竜田川
「若。旗の用意が整いました。」
木蓮の言葉に頷いた雨情は、さきほど確認した線香を木蓮に渡す。
〈線香の長さは、いよいよ半分を切ったか・・・〉
雨情は闘志をたぎらせ、兵に号令をかける。
「これより、鷹条の側面に回り込む。者ども進め。」
〈仁平が話した内容が本当であれば、前進しかないのだが・・・。まぁ、あの話しぶりで儂を騙したのであれば、それはそれで大したものだ。戦が終われば、ひっ捕まえて、儂の家臣に加えてやろう。〉
仁平の悪相を思い出した雨情が、カラリと笑う。
◆◆◆
儀作の地図を雨情に見せられた仁平が地図の一点を指し示し、話す。
なお、地図は木蓮と配下の者3人が矢板を頭上にかざして濡れるのを防いでいる。
墨で描かれた地図であるから、雨に濡れぬよう必死である。
「この地図には城までの道しか描かれておりませんが、この道をまっすぐに行きますと、ここで三叉路となるのでございます。」
仁平が指をさしたところは、山道として描かれた鶴山城までの一本道の途中の地点である。
ふむ、と軽い相槌をうった雨情が仁平に尋ねる。
「三叉路と言うことは、二つの道の行き先はどこになるのだ。」
仁平が、右へ左へと指を動かしながら説明を続ける。
「こちらに行けば、地図通りに鶴山城へ参ります。地図には無い道を行きますと椎名領へとたどり着きます。」
物事に動じることが少なくなった雨情も仁平の話に驚きの声を上げる。
「待て、待て。地図に無い道を行けば、椎名領に通じているだと。そのような話、誰からも聞いておらん・・・」
と、言いつつ、雨情の語尾は弱くなっていく。
〈またもや、清柳がらみの話ではあるまいな。あやつの話は、いい加減、聞き飽きた。もう、勘弁してくれ。〉
雨情が内心でうんざりしていると、仁平はこわばった表情で一気に話す。
「数年前より、鷹条様の軍が城下にて好き勝手に振舞われることが増えました。乱暴、狼藉が当たり前となり、鷹条軍を制止して下さる家臣の方々はほとんどございません。そこで、城下の者は考えました。これ以上、酷くなった場合は椎名領へ逃げ込もうと。その場合に備えて密かにこのような道を用意したのです。」
仁平の返答に雨情が乾いた笑い声を立てる。
「木蓮。民と言うのは、いずこの民もたくましい者だ。そうは思わんか。」
「おっしゃる通りでございます。」
木蓮が静かな声で雨情に同意する。
「そうするとだな。三日月家は民を守ることすらできず、民に見放されているではないか。そのような役立たずな領主はいない方が良いのではないか。のう、仁平。そなたもそう思うであろう。」
雨情の口調の烈しさに怯んだ仁平は口ごもりながら答えるのが精一杯である。
「は、はい。」
「すまんな。お前を怖がらせようと思った訳ではないのだ。三日月領の者が不憫になって、思わず声が荒くなってしもうた。」
大きく息を吐く雨情を上目遣いに見た仁平がごくりと唾を呑み込み、一呼吸置いてから叫んだ。
「私どもは三日月様でも三宅様でもどちらが領主様でも良いのです。私どもを守ってくださる御方ならば・・・」
言ってしまった、と仁平はその場にうずくまる。
◆◆◆
ぶるぶる震え小さくなっている仁平を思い出した雨情は、
〈やはり、あれで嘘は無いだろう。領主批判どころか、領主なぞ誰でもいいとまで言い切ったのだからな。〉
改めて、仁平から聞き取った内容に確信を持った雨情は軍を即座に動かすことを決める。
人一人が進めるような細い道を小半時も歩き、三叉路を前にして雨情は軍を停止させた。
茂みの中に木蓮と共に身を隠した雨情はささやく。
