借りを返しましょう!
「カム。俺は気に病むな、と言った。これは俺のためにしている事であって、君のためにしているわけではない」
私の考えなしな行動の結果だというのに、謝罪する事さえ許されませんでした。でも、それも当然かもしれません。謝って済むようなことではありませんし。
謝罪を断られては頭を下げることもできず、私はアレクシス様を見つめ続けました。アレクシス様は時折、目をそらすものの、すぐに私へ視線を戻します。
沈黙が支配する中、泣くのは卑怯だと耐えていた涙が、ついに私の頬を伝いました。
「カム・・・」
それを見たアレクシス様の眉間に皺が寄ります。元凶であり、責められる立場である者が涙を流すなんて、不快でしかないでしょう。
私が顔を背けかけたのを、アレクシス様の手が私の顎を掴むことで阻みます。予想外の行動に反応が遅れ、気付いた時には、涙を吸い取るようにして、アレクシス様の唇が私の頬に触れていました。
「・・・え?」
「泣かないでくれ。君にそんな顔をされたら、抑えきれなくなる」
私の顔を見ないようにとでもいうのか、今度は私の頭をその胸に押さえつけるようにして抱きしめてくる、アレクシス様。
何が起こっているのか理解できなくて、されるがままになっていると、次第に私を抱きしめる腕の力が強くなっていきます。苦しくなって顔を横へ向けたら、自然にアレクシス様の胸へ耳を付ける形になりました。その鼓動が早鐘のように鳴っているのが聞こえます。
「アレクシス様?」
私の事が怖くて仕方がないのに、慰めようとしてくれているのでしょうか。
どこまでもお優しいアレクシス様に感動し、ほうっと体の力を抜きます。するとアレクシス様の胸へ預けている私の頭に、何かが触れて、ちゅっと音がしました。
・・・あれ?
「好きだ。君が好きなんだ。カム」
驚いて顔を上げたら、今度は額へキスを落とされました。
さらなる驚きで涙が一瞬にして引っ込みます。おそらく唖然としているだろう私の額へ、何度もアレクシス様が口づけてきました。
と、そこで唐突に蘇るゲームの記憶。
それはツンデレ属性のアレクシス・トリステン公爵令息が、デレ切ったときの態度。つまり・・・好感度MAXの状態で二人きりになると、キス魔に変貌するというものでした。
ゲームではキス音をバックにしたスチル1枚だったので、「クール系の容姿でキス魔か。ギャップ萌えぇ」で済みましたが、現実で、しかも当事者となると突っ込みどころが満載ですよ!
「ちょっ・・・あの、アレクシス様?!」
ひたすらチュッチュしてくるアレクシス様の腕が、しっかりがっちり私の腕ごと体を抱き込んでいるために、身動きが取れません。顔を背けても、場所が額から目元やこめかみに変わるだけで、キスの雨から逃れられませんでした。
焦る頭で対処法を考えます。
こういう時はえっと・・・・・・金的? 却下! 却下ですよ!!
はっ! 脛を蹴る・・・のは痛そう。暴力的な行動は最終手段で。
あぁっ! 万歳すれば・・・って、肘を押さえられているときは・・・えっと・・・まず肘を曲げるんでしたっけ。
顔をアレクシス様の胸に押し付けるようにして防御し、頭頂部へ柔らかいものが触れるのを感じながら、肘を曲げます。こうすると拘束している腕に隙間ができるので、そこから万歳をしつつしゃがみ込み、アレクシス様の拘束から逃れました。
さらに後ろへ跳んで距離を取り、身構えます。
名残惜しそうになんとなく口角が下がった感じだったアレクシス様が、私と目が合ったとたん、今まで見たことがないくらいに大きく目を見開いてうろたえました。
「ちがっ」
「・・・違う?」
えっと、どのあたりに対する否定ですかね?
あぁ!! 当然「好きだ」という件ですよね?! やはり私へ気を使いすぎて、つい自分の気持ちと正反対のことを言ってしまっただけなんですね?
