早速、相談しましょう!
「はい?」
状況が理解できなくて聞き返すと、私の足元へオニキスが近づいてきます。そして相変わらず毛を逆立てて警戒したまま、レオンから目をそらさずに言いました。
『レオンハルトにダラヴナが寄生した』
「は?!」
思わず簀巻きで転がっているレオンから距離を置くように、一歩後ろへ下がります。レオンが涙やら何やらでぐちゃぐちゃの顔でこちらを見上げました。
「わああああぁぁぁぁぁぁんんん!!!! やだ!!! 嫌わないでぇぇぇぇ!!!!!」
「くそっ! 動くな・・・動かないでください!!」
さすが大剣使いというべきか、華奢に見える体にクラウドを乗せたまま、芋虫のように私の方へ這ってくる、レオン。
クラウドも珍しく焦っているようで、悪態が漏れて、言葉も崩れています。まあ、レオンは伯爵令息で、手荒なことがしにくい相手ですからね。どこまでやっていいのかわからなくて、余裕がないのでしょう。
どうしよう。えーっと。うーん。どうしたらいいのかな。・・・ダメだ。私も相当焦っているようです。何も思い浮かびません。
「・・・とりあえず、その顔をどうにかしましょうか」
体を拭くために用意してあったタオルで、レオンの顔を拭きます。大人しくなったレオンに、皆がほっとしたとたん、縄が解けました。
「カムぅぅぅぅ!!!」
「げうっ!」
縄抜けしたレオンが、側にしゃがんでいた私へ飛びつき、私は床へ押し倒されました。頭は打ちませんでしたが、強打した背中が痛い。「きゃ」じゃないのはいつものことですわ。
レオンは寝転がったまま痛みをこらえる私の胸に、顔を押し付けてぐりぐりしてきました。
「・・・いつもより柔らかい」
「あー。」
そういえば下は即席パンツ履きましたけど、上は脱衣所にあるのをつけようと思っていたので、下着をつけていません。
『許さん!!』
オニキスの殺気がこもった跳び蹴りを、レオンは横に転がって避け、さっと立ち上がりました。
普段から馴れ馴れしいレオンの度が過ぎると、オニキスが物理制裁を加えるのは恒例の事になっています。ですから彼はオニキスの存在も知っていますし、砂漠での大乱闘も経験済みですよ。
「よくわかりましたね」
「殺気に対する条件反射だよっいててっ」
殺気なく背後に立ったクラウドには反応できなかったようで、後ろ手に捻りあげられています。そのレオンに向かって、オニキスがじりじりと近づいていきました。
しかしその目はレオンのやや後ろの虚空に向けられています。全身の毛を逆立てて、レオンではない何かを見ているようでした。
『うるさい。黙れ』
ぞわっと全身に鳥肌が立って、息苦しくなります。それはクラウドたちも同じだったようで、二人とも顔をしかめました。
たぶんオニキスは、ダラヴナを気絶させて黙らせようとしているのでしょう。良くない何かが起こっている雰囲気に、私はオニキスの威圧で重く感じる体を起こして立ち上がります。
「え? ほんと?!」
息苦しさが強くなっていく中、レオンがきょろきょろしながら訊ねました。
しまった。彼は精霊の声が聞こえるのでした!
重力が増したかのような圧迫感を放ちながら、オニキスが怒声を上げます。
『よせ! レオンハルト! 耳を貸すな!!』
「じゃあ、トゥバーン」
じゃあって何ですか?! 懲りない子ですね!
