にしただけでもあの恐ろしさを思い出してしまうほど、ウングラは恐ろしいのだ。
「もしかしなくても……」
「そっ、それ以上は!」
「ルベル、震えているけれど、怖いのかい?」
「は……はい……」
騎士団長がこの場にいたら、『騎士たるもの、いかな時でも怖いと震えるな!』と一喝されそうだったけれど、ウングラを思い出すだけで本能的な震えが来るのだから、仕方がない。
「そのウングラというのがなにか分からないけれど、試しに植えたウィケウスは、花が咲いたらあっという間になにかに食い荒らされた挙げ句、畑もさんざん荒らされて大変だったから、植えるのを止めたんだよ。私はウィケウスの花の見た目と香りが好きだったから、香油でも採ろうかと思ったのに、残念だったよ」
ウィケウスは花を乾燥させて煎じて飲むか、ポプリ代わりにするかしか知らなかったけれど、香油なんて採れるのだろうか。もしも簡単に採れるのなら、あのお茶が苦手な獣人には朗報かもしれない。
「あのっ」
「なんだい?」
「ウィケウスから香油って採れるのでしょうか」
「どうだろうか。試す前に全部、食われてしまったから、分からないんだよ」
「もしも香油が採れるようでしたら、それは獣人にとって、大変な朗報です!」
「そうなのかい?」
「はい。わたしたちはウィケウスの花を干して、それを煎じて飲んでいます」
「へぇ。どんな味がするんだろう。今度、試させてほしいな」
「それはかまいませんが、匂いは甘いのに、味は苦いんです」
「ほう。それをルベルは毎日?」
「はい。飲まなければ大変なことになるので、仕方なく、毎日……」
そうなのだ。ウィケウスを煎じて飲むのは、かなりの苦痛なのだ。もしもそれから解放されるのならば、願ったり叶ったり、だ。
「なるほど。色々と試してみる価値はありそうだね」
そう言って、ラーウスさまは笑った。




