自分に正直になろう
もう、夜も遅い。
大学生の亮司は、今日は部活が遅れて、普段より遅い電車に乗り込んだ。
現在の時刻は夜の10時36分。
利用者は、亮司以外に見られなかった。まぁ、他の車両に乗っているのかもしれないけど。
この時間だ。それも珍しくはないのだろう。
静かだしラッキーと、軽い気持ちで亮司はニ両目の車両の、一番端の席に座る。
まるで何事もないかのように、電車は駅を出発した。
「はぁ」
亮司はため息を吐いた。
最近は、マシなことが起こらない。
いや、自分の人生すら、良いか悪いかといえば、当然悪いの方向に針は向く。
高校入試で志望校は落ち、適当に入れそうな大学に入学。
部活ではいつも影の存在。中学からずっと野球をやってきたものの、特に目立った形跡もなく卒業。
人生で本気で喜んだのは、高校生で初めて彼女が出来た、あの一瞬だけだ。
―こんなクソみたいな人生、どうにかしてやり直せたらいいのに。
出来るものなのなら、人生を最初からやり直してみたいものだ。
そしたら、もっと野球を頑張ってみたい。そうだ、小学生から、親に言って、少年野球に入団しよう。
そうして、背番号4番のキャプテンだ。チームを引っ張って、頼りになるキャプテンだ。
中学や高校では、女子のみんなからモテモテだ。顔にはそんな自信はないけど、バレンタインデーには、チョコが持ちきれないくらいに沢山・・・。
いつの間にか亮司の妄想は、終わりがないものになっていった。
「あの・・・」
ふと、男の人の声が聞こえて、亮司は目を覚ました。
「お客様、どちらへ行かれますでしょうか?」
この電車の車掌らしき中年の男性が言った。
「・・・はい?」
「ですから、どちらに?」
「・・・あの、この電車って、上野行きの電車ですよね?」
そうだ。自分は間違いなく、常磐線の上野行きの電車に乗ったはずだ。
「上野行き?何をおっしゃるんです?」
車掌らしき男性は、首を捻らせた。
何って、こっちの台詞だよ・・・。
亮司は、苦い顔を見せる。
「『やり直し』ですか?それとも、『初めから』ですか?」
「はぁ?」
いきなり何を言い出すんだ。ゲームじゃあるまいし、『初めから』とか、『やり直し』とか、意味が分からない。
「私の個人的な意見となりますが、お客様の場合、『やり直し』をされたほうが、より良いかと思われますが」
「そうですか・・・じゃあ、それでいいっすよ」
車掌らしき男性に言われるままに、亮司はやり直しを選択した。
「では、次の車両にお進みください」
そう言うと、車掌らしき男性は、車両を繋ぐドアに手をかけ、先に行ってしまった。
―なんなんだよ・・・一体?
