貨物列車
俺の親父は、昭和30年代の中盤に生まれた。
もう50を過ぎてる割りには、髪の毛も多く、顔の皺も無い。更には、メタボの体型でもないため、かなり若く見られる。
随分と若い時に結婚して俺が生まれたため、昔から、友達の親より、相当に若い親父だった。
そんな事もあってか、俺と喋る時でも自分の事を、「俺」と言う親父。「お父さんはね…」などと語った事は、一度も無い。
一時期、俺も、反抗期などと、極めてやかいな精神状態の時もあったが、今では、それも収まり、若い親父に、こちらの方から話しかける。
親父は、面倒くさがりなのか、むらっけがあるのか、喋らない時は、それこそ何も喋らない男だ。だが、興味がある話だと、まるで子供のように熱く語る変な癖がある。
毎晩、ビールから始まり、チェイサーを用意して、スコッチを生で飲んでいる親父。水割りが嫌いらしい。
その日も、けっこうな量を飲んでいた。
飲んでも顔色が変わる事もなく、ろれつが回らなくなる訳でもない親父。傍から見ると、酔っているのかどうなのかが、良く分からないが、珍しく、親父の方から、俺に話しかけてきた。
なんで急に、あんな話を始めたのか知らないが、俺にとっても興味のある話しを語り始めた。
◆
お前、爺さんの事、覚えてるか?
ああ、そうだよな。死んでから、まだ7年くらいだもんな。忘れる訳ないか。
当然、俺の親父なんだけどよ。国鉄職員だったんだぜ。知ってるか?
そうそう、JRの前身が国鉄。確か、昭和の50年代だな。国鉄の分割民営化が国会で可決されたのって。
爺さんって、喋んない男でさ。息子だった俺も、あんまり喋った記憶が無いんだけどな、怒ってたな~、当時の総理大臣の事。愚痴なんか絶対に言わない人だったけど、あの総理大臣に対しては、ずっと言ってたもんな。許さねぇって。
まぁ、それから直ぐに定年だったから、いつの間にか、触れなくなってたけどな。
爺さんってな、戦争行ってんだぜ。第二次世界大戦って言うか、太平洋戦争。大東亜戦争って言う人もいるな。
赤紙がきたんだわ。
赤紙って分かるか?
知らんか。召集令状よ。あんたも兵隊として、戦地に行きなさいって手紙だ。映画とかドラマで見た事無いか?
映画の中じゃ、確かに、赤色の紙を、家族の人が愕然と受け取ってるシーンなんだけど、知らんか?
まぁ、赤紙を貰うってのは、お国の為に死ねって言ってるのと同じ意味だったみたいだから、それこそ、目の前、真っ暗になっちまうわな。
爺さん、どうしたかって?
そりゃ行くしかないだろ。断れるモンじゃないさ。国からの命令だからよ。
今でも、その赤紙、家にあるぞ。赤紙って言う割には、あんまり赤くないんだよな。茶色だ。
まだ、爺さんも独身だったから、その手の話って、婆さんも、あんまり知らんようだ。
とにかく、爺さんはよ、自分から戦争の話しって、絶対に喋らなかった。行った先で、きっと、何かあったんじゃないか。俺も子供ながらに、これって、聞いたらマズイ話しなんだろうな~って、なんとなく感じてたから、一度も訊ねた事無かったしな。だから、陸軍なのか海軍なのか、それこそ特攻隊なのか、よく分からんのよ。
それとな、爺さんってよ、もう一種類、絶対に嫌ってた話しがあるんだよな。
お前、随分と可愛がってもらったろ、爺さんに。だけど、怪談話しって、爺さんから聞いた事あったか?
