総悟
小次郎は、雨情との会話を思い出し悶々としている。
「どうだ、小次郎。お前が活躍すれば、沙魚丸が活躍したことになるのだぞ。」
両肩をがっちりつかまれて、迫力ある顔をぐぐっと近づけて来る雨情の言葉に逆らうことができる者などいるはずがない。
「分かりました。私に良き場所をお与えください。」
雨情の燃えたぎる瞳をしっかと見返す小次郎は、
〈ここで顔を下に向けたらダメだ。雨情様は、そんな根性なしに活躍の場を与えるような方ではない。〉
小次郎は腹に力を入れ、己の瞳を爛々と輝かせる。
「よく言った。それでこそ、源之進の倅じゃ。」
雨情が嬉しそうに笑い、小次郎にごつんと頭突きを一つ入れる。
ようやく小次郎の肩を離した雨情が山腹を指さす。
「見よ。あそここそ、お前が活躍する場所だ。」
頭突きのせいで、目から星が出ている小次郎には雨情が指さしたところなど見えているはずがない。
しかし、やせ我慢をした小次郎は、はつらつと返事をする。
「かしこまりました。」
腕まくりをしてやって来た山腹ではあるが、いざ作業を初めてみると、小次郎は雨情に騙されたのではないか、と言う思いが胸を渦巻く。
だからこそ、幟旗を立て続ける小次郎の口からは自然と懐疑の言葉が漏れる。
「これは活躍していると言えるのだろうか・・・」
小次郎としては、合戦の中で華々しい舞台を雨情が用意してくれるものだとばかり思っていた。
だが、違った。
縁の下の力持ちとして活躍している小次郎は、これじゃない、これじゃない!と独り言ちる。
不満を胸に抱きながらも、小次郎は真面目に旗を立てる。
そして、旗を立て終わった時、足軽頭の言葉を聞いて小次郎の目はギラリと光る。
「旗を立て終わったので、騎馬組の馬を戦場に引いていくぞ。」
不満だらけで働きが鈍くなっていた小次郎の頭は、一気に活性化する。
〈戦場に出てしまえば、こっちのものだ。大将首とは言わないまでも、良き兜首を獲ってやる。〉
「小次郎殿。そこもとには、この馬を任せたい。」
近づいてきた足軽頭は、のんびりした顔の馬を引いてきた。
〈大人しい馬を私に割り当てようとお考えか。優しい御方なのだな。でも、お言葉には従えません。〉
「申し訳ございません。私は、父の愛馬を届けなければならないのです。」
小次郎にすげなく断られた足軽頭だが、驚いたことに目に涙を浮かべている。
「なんと親孝行なことだ。うちの倅にそこもとの爪の垢を煎じて飲ませたい。あぁ、源之進殿はいい後継ぎを持って、実に羨ましい。」
涙ながらに褒められた小次郎は良心の呵責を覚え、慌てて否定する。
「いえ、私などまだまだです。父に馬を一刻でも早く連れて行きたいと思いますので、これにて失礼いたします。」
遠ざかって行く小次郎に声援を送っていた足軽頭だが、小次郎の姿が小さくなった頃、首を捻る。
「あれ、源之進殿は雨情様と行動を共にしていたっけかな・・・」
必ず活躍してやるぞ、と声に出した小次郎は足を速める。
小次郎は父の馬の首を優しく撫で、語りかけた。
「頼むぞ。私が兜首を獲れるように協力してくれよ。」
熱のこもった声を小次郎からかけられた源之進の愛馬は、任されたとでも言うように高らかにいななくのだった。
◆◆◆
逃げ惑う野句中軍の中軍を雨情ご自慢の槍兵が襲う。
穂先を揃えた一斉突撃により寒山がいる前軍へ逃げるように追い込んでいく。
紫香楽智努は必死で逃げる野句中軍を眺めて配下の弓兵に言う。
「おい、分かったぞ。行きはよいよい、帰りは怖い、とはあいつらのための歌だったんだ。俺の考え、すごくないか。」
ハードボイルド風に語る紫香楽に兵たちが騒ぐ。
「智努様。早く射なければ、また、槍組に『遅かりし、弓野郎』って馬鹿にされやすよ。」
