脱出準備
おろおろとしている近習たちに隅小沢は一喝する。
「主君がいない時に、お前たちまで狼狽してどうするのだ。」
隅小沢の叱咤に息を呑んだ近習たちだったが、見る見るうちに顔つきが引き締まった。
吏僚とは言え、才覚を見込まれ選りすぐられた者たちだけのことはある。
感心した隅小沢は思わず
「ほぅ」
と声を上げた。
茶坊主のように寒山のご機嫌取りをする近習の存在にうんざりしていた隅小沢なのだが、この変貌ぶりに素直に敬服する。
〈股から大事なものを取り外したのかと思っていたが、これは大変に失敬だった。立派な男の顔になったではないか。よし、何とかなりそうだ。〉
心の中でにんまりと笑った隅小沢は、ここが大事とばかりに声に力を込める。
「お前たちは、騎馬隊の頭である千久佐の指揮下のもと、寒山様を無事に海徳様のところへお連れせよ。異論は認めん。」
近習たちに従うように命令した千久佐は隅小沢の家臣であり、騎馬隊を自分の手足のように指揮する誠に頼もしい男である。
しかし、悲しいかな近習たちからしてみれば陪臣でしかない。
平時であれば、いや、戦時であっても、顔を見て話すことすら許されない身分の差がある。
〈ここで、身分がどうのこうのと言うやつがいれば、軍法を押しつけて斬るしかないのだが・・・〉
今の隅小沢は近習たちがそんな男たちではないと信じている。
ふたを開けてみれば、隅小沢の心配も杞憂でしかなかった。
全員が千久佐に従うと拍子抜けするほど簡単に言ったので、隅小沢は何だか釈然としない。
〈俺に人を見る目が無かったのか・・・。いや、まぁ、良かった。〉
「報告します。寒山様は騎馬隊の中で最も腕利きの背中に縛り付けましたので、いつでも行けます。」
千久佐の使い番が走って来て、息を整えることすらなく話す。
聞き間違いかと思った隅小沢は、使い番に尋ねる。
「縛り付けた、と言ったのか・・・」
「はい。寒山様ですが、何か生気を失われたようにぶつぶつと呟かれておりますため、お一人での騎乗は危険と千久佐様が判断いたしました。」
何か問題でもあるのだろうかと不思議そうな顔をして答える使い番に隅小沢は微笑む。
「いや、それでいい。千久佐に伝えてくれ。ここにいる近習たちを寒山様の盾としてくれ、と。遅れる者がいれば、捨てて行ってかまわん、とな。」
使い番は隅小沢の言葉にごくりと唾を飲み、そっと近習たちを盗み見る。
〈いくら何でも暴言ですよね・・・。お怒りの近習の方々をお連れするのは、私では無理ですよ。〉
近習たちの目がごうごうと音を立てて燃えている、と使い番は思った。
〈ほら、やっぱり。隅小沢様。早く謝ってください。〉
「隅小沢殿。私たちに寒山様をお守りする御役目を与えていただき感謝いたします。」
近習が揃って頭を下げるのを見て、使い番はポカンとする。
口を開いたままの使い番を放っておいて話は進む。
「感謝は無用だ。もっと前に打ち解けていれば良かったとは思うが、今更な話だな。」
自嘲気味に笑う隅小沢に近習の一人が小さな巾着を差し出した。
「これは、私の娘が作ってくれたお守りです。大切なものなのですが、隅小沢殿を見込んでお預けいたします。必ず返してください。」
受け取るのを躊躇する隅小沢の手に近習は無理やり押し込む。
首を捻り続ける使い番を先頭に、近習たちは何度か手を振ると立ち去った。
「これは、大変なものを渡されてしまいましたな。」
いつの間にか到着した三輪と田頭の二人が、隅小沢の持っているお守りを覗き込んで笑っている。
「今日が最後の日かと思い、どうやって華々しく散るかの算段をするかと思っておりましたが、生き残る算段をしなければいけなくなりましたな。」
田頭の言葉に、隅小沢はため息をつく。
「ありがたいが、困った。正直なところ、生きて返せる気がしないのだが・・・」
「努力するだけでも納得していただけましょう。寒山様を無事にお戻しさえできれば、後はどうでもいいのですから。」
三輪の言葉に救われたように隅小沢が頷く。