訳も分からないままに、亮司は車掌らしき男性を追って、隣の車両に入った。
「・・・あれ?」
亮司は目を丸くした。
そこには、1人の中学生らしき少年が、座席に座っていた。
「やぁ、亮司。元気にしてたかい?」
中学生らしき少年は立ち上がり、こちらに向かってくる。
「お前、どうして・・・」
亮司は言葉を失った。
「戻ってきたのさ」
「・・・は?お前、何を言ってるんだ?だって、お前は・・・」
「死んだ。って言いたいのかい?」
少年は、ニヤリと笑った。
「そうだ。僕はあの時死んだ。君に見られながら、ね」
「うっ・・・」
「知ってるよ。あの時、僕の鞄の中に単三電池を入れたの。君だよね?」
「っ!」
その時、今の今まで忘れていた記憶、いや、正確には、全てを消し去ろうとしていた記憶が、一瞬にして脳裏に蘇った。
中学2年生の春。俺はこいつと、学校の帰り道、コンビニに寄った。
その時、興味半分で、バックの中に単三電池を入れたんだ。
買い物が終わって、店を出たとき、もちろん店員に呼び止められた。
こいつは、店員に「中に来てもらう」と言われた時、「俺じゃない!」と抵抗して、逃げようとその場を走り去った。
その時だった。
コンビニの駐車場に入ってこようとしたトラックが、こいつの目の前に立ちはだかった。
そして・・・。
気がついたら、トラックの周りには、血が付いていた。
その血の正体・・・それは・・・。
「・・・確かに、死んだのは僕の不注意だ。だけど、君にも責任は、あるんじゃないのかな?」
「うっ、あ、あれはっ!興味半分で・・・」
「普通、謝るのが先なんじゃないの?もしかして、全然悪く思ってないとか?」
「ち、違う!」
「確か君、その事故が起きてすぐ、その場から逃げたんじゃなかったっけ?」
「なっ・・・」
そうだ。俺は逃げた。
何かを言われるのが、怖かった。
俺のせいじゃない。あいつが、飛び出したのが悪いんだ。そう自分に言い聞かせて・・・。
「死ぬ直前、トラックの下から見てたよ。君が、ナイフを持った人を見たような目で、一瞬で逃げていくんだもん。笑えるよ」
少年は、ヘラヘラと笑っている。
「本当の犯人は、大学生で未だ生存中。無罪の僕は、中学生で悲惨な事故に遭い死亡。これって、どう思う?」
「わ、悪かったって・・・本当に」
亮司は、両手を合わせて、少年に言った。
「あのな・・・今更謝ったって、どうにもならねえんだよ!分かってんのか!?」
少年が、形相を変えて怒鳴った。
「俺死んだんだぞ?死んじまったんだぞ?俺には、帰れる家族もいたし、好きな人もいたし、親友だって、ライバルだっていたんだぞ?なのに、お前みたいな、中途半端で、罪の1つも感じていない人間が生きてるなんて、どういうことなんだよ!?ああ!?」
「・・・・・」
「・・・もっと生きたかったよ。もっと野球やりたかったよ。もっと、みんなと笑って、楽しいことして、やりたいことやって・・・。それが、もうできないんだよ・・・」
少年の目から、何かが零れ落ちる。
「・・・・・」
「・・・でももうさ、いいんだよ。俺のことは、仕方ないからよ。だから、せめて・・・せめて、お前は、もっとマシに生きてくれよ・・・」
「お前・・・」
その時、亮司の心の何かが揺らいだ。
「大輝・・・ごめん」
亮司は、深々と頭を下げた。
「いいって言ってんだろ。だからよ。もっとマシに生きろ?もっと男らしく。だってお前、キャプテン候補だったじゃねえか。まぁ、キャプテンは源次にとられちまったけど・・・。でも、お前にだって、いいところは沢山あんだよ。分かるか?」
「んなことは・・・」
「あー、知らねぇな?お前。俺のクラスの一部に、結構人気だったんだぞ?」
「へ?」
「ほら。そうやって、自分を過小評価する。もっと胸張れよ。もう大人なんだから」
少年が、口元を吊り上げて、楽しそうに笑った。
「はっはは・・・」
その笑顔を見て、亮司も自然と笑顔になった。
「・・・さて、そろそろ時間だ。久々に話せてよかったよ。じゃあな」
少年は、亮司の肩をポンと叩き、通り越して行った。
「え、ちょっと・・・あれ?」
亮司が振り向くと、そこには先程入ってきたドアがあるだけだった。
―なんだったんだろう?夢・・・だったのかな?
