異世界転生しました!
一瞬、ここがどこだかわかりませんでした。
真っ先に目に入ったのは、上品かつ、豪奢な彫り物のある天蓋。次に身を包む、ふかふかの高級そうな寝具。ぼんやりしながら2、3回瞬く間に、自室のベッドの上に寝かされているのだと気が付きました。
まあ、見慣れるほど長く生きてもいませんが。
ゆっくりと体を起こして、辺りを見回します。
誰もいない。私付きの侍女さえいないとは、どういうことですか。まだ2歳にも満たない幼女を一人にするなんて。
はっきりしない意識を覚醒させながら、自分の置かれた状況を考えました。ここは、この世界は、途中まで攻略した乙女ゲームの世界だと思います。ぐっちゃぐっちゃに溢れ、混ざり合い、順に整頓されていった頭の中の膨大な前世と、ちょこっとしかない今世の情報を照らし合わせた上での、推測ですが・・・たぶん、そう。
ここまでゲームの舞台と似通った世界があったなら、それはそれで何の意思が働いたんだかという点で疑問が湧いてしまうほど。特徴的な部分がそっくりそのままなのです。
「私」を含めて。
「ヴァルキュリア デスティニー~恋の最前線~」は、戦乙女≪ヴァルキュリア≫を育成する学園での、勉強あり、恋あり、戦いありの恋愛シミュレーションゲームでした。通称バル恋。戦乙女を育成しているのに、なぜか共学で、男子生徒が目指すのは・・・なんでしたっけ。でてこない。
とにかく、前世の自分が死ぬ直前まではまっていたゲームの世界のようです。
前世は彼氏いない歴イコール年齢の、ややぽっちゃり(自己診断)享年28歳歯科衛生士でした。ようやく女の園な仕事にも、可愛らしくて腹回りと肩回りが窮屈な制服にも慣れて、何人かの同僚の寿退社を見送って・・・という仕事帰りに、猫をよけて車の単独事故にて死亡。迫る電柱にあっと思ったのは覚えていますが、痛みは覚えていません。
あぁ。
私は死んでしまったのですね。
母にも、父にも、兄にも会えない。友人たちにも会えない。
二度と会えないことに哀しみを感じ、郷愁も抱きましたが・・・どこか、ほっとしている自分もいて。
だって、これで、もう、私は―――。
陥りかけた思考を振り払うようにして頭を振り、またそれに囚われる前にと、行動を開始することにします。
まず、転げ落ちないよう、ベッドからずり落ちるように降りまして。両足が床へ触れたのを確認してから、握りしめていたシーツを手放し、とてとてと部屋のすみにある姿見まで歩きました。
そして恐る恐る鏡を覗き込みます。また倒れるのではないかと思ったからです。
鏡には黒髪に紫紺の瞳の、お人形のような美しい幼女が映っています。三頭身くらいの柔らかそうな体。ようやっと簡単な言葉が出るようになったばかりの1歳半児。
カーラ・テトラディル侯爵令嬢。
あと15年ほどであのナイスバディな美少女になるらしい。主人公の邪魔、いじわるの限りをつくす性格が極悪のライバルです。
また頭が痛くなるかと思いましたが、どうやら大丈夫なようです。前回は、鏡に映った幼女が自分だと認識したとたん、激しい頭痛とともに意識が途切れました。突然、頭の中にあふれた28年の記憶を処理しきれなかったのでしょう。どれくらい意識がなかったかはわかりませんが、その間に前世と今世の意識は統合されたようです。まあ、今世の意識なんてやっと自我が芽生えた程度ですが。
ガチャンッ
陶器が割れる音に振り向くと、私付きの侍女がこちらを驚いた表情で見ていました。いやいや、驚いたのはこちらです。いくら幼女相手でも、仕えているんですからノックくらいしましょうよ。
「お嬢様、お目覚めになられたのですね・・・」
残念そうに言わないでほしい。
「先生を呼んでまいります」
