続々・残滓の浴(中)
北の帝国、グレイジャーランドの主従3人が出てきます。
気になった方は「白雪帝と7人の個性的な人々」を読んでみてやってください。
読まなくてもわかるようには書いています。
「あ。」
『・・・・・・はっ?!』
「・・・・・・っ?!」
反射的に愛しい者の声がした方を見れば、そこにはカーラがいた。長い黒髪をひとつに纏めて結い上げ、上は胸の中程から、下は膝が見える辺りまでを覆う「湯浴衣」に身を包んだ姿の。
建物の壁続きに存在すると思っていた、隔たりはない。
「え?! なんでっ?! は?!」
動揺したクラウドが後退りながら、口元を手で覆う。そのまま下がり続けるのを何気なく見ていたら、突如として姿を消してしまった。
「クラウド?!」
すぐに水しぶきが上がり、慌てて近寄りかけていたカーラが足を止める。そしてどうやら浴槽に落ちただけらしいと思い至って、深いため息をついた。
「もう。入浴前にかけ湯をするのが、マナーですよ」
そう言ってクラウドの周囲のものと思われる湯を、掌へ集めだした。
それがやや赤みを帯びている事に、カーラは気付いていない。指摘してクラウドを遠ざけさせようかとも考えたが、返り討ちにあって共倒れする危険性の方が高い。いつかの切り札にしようと、思い留まった。
「大丈夫ですか?」
「はい。思ったより水深のある造りですので、怪我はありません」
カーラが無造作に排水溝の方へと放った水球をこっそり異空間収納へ回収して、浴槽内に立ち上がったクラウドを彼女と同じように見下ろす。何事も無かったかのようにすまして立つ、長身なクラウドの臍上あたりまで湯につかっていることからして、カーラの記憶にある温泉施設よりも水深があるようだ。
そしてかがり火にぼんやりと浮かび上がる湯船の縁は、大きな岩を重ねて造ってあるのだが、かなり遠い所にある。まるでカーラの記憶の中でしか見た事の無い「ぷぅる」のような広さだ。
微かに見える対岸には今出てきた建物と同様の物があり、そこからある程度離れた場所等にもいくつか見えることから、何か所も出入り口が作られていることがわかる。
しかも警備らしい警備などないということはつまり、大衆に開かれた誰でも利用できる施設なのだと理解した。
ついでに混浴。
この世界において、男女が共に入浴するなど夫婦、もしくはそのような商売に就いている場合を除いてはあり得なかったはずだ。これを造った者は、何を考えていたのだろうか。
「うううっ! 寒い! 私も入ります!」
混浴である事に怯みはしたものの、寒さに負けたカーラはそう宣言し、かけ湯をした後、足早に浴槽へ入り込んだ。
「はぁぁぁぁぁ・・・あったかぁい・・・」
彼女は深くゆっくりした呼吸を繰り返すと、首まで湯につかり、頭だけ出した状態ですーっと泳ぐようにして移動し始める。その姿を直視しないようにしながら、クラウドが後に続いた。
夜目が利き過ぎるのも困りものだな。
私はふんすと息を吐いてからカーラの進行方向へ転移して先回りをする。水面に立った時、危険があるほどではないが先程より水温が高い事に気が付いた。
『カーラ。こちらへ来るほど、水温が上がるようだぞ』
「あ、本当ですね。さっきより熱い」
足を止めたカーラが顔を上げて、目前の陸上に暗闇の中、うっすらと浮かび上がる影に目を凝らす。
混浴施設であるという事を察知できなかったのは、事前の調査を怠ったが故の失態である。無自覚な平和ぼけというものは恐ろしいな。
私はそれを挽回する目的も込めて念入りに、それなりに大きさがある施設を探った。
『ずっと奥に間欠泉がある。そこから管がいくつかに分岐していて、生き物を飼っている建物もあるな。目前のこれは、温泉の蒸気を利用して食物を蒸すための調理施設だ。その湯がこの浴場へ流れ込んでいる』
「おぉ! 温泉で蒸した野菜とか、美味しそうですね!」
『別の場所には、温泉に食物を直接浸けて茹でる施設もあるようだ』
「お、温泉卵?!」