『あわ・・・あわわ・・・きゅぅぅ』
部屋の隅で震えていたモリオンが崩れ落ちました。私には見えませんが、契約が成立してしまったようですね。オニキスが見えない何かを唸りながら睨みつけていますし。
「これで僕も詠唱なしで魔法が使えるんだね!」
「お馬鹿ぁぁぁ!!」
私はレオンの頭を狙って回し蹴りを放ちます。
まだ後ろ手に拘束されているにも関わらず、器用に頭を下げて避けるレオン。クラウドは体を反らして避けました。私はそのまま体を回転させ、軸足を変えると、今度は後ろ回し蹴りをします。そして一撃目を避けたまま低い位置にあるレオンの首に、回した足の膝裏をひっかけました。
「ぐぅっ」
私の意図を察してクラウドが手を放し、解放されたレオンの体は私の足に引っかかった状態で床に倒れました。仰向けに倒れたレオンの胸の上に跨がり、膝を彼の二の腕に乗せて体重をかけます。そして鼻をつまみました。
「レグルスから解放されたばかりだというのに、貴方はっ!」
「んが・・・はぁ・・・ぐふふ」
不気味に笑うレオンの視線をたどりつつ、鼻をつまむ手に捻りを加えました。そうでない方でムームーがずり落ち、露出していた肩と半乳をしまいます。大丈夫。襟元から頂上が出てしまうほど、私のお山は低くありませんよ。
「痛い痛い!!」
「またレグルスのように死にたがりの精霊だったら、どうするのですか?!」
「いっ・・・大丈夫! 大丈夫だってば!! ね、トゥバーン?」
背後に気配を感じて振り向こうとしたところで、一瞬の浮遊感と共に視界が切り替わりました。
目の前にあるのはオニキスの闇色の背。横には気絶しているモリオンを、小脇に抱えたクラウドが立っています。
オニキスの向こう。見つめる先にはレオンと、その傍らに寄り添う黒のような紫のような、巨大な生き物がいました。
「龍?」
この世界には存在しない空想上の生き物は、鱗のひとつひとつが灯りを反射して煌めき、バスケットコートほどの広い脱衣所の3分の2を占領する長い身体で、レオンを守るようにとぐろを巻いていました。その背には蝙蝠のような皮膜を持つ一対の翼が天井すれすれまで広げられており、鋭い爪のある四肢が重みを感じさせない体を支えています。そしてこちらを睥睨するようにもたげられた頭に4本の角があり、そのうちの二本が天井に・・・当たった音がしました。
「強制転移」
『・・・ああ』
レオンとその新しい精霊が姿を消します。その位置まで移動し、天井の傷を確認しました。
よかった。目立ちません。
私は着替えを手に取り「なんちゃらパワー以下略」と、心の中で唱えて着替えを完了します。脱いだムームーと即席パンツは、影の異空間収納へ放り込みました。
簡単に髪を整えると廊下へ出て、走ってはいないけれどそれに近い速度で、クラウドを引き連れてエンディア侯爵邸内を進みます。
「お父様。今、よろしいですか?」
「ああ。大丈夫だ。入ってきなさい」
ノックの後に執務室の扉を開けると、好都合なことに父しかいませんでした。今日の仕事は終えたのか、ワイングラスを片手に椅子へ腰かけています。
「お先にお湯を頂きました。ありがとうございます」
「真剣に強請ったわりに、早かったな」
私だってこんな事態でなければ、ゆっくり浸かっていたかったですよ。
執務机をはさんで父と対面します。真剣な表情の私に、父がワイングラスを置いて椅子に座り直しました。
「問題が起きました」
「なんだ? 湯船に穴でも開いていたか?」
「それは直しました。もっと大事です」
訝し気に眉をひそめる父に、ひとつ深呼吸をしてから告げました。
「レオンハルト・ペンタクロムにダラヴナが寄生しました」
「・・・なに?」
意味が分からなかったようで、眉間の皺を深める父。
そういえば「寄生」でなくて「加護」と言われているのでしたっけ。まあいいや。簡潔に経緯を説明することにします。
「今日討伐した巨大な魔物は、ガンガーラでダラヴナと呼ばれていたものです。出会い頭にレオンの精霊がそれに飲まれてしまいました。そして・・・その空位に先程、ダラヴナが就きました」
父の目が徐々に見開かれ、その呼吸が止まるのがわかりました。時間が止まってしまったかのような状態の父へ、さらに追い打ちをかけます。
「彼は・・・レオンハルトは・・・その・・・元々、精霊の声が聞こえる特殊な人間でして・・・。ダラヴナと契約してしまいました!」
「はあ?!」
父はがたっと立ち上がりました。
ええ。そうですよね。驚きますよね。頭の中が真っ白になるほどに。ちょっともう私には手に負えませんので、助けてくださいませ。お父様。
「・・・そのレオンハルト殿はどこへ行った?」
「今は砂漠のど真ん中に隔離中です」
さすがお父様。復活が早いですね!
