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剥奪

隅小沢は、寒山の一言にハッと気づかされる。

〈目くらまし・・・。そう、あれは目くらましだ。〉


「寒山様。確かに、あの旗は目くらましに違いありません。」


隅小沢が寒山の言葉に賛意を示したことで、周りにいる近習たちもようやく頭が回転し始める。


「なるほど。目くらましか。」


「中軍の騒ぎも放置しておいて大丈夫だな。」


「やれやれ、一時はどうなるものかと気をもみました。」


さっきまで不安な顔をしていた近習たちは、安堵した顔で口々に寒山の見立てを褒め始めた。


隅小沢の配下である数名を除き、寒山の近習に武の心得は無い。

寒山の近くで諸々の雑務をこなし、吏僚としての才覚を見込まれた者たちである彼らは、弓や槍などの稽古に力を入れたことは一切無い。


よって、寒山のもっともらしい意見に近習たちは一縷の望みを託そうとする。


とはいいつつも、武の心得が無い近習であっても分かっているのだ。

中軍の動揺が前軍にどれほどの被害を与えるかを。

ましてや、中軍が敗北することなど、この場にいる者が誰一人として想定していないことを。


だが、寒山だけは違う。

負けることなど、寒山の頭には無いのだ。


寒山は久しぶりの快感に打ち震える。


〈そう、これだ。ちやほやされて初めて、私は実力を発揮できる男なのだ。細かいことをごちゃごちゃと言う小姑のような者がいると、ダメなのだ。〉


ふっふっふっ、と含み笑いをする寒山が手にした和鞭を幟旗に向ける。


「皆さん。よく御覧なさい。雨のため視界は悪いのですが、ずらずらと並んでいる幟旗の最前列しか椎名家の家紋が入っていません。」


寒山の自信満々な態度と裏腹に近習たちは不安げな様子で幟旗を見つめる。

だが、しばらくすると、近習たちの表情がぱっと明るくなり、口も軽やかになっていく。


「寒山様の申される通りだ。」


「何だ。後ろの旗は・・・。あれは、旗では無いのか。」


近習の中でも特に目のいい者が、口を開く。


「あれは、着物をひっかけているだけだ。幟旗ではない。」


さらに、目を凝らし、言葉を付け加える。


「おかしい。兵の姿が一人も見当たらない。幟旗が立っているだけだ・・・」


近習たちは寒山に熱い視線を飛ばし、どういうことか説明を求める。

敬意のこもった視線を感じ、はうっと叫ぶほど心に快感を覚えた寒山は、至福の笑みを浮かべる。


〈皆さん、困ったものですね。仕方ありません。この秀逸な私が説明してあげましょう。〉


「いいですか。あの旗は囮です。椎名軍は、私たちをあの旗のところへ誘導しようとしているのです。」


静まり返った近習たちの顔を寒山は得意気に見まわす。


「私たちが兵を動かせば、街道を進んで来た椎名軍はがら空きの背後を襲うでしょう。そうなれば、敗北は(まぬが)れません。ですが・・・」


注目を集めるように言葉を切った寒山が恍惚とした表情で話す。


「私が大将だったのが、椎名軍には気の毒でしたね。すべてお見通しです。」


おおっ、と感嘆の声を上げた近習たちが、拍手をまじえ寒山をほめそやす。

心地よく響く近習たちの賛美に、寒山は喜びの絶頂に達する。


「お待ちください。」


〈またですか。どうして、この人は何かしら文句を言うのでしょう。〉

口を挟んで来た隅小沢によって、いい気分をぶち壊しにされた寒山が露骨に不機嫌な声を出す。


「何です。」


寒山の仏頂面を目の当たりにした隅小沢の心はずんと奥深くに沈みそうになるが、気力を振り絞り、心に火をつける。

〈私の役目は、寒山様のご機嫌取りではない!〉


「あの旗は囮かもしれません。ですが、あの場所まで椎名軍の者が行ったのも事実。中軍に椎名家が攻めて来る可能性をお考え下さい。」


必死な形相で訴える隅小沢に寒山は薄ら笑いを浮かべる。


「そうでしたね。貴方に言うのを忘れていました。貴方が陣幕から離れている時に中石川殿から知らせが来たのです。街道を進む椎名軍、兵数500を見つけたと。500と言えば、丸根城を出た数と同じです。いかがですか。これでも、中軍が椎名軍に攻撃されると言い張りますか。」


えっ、と隅小沢は声を出してしまう。

〈そんな大事なことを言い忘れるはずが・・・。あぁ、そうか。そこまで、俺は信頼されていないということか。〉


隅小沢ががっくりと肩を落とす様子を冷ややかに眺める寒山が、鞭を隅小沢の胸に向ける。


「椎名軍は街道を通って間もなくこの地へやって来ます。私に次五郎の首を獲って来て下さい。そうすれば、貴方の間抜けさを父上に言うのは止めてあげましょう。」


隅小沢はうなだれた顔を上げる。

〈椎名軍が街道を進んでいるのであれば、中軍の騒ぎは心配いらないな。ならば、寒山様が襲われる心配はあるまい。〉


「かしこまりました。次五郎殿の首を必ず持参いたしますので、しばしお側から離れますことをお許しください。」


ほうっと寒山はため息を吐く。

〈本当に、この人は能書きが多いですね。私が行ってこいと言っているのだから、許しを与えていると分かるでしょうに。まぁ、私は大器ですから、笑顔で送り出してあげましょう。〉