こくり。とカーラが喉を鳴らして、察したクラウドが私を見た。きっとその「温泉卵」というものを調達してくるつもりで、その間、私にカーラの護衛を任せようと言うのだろう。
しかし夜の始めとは言え、日が暮れてからそれなりに時間が経っている。その施設には人の気配がないが、どうやって調達するつもりなのか。
・・・まぁ、クラウドだしな。
すぐにどうでもよくなった私が許可を出す前に、対岸に他者の気配を感じたクラウドがカーラを自分の背へ隠した。
カーラは母国の王子達による情報操作で、今や神格化されてしまっているからな。認識阻害をかけてもこの場で騒ぎにならないだけで、広まりきった「黒慈の女神」の特徴である「黒髪」が記憶に残り、ここを訪れた事が明るみになってしまうだろう。
そうなると「狂乱」から目をつけられることは必至。
せっかくカーラが気に入りかけたこの施設を、二度と使えなくなってしまう恐れがある。彼女の新たなる癒しを、早々に潰してしまうような事態は避けたい。
どうせこの薄ぼんやりとしか各々が判別できない闇の中では、たとえ不意に実体化してしまったとしても見えはしないとは思うのだが、「黒慈の女神」は黒い犬を眷族として連れている事になっている。私は念の為、カーラの影へと溶け込んで姿を隠す事にした。
カーラとクラウドは見つからない様に首まで湯につかり、気配を消して元の脱衣所の方へと静かに移動していく。精神下で『転移を使用して逃げるか』とカーラに問いかけたら、こちらも精神下で「まだ気付かれていないし、もう少し湯につかっていたい」と返された。
それをモリオン伝いにクラウドへも知らせて、私達は脱衣所に近く、またかがり火の影にもなっている位置へ留まって息を殺した。
そんな私達に気付いていない、対岸にある気配は3人分。そのうちの1人は女性で、苔色の髪に褐色の肌をしている。
ついでに瞳の色も探り見ようとして、中断した。人の身でわかるはずがない私の気配に、気付きかけたようなそぶりを見せたからだ。
瞳が茜色であれば、クラウドと同じセバス族である。そうであればその身体能力の高さからして、私の存在に気付く可能性が無くもない。無理をして確かめるほど重要ではないと判断して、私はカーラの影の中から様子を窺うだけに止めた。
影に沿って進めた私の体の一部を察知しかけ、ほんの少しの間周囲を探るようにしていた褐色の女は、連れを気遣う声をかけつつ、その体を支えて再び動き出した。
「ゆっくり、ゆっくりですよ」
「あ、あぁ。わかっている」
そろそろと歩く、支えられている方も女性。
こちらはこの地域に多い雪のような白い肌をしていて、長い銀紫の髪を緩く結い上げていた。その姿を薄闇の中に目を凝らし見たカーラが、息を飲んで精神下で「美女!」を連呼している。
3人目は―――と、周囲を探りかけた時、男性の声がした。
「だ、大丈夫か? そこ段差に気を付けて! 俺も支えようか? ここは滑るぞ! 一歩ずつ、一歩ずつ・・・なぁ、もういっそ、抱き上げた方が―――」
「五月蠅い。黙れ、元凶。傷はもう癒えているとはいえ、産後の体に腰が抜けるほどの無理をさせたのは貴方ですよ、ギテオン。体力馬鹿な貴方と陛―――ラーナ様の力の差を考えて加減なさい」
「め、面目無い・・・」
女性2人の周りをうろうろしていた男が、うなだれて静かになる。褐色の女はそれを無視して進もうとし、美女は男を気にした様子で、そちらを何度も振り返りながら口を開いた。
「ベラ。そう、ギデオンばかりを責めるな。久しぶりだからと、調子に乗って求めた私もいけなかったのだ」
「ラーナ! 君は悪くなんかない。求められて箍を外した俺がいけないんだ」
「しかし―――」
互いにかばい合う男女を半眼で見つめた褐色の女は、目線だけで男を自分の近くへ呼び寄せる。それに従った男と自分を入れ替えて美女を支えさせ、無言で離れたかと思えば、さっと自分にかけ湯をし、速攻で男へたたきつけるようにして湯を浴びせて、次に丁寧に美女へ湯をかけた。
「愛の確認作業はそのくらいにして、かがり火が燃え尽きる前に入浴を済ませますよ」
続きは明日。




