苦手なことは克服しなくてもいいよね
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源之進が小次郎の危機に駆けつけたころ、沙魚丸は鶴山城内で血だらけになった自分の手を見つめていた。
戦場で大暴れし、敵の返り血に染まったわけではない。
敵にやられて流血したということでもない。
では、何なのかと言えば、負傷兵の血がついただけである。
〈血だらけの方が、さっきよりも断然ましよ。〉
先ほどまで行っていたことを思い出し、沙魚丸はへッと短く笑った。
〈あんなモノ、今の私にも付いているんだしどうってことないわ。〉
うそぶく沙魚丸だが、声にはほのかな哀愁が漂っている。
先ほどまで沙魚丸は負傷兵の世話をしていた。
城下から武家の元服前の少年が集められ、負傷兵の体をきれいにする作業が任された。
負傷兵の着物を脱がす者。
上半身を拭く者。
下半身を拭く者。
などなど・・・
その場を仕切るおっさんが少年たちに仕事を割り振った結果、見事に沙魚丸は下半身の担当となった。
〈そりゃぁね、年頃の女の子にはさせたくないよね。全身をきれいに拭くとかさ。分かるよ、同性の少年が適役だってことぐらいね。でも、私は乙女だったの。他人様のモノなんてイラスト制作の参考用にネットでしか見たこと無いの。触ったことなんて無かったんだから。〉
もうお嫁に行けない、と発狂しそうになる沙魚丸は、さらに嫌なことを思い出す。
それは、おっさんが不意に放った一言。
「ほら、そこの坊主。ちゃんときれいに拭かないとダメだろう。自分のと同じぐらいきれいにしてやれよ。」
ガハハと笑うおっさん。
その暴言?を聞いて固まった沙魚丸のところへお辰が飛ぶように駆けて来た。
「沙魚丸様。姿が見えないと思ったら、なぜこんなところに。どうしたのですか、魂が抜けたような顔をして・・・」
沙魚丸の抜け殻のような姿を不審に思ったお辰は、おっさんを鬼のような形相で問い詰める。
お辰の勢いにたじたじとなったおっさんが沙魚丸の作業内容を話し始めた。
顔から表情が消えたお辰はおっさんをぐーで殴り飛ばし、沙魚丸に謝る。
「申し訳ございません。沙魚丸様が兵のイチモツを、こほん、体を拭くなどと・・・。これからは私から離れないでください。」
沙魚丸は一も二も無く頷いた。
〈ありがとうございます。私には刺激が強すぎて無理です。〉
「その子供が偉いかたなんて知らなかったんですぅ・・・」
拳の跡がついた頬をさすりながら、涙目で言い訳するおっさんに憐憫の情を抱きつつ、沙魚丸はお辰の後に従った。
そうして、沙魚丸はお辰の手伝いに励んでいる。
てきぱきと負傷兵の手当てをするお辰を見て、沙魚丸は、はぇー、と感動の声を漏らす。
〈女性の方が肝っ玉が据わっていると聞くけど、お辰様みたいな人を肝っ玉母さんって言うのね〉
妙な感心をしている沙魚丸の横では、手当を終えた兵の頭をお辰が軽くパシンと叩く。
「この程度の怪我で、さっきから死ぬだの、もう終わりだのとうるさいですよ。頬を矢がかすっただけではないですか。」
「いや、お辰様、そんなわけはありません。体中に矢が突き立ったのです。ほら。」
兵は自分の鎧をお辰の前に置いた。
〈ふむ、確かに矢が数本刺さっているわね。でも・・・〉
沙魚丸は鎧を見た後、お辰に顔を向けた。
案の定と言うか、お辰は盛大にため息をつく。
お辰は甲冑を左右に開く。
この時、沙魚丸は声を上げそうになった。
〈蝶番だわ。ということは、この鎧は当世具足。椎名家では無かったのに。あーぁ。この世界にまだ無い当世具足の知識をひけらかして、ドヤ顔する予定だったのになぁ・・・。そんなことより、当世具足があるってことは、鉄砲が伝来してるってことよね。でも、鉄板に見えないわ。どういうこと・・・〉
沙魚丸があれこれと悩んでいる横で、お辰の歯切れ良い声が響く。
お辰の美声に沙魚丸は後で考えようっと気分を切り替える。
「御覧なさい。どの矢も貫通していません。さて、あなたはどこを怪我したのか言ってごらんなさい。」