そうだろ。やっぱりな。
俺が子供の時から、ただの一度だって、爺さんの口から、怖い話しって聞いた事が無いんだよな。俺なんてよ、お前がガキん時から、けっこう話して聞かせたろ。怖い話ってヤツをよ~、ヒッヒッヒ…。
まぁ、俺と爺さんは、あんまり仲の良い親子じゃ無かったしな。仲が悪いって事も無いんだけど、一緒に遊んだ記憶が無いのよ。孫の、お前の方が、よっぽど遊んでもらってたな。爺さんに。
俺はな、小さい頃から、あんまり爺さんに懐いてなかったんだわ。でもよ、一緒に、TVくらいは観るだろ。夏休みなんてさ、TVでやるだろ。ホラー特集。あれも、絶対に見なかったな。
極端に、怖がりだったんじゃないかって?
う~ん……、それは、ちょっと考え難いな。
戦争に行った人ってさ、凄いんだよな。修羅場潜ってるって言うのかな……。
昔から、癌で死ぬ人って少なくないだろ。それも、そんなに年取っていない人の最後って、凄まじいらしくてな。身体が、死を受け入れないらしい。
癌細胞に侵されて、心肺停止になるまで、強烈に抵抗するらしんだ。のたうち回るどころじゃ無いって言うぞ。それこそ、臨終の様子、家族の人ですら、とてもじゃないけど、見ていられないって聞いた事がある。
田舎の病院だったからな。モルヒネで痛みを和らげる事も、しなかったんだろうしな。普通の神経の人だったら、心に深い傷を負っちまう様子、看取ってあげる事が出来る人だったらしいわ。
それこそ、ゾンビ映画どころじゃ無い地獄絵図を、しっかりと励ましながら、最後まで付き添う事が出来る人が、ホラー映画を怖がるかね~。違う理由だと思うんだよな。
◆
親父は、やっぱり酔ってるようだ。そこまで喋って、いきなりトイレ行きやがった。
暫くすると、スッキリしたような顔つきで戻って来て、話を再開したが、さっきまでの話から、妙に飛んでいた。
◆
おお、目覚めたわ。
どこまで喋ってたっけ?
何……まぁいいや。
ところでよ……、俺が、小さい時って、国鉄官舎に住んでたんだよな。今みたいなJRアパートじゃ無いぞ。木造平屋で、隣の家とくっついてんだ。メチャクチャのボロボロでよ~、変な造りだったな。
風呂も無かったし、どの家も、電話すら付けてなかったな。まぁ、それでも生活に困らんかった時代だったんだよな。
借家なんだけどな、犬飼ってる奴やら、猫飼ってるなんて当たり前でよ、しまいには、鶏飼ってる奴までいたさ。今考えりゃ、笑っちまうな。
犬だって繋がれてないもんだから、飼い犬なのかノラなのか、よく分からんのがゴロゴロいてよ、しょっちゅう誰かが噛まれたてわ。ギャハハハハハハハ。
あれ…なんの話し、しようとしてたっけ?
あ~、そうそう、思い出した。
爺さんの勤務って、泊りがあったんだよな。日勤もあるんだけど、けっこうな頻度で、泊りがあった。なんだが、A勤とかB勤とか、カレンダーに書き込まれてたの覚えてるわ。泊り空けが、確か「ヒ番」って呼んでたな。
だから、爺さんがいない夜って、全然、珍しくなくてな。まぁ、隣近所、みんな国鉄職員だから、どの家でも同じよ。だから、それが、普通だと思ってたわ。
たま~に、爺さんが家にいる夜にな、玄関を叩く音が聞こえる時があるのよ。
チャイムだって無い家だから、昼間だったら、玄関を開けて「ごめんください」って、声を掛けるんだけどよ。夜は、さすがに、どの家も鍵ぐらい掛けるから、玄関の「戸」を叩くんだ。
それで聞こえるのかって?