訳も分からず理解が出来ずにいた亮司は、その場にボケッと立ちふけっていた。
「『やり直し』、ちゃんとできましたか?」
「うわっ!」
急に横から声が聞こえて、亮司は体をビクッとさせた。
「・・・車掌さん、驚かさないでくださいよ」
そこには、先程の車掌らしき男性が、座席に座っていた。
「おっと、これは失礼。でも、これでここがどこか、あなたも理解できたでしょう?」
「え?まぁ、とりあえずは・・・」
「では、次に車両にお進みください。彼女が待っています」
「彼女?」
亮司は、次の車両を、ドアのガラスから覗いた。
すると、奥に女子高校生らしき人物が、座席に座っているのが見えた。
―あれは・・・もしかして。
亮司は覚悟を決めて、次の車両へ歩き出した。
「おっと、そうだ。これだけは言っておきます」
後ろから、車掌らしき男性が声をかけてきた。
「なんです?」
「『繰り返し』のないよう、どうぞ、お気をつけくださいね」
「『繰り返し』・・・」
「過ちは、二度と『繰り返し』をしてはいけません。だから、『やり直し』があるのです」
「・・・はい、わかりました」
亮司は、車掌らしき男性に見守られながら、隣の車両に踏み入った。
「・・・優奈」
亮司は、座席に俯いて座っている、女子高生に声をかけた。
女子高生は、ゆっくりと顔をあげて、口を開いた。
「リョウ君。・・・おっきくなったね」
「そりゃあ・・・大学生だし、一応、な。・・・隣、いいか?」
亮司が言うと、女子高生は、軽く頷いた。
「・・・私も、一緒に大きくなりたかったな」
「でも、あれは・・・」
「私が首を吊らなければよかったって?」
「っ!」
女子高生が、俯いて、「ふふっ」っと笑った。
「そうだね。先走って、首を吊った私が、バカだったのかも」
「そんなことない!あの時、俺がああやって、君としなければ・・・」
「セックスしなきゃ、ああはならなかったって?」
「うっ・・・」
亮司の脳裏に、苦い記憶が蘇る。
高校一年生の夏。彼女が、俺の家に遊びに来た。
その時、偶々俺達二人きりの状況だった。これはもう、そうしろと言わんばかりの状況。半強制的に、彼女を脱がせた。
そして、そのまま・・・。
俺は、彼女を犯したのと同じだ。
「・・・確かに、あの時は半分流れで、やられちゃったかもしれないよ?でも、それでもその後、私が先走っちゃったから・・・」
その一週間後。子供ができてしまうという話で、俺達は喧嘩になった。
正直、俺も彼女も、妊娠などについての知識は薄く、終わった後、ずっと心配をしていた。
「でも、俺がお前を犯さなきゃ、そんなことにはなんなかったし、なんの心配もなかったんだって・・・」
「リョウ君。あのね?私、不安もあったけど、嬉しくもあったの」
「・・・は?」
「私は、リョウ君が好きだったから・・・。だから、やられるようになっちゃったの。その時は嬉しかったんだけど、でも、その後は心配になっちゃって・・・子供を持ったらどうしようって。もう子供を持たないといけないのか。いいことでもあるかもしれないけれど、まだ16歳だよ?そんなの嫌だよ。もっと遊びたい。もっと普通の女の子として、リョウ君といたい。そう考えてたら、いつの間にか、嫌になって、首を吊っちゃった」
女子高生は、「えへへ」と笑いを浮かべている。
「お前・・・」
「・・・もういいの。子供、結局できてなかったんでしょ?」
「え?・・・う、うん」
そうだ。彼女の死後、死体を検出したところ、妊娠なんて話は一切でなかった。
当然、彼女とやってしまったなど言い出せなかった俺は、彼女の両親や親戚に、死の真相を謎にしたまま、今に至ってしまっている。
「バカだなぁ、ホント。思い立ったら、すぐ行動。それが私のポリシーだったけど、裏目にでちゃうこともあるんだね」
「・・・なぁ、なんでお前、さっきっからそうやって、笑ってられるんだ?」
亮司は気がかりだった。さっきの少年といい、この女子高生といい、どうして死して笑っていられるのかが。
