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彦左

鶴山城の戦いもいよいよ大詰めとなって参りました。

この戦いでの主な登場人物の位置を書いてみましたので、ご覧ください。

挿絵(By みてみん)

法螺貝(ほらがい)の音は、鶴山城や椎名軍だけに聞こえた訳ではない。

当然の如く、野句中軍の中にも響き渡った。


橋爪を始めとした大木村の面々は、野句中兵たちが法螺貝の音に気を取られている隙に姿を隠そうと山の中へ身を移す。


狼煙(のろし)の代わりに法螺貝か、まぁ、予測はしていたが・・・。しかし、何だな、魂が揺さぶられると言うか、とんでもなく気合の入った音だったな。〉


法螺貝の吹き手は、どうしてあれほど感情を込めたのだろう、と首を捻った橋爪は一つの答えに行き着く。


〈そうか。交渉が成功したのか。〉


橋爪と共に行動することになった十蔵も同じことを考えていたらしく、小声ではあるが、心持ち興奮した声で話しかけて来た。


ちなみに、今回の大木村一同による野句中軍攪乱(かくらん)作戦は1組につき2名、計6組で行われることに決まったことにより、橋爪と十蔵の二人が一対となっている。


「橋爪よ。あの嬉しそうな法螺貝の音色からすると、沙魚丸様が交渉を成功させたと思うが、どう思う。」


〈嬉しそう?、音色?、法螺貝の音にやたら迫力があったのは分かったが・・・。十蔵の言ってることがさっぱり分からん。うん、そうだな。きっと、あれだ。十蔵は音曲が好きだから、分かるんだろう。〉


