続々・残滓の浴(後)
再び黙り込み、褐色の女は無言の圧力でもって美女と男を湯船の中へ誘導する。付近に美女が体を預けるのにちょうどいい形の岩があるらしく、そこまで連れて行ってようやく満足したらしい褐色の女が、ほっと息を吐いた2人に淡々と言った。
「仲がよろしい事は結構なのですが、持続時間・・・おっと。これは善し悪しが受ける側によって違うので、ノータッチだとしてもですね。せめて回数と体位は改善していただきますよ」
「た、体位っ?!」
「成程。ベラ、具体的に教え―――」
「ラーナ?! 聞いておく! 俺が後で聞いておくから、今その話題は止めてくれ!」
邪にもつい相手との情事を思い浮かべてしまった男が、慌てて美女の耳を塞ごうとする。その手を寸でのところで掴んで妨害した褐色の女が、全身に殺気を纏わせて男を睨んだ。
「不用意に触れるな。ちょっとした刺激がラーナ様の弱った腰に響く」
「・・・はい。」
男の手から力が抜け、湯の中へ小さな音を立ててから沈む。褐色の女は小さくため息を吐くと、男から離れて美女の傍らへ控えた。
そのやり取りを苦笑しながら見ていた美女が、慰めるように大人しくなった男の腕に触れた。
「しかしベラがこの入浴施設を建てると言った時は、正気を疑ったが・・・こうも面白いくらいに死亡率が下がり、婚姻率と出生率が上がるとは思わなかった」
どうやらこの混浴施設は温浴による基礎代謝向上で免疫力を強化するとともに、男女へ出会いの場を提供しつつ、異性に触れる事への抵抗感を軽減する目的の物らしい。人口が増えないと作り手不足の為に生産性も上がらないし、いつまでもこの北の帝国領内共通となっているじり貧状態から抜け出せないからだろう。
しかし、随分と力技な人口増加推進策だな。
「知ってるか? 浮気による離婚率も上がったんだぞ」
「浮気するヤツは混浴施設なんかなくても、隙あらばしますよ。この温泉のせいではありません」
意地の悪い事を指摘する男に対し、褐色の女は吐き捨てるように反論した。女の中に渦巻く負の感情からして、経験者であるようだな。された方の。
「なぁ、腰を少し揉んでもらえないだろうか。楽になる気がする」
「はい。ラーナ様」
険悪な雰囲気になりつつあるのを気にした美女が、話題を変えるために褐色の女へ依頼した。それに女が返答をしたことで、男女の間にあった一触即発の緊張感が霧散する。
素直に従いかけた褐色の女は、にいっと2人に見えない位置で口角を上げると、次の瞬間には真面目腐った表情を作って、男へ話しかけた。
「ギデオン。ラーナ様を岩に押し付ける。そんな痛々しい姿勢をさせるなんて事が許されると思いますか?」
「え? いや。思わないが・・・」
「そうでしょう! そうでしょうとも! 貴方、そこの岩へもたれかかりなさい」
「あ、あぁ。わかった」
男が言われるままの体勢になったところへ、褐色の女が美女を誘う。そして男の胸元へもたれかからせて、美女を正面から抱き込むようにして男に支えさせた。
「悪いな。ギデオン」
「ラーナの為なら・・・って、待て! ベラ! 俺が悪―――」
「参ります」
「んっ・・・んう・・・んっんっあぁっ! ぅんっ・・・くはぁん・・・んんっ」
状況的には褐色の女が美女の腰を揉んでいるだけなのだが、音声だけだと非常にいかがわしい事をしているように聞こえるな。ついでに褐色の女の手技は確からしく、美女から意図せず漏れる吐息がさらに艶めかしさを増強している。
妙な空間が出来上がっていくのをただ傍観していたら、つい先程まで丁度いい岩に腰かけながら大人しく湯につかっていたはずのカーラが、目から上だけ水面に出した状態まで沈んでぶくぶくしていた。
クラウドは平然としているが・・・カーラにしか反応しないというのも不憫な奴だな。
そんなクラウドは、鼻まで湯につかっているカーラがのぼせやしないかと気にして、ちらちらと目をやっている。その視線と対岸で繰り広げられるいかがわしい音声劇に煽られたのか、カーラがいたたまれない空気を漂わせ始めた。
そしてカーラが居たたまれない空気の濃度を上げるに比例して、褐色の女と美女のやり取りはヒートアップしていく。
「ここが、ラーナ様の、いいところ、ですね?」
「あっあっ・・・いいっ・・・そこいいっ! あはぁぁぁあぅ・・・」
恍惚とした表情の美女に縋りつかれている男はすでに涙目だ。その腰が引けているところに哀愁を感じる。
時折、呼吸の為に中断しつつもずっとぶくぶく言っていたカーラが、男と美女のどちらを気の毒に思ったのかはわからない。彼女は男のもたれかかっている岩まで影を伝わせ、それに「接した温水は痛みを感じる状態異常を根本から解除する」効果を付与した。
「何者?!」
察知した褐色の女の視線がこちらを捕らえる前に、私はカーラとクラウドを絶海の孤島まで転移させる。脱衣所に脱いだ服は異空間収納へ回収済みだ。私に抜かりはない。