「では、お前たちの使い番に命じてくれ。傭兵の頭どもに助かりたければ、中石川殿の陣へ向かって突っ走れ、とな。」
両隊の使い番たちが傭兵の頭たちに命令を伝えるために一斉に散った。
「私たちは、どうするのですか。」
三輪の質問に、隅小沢は渋い顔で答える。
「椎名軍が調子に乗って傭兵どもを追いかけ続けてくれれば、嬉しいのだが・・・。」
「なるほど。どうぞ討ってくださいと言わんばかりに走らせたのは、そういう理由ですか。」
「傭兵どもの逃げ足は速いものだと相場が決まっている。真面目に追っかけてくれれば、椎名軍は縦に長くなる。伸びきったところで側面に一撃を与え、椎名軍が混乱に陥ったところをさくっと逃げたい。」
腕を組み、両目を力いっぱいにつぶった田頭が、うーんと唸り声を上げる。
「そいつはちょっと、俺たちに都合が良すぎませんか。」
田頭に大声で返された隅小沢が苦笑いで答える。
「やっぱりお前もそう思よな。言い出しっぺの俺も難しいと思ってるんだ。」
ふんふん、と頷いていた三輪が口を開く。
「聞いたところによりますと、椎名軍は雨情殿の領地にいる者たちだけで編成されているそうです。当軍とは違って雨情殿の意思通りに動く軍、と思っておいた方がいいでしょう。」
「他家にいるころは他人事だったが、こうして敵対すると嫌な相手だ。」
「鷹条の殿様が直々に欲しがる首ですからな。椎名家を滅ぼすためには、目の上のたんこぶってやつだ。」
田頭がまぶたの上に指を置き、おどけたふりをするのを見た三輪が笑い始めると三人が声を揃え笑う。
「さて、ひとしきり笑ったところで真面目な話をしよう。おそらく、当軍の傭兵どもの活きのいい逃げっぷりに、雨情殿は異変を感じるはずだ。きっと、軍を止める。その一瞬の隙をついて、ここを脱する。しかも、鶴山城の方に全力で逃げる。」
「何というか、希望にすがった作戦に思えますが・・・」
悲しそうな三輪の声を田頭が笑い飛ばす。
「俺はこういう出たとこ勝負は好きですぞ。隙を突いても無事に逃げれるのは寒山様だけ、と言う気もしますが、殿として存分に腕を振るえそうですな。」
「そう考えると、案外、いけるかもしれません。鶴山城が法螺貝を吹き鳴らしましたが、三日月軍にこれといった動きがありません。希望的観測ですが、雨情殿も私たちが鶴山城と合流するのでは、と迷うかもしれません。」
「まぁ、戦なんて、ここまで来ると、出たとこ勝負だからな。おっと、傭兵どもが逃げ始めたな。いや、しかし、本当に逃げ足が速いな。」
脱兎のごとく駆けていく傭兵たちを見た三人は、椎名軍がが傭兵たちを追いかけ続けるように祈るのだった。
◆◆◆
時は少し戻る。
「兄者、物見が戻って来た。」
中石川の弟の新堂が中石川のもとへ駆けつける。
伸びをした中石川が首を回しながら言う。
「遅かったな。で、見つけたのか。」
「椎名軍の旗を高々と掲げて意気揚々と行軍しているらしい。兵の数はおよそ500。」
新堂の返事を聞いた中石川がニヤリと笑う。
「寒山様に聞いた椎名軍の数は500だったな。噂に聞く雨情殿もすっかり十六夜殿の策に嵌められたか。手柄は有難く俺たちが頂戴しよう。鷹条家に仕官してから初の大手柄になるぞ。」
海徳に気に入られて鷹条家に仕えることになった中石川は、海徳に嫌われれば、良くて追放、悪ければ斬殺されるということを分かっている。
〈鷹条も古来からの名家だか、何だか知らんが、新参者をいびるのはどこの家でも一緒だ。しっかり実績を積んで、四の五の言うやつを黙らせる。そのためには、椎名家の有名どころの首がいくつあってもいい。〉
誰の首を真っ先に獲るべきか、と考える中石川だが、その思考を中断させるように新堂の大きな声が耳元で炸裂する。
「ここに隠れたまま椎名軍を黙って行かせるのは反対だ。」
不満げに叫ぶ新堂に中石川は少し戸惑う。
〈もう何回も説明したではないか。椎名軍を素通りさせて背後を襲う、と。野句中軍と挟み撃ちにすれば、椎名軍を全滅できることも可能だと納得していたはずだが・・・〉
困ったように新堂を見つめた中石川は、なるほど、と気づいた。