ちっ、と智努が舌打ちする。
「お前たちは、もう少し詩情を理解しないと・・・」
智努の言葉に、弓兵が一斉に口撃を始める。
「もう、そういうのいいから。」
「似合ってねぇよ。」
「早く、射る命令を出してくれよ。」
などなど、数々の暴言を吐かれた智努は配下からプイッと顔を背けると、自慢の五人張りの弓を構える。
四人がかりで弓を曲げ、残りの一人が弦をかけるから五人張りと言うのだが、そこまで力が無い智努が使っているのは三人張りぐらいである。
鎮西八郎為朝に憧れている智努が、将来、絶対に五人張りを使うので今から五人張りと言っても問題ないと考えたらしい。
「俺が撃ち込んだのを合図に、お前たちは射続けろ。」
「よし、きた。」
「やっとかぁ。」
「遅い!」
などなど、智努の弓組はいつも騒がしい。
十分に引き絞った智努の弓から、空気を裂いた音を立てて矢が飛んで行く。
前を走っていた兵の背中に智努の矢がぐさっと貫通し、突っ伏して倒れたのを見た後続の兵は恐怖し、一瞬、足を止めてしまう。
彼らは走り続けるべきだった。
智努の弓に続いて飛来する弓から、もしかしたら、逃げることが出来たかもしれないのだから・・・
この戦場に来たことを反省する機会を与えられることなく、矢は彼らの命を容赦なく絶って行く。
ぼろぼろな甲冑しか身に着けていない傭兵たちの背中を守るものは、何もない。
矢は彼らの飢えてやせ細った体に容赦なく突き刺さり、死傷者があれよあれよという間に増えていく。
この光景を腕組みして見ている雨情は渋い顔のまま唸り声を上げる。
雨情の地を這うような声に気づきたくなかった木蓮は、気づいてしまったので素知らぬ顔で雨情の表情を窺う。
〈今のところ、圧勝と言ってもいい勝ち方をしているのですが・・・。やはり、近づくのが嫌になるような表情ですね。〉
雨情の顔つきから接触禁止の匂いをかぎ取った木蓮だが、忠義の心に厚い副将として雨情の横に並ぶと、優し気な声で尋ねる。
「若。何かございましたか。」
矢の雨に降られ続ける野句中軍の兵から目を離さず、雨情が答える。
「野句中軍には傭兵しかおらんのか。どいつもこいつも逃げ惑っているだけだ。」
「そう言えば、私も生きている正規兵を見ておりませんな。」
そう言っている間に野句中軍の前軍までもが算を乱して逃げ出していく。
「もろすぎるな。」
雨情の呟きに木蓮が声を重ねる。
「後軍も我先に逃げ出しておりますし、弱すぎて、逆に不安になりますな。」
後軍を見るために振り返った雨情が首を傾げた。
「止めた方がいいか。」
「はい。」
肯定した木蓮に続きを話すように雨情は口を真一文字に結んだ。
「一撃を与える、と言うのが当初の目的でしたので、野句中軍をこの地から追いやったのですから目的は十二分に果たしたかと。」
「ふむ。」
不満げに口を尖らせた雨情に木蓮の話は続く。
「退却する兵を討つのは兵法の常道ではありますが、我々には兵が足りません。野句中軍を窮鼠にするのも避けるべきかと。さらに、海徳殿がいつ来るかも分かりません。また、三日月殿が姿を見せていないことも不安要素の一つです。」
少しばかり考えた雨情は、朗らかな顔で言う。
「分かった。停止しよう。」
雨情の言葉に頷いた木蓮が全軍に停止の合図を送る。
「騎馬がいれば、けつを追い回してやるのだがな。」
ぼそっと呟いた雨情のもとへ騎馬組組頭の彩倉総悟が馬に乗って近づいてきた。
総悟は馬から降り、雨情に報告する。
「口取りが連れて来た馬が揃いましたので、騎馬組として働けます。」
「惜しいな。たった今、停止の合図をしたばかりだ。」
そう言いながら、物欲しげな笑顔で雨情が木蓮を見る。