持ってきてしまった「湯浴衣」は、後で返しに行くとしよう。
「し、心身ともにのぼせましたね・・・」
顔どころか全身を赤くしたカーラが、よろよろと歩み寄った籐素材のデッキチェアへ倒れ込み、そのままの勢いで横たわる。そして着用したままの「湯浴衣」から水分を飛ばすと、着替えもせずにぐったりと目を閉じた。
水上コテージのテラスへ転移してすぐ室内へ入っていったクラウドはというと、そう間を置かずに戻ってきて、カーラが寝転ぶデッキチェア近くのローテーブルへ氷の浮かぶ紅茶を置いた。
こちらへ来てからのお仕着せと化している半袖白シャツに黒のベストと黒のパンツという服装へ、すでに着替え終えている上、なんとなくすっきりして見えるのだが・・・「湯浴衣」は自分で洗濯してから持って来い。
私はカーラの影から出て、その頭の方へ移動しながらクラウドを睨みつける。そして寝そべってから周囲に微細な氷を発生させて自分へ纏わせれば、冷たさを求めたカーラが私の腹へ頭を乗せてきた。
「あぁ・・・気持ちがいい」
すりすりと目を閉じてカーラが私の腹へ頬を擦り付ける姿を、ローテーブルへ紅茶を置いた時の、膝を付いた姿勢のままでクラウドが見ている。その羨望に満ちた視線に、優越感に浸った目でかえしてやったら、くっと下唇を噛んで悔しそうに顔をそらした。
羨ましかろう? お前はこうも気安く触れてもらえないからなぁ。
カーラの足の方へ顔を背けて歯噛みするクラウドは、横たわったまま動かないカーラを心配してか、その場から離れない。ちらりとこちらを見ては歯がみする様子に、笑いが込み上げて、それを耐えたら精神に引きずられた犬の尾が勝手にゆらゆらと揺らめいた。
太陽が徐々に水平線へ近く傾いて行き、夜の冷気を含んだ海風が火照ったカーラの体を冷やしていく。微かになびくカーラの黒髪を眺めていたら、その紫紺の瞳が薄く開いた。
「ねぇ、クラウド」
名を呼ばれたクラウドが、何事もなかったかのようにそれまでの表情を消し、すました顔でカーラへ向き直る。
「はい。カーラ様」
床へついていた片膝を入れ替えるようにして、クラウドはカーラの側近くへ進み出て再び跪く。その従者然としたたたずまいに反して、命令を待つ犬―――というよりかは序列順に獲物へ食らいつく習性の肉食獣が順番を待っている感じの、ぎらぎらしている茜色の瞳に真直ぐ見つめられたカーラは、再び目を閉じて震える声で言った。
「あの・・・あの、ね? 私でもよかったら、なのですが・・・」
そこでちらっとクラウドを見て、相変わらずの視線の強さに怯んだカーラが目を伏せる。そしてやっと火照りの去った頬を再び朱に染めて、小さく続けた。
「その・・・男の人って、本能と言うか生理現象というか―――が、あるでしょ? だから、ね? クラウド。あの・・・・・・・・・いいよ?」
ぎゅっと「湯浴衣」の胸元を握ったカーラが、意を決したように赤い顔でクラウドを見上げる。
その扇情的な視線に動揺したクラウドが目線を横へずらす。すると図らずも、存在を主張する双丘の見事なまでに切り立った谷間が目に入り、さらに慌てたクラウドは顔ごと背ける。その先にあったカーラの太ももが、もじもじとすり合わされるのを見てしまって、ついにクラウドは両手で口元を覆った。
いけないと思いつつも邪な妄想が浮かんでしまい、息も絶え絶えなクラウドに、カーラが止めを刺した。
「遠慮なく言ってくれれば、花街まで送りますから」
「・・・・・・・・・・・・」
『・・・・・・・・・・・・ぶっくくくっ! あはははははははははははは!!!』
もし! たとえ、クラウドが妄想した通りの展開があったとして、それをこの私が! カーラの思考を覗き見ることができるこの私が、黙って見ていると思うか?!
否! 断じて、これっぽっちも、あり得るわけが無かろう!
これだけ笑えば怒り狂ったクラウドに攻撃されると予想していたのだが、思ったよりも精神に痛手を受けたらしい。クラウドは口元を両手で押さえたまま、がっくりと肩を落としていた。
ひぃひぃ言いながら笑い続ける私から、カーラが身を起こして頭を退ける。そして上半身を両手で支えた姿勢で、寝そべって笑い、痙攣する私と、褐色の肌を赤面しているとはっきり分かるほどに赤く染めたクラウドを交互に見た。
「あの・・・」
何か言いかけたカーラを、クラウドが首を横へ振って制止する。そしてくぐもった声で、きっぱりと言い切った。
「結構です。十分な恩恵を受けています。」
爆発すると厄介だから、おかずにする程度は見逃すか。
そう思った刹那、クラウドの思考によぎった許容範囲外に邪な妄想を読み取り、私は迷わず蹴りを繰り出したのだった。
そして避けたクラウドとオニキスの大乱闘が繰り広げられるまでが日常。
お読みいただき、ありがとうございました!




