一撃
地に伏した小次郎はぴくりとも動かない。
〈負けた。武士らしく潔く死のう。〉
覚悟を決めた小次郎の脳裏に去来するのは、母お琴の心配そうな顔だった。
〈母上。先立つ不孝をお許しください。ですが、小次郎に悔いはありません。〉
笑顔を浮かべる小次郎だが、なぜか涙が頬を伝う。
微動だにしない小次郎に田頭は心の中で手を合わせる。
〈極楽往生しろ。頼むから化けて出るなよ。〉
槍を振り下ろす田頭の目が横合いから神速で飛んで来る何かをとらえる。
ヤバいと思った刹那、田頭は後ろへ飛びのいていた。
今まで田頭がいたところを黒い何かが、瞬き一つすらしない間に通り過ぎていった。
だが、田頭ははっきりと見た。
それが降りしきる雨を豪快に切り裂いていくのを。
はっきりと聞いた。
それが田頭の命を喰らおうと狂暴な声を発していたことを。
〈まじかよ・・・〉
田頭は地面に突き刺さったものを見てゾッとする。
それは、ごくごく普通の一本の槍。
日頃から目にしている野句中軍が使っている槍である。
切れ味も大したことの無い、はっきり言ってしまえば、数を揃えるために造られた粗悪品である。
その粗悪品が、雨で地面が緩くなっているとは言え、地中深くまで突き刺さっているのだ。
田頭は己の目を疑う。
〈どんな力で投げたらあんなに深く刺さるんだ。穂先どころか蕪巻まで土の中かよ。〉
田頭を襲ったものが槍であると理解した田頭は冷笑を浮かべる。
〈当たっていたら、今ごろ俺が三途の川に行ってたな。人の極楽往生を願うなんて慣れないことをするものじゃないな。〉
近づいて来る馬の足音を耳にした田頭は全身で警戒状態になる。
田頭の頭には、もはや小次郎のことは欠片すら無い。
〈さて、化け物のお出ましか。〉
田頭の方へ近づいて来る騎乗の男を田頭は凝視する。
男は馬から下りるなり、田頭に謝罪の言葉を告げる。
「一騎打ちの邪魔をして申し訳ない。」
男が真摯に詫びる様子を見て、田頭は男に不信感を募らせる。
〈邪魔と言ったのか。いやいや、間違いなく、俺の命を獲りに来てたよな。〉
田頭は、もう一度、大地にそそり立つ槍を見て男に言う。
「避けなければ、当たっていたと思うんだが・・・」
「あぁ、お主なら、あれぐらい軽く避けれると思ったんだが・・・。違ったか。」
田頭はちらりと男の表情を窺う。
男の顔からは冗談を言っている様子が全く感じられない。
〈軽く・・・。あれを軽く避けろと・・・。もしかしたら、俺は褒められているのか。というか、こいつは敵なのか。どう見ても味方ではなさそうだが・・・〉
「お手前の言う通り、あれぐらいの槍を避けることなど、俺には造作もない。」
悪びれもせず答える田頭を見た男はニコリと笑う。
「それは大したものだ。」
〈腹立つな、こいつ。俺のはったりを見破ったのか。〉
毒気の無い笑顔を向けられた田頭の内心は穏やかでない。
「それでだな、一騎打ちと知っていて邪魔をする其方の名を聞かせてもらえるか。」
「これは失礼した。私は千鳥ヶ淵源之進。椎名家中の者で、お主が一騎打ちをしている者の父でもある。」
〈えっ、源之進。本物かよ。〉
田頭の心はさらにざわつく。
「えーっと、『椎名に槍の源之進あり』と謳われる源之進殿ですか。」
「自ら名乗ったことはないが、そのような二つ名でも呼ばれることもあるかな。」
恥ずかしそうに話す源之進に、田頭は動揺を悟られないよう冷静な表情を必死で保つ。
だが、田頭の胸はガンガンと早鐘を打ちまくっている。
〈やっぱり、槍の源之進か。千鳥ヶ淵と小次郎が名乗った時から、そうじゃないかと思ったが・・・。本物が来たか!〉
田頭はぶるっと震える。