「うーん?なんでだろうね?自分でも分かんないけど、でも、こうやって今を生きてる人を支えていられるって思ったら、それだけで嬉しいかな」
「そんな無茶苦茶な・・・」
「そんな死んじゃった私から、リョウ君に、1つだけお願いがあるの」
「お願い?」
「・・・ちゃんと、本当のことはハッキリして?そうやって、自分だけのことにしないで、正直になってほしいの」
「正直・・・?」
「うん。リョウ君、昔っからそうだよね。なんでも自分で抱えてさ。色々と悩んだりして。だから、そうやって過小評価になっちゃうのよ」
「過小評価ねぇ・・・」
さっきの少年にも言われた。俺は、自分を過小評価しすぎだ、と。
「そしたら、いつの間にか、世界が変わってるかもね」
「ふふふっ」と可愛らしい笑顔をみせた女子高生は、座席から立ち上がった。
「さて、それじゃあ、私も時間ね。久々で楽しかった!ありがとう、頑張ってね」
「え、ちょっと待てよ・・・え?」
亮司の声も届かずに、女子高生は刹那に消えてしまった。
「・・・『やり直し』、か」
亮司は、独り呟いた。
「どうです?『やり直し』はできましたかな?」
「うわっ!・・・って、またあんたか!」
またまた突然声がしたほうを見ると、例の車掌らしき男性が、隣に座っていた。
「おっと、これは失礼。さて、お客様もそろそろ終点ですよ」
そう車掌らしき男性が言うと、電車がゆっくりと、動きを鈍くし始める。
「・・・1つ、聞いていいですか?」
亮司は、車掌らしき男性に問いかけた。
「なんです?」
「この電車は、人の未練を『やり直し』、もしくは『初めから』をさせてくれる電車なんですか?」
「・・・それについては、私は答えは出せません。私はただ、お客様に『やり直し』か『初めから』を選択してもらっているだけですので。人によっては、それが良い選択か、悪い選択か。それぞれ異なるのです。例えるなら、パラレルワールドですね」
「パラレルワールド・・・」
亮司が呟いたのとほぼ同時に、電車はようやく、その動きを止めた。
「人々の選択一つ一つが、人生で大切なんですよ。それを誤ってしまったせいで、ある少年は事故に。ある少女は首を吊り、はたまた、ある男性は事故に遭ってしまったんですから」
「・・・そう、ですね。なんとなく分かる気がします」
「あなたも、今後過ちが来ぬよう、私も願っております」
車掌らしき男性がそう言うと、電車のドアがゆっくりと開いた。
「では、ご乗車ありがとうございました。またのご利用、お待ちしています」
「ありがとうございました」
車掌らしき男性に頭を下げた亮司は、駅のホームに足を踏み入れた。
その瞬間、何故か目の前が真っ暗になった。
「・・・じ・・・りょ・・・じ・・・りょうじ・・・亮司!」
亮司が気がつくと、何故か自分を呼ぶ声が聞こえた。
「ん・・・」
目を開けると、そこには自分の両親が、俺を囲んでいた。
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―ようやく、退院か。
亮司は、お世話になった病院を後にした。
あの後聞いた話だが、あの日亮司が乗った電車は、脱線事故を起こしたのだという。
死亡者が一人、あの電車の車掌さんだったそうだ。
亮司のほかにも数人乗っていたらしいが、亮司が乗っていたニ両目の車両以降は脱線せずに、亮司以外は軽い怪我で済んだのだという。
おかげさまで、こちらは四ヶ月の入院生活だ。ホント、俺の人生はついてない。
・・・だが、あの日あの時、あの場所で。俺は教えてもらった。
俺は、皆の思いを背負って、変わらないといけない。
本当の自分を出す事が大事。そんなことを言われた。
少年や、女子高生の両親に、本当のことを話に行かないといけないし、他にも色々とやらなくてはいけないことが沢山だ。
でも・・・。
亮司は、最初の目的のために、その足を踏み出し始めた。
―まずは、アダルトビデオを買いに行こう。