ため息をついた木蓮が、肩をすくめる。
「仕方ありませんな。深追いはダメですぞ。」
「はっはっは。木蓮の許可が下りたぞ。総悟。鶴山城が見えないところまで、あいつらを追い回してこい。」
「了解です。」
総悟は騎乗すると、騎馬組を率いて逃走する野句中軍の兵を追いかけ始めた。
「やはり、最後の締めはちゃんとやっておかんとな。」
総悟を見送り楽しそうな雨情から顔を街道に向けた木蓮が眉をひそめる。
「若。あれは・・・」
木蓮が注意を向けている方向を見た雨情は、眉をひそめる。
〈なんだ、あの騎馬兵どもは・・・〉
騎馬兵の一群がまっしぐらに街道を進み、鶴山城の方へ走っていく。
じっと見ていた木蓮が雨情に向き直り、叫ぶ。
「若。あれは野句中の正規兵ですぞ。」
「総悟を呼び戻せ。逃がすものか。」
木蓮が総悟を呼び戻すための合図を送るが、野句中軍は街道を疾走する。
「木蓮。見たか。騎手の背中にぐるぐるに縛られているやつがいたぞ。おそらく、あいつが大将だ。弓組はいけるか。」
「紫香楽が逃げる野句中軍をひつこく追いかけてしまい、間に合いません。」
雨情は口元を歪める。
「これだけ勝っていて、大将を逃がすのか・・・」
「いや、まだ、いけるかもしれません。総悟が戻ってきました。」
木蓮が指さす方を雨情も見る。
総悟が騎馬組を率いて街道を逃げる野句中軍めがけてまっすぐに突き進んでいる。
木蓮の口調が興奮したものと変わる。
「若、もう少しで殿に食いつきますぞ。」
「あぁ。」
呟いた雨情は、殿の様子をじっと見ている。
「木蓮、あの殿だが、動きに弾力があるように見える。どう思う。」
「そう言われれば、そうですな。弱兵とばかり思っていましたが、統率も取れていて・・・。あれは、強いですな。」
「総悟が熱くならなければ、いいのだが・・・。あいつは、強敵を前にすると戦いを楽しむからな。」
不安げに見守る雨情に、木蓮が鋭く叫んだ。
「小次郎がおります。」
「目までボケたのか。小次郎は山の上で、旗を立てて・・・」
話している途中で雨情は気づいた。
旗を立て終わったら、馬を連れて来るように命じたのは、他ならぬ雨情自身であることを。
「どこだ。」
引きつった声で雨情が木蓮に尋ねると、木蓮が脱力した声で返す。
「若の目の方がボケているのでしょう。総悟の後を駆けているではございませんか。」
はぁっ?、と雨情は裏返った声を上げる。
「総悟の馬と伍して走るなど、そんな馬鹿なことがあるか。一体、誰の・・・」
またもや、雨情は気づく。
木蓮が憐れんだ目で雨情を見た。
「ボケているのは若に決定ですな。源之進殿の馬に決まっているではありませんか。」
「あの馬鹿が。小次郎に何かあったら、危険な任務をゆだねた源之進に顔向けできんでは無いか。」
「撤退させますか。」
腕を組んだ雨情は何とも言えない顔をしてから、怒鳴った。
「ダメだ。ここで撤退させると、勝ちにケチがつく。とりあえず、ケリをつけるぞ。」
「無事帰ってくることを祈るほか、なさそうですな。」
殿と戦い始めた小次郎を見て、雨情は苦笑する。
「こうして見ていると、親子だな。戦場で生き生きするのは、千鳥ヶ淵家の血だな。」
「まったくです。しかし、何ですなぁ。無茶をやる若い者と言うのは、いいものですな。」
雨情が声を出さずに笑った。
「久しぶりに儂らも若返るか。海徳と無茶をやるのも面白いぞ。」
「ほほう。若の血が騒ぎだしましたか。いつでも戦えるように、私は兵をまとめておきましょう。」
木蓮が若やいだ顔で笑い、兵たちのもとへ走って行った。
雨情は、木蓮の背中に声を投げた。
「頼む。」
そうして、殿と戦う総悟と小次郎に雨情は熱い視線を送るのであった。




