野槌
ぞわり
彦左の背筋に冷たいものが走る。
背後から迫りくる死を感じ取った彦左は、振り向きざまに刀を振るう。
ガキーン
槍の穂先と刀が打ち合い、火花がぱっと散る。
鎧の隙間を狙った槍の穂先を彦左が刀で払い、彦左は刺突を回避したのだ。
彦左の体を貫くはずだった槍の柄をむんずと左手でつかむと、彦左は力声を上げぐっと引き寄せる。
老いたりとは言え、自領の祭りでは軽々と力石を持ち上げ、鍛え上げられた肉体を自慢気に披露する彦左である。
片手とは言え、強靭な肉体を誇る彦左に力任せに引っ張られたのだから、槍を持った男はたまったものではない。
彦左を狙った男は槍を突き出したままの姿勢でたたらを踏み、憐れな声を出しながら彦左の前に躍り出てしまう。
彦左は右手に持った愛刀の同田貫で男の首を滑らかに突きぬいた。
絶命した後もぴくぴくと痙攣する男を蹴り飛ばし、男の首に刺さった刀を引き抜いた彦左は刀に付いた血を払い、刀を鞘におさめる。
そして、男が持っていた槍の感触を確かめるように頭上で何度か振り回すと、槍の穂先をぴたりと彦左の正面にひょろりと立っている男に向ける。
パチパチパチパチ
彦左に槍を向けられた男はにこやかな顔で拍手をしだした。
その男の背後には、目だけを異様にぎらつかせた男たちがずらりと並んでいる。
まともな甲冑をつけている者など一人もおらず、腹巻に籠手をつけただけの者が多い。
〈ちっ、100名はいるか。野盗をこんなに軍に入れるとは、呆れてものも言えん。生きて国に戻ったら、こいつらを雇った代官の首は根こそぎ刈り取ってやる。〉
彦左が悪態をつくのも無理はない。
野盗が軍に紛れているので残らず退治するよう寒山に進言したが、取り合ってもらえなかった。
あの時、粛正すべきだと言った者たちが、目の前で鷹条軍へ牙を向けているのである。
これほどの人数がいるとは思ってみなかった彦左だったが、実際に目の当たりにして、寒山の許可など求めずに勝手にやっておくべきだったか、と悔やむ。
「お見事です。私も長い間、たくさんの強者を拝見いたしましたが、これほどまでに流れる様に刀を振るわれる御方を見たのは初めてです。感服いたしました。」
彦左をうっとりとした目で見る男を彦左は睨みつけた。
「貴様のような下衆に褒められても嬉しくもなんともないわ。その調子の狂った声、貴様、異国の者か。」
「おぉ、私がこの国の者でないことを瞬時に見破られるとは、ますます素晴らしい。私は名を野槌と申します。いかがでしょう、私の手下になると言うのは。」
野槌の提案を鼻で笑った彦左が答えた。
「野槌などと妖怪を名乗って喜ぶような阿呆から誘われることすら片腹痛い。もうよい。お前の声を聞いていると胸が悪くなる。さっさと始めるぞ。」
「残念でございますねぇ。私、気に入った方とは少しだけお話をするようにしているのです。そうすれば、貴方様のように強がった御方が、最後には悲鳴を上げて実にみっともない死に方をされることを昨日の出来事の様に記憶に残せるのです。その光景を思い出して飲む酒は、まことに美味でたまりません。」
さらにうっとりと話す野槌を見て、彦左は気分が悪くなる。
〈下衆と言うより、屑だな。ここから槍を突き入れても、届かんか・・・。やはり、一筋縄ではいかんようだ。〉
野槌を先に殺してしまえば、頭を失った野盗など物の数ではないと考えた彦左だったが、その考えをあっさりと捨てる。
「よかろう。貴様を殺す前に幾つか聞きたいことがある。」
〈少しでも時間を引き延ばせば、異変に気付いた者が寒山様に伝えてくれるだろう。そうすれば何とかなるだろう・・・、多分。無駄かもしれんが、やれるだけやっておこう。〉