恐怖で震えたのではない。
武者震いで震えたのだ。
〈小次郎って強くなかったよな。いや、年の割には強いか。父と子供の強さって、同じぐらいではないよな・・・。あー、もう、分からん。ごちゃごちゃ考えるのはやめだ、やめ。やってみれば分かる。何にしろ、槍の源之進と戦えるなど幸運すぎて怖い。〉
田頭は努めて平易な口調で言う。
「それでは、小次郎殿と代わって、源之進殿が俺の相手をしていただくと言うことでよろしいか。」
「いや、そうではないのだ。小次郎との一騎打ちの邪魔をして悪かった。お詫びと言っては何だが、お主を見逃そうと思う。ここから立ち去ってくれてかまわない。」
「はぁ。何を言ってるんだ。」
予想もしなかった源之進の返事に田頭の言葉は素っ頓狂となる。
そんな田頭の態度を見て、源之進は自分が大変な間違いをしたことに気がついたのか、申し訳なさそうな表情に変わる。
「これはすまない。そうだな。ここから立ち去っていいなどと、随分な物言いだったな。」
「そう。分かればいいんだ。分かれば。」
田頭はいい話の流れだと、うんうんと頷く。
「私の配慮が足りなかった。お主が安全なところまで私がついて行こう。椎名の者がお主に指一本たりとも手を出せぬようしっかりと見張らせてもらおう。」
源之進の返事に田頭はポカンとしてしまう。
〈槍の源之進は、武勇一辺倒で頭はお粗末なのか。いや、強いからこそ、人の話をまったく聞かないでも生きて行けるのか・・・。そうか、これが選ばれし者と言うやつなのだな。〉
田頭は変な納得の仕方をしてしまう。
「源之進殿が天に愛されし者ということが、よく分かった。私は貴方に勝って、堂々とこの場を去る。」
「どうしても戦うと言うなら、お相手をするのはやぶさかではないが・・・」
「かたじけない!」
喜色に染まった田頭の顔とは違い、源之進が渋い顔をしていることに気づいた田頭は眉をしかめる。
「何か問題でも。」
「実は、愛用の槍を持っていなくて、加減が分からんのだ。だから、一撃でお主を倒してしまうかもしれん。私との勝負を楽しみにしてくれているようなので、なんだか、申し訳なくてな。」
ふっふっふ、と田頭が暗い顔で笑う。
腹でも痛くなったのか、と心配そうな顔で源之進が見ていると、田頭からブチッと音がした。
「無用。俺への気遣いなど無用、無用、無用だ!というか、なぜ、俺が負ける前提なのだ。」
源之進が驚いた顔になる。
「いや、すまん。実力の差がはっきり分かっていて、私に槍の指導をお願いしているのかと思ったのだが・・・」
「戦場でやることなど、殺し合いに決まっているだろう。もう、言葉は無用。勝負だ。」
「戦場と言うが・・・」
「さぁ、構えよ。」
田頭が勝負を催促するのを見て、何か言いかけた源之進は話すのを諦めた。
そして、源之進は地面に刺さった槍をちらりと見て、首を捻る。
何か閃いたような顔をして、地面に転がっていた小次郎の槍を拾い上げた。
そして、上下、左右に動かし感触を確かめる。
「待たせた。私は倅の槍でお相手しよう。」
源之進の構えを見た田頭が爆発寸前の声で問い詰める。
「なぜ、穂先ではなく、石突を俺に向けている。」
「一騎打ちを邪魔した詫び代わりに、お主を生かしておいてやろうと思ってな。感謝は不要だ。」
〈我が子を嬲ってくれた意趣返しもさせてもらうぞ。〉
源之進の心の声は、田頭には聞こえない。
にこにこと話す源之進に田頭は叫ぶ。
「俺を子ども扱いするのはやめろ。」
怒りが頂点に達した田頭が勢いよく槍を繰り出す。
〈怒りで突きが速くなっただけだ。目線通りに突いてはダメだぞ。〉
心の中で笑った源之進は田頭の槍を易々とかわし、石突を田頭の胸に叩き込む。