割れた陶器の水差しををあわただしく拾うと、濡れた絨毯をそのままに、侍女は逃げるように部屋を出て行きました。
両親でなくて、医者が先なのですね。意識が統合したときからなんとなくわかっていましたが、やはり嫌われているようです。いえ、怖れられているの方が正しいかな。
この「バル恋」は精霊の住まう世界です。この世界のほぼすべての人に精霊の加護がついていて、その力を借りることで魔法がつかえます。精霊の加護は髪色に反映され、加護が強いほど髪色が濃い。
地は茶、水は青、火は赤、風は黄、植物は緑。複数の加護を持つ場合は絵具のように色が混ざります。
そして私、カーラ・テトラディルの髪色は黒。つまり地、水、火、風、植物の全ての属性持ち。そしておまけの・・・というかこちらが本命なのですが、闇の精霊の加護を持ちます。
『お前、怖がられてるぞ。あのまま起きなければよかったのにとさ』
こいつです。こいつが闇の精霊。人の邪な感情が読めるらしく、いちいち教えてくれます。
カーラが極悪になったのは家庭環境もですが、こいつも一因だと思います。こうして私が対峙したすべての人のマイナス感情を教えてくるのです。これが毎日なのですから、人間不信にもなるでしょう。
というか、怖がられてるのもこいつのせいじゃないのかな? 誰もいないはずの空間に視線を向けたり、笑いかけたりしてる幼児なんて、距離を置きたくもなるでしょう。
「うーぁいー」
うまく話せません。うるさいと言いたかったのですが・・・1歳半では当然でしょう。
『うるさいとは失礼な。せっかく教えてやったのに』
どうやら親切心かららしい。大きなお世話です。
目の前には、大人の拳大の黒い毛玉が浮いています。なんかちっちゃい蝙蝠の羽のようなものと、悪魔のしっぽみたいなのがついている。目は・・・ついているのかな?
『め?』
毛玉が目の前に来ます。毛玉のなかにキラキラとしたつぶらな黒い瞳がありました。意外とかわいい。
そういえば名前はないのでしょうか。いつまでもこいつでは、なんだかかわいそうになってきます。
『・・・名はない』
そうですか。勝手につけてもいいのでしょうか。
『名をくれるのか!』
なんだかうれしそうですね。うーん、なにがいいかな。
黒い毛玉。まっくろくろ・・・いやいや、呼ぶ度に罪悪感を感じてしまうでしょう。こんなでもずっと一緒な相棒なのですから、まともな名を考えなければ。
『・・・相棒!!』
さらにうれしそうですね。悪魔のしっぽがすごい勢いで振られています。まるで犬のようです。しかしこの世界の精霊はなぜ、ほぼすべての人に加護を与えるのでしょうか。なにか旨みでもあるのかな。
おっと、気がそれました。名前、名前。黒い毛玉、期待のこもったキラキラの目・・・オニキスとかどうでしょうか。
『オニキス!』
ぐいんっと、高く天井付近まで飛ぶと、ぼふっと音がしそうな勢いで毛玉が大きくなる。そして落ちてきたと思ったら、毛玉じゃありませんでした。
真黒な犬。というかオオカミのような。精霊と言えば美女じゃないんですか。
『主が思い浮かべたとおりの姿だぞ』
ああ・・・。あれですか。ぶんぶん振られるしっぽから、犬を連想してしまったせいですか。
前世で隣家が飼っていた、オオカミ犬。大きいくせに近所のチワワを怖がっていて、人懐っこくてかわいかったな。あの子より胸元がふさふさしているようですが・・・。
『この体がいい。人の形より動きやすそうだ』
申し訳なく思ったのが伝わったのでしょう。オニキスがフォローしてきます。かわいいやつめ。
そっと触れてみます。嫌がらないのでぎゅっとしてみました。もふもふ・・・柔らかすぎず、ごわごわもしない、抱き心地のよい毛並み。素晴らしい!