十蔵が何を言っているか頭をかしげる橋爪であったが、橋爪の魂は頭とは違い法螺貝の音に感動していた。

橋爪自身は気づいていなかったが法螺貝の音を聞いてからずっと、いつになく高揚していたのだ。


「お前もそう思うか。」


普通に返答したつもりの声が素っ頓狂な声になってしまう。

お互いに調子の外れた声を出したことに、十蔵がくっくっと忍び笑いを漏らす。


〈笑い過ぎだ。〉


裏返った声を笑われたと勘違いした橋爪が、十蔵を指で小突き、弓と矢を早く渡すように催促する。


わき下の敏感なところに指が当たったのか、ビクッと反応した十蔵がブツブツ言いながら、ようやく弓矢を橋爪に渡した。


橋爪が弓矢の状態を確かめていると、足下に転がっている手頃な石を拾い終わった十蔵がさっきとは打って変わって真面目な顔を橋爪にぐっと近づける。


「俺たちも絶対に手柄を立てねばならん。失敗しようものなら、俺は恥ずかしくて沙魚丸様にお目見えできん。」


「そう脅すな。細工は流々仕上げを御覧じろだ。皆の様子はどうだ。」


十蔵は茂みからこっそりと顔を出し、きょろきょろと周りを見渡し、頭を引っ込める。


「陣中に村の者は誰ももおらん。皆うまく隠れたようだ。今のところ、問題なさそうだ。」


村でも飛びぬけて視力と聴力のいい十蔵から問題ない、と言われたことに安堵した橋爪は軍奉行へと視線を切り替えた。


先ほどまで立っていた場所から少し移動している軍奉行を確認した橋爪は、軽く舌打ちをする。

〈ちょろちょろとよく動く老人だ。味方なら頼もしいが、敵だと本当に腹立たしいな。〉


「十蔵。ここからでは少し遠い。もう少し近づくぞ。」


無言で頷いた十蔵は集めた石を懐に入れ、橋爪の後に続く。


野句中の兵とは十分に距離があるが、気づかれぬよう息を殺し急いで動く。


斜面が緩やかな場所まで移動した橋爪は左膝を地面につけ、大きく股を開くと右膝をたてた。

いわゆる割膝(わりひざ)の構えとなり、軍奉行との距離を測る。


矢を持った橋爪は軍奉行から目を離さず、十蔵へ口を開いた。


「俺の準備はできた。十蔵、お前が頃合いだと思ったら合図を頼む。」


「分かった。」


十蔵は合図のための鳥笛を強く握りしめ、陣中を食い入るように見つめる。



野句中軍の軍奉行、名を清水彦左衛門、通称は彦左。


彦左が指揮を執る戦では負けることがない、とまで言われる鷹条家きっての戦上手である。


もっとも、勝つよりも負けない戦を得意とする彦左が大将となるのは、戦の勝利に海徳があまり自信を持てない時でだけある。


彦佐は降りしきる雨の中、

「敵が見えぬからと言って気を抜くな。」

と、各頭に注意を与えるために走り回っていた。


軍奉行を任された彦左が、休む間もなく陣中を走り回るのには理由がある。


軍奉行と言いつつ、当初、彦左が軍奉行の役目を行おうとすると必ず邪魔が入ったからだ。


邪魔をするのは寒山だったが、寒山には寒山なりの理由があった。


諸将が海徳に集められた時、ふとした拍子に海徳が彦左に礼を言った。


「彦左。この戦が終われば、お前にもゆっくりしてもらおう。」


ここ数年、領内をあちこちと動き回っていた彦左へ海徳が感謝の言葉をかけたのを寒山は曲解して受け取ったのだ。


『この戦が終われば、彦左は隠居するので最後に一花持たせてやろうと思う。寒山よ、よろしく頼むぞ。』

寒山は海徳に頼まれたと張り切った。


寒山は、彦左に会うたびに感謝の言葉を連発するのだが、そのくせ何もさせない。

そう、彦左は見事に祭り上げられてしまった。


〈この戦は楽勝だと聞いておるし、勝ち戦で儂ができることなどあるまい。〉

そう考えた彦左は老人が出しゃばってもと考え、大人しくしていることにしていた。


だが、陣を構え、集まって来る兵が傭兵と分かった時に真っ先に寒山へ意見をしに行った。

しかし、寒山に軽く言いくるめられスゴスゴと戻って来るだけであった。


〈よくもまぁ、ぺらぺらと口の回ることだ。口先一つで片付くことであればよいのだが、このままでは、まずい。勝ち戦ならば、ただの杞憂で笑い話にすればよい。されど、この異常事態を放置するほど、儂も耄碌(もうろく)しておらん。〉


