今度こそ何でもない日常を楽しみましょう!
昨日はあれから、屋敷に戻って着替えを済ませ、お茶をしていたところに、慌てた様子のアレクシス様が訪れました。
なんでも、大公閣下に「ミリアという女性を知っていますか」と、ド直球で訊ねたらしい。それとなく探る計画はどこへいったのですか。あ、ミリアはゲーム主人公の母の名です。
そうしたら物凄い剣幕で居場所を聞いてくる大公閣下に肩をつかまれて、驚いてそのまま逃げてきたとのことでした。
私の部屋を避難場所にするのはやめてください。
あーだこーだと話し合う二人を、耳を塞いで風魔法で口に入れたクッキーをもぐもぐしながらしばらく眺めていたら、殿下に口パクで「もう帰るね」と言われました。嬉々として立ち上がって、耳から手を放し、玄関まで丁重にお二人をお送りしましたよ。
「明日は兄上の婚約披露パーティーだから、会えないよ。ごめんね」
とか殿下に申し訳なさそうに言われましたけど。いえ。全く残念ではありません。
そんなわけで、今日は、今日こそは! まだデビュー前で両親しかパーティーに呼ばれていない、弟とお留守番組の今日こそは。何もない、何でもない日なのです!!
「おはよう、オニキス!」
パチッと目覚めて、オニキスをがばっと全身でホールドして、その目元や頭、耳等にちゅっちゅすると、ベッドを飛び降ります。窓の外を見て、天気を確認しました。
「今日もいい天気!」
伸びをしていたところにノックする音がして、チェリが入ってきました。
「おはようございます。カーラ様」
「チェリ、おはよう!」
そわそわしながらチェリが顔を洗う用のたらいを置くのを待ち、がしっと後ろから抱き着きます。少し驚いた顔をした後、振り向いたチェリはにっこり微笑みました。
「ご機嫌ですね」
「ええ、とっても!!」
機嫌がいい時って、無性にハグしたくなりませんか? 鼻歌を歌いながら鍛錬着に着替えて、応接室に向かいます。
「おはようございます。カーラ様」
「クラウド、おはよう!」
両手を広げてクラウドに走り寄ると、察してくれたクラウドが膝をついて手を広げました。感動の再会とばかりに、その胸に飛び込みます。少しもよろめくことなく、クラウドは抱きとめてくれました。
「ご機嫌ですね」
「ええ、かなり!!」
かなり機嫌のいい時の私の扱いに慣れているクラウドと、先ほどのチェリと似たようなやり取りをしてから、互いに背をぽんぽんと軽く叩き合い離れます。
次にクラウドの横にいたモリオンを、ぐわしっと両手で抱き上げました。
『おはようございますっす』
「モリオン、おはよう!」
むぎゅっと抱きしめて頬をすりすりしてから、モリオンを床に下ろし、廊下につながる扉へ向かいます。
『ぎゃあああああ! オニキス様! やめっ』
いつの間にかオニキスの口元にぶらさがっていたモリオンを開放して、庭に向かいました。
「お父様、おはようございます!」
「おはよう。ずいぶんご機嫌だね、カーラ。・・・あぁ、ヘンリー殿下が来ないからか」
鍛錬を終えて汗を拭く父は、納得したように頷くと私の頭を撫でて去っていきました。
いつも通りの朝の鍛錬を終えて、部屋へ戻ります。汗を吸った服を脱いで体を拭き、本日のチェリチョイスに着替えました。今日は春を感じさせる薄い黄色の、柔らかい素材のドレスでした。
ややぼさっとした髪をそのままに、応接室へ向かい、用意された姿見の前の椅子に座ります。
従者の服に着替えたクラウドが、嬉しそうに近づいてきました。そして鼻歌を歌いながら、私の髪をすいていきます。これは昨日の「留守番」のご褒美を要求されましたので、快く応じた結果です。
驚くほど早く髪が編み込まれ、まとめられ、左肩に流されました。
「ありがとう。クラウド」
満足げに頷くクラウドに礼を言って、食堂に向かいます。今日もまた一番乗りでした。次に父が来て、母と弟のルーカスが来ました。今日の恵みに感謝してからいただきます。
「ルーカス。もう夜更かしはやめなさい」
標準仕様のかったいパンを優雅にちぎっていると、父が目をこするルーカスに話しかけました。母がそうじゃなくて精霊に話しかけることをやめさせてください的に、父を睨んでいます。
「はい。ごめんなさい」
しゅんとするルーカス。かわゆす。
「カーラが最近、午後の鍛錬に来ないと心配してるぞ」
「ごめんなさい。おねえさま」
ちょ、父。なぜ、私に振るのですか。
あなたなら何とかできるかしら的に私を見る母。目をそらす父。うるうると私を見つめる弟。小声で何かとやり取りするオニキス。
『え・・・いや・・・我に聞くな・・・』
何やら相談を受けているようです。頑張って、オニキス。
「ルーカス。また一緒に鍛錬しましょうね」
「はい! おねえさま」
素直にうなずいて、ルーカスは食事を再開しました。
あぁぁぁ。午後の鍛錬にルーカスの参加が決定しました。今まで不定期だったのに。今日はお昼寝で不参加だとは思いますが。
テンション下降気味で食事を終えて部屋へ戻り、国境の町エンディアにある薬屋へ転移しました。
いつも通り忙しくなく暇でもない仕事をして薬屋を閉め、パン屋で売れ残りのパンをもらい、難民キャンプでパンと雑草を交換してダーブさんとお話ししてから、王都の自分の部屋に転移します。
「お帰りなさいませ。カーラ様」
「ただいま」
用意されていた昼食を、セバス族兄妹と共にいただきました。