しかし、こんな大きな犬を飼うことが許されるでしょうか。
『問題ない。我が意識せねば主以外には見えぬ』
それならよかった。というか、いつの間にか主呼びになってるんですけど。
『それは主と正式に契約されたからだ』
そうですか。名づけは正式契約なのですね。うかつでした。でも、できれば名前で呼んで欲しいです。
『では、カーラと』
よしよし。この敵もいないけど味方もいない状況に、相棒ができました。きっと守ってくれるでしょう。
『もちろん、守る。カーラに死なれたら、我も消える運命だからな』
ほうほう。運命共同体なのですね。とりあえず身の安全は確保されたようです。オニキスがどの程度強いかわかりませんが、無茶をしなければ大丈夫でしょう。
ああ、なんだかのどが渇きました。
『ほら』
目の前に水の球が浮いています。まるで無重力実験のようです。これ、オニキスが出したんですよね? 闇の精霊じゃないの?
そういえば全属性持ちなのに、他の精霊はどこへ行ったのでしょうか。
『なんだ。飲まないのか?』
どうやって飲もうかと見回すと、ベッドのサイドボードにグラスを見つけたのでそこまで歩きます。水の球もついてきました。グラスを手に持つと、水がその中へ落ちます。
恐る恐る口をつけました。冷たくて美味しい。今のは私にもできるのでしょうか。
『もちろんできる。地、水、火、風、植物のすべての精霊の力が我にある。そして我の主なのだから、カーラは我の力を自由に使うことができる』
なるほど。なんとなく先ほどと同じ水の球を思い浮かべます。
「・・・あ」
できてしまいました。いやいや、ゲームではこっぱずかしい呪文が必要だったんですよ。
驚いたからか、水球が床に落ちて割れました。ああ・・・絨毯が濡れてしまいました。
『我と契約したことで、以前の寄生状態よりつながりが強化されたからな。呪文など必要ない。ただ鮮明に想像することが必要なのだが・・・。さすがは我が主だ。一度見ただけで再現できるとは』
私も驚きです。でも鮮明にイメージするだけなら、前世のアニメやらCGやらの記憶があるんですから難しくはないでしょう。無詠唱万歳! サヨナラ中二病的呪文!!
それにしても寄生って・・・。精霊は寄生生物だったのですか。
『我らは人に寄生することでこの世界に存在できる。その前はただの精神体だ。胎児のうちに目をつけた人に寄生する。寄生された人間に特に害はない。髪色が精霊の属性に影響を受けて、変化するがな』
精神を食べたり、魂食べたりとかないのですか? 魔力と交換とか?
『我らにとって人は、植物にとっての太陽のようなものだ。寄生するだけで活力を得る。そして宿主が望めば力を貸す。寄生の状態ではつながりが弱いから、言語での明確な指示が必要となる。力の差は精霊の個体差だ』
なるほど。でも人側も利益を得ているんだから、寄生ではなくて共生ではないのでしょうか?
『共生とはなにか?』
共生というのは共に生きる。つまり双方にとって利益があるということです。人は精霊が寄生すると魔法が使えて、精霊は人に寄生することで活力を得る。まさにWin-Winではないですか。
『ういんういん? カーラはときどき難しい言葉をつかうな』
なんせ転生者ですからね。しかもこの世界ではない世界から来てます。
『異世界からの転生者! 我の見立ては正しかったということだな!!』
興奮気味のオニキスさん。ずいぶんあっさりと受け入れてくれましたね。
『転生者であろうと、異世界人であろうと、カーラが我が主であることに変わりないからな』
どこか誇らしげに胸を張る、真黒なオオカミ犬。
ありがとう、オニキス。本当のカーラだったら・・・とか思わないでもなかったから、なんか嬉しいよ。