〈寒山が俺に難癖をつけていたのを思い出したのか。俺たちだけで椎名軍を滅ぼし寒山に見せつけてやる、という気概はわからないでもない。しかしだ・・・〉
中石川の軍には傭兵を含めて300の兵がいる。
内、配下の兵はわずか50である。
〈傭兵はなぁ、使いづらいんだよな。あいつら、勝とうが負けようが略奪のことしか考えてないしなぁ。〉
無意識の内に口を尖らせた中石川へ、新堂が詰め寄る。
「兄者が許してくれれば、俺が一人で雨情とかいう大将の首を獲って来るぞ。」
「頼もしいことを言ってくれるが、ダメだ。なんか知らんが、茄子次五郎殿が椎名家へ寝返ったらしい。考えなしに突っ込めば、あの恐ろしい矢がお前めがけて飛んで来るぞ。」
新堂が苦悶の表情に変わる。
「あぁ、そいつは無理だ。やっぱり、やり過ごして背後から攻撃しよう。」
弟の変わり身の早さに高らかに笑った中石川が新堂の肩をばんばんと叩く。
「そうしよう。大将が前にいるわけがないのだ。偉いやつと言うのは、いつでも後ろでふんぞり返っているものだ。背後から襲えば、すぐに討てるさ。」
「了解だ、兄者。そうと決まれば、いつでも出撃できるように俺は兵を見回ってこよう。」
機嫌良く去っていく新堂に、中石川は黙って手を振った。
「頼りになる俺は、寒山殿に知らせを送っておくとしよう。」
呟いた中石川は小姓に使い番を準備させる。
寒山に知らせを送ってからしばらくして、鶴山城の方から法螺貝の音が鳴り響く。
〈何だ、あの法螺貝の音は。〉
胸騒ぎがした中石川は、これまでの記憶をたぐる。
〈確か、三日月家は鐘を使ったはずだ。鷹条家も法螺貝など使わない・・・。とすれば、残るは、椎名か。椎名軍が鶴山城にいるわけがない。どうなっているんだ。〉
苛立った中石川は、爪を噛み始める。
〈考えろ。法螺貝は椎名軍が鳴らしたとして、鶴山城から鳴ったと言うことは・・・。まさか、三日月家が裏切ったのか。彦左じいさんがいるから、三日月ごときと言いたいが、俺が陣を移したからなぁ・・・〉
彦左衛門の戦慣れした顔を思い出し、後ろめたさにきりきりと胸が締めつけられる。
〈あぁ、畜生が。俺のせいじゃねぇ。〉
ごまかすように中石川は叫ぶ。
「物見を出すぞ。急げ。」
「物見は出払っており、おりません。」
小姓の藤八が答える。
「お前でいい。本軍の様子を馬で見て来い。いや、できるなら、鶴山城の様子を見て来い。もしも、戦となっていたらすぐに戻ってこい。俺に知らせることを最優先にしろ。」
頷いた藤八が、騎乗となり出て行った。
〈じいさん、死に急ぐなよ。万が一があったら、俺が悪いみたいだからな。〉
鷹条家に仕官してから彦左衛門に世話になりっぱなしだった中石川だが、陣替えをする際に彦左衛門に何も言わずに出てきてしまったことを思い出し、後悔の念に押しつぶされそうになる。
「兄者。兵の引き締めは完璧だ。兜首一つにつき10貫文と言ったら、傭兵たちも目をぎらつかせているぞ。」
戦意に満ちた声と共に、新堂がぬっと中石川の横にたった。
突然の登場に驚いた中石川だが、心の底から安心する。
〈和ませてくれるのは、天性の資質だな。〉
新堂の登場で、縛り付けられていた自責の念から解放された中石川は新堂に告げる。
「さっきの法螺貝の音を聞いただろう。何かヤバい気がする。」
「兄者。とりあえず、これを食え。腹が減っているといい考えが浮かばん。」
新堂は柿を差し出した。
〈こいつには、本当にかなわん。〉
苦笑した中石川は柿を受け取る。
「そうだな。腹が減っては何とやらだ。ありがたくいただこう。」
がぶりと大きくかぶりついた中石川は、口の中にいれた柿をすべて吹き出す。
「渋柿ではないか。」
むせながら叫ぶ中石川を見て、新堂が腹を抱えて笑う。
「どうだ、兄者。すっかり落ち着いたであろう。」
「お前なぁ・・・。だが、冷静になったのは事実だ。悔しいが、一応、礼を言う。一応だぞ。」
「何、気にするなって。」
新堂が胸を張って答えた時、放棄したはずの山中の陣地に幟旗が次々と立つのが二人に見えた。




