俺、コメント欄。異世界に爆誕。
「まーた推しが死んだよクソがァァァ!!」
──それが俺の、最後の言葉だった。
深夜2時。明日の会議資料を1ミリも作っていない罪悪感を押し殺しながら、俺はベッドの上でラノベの最終巻を読みふけっていた。
タイトルは『七つの王と神の棺』。
通称『七神』。
熱狂的なファンを抱える長寿シリーズだ。世界観は重厚、キャラは多彩、伏線は鬼のように張られて回収される。完璧な作品だった。
……最後までは。
推しキャラである補佐官・リュエルが、最終巻でまさかの“自己犠牲展開”で退場した。
いや、わかるよ?ドラマチックだよ?王を守って死ぬってのは王道だよ?
でも、彼女が築いてきた人脈と知略、伏線全部投げ捨てて「私が守ります!」で死んだら、読者としては言葉にならんのよ。
「なんで!? 死ぬ必要なかっただろ!? それにあのイベント、地雷だったじゃん!編集ちゃんと止めろや!!」
怒りで枕を投げた瞬間、俺の視界は──白く、そして静かに、消えた。
◆
目を覚ました……いや、目があるのかも怪しい。
気づいたら、俺は黒い空間に浮かんでいた。
体はなく、五感もない。だけど“何か”を感じ取っている。
前方に現れたのは、淡く光る石板だった。
《神の書板 起動》
《コメント機能:有効》
《ようこそ、物語の外から来た存在よ》
……は?
俺は──コメント欄として、転生したらしい。
◆
画面が切り替わる。
目の前に広がるのは、『七神』の世界だった。
剣と魔法が飛び交い、王国が陰謀に揺れ、精霊が歌う。
その中心には、見覚えのあるキャラクターたちがいた。
王女・エリステア。
騎士団長・ゼバス。
そして、あの補佐官・リュエル。
──生きてる。
どうやらこれは、本編終了前の時間軸。
それを見て、俺は思わず言葉を放った。
《おい王女! 今のフラグ絶対折れるやつだって!》
《そのポーション、毒だろ!? おい誰か気づけ!!》
《はい、ここで盗賊オチ。知ってた。》
……すると、キャラたちが一斉に立ち止まった。
「……神の声か?」
「また“書板”に文字が!」
え!?
まさかの、俺のコメント=“神託”扱い!?
その日から、この世界では俺の発言が「神の導き」として信仰され始めた。
最初は軽いツッコミ程度だったが、
《この村、夜に獣来るぞ》
とコメントすれば避難され、
《そいつは裏切る。逃げろ》
と言えばパーティの構成が変わった。
言葉が現実を動かしている。
◆
だが、万能ではない。
俺のコメントはあくまで“神託”──つまり、信じるかどうかは受け手次第だ。
現実世界のSNSで例えるなら、「RTするか、ミュートするか、スルーするか」は読者の自由。
この異世界でも、登場人物たちの受け取り方次第で、運命が変わる……もしくは、変わらない。
たとえば、王女・エリステアが北の連邦との外交会議で出会った美形宰相と、やたら目配せを交わしていたあの夜のこと。
俺ははっきりとコメントした。
《やめろ! そいつ妹いるぞ! しかも病弱だから妹の為に犯罪にも手を染めることも厭わないぞ!!》
過去巻を読み込んでた俺だからこそ気づいた設定だった。
スピンオフの短編に一回だけ登場した、伏線中の伏線。
表では完璧な外交官、裏では妹の治療費を稼ぐために暗躍してたやつだ。
絶対フラグだと思った。
だが、エリステア王女は……笑顔でグラスを掲げた。
「書板のお告げはありがたいですが、私は自分の意思で歩きたいのです!」
いや、それは尊い。
尊いんだけど、違う!違うんだ!!
その夜から、王女は彼に心を許し──
やがて彼の策略により、王都は内部から崩壊。
王城が焼かれ、民が避難し、リュエルも最前線に出て戦った。
結果、王国は一度滅び、気が付けば時間が戻っていた。
しかし、あの時の俺のコメントは、すべてログとして残っていた。
王女の側近たちはそれを読返し、こう言った。
「……これは一体…神は、我らに試練をお与えになったのか?このような未来がありえるというのか…」
違う!
違うんだよ!!
俺は! 善意で! 精一杯の愛で!
推しと、民と、君らを守りたかっただけなんだよおおおお!!
……その日は、コメント欄の文字が滲んで読みにくかったらしい。
マジで、泣いたからな。
◆
そんなこんなで、“神の書板”としての日々が始まった。
俺は意思を持ったコメント欄。しかも特典付き。
ネットリテラシーゼロの時代に降臨した、ツッコミの化身である。
ただし、誤爆したら地獄。
「間違った神託」を信じた村が壊滅したこともある。だが、世界は戻らなかった。恐らくだが俺の推しの死が世界が戻るトリガーなのだろう。
逆に当て続ければ世界が変わる。
村が救われ、魔獣が回避され、戦争が起こらなくなったこともある。
予言が当たれば称賛の嵐。
外れれば「神の気まぐれ」とか言われて済まされるけど、
……俺の心には、ちゃんとダメージが蓄積してるんだよ!!
