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後悔先に立たずと思い知りましょう!




 温かい―――けれど硬い。

 心地よさで言えば硬度に問題がある寝床だな・・・と、ぼんやり考えながら、重たいまぶたを押し上げて目を開きました。途端に入ってきたのは、夜空に目が痛くなるほど密に散らばった数多あまたの星々。そして爛々(らんらん)と輝く2つの茜色でした。


「ひぃっ」


 殺気立ったそれから反射的に逃れようとして、体が動かないことに焦ります。状況を把握するために視線を下げた所で、ようやく茜色の瞳の主であるクラウドが、私を抱きすくめていることに気付きました。


「・・・放してください。クラウド」

「・・・」


 フルフルと横へ首を振ったクラウドは、巻き付けるように私の体へ回している彼の腕を、解くどころか逆に強く締めつけてきます。安堵の息を吐きながら、周囲へ殺気をまき散らしている姿はとても異様で、まるで外敵から巣を守る親鳥のようです。

 では私は、温められつつ孵化を待つ卵ですかね。抱く力が強すぎて今にも割れそうですけれど。


 クラウドがまた何かこじらせているようなので、私は体の自由を諦め、何故こうして砂漠のど真ん中のオアシスで、クラウドに拘束されているのか思い出すことにしました。

 確か、別館の前庭でクラウドと踊っていたところを、光の精霊に寄生されている治癒術師、使徒たちに襲われて、彼に逃がされて、それで―――。

 そう。彼の痛みに触れて。そして何故だか彼の名前と、姿が思い出せなかったのです。


 もう一度、意識を繋げようとして、愕然としました。

 彼の気配が追えません。


 いえ。追えてはいるのですが、そこかしこから。果ては学園の方からも気配を感じるせいで、居場所がつかめません。

 意識も触れられるのですが、ひどく希薄で、痛みどころか何の反応も返ってきませんでした。


「どうして・・・どうなっているの・・・」


 私はちゃんと覚えています。彼の名前と姿以外の全てを。

 彼に名付けた時の驚きも、彼の実体に触れた時の喜びも。彼との何気ないやりとりさえも、しっかり覚えています。それなのに、なぜ名前が、姿が思い出せないのでしょうか。


 まさか・・・と考えかけて、即座に否定します。もし、万が一そうだとしたら、私の髪色が変わっているはずです。

 

 でも。

 だとしたら。

 どうして彼は現れないのでしょうか?

 私が呼ばないから?

 

 今すぐ彼の名を呼びたい。

 叫んだっていい。

 けれど思い出せません。


 どうして?

 どうして?! どうしたらいいの?!


 彼は・・・もういないの?

 気配は感じるのに?

 だから名前が思い出せないの?

 契約つながりは感じるのに?

 

 嫌だ。

 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ!!

 

 そんなはずない!

 だって彼はずっと共にあると言ってくれた!

 

 では、今。どうしていないの?

 

 

 

 答えのない、答える者のいない疑問がグルグルと頭の中を回ります。焦れば焦るほど考えは同じところを巡り、次第に絶望が深くなっていく―――。

 前世まえのように。


 私は前世から何も学んでいないではないか。

 いったい、何を躊躇していたのだろう。

 彼が人ではないことが、精霊であることが、何の障害になるというのか。


 なのに私はまた逃げた。


 自分が傷つく事を怖れて。

 もっともらしい理由にしがみついて。

 与えられることに甘んじて。

 彼の気持ちを流して。

 その眼差しを無視して。

 そのくせ手離すことをしなかった。


 なんて傲慢で身勝手なのだろう。


 手離せないのなら、

 眼差しに心乱されるのなら、

 気持ちに応えたくなるのなら、


 ただ浮かんだままに、

 心のままに、

 

 「愛している」と、そう返せばよかっただけなのに。




「そんな・・・私・・・また・・・」


 馬鹿だ。

 どれ程に深く悔いても、繰り返し絶望しても、過去は返らないと学んだはずなのに。


 やり直したい。・・・やり直せない。

 戻りたい。・・・戻れない。

 

 くだらない、終わりのない、堂々巡りの後に行き着いた。

 もうダメだ。

 またダメだった。

 

 そう、自覚した途端。心が静かになりました。

 

 

 

 そうか。また、終わらせてしまえばいいんだ。


 

 

 人が1人居なくなったところで、明けない夜はないし、世界は変わらず回ります。

 好いた人の自死を消化しきれず、惰性でただ淡々と毎日を生きた前世まえがそうだったように。


 居なくなったことを嘆き悲しむ人がいても、その傷は時と共に薄れ、癒されていきます。

 前世では2次元へ逃げ、今世では他者を遠ざけ続けた私が今、彼を愛しているように。


 だから―――。



「カーラ様! カーラ様!!」

「ぐぅぇ」

 