部屋の中にクラウドはいても、彼と一緒に私の後をついて回っていたはずのレオンがいないことに、すぐ気が付いたようです。
「ここに連れて・・・」
「いえ。彼が契約した精霊はあのダラヴナです。室内で実体化されると屋敷が壊れてしまいます」
町を襲っていた姿を思い出したのか、父が眉間にしわを寄せました。それっきり黙り込んでしまったので、契約に関して知っていることを話すことにします。
「ご存知の通り、精霊に名を授け、精霊が受け入れれば契約が成立しますが、その解除はできません。そして精霊には宿主・・・主を殺そうとしてくるような狂っているものもいます。無詠唱で魔法が使えるなどのよい事ばかりではありません。ダラヴナにそんな様子はありませんでしたので、レオン自身に危害を加えることはないと思いますが・・・」
私の足元のオニキスがこくりと頷きましたので、やはりレオンの安全に問題なさそうですね。傷つける気がれば、先程のあの一瞬で十分できたでしたでしょうし。
「・・・実はもう、国王陛下と、トリステン公爵にはお話しした。お二方のご子息が関わってしまったからな。契約に関しては最重要機密扱いになっている」
「・・・そうですか」
なんだ。では慌てることはないの・・・かな?
私が復活しかけたのを感じ取ったのか、父がため息をついて言いました。
「まずは私をレオンハルト殿のところへ連れて行きなさい」
「はい。直ちに」
一瞬の浮遊感の後、足の裏に砂の感触を感じます。そして何かが・・・レオンが飛びついてきました。
「カムぅぅぅぅ!!!! 捨てないでぇぇぇ!!!!」
膝立ちで私の腰に縋りついているレオンに、涙と鼻水まみれの顔をスカートに押し付けられそうになり、慌ててハンカチでその顔をぬぐいます。とりあえず落ち着かせようと頭を撫でていると、少し離れた所へ大きな気配が生れました。
『あんたらにもその主にも危害を加える気はねーよ。警戒を解け、深淵』
軽い! なんか想像していた口調と違いますね。
離れた所から話しかけてくるダラヴナは、髭を揺るがせながら、月光の元で悠々とこちらを見下ろしてきました。それにしても大きい。頭だけでも私の背丈くらいあると思います。体は百足の時よりやや短めですが、40メートルはあるでしょうか。
オニキスはふんすと息を吐いて、ダラヴナと対峙するのを止め、私の足元へ戻ってきました。オニキスと入れ替わるようにダラヴナの前へ現れたのは、約20センチの菖蒲色の美女です。
『お。久しぶりだな。菖蒲』
『はい。滅紫もお元気そうで』
『最後に会ったのはあっちだったか?』
『そうですね。そういえば・・・』
父の精霊、アメジストとダラヴナは世間話を始めました。
あっけに取られている私と父、何も考えていなさそうなクラウドと、まだグジグジしているレオンをよそに、盛り上がる精霊たち。
「ダラヴナは精霊を食べると聞いたのですが・・・」
私の質問というよりは、ただ呟いただけのつもりで出た言葉に、ダラヴナがこちらを向きました。
『あ? 病んでねー奴は食わねーよ。それに人間どもが勝手に付けた、その名前は好かねぇ。トゥバーンと呼べ』
初耳です。ではダラヴナ・・・いえ、トゥバーンに寄っていったのは自殺志願者なのでしょうか。
「貴方は病んだ精霊を食べていたと?」
『あぁ。病んだ奴に寄生された宿主は、それに引っ張られて病んじまうのが多い。で、俺の前に躍り出てくるのさ。・・・だがそれももうやめだ。やめ。「深淵がその気になるまで」と言うから、嫌々やってきたが、何が楽しくて美味くもない同族を食い続けないといけないんだ』
よくわかりませんが、もう人を襲う気はないようです。父を見上げれば、片手でこめかみを揉みながらため息をつきました。
「とりあえず敵意がない事はわかった。おそらく監視するくらいしかできないだろうが・・・陛下とトリステン公爵には報告する。カーラは許可なく実体化しないよう言い含めなさい。そして決してレオンハルト殿から目を離さないように」
「承知いたしました」
今晩はこのオアシスで野宿かもしれません。
オニキスに目くばせをすると、彼はお疲れ気味の父をエンディア侯爵邸へ転移させてくれました。