噂を加速させましょう!
はぁい、皆さま。お元気?
皆さまはヘンリー王子がトラブルメーカーだって事を、覚えていらして?もちろん、私は忘れておりましたよ・・・。
そしてやってくれました。というか連れてきてくれました。私が取り巻きを作らず、かつ接触しなければ放置でいいかと思っていた彼を!
甘かった。殿下、アレクシス様、弟のルーカスと王太子派揃い踏みなのですから、残り一人もそうなのかもしれないと予測して、釘を刺しておくべきでした。
「返してきなさい。今すぐ。」
「え? なに? なんで怒ってるの?」
そ・れ・は! 私の目の前で所在なさげにたたずむ、その見まごう事なき燃えるような深紅の髪と、それに負けず劣らず存在を主張する金の瞳の持ち主。攻略対象であるレオンハルト・ペンタクロム伯爵令息を、貴方が連れてきたからですよ!
不安げに伏せられ、長いまつ毛が影を落とす瞳と、軽く束ねられたやや癖のある髪が、まだ9歳であるにもかかわらず色気を醸し出しています。
珍しくオニキスが私の影に隠れたと思ったら、そういうことだったのですね。確かこのペンタクロム伯爵令息の精霊は、かなりの毒舌でうるさかったはず。
「殿下、少しよろしいですか?」
馬車から降りてきたまま、玄関前に立たせておくなんてものすごく無礼ですが、できればこれ以上お近づきになりたくないのです。ペンタクロム伯爵令息に声が聞こえないような所へ離れた私に、殿下は素直に近づいてきました。
「ふふふ。内緒話?」
嬉しそうな殿下。この方のツボはよくわかりませんね。
「殿下、殿下の精霊は何も言わなかったのですか?」
「あぁ。カーリーはカーラ嬢に相談してからの方がいいって言ったよ」
「カーリー様。貴方の主でしょう? ちゃんとご自分で説得して、止めてください」
私には姿が見えませんが、声は聞こえているはずなので小さな声で抗議します。反応がないということは、殿下の精霊も隠れているということでしょう。
「カーラ嬢、私はちゃんとテトラディル侯爵には許可をもらったよ」
何ですと? 父。私が逃げるだろうと、黙っていましたね! 父の精霊もなぜ止めないのですか?!
「仕方がありません。お相手いたしましょう。ですが今シーズンはもう出入り禁止ですからね」
「えっ?! やだ!」
「ではせめてお連れする前に、私にも連絡してくださいませ」
殿下がぷくっと頬を膨らませました。
「だって絶対に断るだろう?」
「当たり前です」
頬を膨らませたまま、さらに唇を尖らせた殿下が、何かを思い出したようで急にぱあっと花が咲くような笑顔になりました。
「でも大丈夫! きっと君が不機嫌になるだろうからって、ご褒美も用意したから!」
「どういうことですか?」
「テトラディル侯爵がね、彼女がいれば喜んで招き入れるだろうって」
たたたっと玄関前に停まったままだった馬車に走り寄ると、殿下は中に残っていた人に右手を差し出しました。その手を取り、ゆっくりと降りてくるどこかで見たような美少女。その大きな垂れ目と垂れ眉が庇護欲をそそる、まるでチワワのような・・・。
「えっと?」
「テスラ侯爵令嬢だよ」
ふわふわと波打つ腰ほどの長さの翡翠色の髪に、髪と同じ色の長いまつ毛に縁取られた濃い藍色の瞳の美少女が、完璧な所作で私に淑女の礼をしました。
「イングリッド・テスラと申します。どうぞイギーとお呼びください」
いきなり愛称呼びを推奨してきたテスラ侯爵令嬢に驚きながらも、礼を返して名乗ります。
「お初にお目にかかります。カーラ・テトラディルと申します。どうぞお見知りおきください。・・・イングリッド様」
「イギーと」
にっこりと、しかし逆らうことを許さない口調で言われました。チワワってそういえば気性が荒かったなと、一瞬、現実逃避をしかけます。
「いいえ、イングリッド様。初対面の方にそのような失礼はできません」
「あら、カーラ様。私たちは初対面ではありませんのよ?」
ほんのり頬を染めて目線を逸らしたテスラ侯爵令嬢は、ドレスをきゅっと握ると小さな声で言いました。
何この人。ものすごく可愛い。しかしお会いしたことがあるのに忘れてしまったなんて、かなり失礼なことをしてしまいました。
「申し訳ございません。イングリッド様」
深く頭を下げると、テスラ侯爵令嬢は口元を両手で覆いながら、可愛らしく笑われました。
「いいんですのよ。一瞬の事でしたもの。運命を感じるには十分でしたけど」
ん? 後半の部分が、声が小さくて聞き取れなかったのですが。聞き直すのも失礼ですから、謝罪を受け入れてもらえた者として、謝辞を述べることにします。
「ありがとうございます」
後光が差すように微笑むイングリッド様。眩しい! とりあえずいきなり愛称呼びはハードルが高すぎるので、お名前に敬称付けでお呼びすることにしましょう。
と、そのイングリッド様の後ろで、生温くこちらを見ている殿下と、ほぼ無表情のアレクシス様、たぶんどうしていいかわからない様子のペンタクロム伯爵令息に気付き、慌てて屋敷内へ招き入れました。
