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残滓の耐

閑話です

なので明日も更新します

 カーラは入浴後、昨日のように談話室でのんびりしたかったようだが、「また殿下たちの相手をしたくない」と王子たちへ就寝の挨拶をしてすぐに部屋へ戻った。そしてまだ早い時間だというのに夜着に着替えて、寝具へもぐりこんでいる。


 灯りをすべて消した、月明かりのみの薄暗い部屋の、ベッドの上。

 カーテンを引かないのは、カーラが朝日を感じて目覚めたいと言うからだ。侯爵所有の屋敷でもそうしていたが、ここは人目の多い学園内。その防犯意識の低さは問題だが、外から中の様子が窺えないようにしているのだからいいかと流している。


 ベッドへ入ったものの、やはりまだ眠くはないようだ。カーラは枕もとに寝そべった私の胸元を、その艶麗な指で丁寧に梳いている。

 たとえ光の全くない、真の闇だとしても、私が黒だからなのだろう。私は彼女の顔をはっきりと見ることができる。しかしカーラは朧気にしか私の姿が見えていないようで、しかも私もそうだと勝手に思っている。

 無防備な彼女の満足げな笑みはとても妖艶で、今にも圧し掛かってしまいたい衝動に駆られる。だというのに、さらにほんのりと頬を染め、恥じらいながらも私へすり寄ってくるのだから、堪らない。

 ぎゅうぎゅうと容赦なく魂を握られながらも、この至福の時間を守るために耐えていた。


『・・・カーラ』


 徐々に我慢の限界へ近くなるように感じ、その前にカーラへ話しかけて気を反らすことにする。

 身体を伏せたまま頭をもたげた私へ、カーラが手を止めて顔を向けた。とろりとした気だるげな視線が妙に艶めかしくて、背中の毛が少し逆立ってしまったのを感じる。


「なんですか? オニキス」


 カーラは私の胸元にあった手を、そっと口元へ伸ばしてきた。そしてそのまま優しく頬の方へと滑らせていく。私はその求めに応じるように、淡く笑みの形に反っているカーラの唇へ自らの鼻先を寄せ・・・かけて我に返った。


 いやいやいやいや、否。カーラにその意思はない。

 耐えろ、自分。


 「ひりあ」であった前世の思考が先に立つのだろう。

 彼女はいまだにこの、非常に美しいと人間たちから評されている容姿を、他人事のように見ている節がある。自分がいかに他者を魅了し、かつ欲情させているのかという事に気付いていないのだ。

 私はそう彼女の容姿に頓着していないが、カーラは前世の「容姿こんぷれっくす」をそのままに、自分が他者を魅了するわけがないという前提で、無意識に誘ってくるから注意が必要だ。


「どうかしましたか?」


 頬から首筋をたどり、再び私の胸元を梳き始めたカーラが小首を傾げる。

 その上目遣いが私の魂をきつく締め上げ、衝動を抑え込んだ切なさに背中の毛が逆立った。


『・・・っは・・・ぅ』


 苦しくて、苦しくて。ついに耐えられなくなり、小さく喘いだ。小さく抑えられたのは、毎晩の苦行のおかげだろうか。

 言葉を失って呻く私の態度をどう思ったのか、カーラが私の首へ腕を回して抱き寄せてくる。


「大好きよ。オニキス。ずっと傍にいる」


 とどめを刺された。

 理性が弾け飛んだ一瞬で、仰向けにした彼女の肩へ前足を乗せ、圧し掛かかってしまった。


「ふふ・・・くすぐったい」


 またしても途中で我に返り、そのまま彼女の口元で鼻先を彷徨わせる私を、カーラは笑いながらしっとりと見つめてくる。

 私を試しているとしか思えないが、これが無意識なのだ。彼女に誘っているつもりはない。

 耐えろ。耐えるんだ、自分。


 散らばってしまった理性をかき集め、私は先ほどの問いかけを口にすることにした。


『・・・カーラ。王子たちへ宣言しようとしたことは、本心か?』

「ん? ・・・あぁ。結局、殿下に言えなかった、あのことですか?」


 きょとんとした後、すぐまた艶やかに笑んだカーラは、圧し掛かったままの私の背をゆっくりと撫で始める。

 彼女に触れられる前に平常時の状態へ戻せてよかった。


『そうだ。本当に、そう望むのか?』

「ええ。私は誰とも婚姻を結ぶ気はありません」

『なぜだ? 今の、貴族の位を持つ状態の方が、楽に生きられるのだろうに。弟君おとうとぎみが跡目を継ぎ、伴侶を得て、さらに子をもうければ、カーラは家を出ねばならないだろう?』


 そう問うと、カーラは困ったように眉尻を下げ、私から目をそらした。


「親の庇護下にある今は確かに楽ですが、いつまでもこのままではいられません。貴族であるという事は、責任が伴うのです。自分のみならず、他者の、領民の責任を負わなければならなくなります。私は・・・」

 