「彦左衛門様は強がりが好きでございますねぇ。私、そういう御方が大好物なのです。何なりとお聞きください。」
薄ら笑いを浮かべる野槌に顔をしかめつつも彦左は尋ねた。
「儂は、貴様ら傭兵を監視するために何人か家臣を配置していたのだが、お前のところへ遣った者たちが戻って来ておらん。何か知っているなら、教えてくれんか。」
彦左の問いに野槌は口が裂けたような笑顔となった。
「あの方たちは、彦左衛門様の御家臣だったのですね。いや、もうお強いのなんの。私の手下がこっそりと背後から槍を突きさしたのですが、そこからの暴れっぷりと来たら、本当に噴飯ものでした。」
彦左の家臣が苦しむ姿を思い出し悦に入ったように話していた野槌だが、急に真面目な顔に変わる。
「実に楽しい見世物でした。ですが、私の手下が、なんと10人も殺されてしまったのです。きっちりとお返しさせていただこうと思っております。」
「そうか。それはいいことを教えてもらった。儂の家臣もいい働きをしたようで、主として誇らしいことだ。お返しなどとケチなことは言わず、お前たち全員を冥土に送ってやるから安心せい。」
彦左の言いように野槌が肩を揺すって苦笑した。
「冗談にしても面白くございませんね。この人数を相手に勝てるとお思いなのですか。今なら特別に私が介錯をして差し上げますよ。とっとと諦めて、その皺腹を掻っ捌いてはいかがでしょう。」
「馬鹿も休み休み言え。野盗ごときに儂の腹を見せるわけが無かろう。ところで、山の中に隠れているお前の配下は、まだ出て来んのか。」
彦左の言葉に野槌がケタケタと笑い出した。
怪訝そうな顔をしている彦左に野槌が笑い過ぎて目に浮かんだ涙を拭き、やっと口を開いた。
「あんな間抜けどもを私の配下と間違えるとは・・・。あぁ、可笑しい。彦左衛門様も存外、大したことがございませんね。」
言いたい放題に言われて口を一文字に結んだ彦左に優越感丸出しで野槌が話し続ける。
「いえね、陣中の片隅でこそこそと話をしている陣夫たちがいたのです。当人たちは、ひっそりとやっているつもりだったのでしょうが、見るからに怪しさ満点でして、こっそりと見張っていたのです。」
ふぅ、と一息吐いた野槌は方頬に手を当て、小首を傾げた。
「いや、驚きました。まさか、彦左衛門様のお命を狙うとは思いもよりませんでした。」
演技で驚いているのか本気で驚いているのか分からない野槌から目を離さず、彦左はようやくすっきりした。
〈なるほどな。ようやく合点がいったわ。こんな屑どもに放てる矢ではなかったからな。あの矢は、幼き頃から十分に鍛錬に励んだ者の矢だった。では、一体、何者なのだ・・・。いや、よそう。今は、こいつらの相手だ。〉
彦左は野槌を討ち取ってから考えようと、野槌をじっと見た。
「であれば、あのまま放っておけば、山の中の者が儂を討ち取っていたかもしれんだろう。なぜ出て来た。」
「簡単です。彦左衛門様が山の中の者を討つようにお命じになって、実際に動いたのはおよそ30名の兵でございました。ところが、山の中には10名しかいないのでございます。しかも、彼らには大した武器がございません。」
「山の中の者が儂らを背後から狙っている状況にしておきたい、ということか。」
「ご名答でございます。まさかとは思いますが、彦左衛門様が山の中へ逃げ込むこともありますしね。」
「安心しろ。お前の命を奪うまで逃げはせん。」
「すがすがしいほどに武人の鏡でございますね。貴方様、もとい皆様のぶざまな死に様、ゆっくりと拝見いたします。せいぜい、あがいて下さいませ。」