そんなはずは、と呟きながら鎧の中をじっくりと見た兵は、えへへと何かをごまかすように笑う。
「無事でよかったです。私はこのへんで失礼して皆様のお手伝いに参ります。」
鎧を抱え逃げるようにしていなくなった兵の後姿にお辰は独り言ちる。
「ちょっと怪我をしただけで大袈裟にぴぃーぴぃーと喚くのだから、困ったものね。」
ふん、と軽く鼻を鳴らしたお辰は沙魚丸を見て首を傾げる。
「沙魚丸様は血を見ても平気なのですね。うちの息子たちが、初めて血だらけで帰って来た旦那様を見た時なんか青い顔をしてぶるぶる震えていましたわ。」
ころころと笑うお辰に対して、
『まぁ、私も前の世界では女ですし・・・』
とは言えない沙魚丸は何となく思いついたことを口に出す。
「次五郎さんもですか。」
「五郎ですか。あの子は腕白でしたけど、人一倍怖がりでしたよ。」
「あんなに豪快なのに信じられないですね。」
「旦那様が五郎をある場所に連れて行ったのです。そうしたら、生まれ変わったように平気になりましたねぇ。」
〈ほほう。次五郎さんが生まれ変わるほどのことがあったのね。修羅戦国を生き残るヒントになるかもしれないわね。〉
沙魚丸はじりじりっとお辰に近づき、声を低くする。
「どこですか。」
「戦場の後片付けに連れて行かれたのですよ。随分と働かされたみたいで、家に帰って来ても、数日はまともに食べれなかったかしら。」
懐かしそうに話すお辰を見て、沙魚丸の笑顔はひくひくとひきつる。
〈それは働きすぎでは無いですよ。しかも、次五郎さんが幼児のころでしょ。よくトラウマにならなかったわね。〉
苦手克服かぁ、と呟いた沙魚丸は、私だったら何かしら、と考えてしまう。
〈私は蜘蛛が苦手だから・・・。蜘蛛だらけの部屋に入れられて、勝ち残ってねって閉じ込められる感じかな。うん、蠱毒っぽい。〉
ぞわっと鳥肌を立てた沙魚丸は大きく頭を振り、考えなかったことにしようとする。
だが、得てして嫌なことほどイメージが頭の中にこびりつき離れないものである。
〈考えなきゃ、よかった。〉
涙ぐむ沙魚丸にお辰が語りかける。
「沙魚丸様。そろそろ手持ちの薬草が少なくなってきました。城外の怪我人も来ますので、今のうちに薬草を取りに参りましょう。」
「はい。喜んで。」
お辰の言葉に救われたように返事する沙魚丸を見てお辰は微笑む。
鶴山城の危機を救ってくれた沙魚丸にお辰は恩返しをしようと考えていた。
お辰が今から沙魚丸を連れて行くのは、お辰の秘密の薬草畑。
貴重な薬草もたくさんある。
薬草の知識を伝えることは、沙魚丸の将来にきっと役立つだろうと考えて。
お辰は、そっと呟く。
「三宅様のことが終わってからもお城に残っていただけて良かった。色々な怪我も見ていただいたし、薬草のことをびしびしお教えしますよ。」
◆◆◆
三宅寛流斎を鶴山城から追い払った時に話は戻る。
お辰が考えたように、三宅に勝利した今、沙魚丸が鶴山城にいる必要はなくなっていた。
敗走する三宅を追いかけるかどうかを三日月武蔵は沙魚丸を始めとした椎名家の面々に問おうとしていた。
〈勝てた。これもすべては、椎名家の方々の助力があってこそ。〉
武蔵は沙魚丸に深々と頭を下げた。
「沙魚丸殿の・・・、沙魚丸殿とご家臣のおかげで三宅に勝つことができた。沙魚丸殿は椎名軍に戻られて、改めて当城へ御入城いただけるだろうか。引き続き、お二人のお力を貸していただきたい。」
〈あれ、なんで、表現を変えたのかしら。まぁ、いいか。〉
沙魚丸は、『じゃぁ、戻りますね。』と言いかけたが、思いとどまる。
転生した際に女神から何も授からなかった沙魚丸は、この時代に生き残っていくために自分の強みを必死で考え、一つの結論を出していた。
〈私の強みは社会人としてTPOを身に着けていること。でも、この世界の常識とか分からないから、人の表情を必死で読み取るわ。〉
何とも情けない強みだと思わないでもないが、迷っている暇など今の沙魚丸にはない。
源之進と次五郎の顔色をこっそり窺った沙魚丸は、
〈何だかとっても難しい顔をしているわね。オッケー、オッケー。叔父上のところに戻って欲しくないのね。〉