ぎりっと音がするほど拳を握ったアレクシス様が、困惑しきりの私をまっすぐに見ます。しかし彼は何度か口を開けるものの、なかなか言葉を発しません。そのまま暫く、私たちは見つめ合いました。
普段ならばもう、彼が目をそらしている頃です。そう無理に恐怖を抑え込むことないのに。
先程の振る舞いも恐怖が振り切れた結果だったのだろうと、労いを込めて微笑みかけます。すると視線を合わせたまま、アレクシス様が口を開きました。
「違わない。・・・好きだ! カム! ずっと前から!!」
勢いに任せた発言だったのか、初めて聞いたアレクシス様の大声に、つい体を引きます。私は相変わらず構えたまま、浮かんだ疑問をそのまま口にしました。
「・・・え? でもアレクシス様、いつも私から目をそらされますよね? 私の事を怖がってみえると」
「俺はカムを怖がってなどいない!!」
言葉を被せながらの力強い否定に、ついに私は後ずさりました。そして私を追うようにアレクシス様が近づいてきます。ジリジリと後退する私と、大股で距離を詰める、アレクシス様。
ついに私の背が演習場の壁へ触れた時、アレクシス様は息が触れそうなほど近くにいました。横へ逃げようとしたのを、アレクシス様が壁に両手を付いて阻みます。
「壁ドン」キター!! と、現実逃避気味な感動をしていたら、眉を少しひそめた、たぶん苦し気な表情のアレクシス様がいつもの声のトーンで言いました。
「・・・その・・・君と目が合うと、激しい動悸に襲われて・・・苦しくなって・・・どうしていいのかわからないくらいに、こう・・・胸の中がいっぱいになって・・・触れたくなって―――キスしたくなる」
「・・・」
ドン引きはしませんでしたが、クールなはずのアレクシス様の頭の中が、思ったより思春期の少年寄りなことに、驚きのあまりに絶句します。
動きを止めた私の態度を容認ととったのか、アレクシス様が片手を壁から離し、私の頬に触れました。
「カム。触れてもいいか?」
もう触っとるやないかーい!
頭の中で盛大に突っ込みつつ、首を横へ振ります。
「ダ、ダメです!」
私が頭を動かした事によって、アレクシス様の手が頬から離れます。それにほっとしたのもつかの間、今度は両手で挟み込むように、がっと顎を固定されました。
そのままアレクシス様の方を向かされます。
「キス、してもいいか?」
「いやいやいやいやいや! 何を言ってるんですか?! ご自分が今、何をしようとしているのか、分かってるんですか?!」
間髪入れずに拒否した上に、突っ込みを入れたというのに、徐々に顔を寄せてくる、アレクシス様。
拒否権は無いんかーい! てか、聞く気がないなら、なんで聞いたんですか?!
最高潮に焦りつつ、アレクシス様の手を掴んではがそうとしましたが、男女の力の差は無情なもので、びくともしません。足の力を抜いてしゃがみ込もうともしてみましたが、彼に抑え込まれている首でぶら下がってしまう始末。
もう金的か?! 金的するしかないのか?!
しかし服越しとはいえ、異性の股間に触れると考えただけで、鳥肌が立ちます。その嫌悪感と、もう唇が触れてしまうという焦燥のままに、つい転移してしまいました。
「カム?!」
突然、私の姿が消えたことで、アレクシス様が慌てふためきながら辺りを見回し、私を探します。私は演習場の壁の上、観客席の最前列から、彼を見下ろしました。
「アレクシス様・・・」
自分でも思ったより低い声が出たと思います。
はっとしたように私を見上げたアレクシス様のお顔から、血の気が引いたように見えました。そのやや強張っているようなお顔を、じっとりと睨みつけます。
「私、いつも気を遣って、私の与り知らぬところで便宜を図ってくださるアレクシス様に、多大なる恩義を感じておりました。そして、それをお返しする機会がない事を、大変心苦しくも思っておりました。・・・しかし・・・しかしですね」
下心などなく「優しい人物」だと勝手に思っていたのは私ですが、その信頼を裏切られたような怒りと、いいようにされかけた屈辱で声が震えそうになり、一旦言葉を切ります。わななく唇を軽く噛むと、アレクシス様がなんとか聞こえる程度の声で、私の名を呟きました。
「カム・・・」
その悲痛な響きの呟きを無視して、異論は認めないという口調で告げます。
「アレクシス様。先程、貴方様が私にしたこと、しようとなさったことを、忘れて差し上げます。それで貸し借りは無しにいたしましょう。・・・よろしいですね?」
アレクシス様がコクコクと小さく早く頷くのを認めて、私は引きつりそうになりながらも口角を上げました。でもたぶん、目が笑っていないと思いますけれど。
「ごきげんよう。アレクシス様」
淑女の礼をして、一度も二度も一緒だと、一気に別館の談話室へ転移しました。
誰もいない、薄暗くなりかけている談話室のソファへ、身を投げ出します。うつ伏せのまま、顔だけを横にして、私の傍らへ姿を現したオニキスへ問いかけました。
「オニキス・・・私、もしかして無意識に「魅了」してます?」
その問いかけに、オニキスが「何をいまさら」といった感じで、ふんすと息を吐きます。
『ある意味正解だが、闇魔法を使用しているのかという意味でなら、答えは否だ』
意味が分かりません。その言い方では、魔法抜きで好意をもたれているというように聞こえてしまうではないですか。
そんなはずはないと、ソファへ突っ伏します。しばらくして顔を上げたら、いつの間に追ってきたのか、仏頂面のクラウドが蝋燭へ火を灯していました。
アレクシスがカーラから目をそらすのは、こんな理由。
フィクションだから許されるキャラってあるよね!