 言葉を切ったカーラを見つめ、続きを待ったが、視線をそらしたままの彼女はこれ以上、話す気はないらしい。目を閉じてため息をひとつつくと、やはり私を見ないまま首を傾げた。


「とても静かですね。殿下たちはもう入浴を終えたのでしょうか?」

『いや。まだ入っている』


 そして決して静かに入浴しているわけではない。


 実はカーラとの時間を邪魔されたくなくて、王子たちが入った時から浴室の音が外へ漏れないようにしてある。さらに中では聞くに堪えない内容の会話が繰り広げられているのだが、黙っておく。

 カーラは私へ視線を戻したが、今度は私がそらしたのを見て、事情を察したらしい。咎める気はないというように柔らかく笑うと、私を抱きしめた。


「まあ、話の内容が聞こえた所で面白くもないのですから、静かな方がいいですよね。この別館内で助けを求めるような事態になるとは思えませんし。このままでお願いします」


 そう言うと、また私の背を撫で始めた。私はその心地よさに身を委ね、彼女の体の上へ圧し掛かったまま伏せる。

 少し眠くなってきたらしく、カーラは時折、億劫そうに瞼を上げるようになった。そして私にすり寄り、甘えてくる。再び襲ってきた衝動を私もカーラへすり寄ることで逃がしつつ、彼女の予想の前半を心の中で否定した。


 王族が混じっているのだから無いだろうとカーラが予測した、男子にありがちな互いの体つき、生殖器等に関する話はすでに終わり、今は濡れ髪の弟君おとうとぎみの横顔がカーラに似ていると騒いでいたりする。思春期の少年たちの思考は、王族であろうと制約せけんのめがなければひどいものだな。


 こんな内容をカーラに聞かれでもしたら、私を恋愛対象として意識させる前に、ベッドから排除されてしまいそうだ。目を閉じている時間が長くなってきたカーラを見つめながら、つくづく音が漏れないようにしておいてよかったと思う。


『おやすみ。カーラ』

「う・・・ん・・・おや・・・すみ」


 目元へ鼻先を押し付けると、花がほころぶように笑ったカーラが、私の首をとらえて頬へキスをくれた。心が満たされる感覚がして、自然と言葉が出る。


『愛しているよ』


 すでに夢の中へ落ちつつあるカーラには、この声は届いていない。

 しかし、それでいい。

 私の言葉へ、カーラは自分の気持ちを言葉で返そうとするだろう。そしてその答えが、まだ私が望むものではないことは予測がついている。

 焦ることはない。


『何の因果だよ。「悲嘆」と同じ黒が、宿主を愛するなんて』

『・・・盗み聞きとは、いい趣味だな。トゥバーン』


 滅紫色の髪となった伯爵令息の精霊、トゥバーンは大きい。空気に溶けていても、広範囲に漂っていることには気づいてた。

 さすがにこの部屋への侵入は許していないが、まさかカーラとの会話を聞いていたとは。油断した。


『聞く気で聞いたんじゃねーよ。・・・聞こえただけだ』


 完全に眠ってしまったカーラの横を離れ廊下へ出ると、天井付近に漂っていたトゥバーンが、一部のみ空気へ溶かすのをやめて降りてきた。見知った姿の、十分の一にも満たない大きさで私へ言い訳をする。

 これは器用な真似をするな。今度、私もやってみよう。


『「悲嘆」は「悲嘆」。私は私だ。それに契約がなされているのだから、宿主が死ねば、私も消える。「悲嘆」の時のようにはならない』

『・・・そう願うよ』


 巻き込まれては堪らないとばかりに嫌そうな顔をする、トゥバーン。

 「悲嘆」が宿主の精神を守れなかったのは、契約していなかったからだろう。そして精神が破たんした宿主の体を乗っ取り、怒りのままに食い散らかした。

 その上で色彩の世界へ戻ってきて、呪詛に満ち満ちた精神を、私に喰わせたのだから質が悪い。


 実はトゥバーンが危惧したように、私のこの意識は「悲嘆」の影響を受けているのではないかと、考えたこともある。だが、悩んだところで真相はわからないし、だからと言ってカーラを諦めることなどできはしないのだから、きっかけなどどうでもいい事だと結論付けた。

 

『俺の主を、殺してくれるなよ?』

『・・・お前は私を何だと思っているんだ?』

 

 トゥバーンの宿主である伯爵令息が、カーラへ恋心を抱いているのには気付いている。

 飼い主へなつく犬のような、親愛に近い感情だ。そしてあれはカーラの弟君のことも大切に思っている。軽薄な態度とは裏腹に気の優しい伯爵令息は、二人に嫌われるような強硬手段に出てまで、カーラを手に入れようとはしないだろう。