彦左と野槌が話をしている間に、野句中軍の兵が彦左の後に控えていた。
「お前たちは、野句中様をお守りせよ。ここで、死ぬのは許さん。」
彦左の命令に5名の兵たちが前に出て頭を横に振る。
「主よ、つれないことを申されますな。我らは、数々の戦に従ってきたではありませんか。死地に及んで我らだけ逃げ出すなど、末代までの恥。なにとぞ、冥途までの露払いをお命じ下され。」
よく日焼けした顔から真っ白な歯をこぼし笑みを浮かべる家臣を前にして彦左も思わず笑みを浮かべる。
彦左が軍奉行を命じられ、率いて来た家臣は50名。
だが、陣中の引き締めや傭兵の監視などのために、ほとんどの家臣が彦左の周りにいなかった。
さらに、法螺貝の音で陣中に家臣を走らせたため、5名しか残っていない。
彦左が返事をする前に、後ろに控えていた野句中家の家臣たちが声を上げた。
「我々も彦左衛門様にお供させてください。」
彦左が矢で襲撃を受けた時に、真っ先に駆けつけて来た野句中軍の20名である。
山の中に隠れている橋爪たち大木村の者たちへ突撃をかけようとしたところ、彦左が槍を払った剣戟の音がしたため、突撃を止め彦左のもとへ集まったのだ。
彦左は、いつだったか、茄子波切と酒を酌み交わした際に波切がしみじみと語ったことを思い出した。
『敵に囲まれ、いよいよ最後となった時、一緒に死んでくれる家臣がいたら良い主君だった、と胸を張って言っていいと思うのだ。』
〈他にも何か話した気がするが、まぁいい。波切よ。儂は、どうやら良い主君だったようだぞ。〉
彦左の周りに集まった男たちの顔には悲愴さのかけらも無い。
それどころか、どの男もさっぱりとした微笑みを浮かべている。
〈我が家臣のみならず、野句中家の家臣まで儂に付き合ってくれるのか。儂はなんと果報者か。これ以上、何か言うのは無粋だな。〉
「皆、死ねや。」
彦左の朗々とした声が響き渡る。
男たちが槍を天高く突き上げ、
「応!」
と、声を轟かせた。
覇気に満ちた男たちの姿に、野盗たちは怯んだように一歩、二歩と後退していく。
「死兵だ。」
と口々に喚く野盗たちの考えることは、同じだった。
〈死兵を相手にするのはダメだ。命知らずと戦うとなると、こっちも命をかけなきゃいけねぇ。取り分も大したことなさそうだし、逃げるに限る。〉
腰砕けとなった野盗たちは、さっさとこの場から退散しようとする。
しかし、野槌はこれに待ったをかける。
「あなたたち、ここから逃げられると思っているんですか。ここで、彦左衛門様を殺さないと野句中軍が死ぬまで追いかけてきますよ。こっちは100人からいるのです。対して、あちらには30人しかいないのです。さっさと殺っておしまいなさい」
野槌の必死な金切り声に、一先ず足を止めた野盗たちは冷静に計算を始める。
〈人数は、俺たちの方が上だ。だがなぁ、儲けも少ないのに真っ先に槍を突き出して、怪我をするのも阿保らしいしな。〉
野盗たちは、野槌に非難のこもった目を向ける。
「ここの兵糧をあなたたちも見たでしょう。私たち全員で分けても、分けきれないぐらいあるんですよ。間違いなく数年は遊んで暮らせます。」
野槌は野盗たちの欲望を刺激するが、まだ刺激したりないと見てさらに声を張り上げる。
「彦左衛門様を討ち取った者は一番手柄とし、家臣の方々を討ち取った者にも大きな褒美を与えましょう。」
この野槌の声に野盗たちは、敏感に反応した。
この場にいる野盗たちは、野盗的に言えば略奪の精鋭である。
言ってしまえば、略奪に人生をかけ、略奪するためには死んでもかまわないと言う命知らずの集まりだった。
野盗たちは、刀を振り上げ一斉に彦左たちへ襲いかかった。




