第一話 8:30
「おはよう、ハルカ」
聞き慣れた声で意識を取り戻した。隣には母と看護師の姿。太陽の光が差し込んだ病室は明るい。壁にかかっている時計を見る。なるほど、今日はこの時間らしい。
この時間は看護師さんが私の点滴をチェックしにくる。私はこんな体質のせいで、ろくに口から食べ物を摂取することができない。だから、こうして点滴などで栄養を摂取するしかないのだ。もう、ここ数週間はまともに食べ物を摂取していない。活動時間が短いせいだろうか、不思議と身体はやせ細らず、標準体型である。
久々に何かを口にしてみたい気分だ。何か冷蔵庫にあるだろうか。
「お母さん、何か食べ物を食べたいよ」
母は私の言動に少し驚いたようであったが、何かを思い出したようにすぐに冷蔵庫から何か持ってきてくれた。プリンだった。蓋には”ハルカちゃんへ”とメッセージが残されている。
「昨日、マユミちゃんが持ってきてくれたの。お昼に起きたら食べさせてあげて、って。駅前の限定品らしいの。おいしいと思うわ」
瓶に入ったプリンはいかにも限定品という雰囲気を漂わせており、久しぶりの食事がこんな贅沢なもので良いのだろうかとついつい躊躇してしまう。だがせっかくの頂き物だ、ありがたく食べよう。
ふたを開けると芳醇な香りが漂う。それを嗅覚が察知した瞬間に唾液が口の中にあふれ出す。早く食べろ、と身体が言わんばかりに。一口味わうと、濃厚な味が口の中を支配する。
「おいしい?」
あぁ、なんて贅沢なんだろうと感慨にふけっていた。母の一言で現実に意識が戻される。
「うん、おいしいよ。これ以上ないぐらいに」
すべて食べ終わってしまった。幸せな時間は過ぎるのが早い。壁掛け時計を横目で見る。もうあと1分もない。段々と意識が薄れていくのがわかる。こうなると、今日の残り時間が間もないことを悟るのだ。
「お母さん、今日もありがとね。また明日」
「うん、また明日。おやすみなさい、ハルカ」
今日の10分間は幸せだった。また明日もこのような時間を過ごせますようにと願いながら、私は今日を終えるのだ。