「許可いたします。次五郎の首を楽しみにお待ちいたします。なんでしたら、雨情殿の首も獲って来ていいですよ。」


寒山の笑顔を見て、隅小沢はジメジメした気分をさっぱりと切り替える。

〈武功を立てて、これまでの失敗を帳消しにするとしよう。やはり、俺には戦場の方があっている。この戦が終わったら、近習を辞めさせてもらおう。〉


二人は、それぞれの思いを胸ににっこりと笑いあう。


「では、行って参ります。」


隅小沢が会釈をすると、隣にいた近習の一人が、あっと叫び、青ざめた顔で陣地跡を指さす。


「あっ、あそこにも、椎名の旗が立っております。」


寒山は、何を馬鹿なことを・・・、と思いつつ近習が指さした先を見上げる。

そこには大木村の者たちが立てた椎名の幟旗がずらりと並ぶ。


同じく、近習の声に旗を見上げた隅小沢が口を固く閉じる。

〈何だ。何が起きている。あれも、寒山様の申される椎名軍の策なのか。〉


隅小沢は、とっさに寒山を見た。

想定内の策であってくれと願いつつ・・・


茫然と旗を見上げ固まっている寒山を見て、噛みしめた唇から血が流れ落ちる。


血が地面に落ちた時、中軍の方から、今までよりずっと大きな悲鳴と喚声が上がった。

隅小沢は、ここにいたって、ようやく理解した。


〈椎名軍に完全に裏をかかれた。街道を進ん来ていると知らせた中石川殿も騙されたのだろう。雨情殿が狸親父とは聞いていたが、こうも見事に騙されるとはな・・・〉


寒山にひざまずいた隅小沢は込み上げて来る無念さを抑え付ける。


「寒山様。椎名軍は街道を進んで来ておりません。先の悲鳴からすると中軍は長くはもたないでしょう。急ぎ、ここから撤退するご命令をお出しください。」


「貴様、私に撤退しろと申すか。」


カッとなった寒山は、持っていた鞭で隅小沢を力任せに叩いた。


兜越しとは言え、鞭で叩かれた隅小沢はよろめき倒れた。

地面に手をついた隅小沢は、興奮して息の荒い寒山を見て、逆に冷静になる。


〈こうなっては、致し方無い。私の役目を果たすのみ。〉


隅小沢は立ち上がると、配下の近習に命じて寒山を動けなくした。

そして、落ち着いた口調で寒山に話しかける。


「私は、お父上様より緊急時には全権を握るように命じられております。残念ですが、今より私が軍の指揮をとらせていただきます。」


呆気に取られている寒山を拘束している近習に隅小沢は命じる。


「お前たちは寒山様を何としてでも海徳様のもとまでお連れするのだ。」


悲し気に頷いた近習たちは、万感の思いを込め隅小沢に頭を下げた。


近習たちに拘束された寒山は、振りほどこうともがく。

だが、寒山の力でどうにかなるような近習たちではない。


悔しそうな表情を隅小沢に向けた寒山は、呪詛を唱えるかのように暗い顔となり、叫ぶ。


「待て。私がお前を叩いたからか。ものの弾みでは無いか。それぐらいのことで、私から全権を取り上げようと言うのか。」


「鞭で叩かれたからと言って、全権を奪うほど単純ではございません。このままでは、寒山様のお命が危ないのです。寒山様を生きて国にお連れするための指揮権の剥奪です。」


「中軍には彦左衛門殿もいるではないか。もしも、ここまで椎名軍が攻めて来たとしても、お前たちならば撃退できるであろう。そうだ。前軍は無傷なのだぞ。」


必死で言い募る寒山に隅小沢は沈黙で答える。

〈彦左衛門様のお命は、もうないだろう。法螺貝の音を聞いた時に、兵を動かしておけば・・・。いや、私が寒山様に気に入っていただけなかったことが悪いのだ。〉


沈黙したまま、返事をしない隅小沢に寒山は声を張り上げる。


「前軍の向きを中軍に向ければ、いいだけだろう。すぐに命令せよ。」


〈野句中様の言うことを疑いも無く信じた私が愚かだったな。ご子息の寒山様が指揮に長けているなどと、まったくの嘘ではないか。〉


心の中で吐いたため息を無理やり飲み込んだ隅小沢はきっぱりと言い切る。


「無理です。」


「何が無理なのだ。命令するだけだぞ。私の命令に逆らうものが、いるというのか。」


寒山に大きく首を横に振った隅小沢が呟くように答える。


「そういうことではございません。命令一つで陣形を変えるなど、訓練を相当に積んだ軍でなければ無理なのです。野句中家は軍としての訓練を行い始めたばかりです。」


隅小沢の言葉に愕然となった寒山はぶつぶつと呟く。


「嘘だ。孫子は、宮中の美女を命令一つで動かせるようにしたではないか。今孔明を自負する私にできないはずがない。」


寒山の呟きに隅小沢は黙って天を仰いだ。


〈彦左衛門様がいらっしゃれば、できたかもしれない。だが、寒山様では無理だ。私は寒山様を生き延びらせることが使命だしな・・・〉


「早くお連れしろ。」


隅小沢が近習に命令する。

しかし、新たに兵が飛び込んで来て、状況が変わる。


「彦左衛門様、お討ち死にございます。中軍の兵を前軍へ追い立てるように椎名軍が押し寄せて参ります。その様子に怯えた前軍の傭兵どもが逃げ支度を始めました。」


〈遅かったか。とにかく、寒山様のお命を優先することは変わらん。〉


「傭兵どもを中石川殿の陣へ誘導しろ。逃げる前に一働きしてもわねばな。正規兵は、寒山様をお守りしつつ海徳様の軍まで落ち延びる。三輪と田頭の両隊は、私と一緒に殿をする。急げ。」


隅小沢の声に機敏に反応したのは、隅小沢配下の近習だけだった・・・


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