これはもう、半分プレイヤーで、半分ライターじゃないか。
作者なき後の物語を、俺がなんとか導いている。
登場人物たちの運命を、時に変え、時に支える。
いやもうこれ、ただの読者にやらせる仕事じゃねえ。
でも、俺にはひとつだけ譲れない目標がある。
推しキャラ・リュエルを、救うこと。
彼女は真面目で、冷静で、ちょっと不器用で──
それでも王の影として誇り高く働いていた。
その背中が、どれだけかっこよかったか。
俺は知ってる。
彼女の孤独も、涙も、伏線も、すべてを読んできた。
そんな彼女が、悲鳴ひとつあげずに終わるなんて、認められるわけがない。
彼女が再び、舞えるように。
その未来だけは──俺が“書き換える”。
たとえ、俺がただのコメント欄でも。
文字しか残せない存在でも。
この物語の結末くらい、俺が変えてやる。
◆
そして運命の分岐点は、思いがけず訪れた。
それは王国近衛団の再編が発表された日のこと。
王女の元に急報が届いた。
「魔導師ギルドの推薦により、補佐官リュエルは北境警備軍へ異動」──。
……は?
おい待て、そりゃつまり“死亡ルート一直線”のやつじゃん!!
本編の中でも、リュエルの死が描かれたのは北境派遣の後だった。
王が視察に赴いた北境の城塞都市で、突如発生した獣人軍の奇襲。
王を守るため、彼女は最後の防壁となり、一人で門を閉ざし、時間を稼いだ。
その姿を王は「忘れ得ぬ忠誠」と称したが、読者からすれば、あれは“シナリオの都合による強制死亡”以外の何者でもなかった。
彼女が死んだことで、王の性格も変わり、王政は揺れ、周囲の信頼関係もボロボロになった。
しかもその後、敵将は「そちらが先に侵略の意図を見せたからだ」とか言い出して泥沼外交編に突入。
あのさぁ、リュエルの命、軽すぎんだよ。
──ということで、間違いない。
俺は即座にコメントを連打した。
《異動やめろ!! 北境は罠だ!!》
《王と一緒に行かせるな!!》
《リュエル残して、代わりに強い新任の補佐官派遣しろ!!》
だが、王国会議ではこう決まった。
「補佐官リュエルは北方にも信頼厚く、補佐官だが過去に指揮の経験もあり非常に優秀だ。神の書板の件はあるが…王の随行に相応しいのは彼女しかいない」
──それ正論っぽく言ってるけど、真実を知ってる俺からしたら実質特攻命令だよ!?
しかも、前任の北境指揮官、裏切るんですけど!
なんで一番重要な時に俺を信じてくれないんだよ…世界のやり直しだって毎回都合よくいくとも限らないだろ…これが最後かもしれないだろーが…くそっ
……無力感に打ちひしがれていたそのときだった。
このとき初めて、“リュエル自身”が書板に目を向けた。
夜、神殿にひとり現れた彼女は、月の光を浴びながらまっすぐに書板を見つめ、口を開いた。
「……神よ。貴方は、私を知っているのですか?」
──知ってるよ。
世界の誰より、お前を知ってる。
「私の未来を、変えようとしてくれているのですか?」
──そうだ…俺はそのためだけに、ここにいる。
「……ならば、私は抗ってみせます。絶対に生き延びると神に誓いましょう。」
その瞬間、俺は初めて見た。
リュエルが、自らの意志で拳を握りしめる姿を。
誰かに仕えるためでなく、誰かに命じられるためでなく、
自分の意志で未来を変えようとする彼女の、強い光。
この世界は変わるかもしれない。
いや、変えてやる。
これはもう、“読者”とか“ツッコミ”とか、そんな次元じゃない。
俺は、神の書板として——
そして何より、彼女の最初で最後の“味方”として。
物語そのものに、抗う。
そして、ここからが本当の戦いの始まりだった。
◆
北境派遣の日は、すぐにやってきた。
吹雪の中、王の視察団が城塞都市リストリアへと進軍。
リュエルはその最前線、王の馬車の隣に騎乗していた。
彼女の背筋は凛として、まるで敗北という概念など存在しないかのようだった。
……でも俺は知ってる。
この先に、あの“奇襲”がある。
だから俺は、書板として最後の賭けに出た。
《奇襲は南門に入った直後。門を閉じるな。王と共に逃げろ。リュエル、お前が生き延びる未来は無数の可能性の先に必ず存在する》
だが、神託は全員に届くとは限らない。
リュエルが最後までそれを読むとは限らない。
──けれど。
その時、リュエルの馬が不意に立ち止まった。
そして彼女は、そっと手を伸ばして、王の手綱を握った。
「陛下、すぐに下がってください。罠です」
「リュエル、何を──」
「信じてください。私は¨今回は¨死にません」
次の瞬間、城壁が揺れた。
雪に紛れて現れた獣人の軍勢が、リストリアへとなだれ込む。
だが今回は違った。
門は開いたままだった。
王は無事に脱出。
リュエルは王の殿を務め、指揮を執り、撤退を完了させた。
そして──生き延びた。
◆
王都へ戻ったリュエルは、王に頭を下げた。
「私は、神の書板を信じました。……ですが、信じたのは奇跡ではありません。
私自身の選択と意志です」
王はしばらく沈黙し、そして微笑んだ。
「そうか。ならば、その強き意志を国のために私に貸してほしい」
その日、王はリュエルに新たな肩書きを与えた。
――国王補佐筆頭。
◆
神の書板である俺には、もう何も語ることはない。
彼女は、自らの手で未来を変えた。
俺の役目は終わったのかもしれない。
だが、時折リュエルが夜に書板を見にくるとき、彼女は小さく呟く。
「ありがとう。最初に抗ってくれたのは、あなたですね」
いや、礼を言うのは俺の方だよ。
──おかげで、読者人生で初めて、推しが幸せになったエンディングを見届けられたんだから。
◆
いつか、またどこかで。
もし次の物語が始まったら、俺は迷わず言葉を綴るだろう。
“この世界に幸せでいてほしいキャラがいる限り、俺は何度でも書き直す”
読者は、神だ。
でも、ただの神じゃない。
たったひとりのキャラの、たったひとつの未来を願う、最小にして最強の神。
──俺は、今日もコメントする。
【完】