源之進お得意の高速の三段突きをまともに食らった田頭は後方へ大きく吹っ飛び、そのまま気を失った。
田頭が気絶したのを確認した源之進は、いつの間にか姿を現した兵の一人に田頭の拘束を頼み、小次郎を助け起こす。
「父上。ありがとうございます。」
小次郎は源之進に助けられ、その場にあぐらをかいた。
「どこか、怪我をしたか。」
「いえ、何ともございません。」
源之進は怪訝な目で小次郎を見つめる。
「どういうことだ。怪我をしていないのに、なぜ、あの者の手にかかろうとしていたのだ。あの者の槍に抗しているように見えなかったぞ。」
うなだれた小次郎がぼそぼそと話す。
「私は一騎打ちであの者に負けました。ですから、男らしくすっぱり討たれようと思いました。」
小次郎の言葉を黙って聞いていた源之進が小次郎の顎をひょいと持ち上げ、頬を強く張り飛ばす。
よほどの強さのためか、小次郎は水しぶきをあげ横倒しになる。
茫然とした小次郎に源之進の叱責が飛ぶ。
「馬鹿者。お前は父との誓いを忘れたのか。」
「誓い・・・」
はっとなった小次郎は急いで身を起こす。
「もちろん、覚えております。ですが・・・」
源之進は、小次郎の言葉を遮る。
「死を飾るなと申したであろう。男らしくなどと戯言を言うな。私たちは沙魚丸様のために生きると誓ったのではないのか。」
源之進は静かに話しているが、体から発せられる気配が猛々しく恐ろしい。
だが、小次郎もここは退けないとばかりに父に反論する。
「私が手柄を立てれば、沙魚丸様のためになると思ったのです。そして、この者と正々堂々と戦い敗れたのです。負けて、おめおめと沙魚丸様にお目にかかれません。」
小次郎の言葉を聞いた源之進は、あぁ、と言って、天を仰ぐ。
「違う。違うぞ。小次郎。私たちには正々堂々など必要ないのだ。」
「父上のお言葉とは思えません。父上はこの者を一騎打ちで倒したではありませんか。」
「お前の目は節穴か。この者と戦う前に、私がどれだけこの者を虚仮にしたか聞いていたであろう。」
きょとんとした小次郎だが、確かに、と小さな声で頷いた。
「相手の土俵で戦えば、どれだけ力の差があっても負けるかもしれない。だからこそ、相手を冷静とはほど遠い状態となるように追い込み、自らの土俵に引き込んで戦えるよう工夫をするのだ。」
源之進の言葉を聞いた小次郎はごくりと唾を飲み込む。
そして、おずおずと源之進に口を開く。
「それは、卑怯ではございませんか・・・」
「お前は卑怯と簡単に言うが、武士の卑怯とは策略だ。お前が端武者として生きたいのなら、これ以上、父は何も言わん。」
小次郎の声に力が戻る。
「私は沙魚丸様の一の臣として生きとうございます。」
「ならば、しっかりと相手を観察するのだ。戦いとは騙しあいだ。今日を限りに武士の誇りなど、犬にでも食わせよ。私たちは沙魚丸様のために生き残り、お役に立たねばならない。命を捨てる時は、沙魚丸様が決めて下さる。勝手に死に場所を作るなど、不忠でしかないことを理解せよ。」
父の叱責を聞いていて、亡き沙魚丸に頼まれたことが小次郎の心によみがえる。
〈私は・・・〉
小次郎は拳をぐっと握り、源之進に頭を下げる。
「私の考えが間違っておりました。」
小次郎の肩に手を置いた源之進が優しく語りかける。
「そんなに死に急ぐな。親より先に死ぬのは許さん。私はお琴が悲しむのを見たくない。」
「はい。」
小次郎の返事が震える。
嗚咽が漏れぬよう、小次郎は奥歯を強く噛みしめる。
「私もな。」
父の柔らかな言葉に小次郎の両目から堰を切ったように涙が流れ出した。