ああ、聞こえる、聞こえる。寝てたって分かるって。
木製の、薄っぺらい引き戸だ。叩きゃ、はっきり分かるし、玄関の外で、ちょっと大きな声で呼べば、丸聞こえだ。
その、夜に、戸を叩かれた時って、サーッって、婆さんの顔色が変わるんだよな。
お前にとっては婆さんだけどよ、当時は、まだ若かったさ。明らかに怯えた顔付きになって、親父をチラっと見てから、玄関に出て行ってた。
爺さん、自分で、客を出迎える事を、絶対しいない人だったからな。
婆さんが、玄関で、誰かとボソボソ喋ってる声が聞こえるんだ。そして、婆さんが、玄関から、こっちに顔出して、「助役さん……」って言うと、爺さんも玄関に出て行って、何かを打ち合わせしてたな。
助役って、何て説明すりゃいいんだ……。まぁ、爺さんの上司だ。
俺も、まだ小学の低学年だったけど、緊張感て言うのかな~、そんな異様な雰囲気感じて、それまで観ていたTVも止めて、玄関の声に耳そばだてていたのを覚えてるわ。
随分と後になってから聞かされたんだけどな、あれって、人身事故が起きて、連絡がついた人総出で、人肉やらを、拾う作業だったらしいな。
事故なのか自殺なのかは知らんけど、もう、グチャグチャになって飛び散って……酷い有様らしいな。
夜だったら、カンテラって言ったけかな……。手にぶら下げるタイプの電灯と、ヘルメットについた電灯とで照らしながら、その、飛び散ったモノ、探しながら拾い集めてたみたいだな。
線路って、国鉄の土地だから、自分達で、やんなきゃならんらしいのよ。
今は、きっと違うやり方だと思うぞ。まさか、JRの職員が、そんな事やらんだろ。お前、出来るか?
俺だって、無理だ。絶対に出来ん。
まぁ、新人の時からの教育って言うか、伝統みたいなもんだろうな。
当時の国鉄ってさ、新しい職員への教育って、先輩に「見習い」で付けるんだよな。何カ月もの間。だから、爺さんにも、入れ替わり立ち替わり、見習いの若い人が付いてたわ。公私共に一緒にいる時間が長いのよ。よく、いろんな若い男の人が、家に晩飯食いに来てたの覚えてるもんな。
そんなんで、子供だった俺もさ、けっこう、国鉄職員の知り合い多くてな。いろんな話を聞かせてもらったわ。
昔の列車って、運転手の他に、確か車掌っていたんだよな。今も、いるのかどうか、知らんけど。そして、あれは旅客列車だけなのかな~、車掌室ってあったんだ。
俺が子供の時なんて、家から駅に行くのに、踏切なんか通らんかったからな。駅に行くのに、踏切まで行ってたら、随分と遠回りになるから、構内って言う、何本もの線路が並んでる場所を、横切って行ったもんだわ。
官舎に住んでた人は、みんな、そうだったな。そうすると、動いて無い列車が入ってるだろ。下をくぐるのも嫌で、誰もが、連結部分を乗り越えて行くんだよな。
車掌が乗り込む車掌車があれば、それ入って乗り越えた覚えがあるな。
その、車掌をやってた若い職員が言ってたな。夜中に、一人で乗ってると、何度が出会っちまう事があるって。
何って……アレよ、アレ。
人身事故や、自殺で死んでしまったモノよ。
普通には、見えなかったって。ただ、夜だとよ~、室内の灯りで窓ガラスが鏡みたいに映すだろ。そこに映ってたらしいな。
その人が見たのは、女だったって言ってた。
何度も見たらしいわ。毎回、同じ女だったって。
若い女が、自分の直ぐ後ろに立ってんだと。最初は、かなりに驚いたって言ってたな。けど、しまいには、慣れたとも言ってた。そんなもん、慣れたくねぇよな。
話しかけて来るんだとよ。かなりヤベーよな。でも、振り向いたら、いないんだけど、ガラスには映っていて、声も確かに聞こえて来るらしい。それも耳元で。
何て言ってたのかって?