 ただ、大切に思う二人を傷つけようとするものへは容赦しない、苛烈さも秘めているが・・・まあ、こちらは問題ない。

 よって、トゥバーンを敵に回してまで何かする気はない。


『久しいな、黒』

『お前は・・・やっぱ滅紫なのか?』


 廊下の向こう、浴室の前に見知った金茶と若草色の鷲が現れた。しかしこちらへ来る気はないようなので、仕方なしに私が近付く。


『あん? 誰だ?』

『金茶が王子の、若草が公爵令息の精霊だ。昨日も会ったろう?』

『そうだっけか?』


 ついてきたトゥバーンが威圧するように空気へ溶かしていた体を現していくと、全体量の5分の1ほどで若草が悲鳴を上げた。


『ひゃあああっ!!!』

『待て待て! 早まるな! 話せばわかる!』


 恐怖のあまりほっそりとした金茶の横で、若草が羽をばたつかせている。それを見たトゥバーンが声を出して笑った。


『あははははははは!!!!!』


 悪趣味な奴だ。

 金茶と若草がどうなろうと構わないが、その宿主に影響があっては困る。なんだかんだ言って遠ざけつつも、カーラが無意識に懐へ入れてしまっている王子と公爵令息に何かあれば、彼女が傷つくだろうからだ。

 私は笑い続けるトゥバーンと、金茶たちの間へ入り、震える鷲たちを背に庇う。

 

 本当は求婚してきた王子を遠ざけたいところだが、カーラに応じる気が全くないようなので、様子を見ることにした。

 今のところ、地位を利用して囲いこむような強硬手段に出そうなのは、この王子だけだ。

 しかし王子はカーラへの好意を抱きつつも、王族としての思惑も捨てきれないようだ。想い人であるカーラと、例の大公令嬢とを天秤にかけている。大公令嬢の出方がはっきりするまで、行動へ移すことはないだろう。


 対して公爵令息の方は大人しいものだ。好意を抱きつつも、自分の容姿がカーラの好みから外れていると思っているせいか、行動に移そうとはしない。

 しかし自分の身分を駆使して、カーラへこれ以上貴族の子息が近付かないように、影できっちり牽制している。

 その人物個人の感情とは別に、カーラを利用するために近付こうとするものは意外に多いからな。この点だけは、公爵令息の働きに感謝している。

 警戒を緩める気はないが。

 

『そう意地の悪いことをするな』

『は・・・はは・・・わ、悪い。そう怖がるな。無作為に喰ったりしない』


 笑いをこらえながら言うトゥバーンを、金茶と若草が私の影から、恐る恐る窺い見ている。


『やっぱ滅紫か!』

『それにしては小さいな?』


 確かに。どういうわけか空気に溶かしていたすべてを現したというのに、やはり全体量の3分の1ほどしかない。気にはなるが、聞けと言わんばかりに厭らしく笑いながら私を見てくるトゥバーンに、いらっとしたので無視することにした。


『これは滅紫だ。「禁食きんじき」は辞めたらしいから、安心しろ』

『おい。無視すんな。気になるなら、聞けよ』

 

 龍と言うらしい空想上の生き物の姿をしたトゥバーンが、髭を揺らしながら顔を寄せてくる。すすっとその髭が私の耳へ掠ったせいで、ぞわっとした。


『よせ。気色悪い』

『ひどいわっ! 貴方の代わりに嫌な役目を果たしていたというのにっ!!』

 

 力なくしなだれかかってこようとするトゥバーンの体を避ける。

 この精霊にして、あの主あり。だな。この気安さがそっくりだ。

 私とトゥバーンの茶番に警戒心が緩んだらしい。金茶と若草が互いに顔を見合わせてから、こちらを見て言った。


『仲いいな』

『契ったのか?』

 

 怒りのあまり、言葉で否定する前に体の一部を呼び寄せてしまった。


『落ち着け、オニキス! 実体化禁止と言われているだろ?!』

『ひゃあああっ!!!』

『待て待て! 誤解だってわかったから、そんな「深淵」みたいな威圧すんな!!』


 先程とは逆にトゥバーンが、細くなった金茶と、羽をばたつかせる若草を背に庇っている。

 しかしこれを見せても私が「深淵」そのものだと気付かないとは、やはり大きさでしか私は認識されていないようだな。まあ、確かに今の大きさは欠片のようなものだし、同一視するには無理があるか。


『すまない。我を忘れかけた』


 平常時の状態へ戻しつつ詫びると、3者は揃ってため息をついた。


『塗りつぶされるかと思った』

『同じく』

『オニキスだけは敵に回したくないな』

 

 脱力している3者の背後に、それぞれの宿主と弟君が現れた。私たちが騒いでいる間に、入浴を終えたようだ。

 それぞれの宿主が、それぞれの精霊へ視線を向けたが、互いの精霊が見えているわけではないので、何も言わない。そんな王子たちを何も見えていない弟君が1階の談話室へ誘い、それに乗った宿主たちは階下へと降りて行った。


『じゃあな』

『これで失礼する』

『おやすみー』


 空気へ溶け込んで宿主に付いて行く3者を見送り、思わずため息をついた。


『・・・やっと静かになった』

 

 私はカーラの枕もとへと転移し、傍らへ寝そべってその寝顔を眺めることに勤しんだ。


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