と二人の表情から読み取った。
「お気持ちはありがたいのですが、今しばらくこちらでお世話になりたいと思います。できれば、叔父上が入城するのを待たせていただけますでしょうか。」
〈考えてみれば、叔父上のところへ行っても、もう一回ここまで戻って来なきゃいけないのよね。面倒くさいです。戦も終わったんだし、お風呂に入らせて下さい。〉
お風呂に入りたいと心の底から願う沙魚丸の顔は、頭からお湯をかぶることを想像して満面の笑みとなる。
源之進と次五郎は沙魚丸の言葉を聞いた時、すぐに反対の声を上げようとした。
二人は沙魚丸を連れてすぐにでも鶴山城を出るべきだと話し合っていた。
しかし、三宅寛流斎を追わなければならない。
三日月家の兵に沙魚丸を任せて安心かと問われれば、簡単に頷けない二人はどうすべきかと悩んでいた。
しかし、沙魚丸の光り輝くような笑顔を見て、二人は反対するのをやめた。
二人は奇しくも同じことを考えていた。
『沙魚丸様には鶴山城でやり残しがあるのだろう。きっと、将来の礎となることをされるのだろう、と。』
一方、沙魚丸が城にとどまると言った時、武蔵は耳を疑った。
〈城内に残り、三日月家と椎名家の橋渡しのために人質の役割を続けると言うのか。戦で疲労しきっている上に、何が起こるか分からない城内に残るとは・・・〉
どこの世界に好き好んで自らを危地に置き続ける者がいるだろう。
鶴山城は戦が終わったとは言え、三宅寛流斎に味方した者が残っているのだ。
椎名家の血筋の者がいると分かれば、命を狙われることぐらい子供でも分かる。
にこにこと笑う沙魚丸に武蔵は胸を熱くする。
「沙魚丸殿が当城で快適に過ごせるよう、万全を期させていただく。」
武蔵の言葉に沙魚丸は感謝の言葉を述べる。
〈お風呂!お風呂もお願いしますって言うわよ!〉
「お待ちください。」
沙魚丸の身を危ぶむ男が武蔵と沙魚丸の会話に割って入った。
次五郎である。
次五郎はずっと考えていた。
沙魚丸が城内で安全に過ごせる方法は何かと。
〈母上と一緒にいるのが一番安全だ。そうだ、それがいい。それには・・・〉
閃いた次五郎は全員の前で考えを披露する。
「心優しい沙魚丸様は怪我人の世話をお手伝いされるおつもりだ。なので、母上は沙魚丸様の面倒を見てくれ。」
次五郎が何を言っているのか、沙魚丸は分からなかった。
いや、分かりたくなかった。
〈次五郎!あんたは、いっつもそう。私、あなたにそんなこと言ってって頼んでないよね。〉
次五郎に文句を言おうとする沙魚丸に、お辰が嬉しそうに話しかけて来る。
「沙魚丸様にお手伝いいただけるなんて、ときめいてしまいます。」
〈私はお風呂にときめいてます・・・〉
心の声を闇に沈めつつ沙魚丸は笑顔で答える。
「私は怪我人の世話をしたことがないので、ご指導ください。」
「えぇ、えぇ。なんて素晴らしいのかしら。覇気が無いなんて言ってごめんなさいね。沙魚丸様は仏様の生まれ変わりかしら。」
〈仏様ですか・・・。あぁ、三太君、とっても長いこと会ってない気がする。君の笑顔が無性に見たいわ。〉
心を大木村に飛ばす沙魚丸に源之進と次五郎が膝まづき、三宅寛流斎を追い詰めると言って、三日月家の兵を率いて出て行った。
◆◆◆
そんなこんなで、負傷兵の体を拭いたり、怪我人の手当てを手伝っていた沙魚丸は、今、お辰の秘密の薬草畑に連れて来られていた。
ウキウキ気分でお辰についてきた沙魚丸だが、すでにこの場から逃げたかった。
薬草を採ろうと畑に入ろうとすると、畑の杭と杭の間に大きな巣を張った女郎蜘蛛に沙魚丸は怖気づく。
〈こいつは、でけぇ・・・〉
沙魚丸は黄色と黒の縞々からそっと目をそむける。
〈薬草畑にはいいエサが集まるのかしら。お城跡ではお花畑っ言ってたよね。トイレって思ったのが懐かしいわ。〉
女郎蜘蛛を素手で優しく捕まえ、別の杭へと逃がしてやったお辰を驚きの目で見た沙魚丸は心に誓った。
〈領主になったら、お辰様のような人が必要よ。代わりに私は戦場で活躍するわ。〉
沙魚丸は三宅寛流斎との戦いを思い出し、ぶるぶるっと恐怖で震えた。