寒山に告げることなく、彦左は軍内を駆けずり回り、兵の引き締めを始めた。


その矢先、彦左に一言の相談も無く中石川の軍が陣を前方へと移してしまったのだ。


〈平地に布陣を変えるは、軍を2つに分けるは、一体どうなっているのだ。〉


怒りを覚えた彦左が寒山のところへ乗り込もうとした時、肩を落とした小松田が彦左を訪れた。


「あのお二人を一緒にしていては、余計に軍が危ないと考え、仕方なかったのです。」


うっすらと目に涙を浮かべる小松田を彦左は呆れを通り越し、何も言えなかった。

〈こんな軍目付なら、おらん方がましだ。〉


大将と副大将に諫言できぬ軍目付のなど無用、と彦左は断じた。


「小松田殿。この状況をおかしいと思っておるなら、海徳様へ進言しに行ってくれるか。」


「いや、それはできません。私は軍目付のお役を拝命したのですから、勝手に海徳様のところへ行くなどできません。」


〈こいつも、屁理屈だけは一丁前だな。そもそも、そなたは軍目付のお役目を果たしておらんではないか。〉


頭を横に降る小松田の頭をガシッとつかんで、罵声を浴びせつつ縦に振りたくなる衝動にかられた彦左だったが、小松田に笑顔を向ける。


「軍目付であればこそ、ここを離れ海徳様に進言すべきだと儂は思うのだ。このままでは、椎名軍が来る前に傭兵どもが一騒動起こすかもしれん。」


「まことでございますか。」


すっかり怯えた表情となった小松田が、しばらく考え、ゆっくりと首を縦に振った。


「分かりました。すぐに、海徳様のもとへ参ります。寒山様には、どうお伝えすれば・・・」


(すが)るような目を向けて来た小松田に無理やりにこやかな笑みを浮かべた彦左が答える。


「儂がいい塩梅で言っておくから、安心して行って来てくれ。」


解放されたような笑みを浮かべた小松田を見た時、彦左は確信した。

〈なんだ、こいつ。本音は行きたかったのか。儂はすっかりダシにされたということか。〉


「ありがとうございます。それでは、このまま失礼いたします。」


そう言って足早に消えて行く小松田を笑顔で見送ったことを思い出し、彦左は憂鬱になる。


〈あの調子では、まだ、海徳様に会っていないだろう。手遅れにならなければよいのだが・・・。中石川がいれば、軍の統制に問題がないのだが、儂一人では傭兵ども全員を見るのは難しい。それに、野盗まがいの者まで混じっているようだし、なかなかに厄介だ。〉


頭の痛いことだらけであるが、目の前のことを一つずつ丁寧にやるだけだと思った彦左は見廻った先で細かな注意を与え、戻って来た。


そして、くたびれた息を吐き、少し休もうと兜を脱いだ。


ここに布陣してから何度目のため息となるだろう。

凝り固まった体をほぐそうと伸びをした時、法螺貝の音が彦左の耳をつらぬいた。


〈この方向は、鶴山城からか。さては、三日月家が裏切ったか。〉


思うのと同時に彦左は、素早い動きで脱いだ兜を被り、さらに面頬を着けた。


武装を整えた彦左は、周りにいる兵に緊急時の命令を下す。

兵たちがきびきびと動き始めたのを確認した彦左は、鶴山城からの攻撃に備えて配置しておいた部隊の指揮を取ろうと走り出した。


〈大人しく、その場にたたずんでいればいいものを・・・〉

彦左に狙いをつけていた大木村の者たちは、唇を嚙みしめる。


「十蔵、合図はまだか、逃げられてしまうぞ。」


橋爪がたまらず焦りの声を上げる。


十蔵は、彦左の周りを囲む兵がいなくなるのを待っていた。

〈あの軍奉行なら、法螺貝の音を聞いて配下を走らせるはずだ。その時が勝負だ。〉


十蔵は、彦左が必ずそうすると信じていた。


事実、彦左が周りにいる兵に何らかの命を下すと、見る見るうちに、彦左の周りには兵がいなくなった。


〈ここだ!〉

十蔵が握りしめていた鳥笛を咥え、力強く鳴らす。


その音を合図に、引き絞った弓から矢が一斉に放たれた。


彦左の体へ吸い込まれるように次々と矢が突き刺さる。

5本の矢が彦左の体に突き刺さった。


さらに、第二射、第三射、第四射のすべてが見事に彦左の体に突き刺さった。

20本の弓が突き刺さった彦左は、よろめき動かなくなった。


「やった!」


橋爪たちが喚声を上げようとした時、彦左が刀をさっと抜きはらった。


矢が突き刺さったまま、彦左は矢が飛んできた方向を睨む。

そこかしこに隠れている者がいることをすぐに見て取った彦左は大声で叫ぶ。


「曲者じゃ。者ども、討ち取れ。」


彦左の張りのある声に愕然とした橋爪たちだが、もう矢が無い。

20本を盗むのが精一杯だったのだ。


〈やはり、盗んだ弓では威力が足りなかったか。〉


ほぞを嚙んだところで仕方がない。

大木村の者たちに後悔している時間はない。


覚悟を決めた橋爪たちは、盗んだ刀と槍を手にした。


もしも、兜も面頬もない時であれば、確実に彦左の命を奪っていたであろう。

それほど、狙いは正確であった。


しかし、いづれの矢も彦左の命を奪うに至らなかった。


いや、確実に何本かの矢は甲冑を貫き彦左の体に刺さっていたが、致命傷を与えられなかったのだ。

それ以上に彦左の心が尋常なくらい強かった。


〈ここで倒れては、敵の思う壺だ。死んでも倒れん。〉

ここが死所と覚悟を決めた彦左が足を踏ん張る。


彦左の渋い声は不思議と兵たちに力を与える。

勇気づけられた兵たちが森の中にいる橋爪たちへ襲い掛かろうと槍を構え、突進を始めた。

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