うん……、なんだかさ~、その女、どうやら、まだ自分が死んだって知らないようでさ。「一緒に死んで」って、話しかけて来るらしかったな。
自殺した女なんだろうな。でも、死んだ事、分かってないから、まだ死のうって思ってんだろ。きっと。
邪魔くさいぞな、そんなの出てきたらよ。
当時の国鉄職員の中じゃ、そんな経験、あんまり珍しくないらしくてな、絶対に相手にするなって、やっぱり「見習い」の時に、先輩から強く教わったらしいわ。
それよりも、絶対に経験したくないのは、やっぱり、列車で人を跳ねる事だって言ってたな。まぁ、それって、運転手に限った事なんだろうけどな。
特に、貨物列車。
旅客の列車って、貨物列車に比べると、相当に軽から、その分、ブレーキも利くんだよな。
貨物列車って重いからよ。今みたいに、コンテナじゃなくて、貨車だった。「ワラ」とか「ワム」とか「ハワム」って規格があってな。確か、ハワムが15トンの積載可能だったんじゃないかな。おまけに、貨車自体も、鉄の塊だからな。あれって、20トンじゃ効かないくらいあったんじゃないか。もっと重いのかな……。それを、10両も15両も引っ張る訳だろ。旅客みないにスピードは出さんけど、それでも、ブレーキ掛けたって、全然止まんないって。
やっぱり、自殺に出くわす時あるらしいんだわな。それも、急に飛び込まれるんなら、まだ、いいらしいけど……待ってんだとよ、ずーっと向こうの線路に立って。
カーブの所じゃなくて、見通しのいい、直線の場所で待ってんだと。列車が来るのを。
カーブだったら、見えないだろ。列車が走って来るのが。
死ぬんでも、やっぱり、急に目の前に列車が現れるのって嫌なんだろうな。だから、直線の線路で、ずーーっと列車来るの、待ってんだ。
だけどな、向こうが見えるってのは、こっちだって見えてる訳だろ。そうとう遠くから、分かるらしいぜ。「あ、自殺だ」って。
車だったら、止まり切れなくたって、ハンドル切って避ける事も出来るけどよ、列車って、線路に乗っかってるからな。
凄ぇ恐怖らしいな。とても言葉じゃ言い表せないって聞いた。
列車のブレーキって、一種類じゃないらしいけど、使えるブレーキ全部掛けて、汽笛鳴らし続けて、叫び続けちゃうらしいわ。運転手が。「どけろ、どけろ、どけろおおおおおおおおおおおおおお!うわああああああああああああああああああああ!止まれえええええええええええ!」って。
だけど、線路上の人、全然、動いてくれなくて、どんどん、どんどん、近づいて行って、運転手の方が身体固まっちまって、動く事も出来なくなって、「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」って、ただ叫び続けちゃって、だけどそいつ、待ってんだと。ずーーと、こっち向いたまんまで。それこそ、泣きながら、喉が潰れるほどの大声で叫んで、ブレーキ掛けて、汽笛鳴らして。だけど、止まんなくて、どんどんどんどん近づいて、そいつの性別やら服装やらも、はっきり見えて来て、それでも、そいつ逃げないで待ってんの。運転手も、そいつに聞こえる訳ないんだけど、「やめろおおおおおおおおおおおお!!よせええええええええええええええええええええ!逃げろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!やめろ!やめろ!やめろおおおおおおおおおおおお」って、叫んでるんだよな。
線路上の人を見つけてから、どれくらいで撥ねちゃったかなんて、誰も覚えていないらしいけど、感覚的には、そうとうに長い時間らしいな。
最後は、もう、言葉にならなくて、ずっと、「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」って、もう、泣き叫びながら撥ねちゃうそうだ。
いや、それは無理らしいぞ。絶対に、目、瞑る事って出来ないんだと。
それこそ、目、見開いて、瞬きも出来ない状態で、そいつを見続けながら、最後まで行っちゃうって。
そう言うのって、まるでスローモーションみたいに見えるらしいな。
だから、必ず、目が合っちゃうらしい。
撥ねられる瞬間の奴の表情、忘れられないって言ってたな。
目ん玉、零れ落ちるくらい目を開いて、口も同じよ。顎外れるほど開いてるって。やっぱり、恐怖なのかね。間違い無く、叫んでたって。
そんな表情の奴と、跳ねる側の人が、ガッチリ目線絡んで……。
不思議と、その叫び声、聞こえる訳無いんだけど、耳にこびりついてるらしいな。