さて。今日こそ、なんとなく形になりそうな、ミスリル作りでもしましょう。
『カーラ、集中できていないようだな』
うんうん唸りながらイメージをねる私に、オニキスが言いました。
そうなんですよ。今日は来ないとわかっているのに、金茶の髪が視界の端見える気がしてしまうのです。
『王子の気配はちゃんと王城にある。心配するな』
わかってはいるのですよ。わかってはいるのですが、今にもそこに悪魔が現れるような気がして、集中できないのです。これはかなり重症ですね。
「カーラ様・・・これは純金の短剣ですね。金は柔らかいので武器には向きません」
私の手元にあるのは悪趣味な金の短剣です。ため息をつきながら地面に置くと、すうっと消えました。私の失敗作の行先は、オニキスの異空間収納です。
オニキスさん、すいません。ありがとうございます。とりあえず金属だっただけでも、よしとしましょう。
鍛錬の後、第二王子の婚約披露パーティーに向かう両親を見送り、次はお勉強タイムです。しかし私に教えようという気概のある教師はなかなか見つからず、だいたい自習か、チェリ先生か、稀にクラウド先生です。あと、たまに母。
今日はチェリ先生のダンスレッスンの日です。お昼寝を終えたルーカスと練習します。
「おねえさまとだと、おどりやすいです!」
「ルーカスがすごいのですよ。もう私と踊れるなんて」
ゲーム補正なのか、ダンスはすぐ上達しました。悪役令嬢と、攻略対象がダンスできないのでは、恰好がつきませんからね。
特筆することもない夕食を終えて、入浴、就寝前のくつろぎタイムに入ります。
「今日は久々に何でもない一日でしたね」
『そうだな』
膝の上のオニキスの頭をもふもふしながら、ソファの背にもたれかかります。テトラディル領に帰るまで、あと7日。何事も起きなければ・・・というか、殿下たちがいらっしゃらなければ、私の日常が帰ってくるのですよ。
「帰るのが早まったりしませんかね」
ため息をつきながら、隣に伏せているオニキスに覆いかぶさるように体を倒しました。
あぁ、気持ちいい。寝るにはだいぶ早いですが、もう寝てしまいましょうか。目の前にあったオニキスの前脚を握って、肉球をさわさわします。肉球の間からこんにちはしている毛を触るのって、不思議に気持ちいいのですよ。
くすぐったいとかそういう感覚はないのか、オニキスはちらりと視線を向けただけで、されるがままでした。調子に乗って、もにもにします。
「癒される・・・」
『カーラ、寝るならベッドへ運ぶぞ?』
「まだ、だめです」
もうちょっともにもにしたいので、オニキスの背に顔をうずめて拒否します。
ベッドでオニキスとイチャコラするのは、なぜか最近、妙に意識してしまうので、避けたいのですよ。オオカミ犬の姿のオニキス相手に、何を意識するのかと聞かれても困るのですが、とにかく気恥ずかしいのです。
『・・・』
「オニキス?」
一瞬、オニキスの毛が逆立った気がして、体を起こします。
オニキスも体を起こして、ソファの上にお座りの姿勢になりました。ソファに腰かけた私より高い位置に、オニキスの頭があります。その新月の夜空のように暗く、深い闇色の瞳で見下ろされました。
目の前には、オニキスの黒々とした鼻先。
犬の鼻って、どんな味がすると思います?
『っ! なっ!』
どこぞの動物研究家よろしく、パクペロっとオニキスの鼻を口に入れて舐めてみました。オニキスが全身の毛を逆立てて、飛び上がり、ソファの背の向こうに着地します。
ちえ。何の味もしませんでした。オニキスはそこまで犬をコピーしていないようです。
「ぶっ・・・くくくっ・・・くく!」
クラウドが両手で口元を押さえて、肩をわななかせています。目元に涙までにじませて、隠しきれなかった声を漏らしながら笑っていました。茫然としていたオニキスの頭が、ゆっくりとそちらを向きます。
『ク~ラ~ウ~ド~!!』
いつもの喧嘩が勃発するかと思いきや、笑いが止まらなかったクラウドが、あっさりとオニキスにマウントを取られてしまいました。相変わらず両手で口元を押さえたまま、うつぶせに寝転ぶクラウドの背で、オニキスが飛び跳ねています。精霊って重みを感じないので、あれをやってもノーダメージだと思うのですが。
「す、すいませっ・・・ぶっくく」
謝る気があるんだか、ないんだか。笑い続けるクラウドの背を踏んでいたオニキスが、周りをうろうろしていたモリオンに目を止めました。
『・・・笑ったな?』
『ぎゃあああああああ!!!!』
逃げる間もなく、オニキスの口にぷらーんとぶら下げられるモリオン。
『うっ・・・うぅっ・・・申し訳ないっす』
笑ったんですね。
どこから見えていたのか、チェリがふうっとため息をつきながら、お茶のお代わりをくれました。
「ありがとう、チェリ」
温かそうな紅茶に手をのばしかけた時、オニキスが傍らに転移してきました。その視線は、窓の外に向いています。
「どうし・・・」
『来た!』
オニキスが覆いかぶさっていても感じるほどの、眩い光。刺すような眩しさに、目を開けることもできません。
『あの娘の所か。ずいぶん大きな真白が来たな』
光が収まっても目の前がチカチカする中、オニキスがつぶやきました。
ましろ・・・光・・・光の精霊! ゲーム主人公!! 彼女が光の精霊を呼び出すのは、もっと後のはずなのに。
どうやら、またシナリオが変わってしまったようです。
皆が寝静まった頃
オニキス『・・・』鼻ペロペロ