 息がつまり、肺から無理に空気が押し出される感覚で、現実へ戻されました。

 

 いつの間にか夜空へ向けていた視線を、私は再び体の拘束元へと戻します。息苦しいほどに私を強く抱いているクラウドは、私よりもかなり取り乱していて、その真剣かつ狂気を孕んだ瞳に鳥肌が立ちました。

 蛇に睨まれたカエルの気分で、無表情なのに瞳だけギラギラしているクラウドが、ハンカチで私の涙を拭くのを受け入れます。そういえばいつから私は泣いていたのでしょうか。

 

 いけない。いけない。

 まだ彼が消えてしまったと決まったわけでもないのに、弱気になりすぎました。それに私が終われば、確実にクラウドも追ってきてしまうでしょう。必然的にモリオンも。

 それではあまりにも不憫すぎます。モリオンが。

 

「そうだ! モリオン!」

『はいっす!』

 

 意識を失う前、確実に潰していた精霊の名を呼ぶと、愛らしい黒柴もどきがクラウドの影からぴょこりと首を出しました。無事な姿に安堵するとともに、その耳が盛大に垂れている事に気が付きます。

 まるで何かに怯えているかのように。


「モリオン?」


 私の呼びかけにびくりとしたモリオンが、すーっと影に鼻まで沈みました。

 

『あの・・・カーラ様・・・非常に言いづらいっすけど・・・』

「はい」


 返事をして先を促すと、モリオンがまたすーっと沈んで目から上だけの状態になりました。


『あの・・・深淵しんえん様・・・えっと・・・主の主の黒様は・・・』

「はい」


 また返事をして先を催促すると、モリオンが目をそらします。そしてぎゅっと目をつむり、勢いに任せるように言いました。


『カーラ様の影へ戻ってるっす!』

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・え?」

 

 

 なん・・・だと?

 驚愕のあまりに自分の声が低くなったのがわかります。それに怯えてしまったらしいモリオンが、ついにクラウドの影の中へ戻ってしまいました。

 

 なんということでしょう。あの、てんぱってこっぱずかしい事を延々と考えていた間、彼はすでに私の影の中にいたなんて!

 思考を読むことに全く悪気も躊躇もない彼の事ですから、全部しっかりはっきり読んでいたと思います。

 やだもう何と言う羞恥プレイ。


 ひとり脳内で悶えていたら、モリオンがまた影から頭を出してきました。


『ただ・・・ちょっと様子がおかしいっす。僕の知る主の主の黒様だったら、カーラ様が落ち込んでいるのにつけ込む・・・じゃなくって! 慰めるためにすぐ現れて、主を蹴散らすはずなんっす!』


 確かに。いつもの彼ならクラウドが馴れ馴れしいことをすると、『従者の分際で不敬な!』とか言って、容赦ない教育的指導をするため、すでに大乱闘が勃発しているはずです。

 再び不安が襲ってきたところで急にクラウドが私を抱き上げ、それまでいた所から飛び退きました。


「な、なに?」


 飛び退いた所、私の影があった場所には、黒い何か・・・淀みのような黒い塊がウネウネと蠢いています。

 ま、まさか・・・彼?


「クラウド! 離しなさい!」


 こんな不定形だっただろうかと疑問に思いつつ、私の影から出てきた以上は彼に違いないと、相変わらず私を拘束しているクラウドの腕から逃れようともがきます。すると更に強く締め付けてきたので、目の前にあった首へ噛み付いてやりました。


「ひぅっ!」


 やや拘束する力が弱まりましたので、もっと歯を立てようとして、流血沙汰にするのはやり過ぎかと思い止まります。ならばと、武闘大会でのヘンリー殿下にならい、噛み跡をベロリと舐め上げてみました。


「っ?!」


 私もそうだったように、屈辱のあまり叫びそうになったのでしょう。クラウドが片手で口元を押さえました。

 私はこれ幸いと拘束から抜け出します。


「あの・・・あのっ!」


 名前がわからなくて呼びかけられない!

 黒い塊の前へ跪き、触れようと両手を伸ばします。ウネウネしている淀みのようなものは逃げる様子もないので、そっと指先でつついてみました。


「・・・柔らかい」


 ネバネバしていそうなそれは思いのほか柔らかく、サラサラしていてマシュマロのような触感です。

 思いきって抱きついてみたら、くぐもった笑い声がしました。


『くくく・・・名も姿も、己の記憶を消されようとも歓迎してくれるとは。契約とはかくも羨ましいものなのか』


シリアスを引っ張るのは苦手

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