「お待たせして申し訳ございませんでした。どうぞこちらへ」
殿下を先頭に、客間へ案内します。途中、殿下がその斜め後ろを歩いていたアレクシス様に話しかけました。
「さっきのを見てどう思った? アレク」
「わかりません。決めつけるには早すぎるかと」
こちらを盗み見ながら話していますので、おそらく私に関することでしょう。すでに面倒が起きている今、これ以上面倒に巻き込まれないよう、訊ねることにしました。
「何のお話ですか?」
「カーラ様が同性もがっ」
「なんでもないよ。カーラ嬢」
言いかけたアレクシス様の口を、殿下が手で塞ぎます。
ははぁ。どこから漏れたのだか、私の嗜好についての噂が広まりつつあるようですね。別に構いませんけど。ちょっとからかってみましょう。
「私、可愛らしい方が好みなんですよ」
客間へお通しする際に、すれ違い様に殿下へ囁きました。一瞬で耳まで赤くなった殿下が、こちらを振り返ります。
あれ。ユリを連想してドン引きすると思ったのですが、予想に反した反応です。
「・・・あの」
殿下が立ち止まってしまったので、中へ入れないペンタクロム伯爵令息が廊下で困っていました。仕方ないので固まっている殿下を、先に上座へ座るよう促します。
「殿下、こちらへどうぞ」
ちらちらと私に視線を向けながら、大人しくソファに腰掛ける殿下。何なんですか。
殿下の隣にいつも通りアレクシス様、その向かい側にイングリッド様が腰掛けたところで、ペンタクロム伯爵令息に微笑みかけました。察してくれて礼をする、ペンタクロム伯爵令息。
「レオンハルト・ペンタクロムと申します。えっと・・・レオとお呼びください?」
悪例を真似ないでくださいよ。思わずイングリッド様に視線を向けると、彼女は相変わらず可愛らしく微笑んでいました。
ため息を堪えて、淑女の礼をします。
「カーラ・テトラディルと申します。レオンハルト様。どうぞお掛けください」
レオンハルト様はアレクシス様の隣へ、私はイングリッド様の隣に座ります。全員がソファへ腰掛けると、タイミングよくお茶の用意がされました。
「それで? 今日はどういったご用件でしょうか?」
「いきなり本題なの?」
目をウルッとさせ可愛らしく首をかしげる殿下。成る程、イングリッド様と、レオンハルト様がいらっしゃいますから、今日は可愛いバージョンなんですね。
しかし普段の悪魔具合を知っている私でさえ、グラッとくる可愛さには脱帽です。
「イギーは君に会いたいって言うから連れてきたんだけど、レオはちょっと相談にのってもらいたくて来たんだよ」
さすが天使の顔した悪魔ヘンリー王子。もうお二人とも愛称呼びです。そういえばイングリッド様は殿下の婚約者候補だったのですから、以前から面識があってもおかしくはありませんよね。
レオンハルト様の相談事はなんとなく予測できたので、先にイングリッド様からお話しましょうか。
「先日は助けていただいて、誠にありがとうございました」
私が視線を向けるのを待っていたようで、立ち上がったイングリッド様が深々と頭を下げられました。慌てて私も立ち上がったところで思い出します。この庇護欲をそそる上目遣い。パーティーで私が助けたご令嬢ですよ。
「いいえ、私こそお見苦しいところをお見せ致しました。お怪我はございませんでしたか?」
「ええ。おかげさまで、かすり傷程度で済みましたわ」
あれは考えなしに、反射で動いた結果ですからね。彼女に大きな怪我がなくてよかった。
しかしゲームではいつ頃、ヘンリー王子の暗殺に巻き込まれて亡くなる設定だったのでしょうか。そのあたりはあまり詳しく語られませんでしたので、わからないのですよね。容姿や技能習得に補正はあっても、シナリオに強制力はないようなので、この先も度々彼女が危険にさらされるわけではないと思いますが。
「カーラ様とお呼びしても?」
「ええ。イングリッド様」
イングリッド様が放つ後光スマイルにつられて微笑むと、いつの間に触れられたのか、彼女と手をつないだ状態であることに気が付きました。ほんのり頬を染められるイングリッド様。私たちの様子をじっと男性陣が見守っています。
ほう。どうやら私が本当に同性愛者なのか4人で試しているようですね。
「イングリッド様をお助けできて本当に幸運でした。しかし可能ならばこの美しい肌に傷がつく前に、お助けしとうございました」
「まあ・・・」
イングリッド様の手を胸の高さまで上げ、その甲に微かに残る赤い跡にそっと親指を這わせました。もったいぶる感じで。そして艶っぽく笑んで見せます。
殿下とアレクシス様が息を飲むのを感じました。思惑通りの反応です。これで私のユリ疑惑が加速したでしょうか。
無意識ににんまりするところだったのを、イングリッド様に着席を勧めることで誤魔化して、私もソファに腰掛けました。