「木蓮。ほれみろ。仁平が言っていたことは真実であったぞ。」
「若。その言い方では、私が仁平を疑っていたかのようではないですか。」
眉根を寄せた木蓮が小声で雨情に言い返した。
木蓮の思わぬ反撃に雨情も眉をしかめる。
〈お前、初めて会った者に全幅の信用を寄せてはいけません、とか言って仁平を疑っていたではないか。いや、これを言い返すと長引くから、この話をするのは、もう止めておこう。〉
話題を切り替えようと、雨情が口を開いた。
「さて、こちらを行くと山を降り、鶴山城へと続く道だな。確かに、この道を使えば、野句中軍を急襲することができそうだ。」
雨情は麓に布陣する野句中軍を眺めながら言った。
「針間や一郎が申していた通り、雨足も強くなって参りました。霧も出て来たようですし、予想通りの展開ですな。」
天が我が方に完全にお味方いたしましたな、と楽し気な木蓮の声に雨情の声も弾む。
「さて、こっちが、椎名領へと続く道。」
〈沙魚丸の交渉が失敗に終わった場合に使う道か。〉
雨情と木蓮はお互いの意思が通じたように黙って頷いた。
「三日月家が知らぬ道を鷹条家が気づいている訳もないであろう。あんな酷い地図を寄こすやつらだからな。」
雨情の言葉に木蓮が首を捻る。
「ずる賢い狐が、私どもを罠にはめようとしている可能性は残っております。十分に注意をされた方がよいかと。」
考え込んだ雨情が、しばらくして笑みを浮かべた。
「それもそうだな。これ以上の前進はやめて、ここで待つのが最適のようだ。ここであれば、儂らからは野句中軍の様子がある程度は分かるし、擬装すれば向こうから儂らを見つけるのは不可能であろう。」
周囲を見渡しながら頷いた木蓮が声をひそめた。
「万が一、沙魚丸様が不首尾であったとしても、ここならば、さほどの犠牲を出さずに撤退できましょう。」
「すまんが、その時はいつものように殿を頼む。」
抑揚なく答える雨情に、木蓮はいつもと違って首を横に振る。
「私の勘が、今回、殿はしなくてもいいように告げております。」
ちらっと木蓮を見た雨情がふっと笑い、木蓮に命じる。
「分かった。ここで沙魚丸からの吉報を待つ。兵には、これより一切の私語を禁ずるよう告げよ。」
黙って頭を下げた木蓮は各組頭へ使い番を飛ばす。
野句中軍に見つからぬよう茂みの中などに姿を隠した兵は、地面にどっしりとあぐらをかき、狙いをつけた獲物の一挙手一投足を見逃さないかのように野句中軍を見つめる。
雨情の兵は行軍で濡れ、地に座ったことで上から下までぐしょ濡れである。
しかし、雨に濡れた地面に座ることを厭う者など、雨情の兵には一人もいない。
それどころか、兵たちの中には逸る心を抑えきれずに体から湯気を上げている者もいる。
兵の士気が盛んな理由は簡単だ。
大将である雨情自身が迷彩用にと蔓草で作った蓑を頭からかぶり、皆と同じく濡れた大地に腰を落としているからだ。
一つ間違えば命を失うかもしれない最前線で、兵と同じように泥まみれになって戦おうとする雨情に対して、雨情の兵と雨情の心の距離はどこの家よりも圧倒的に近い。
雨情の兵は強いと言われるが、個々の兵の力は他家の兵と実力はさほど変わらない。
雨情のために自らの命を賭して動くことができる者が多いことが、雨情軍の強さの理由である。
とは言っても、戦闘が始まれば勇敢な者も、平時では臆病なことが多い。
そのため、猪か何かが急に飛び出して来た際に、驚いて声を上げないよう兵の全員が枚を銜んでいる。
さらに、うろたえて槍を振り回さないよう、地面に槍を置いている。
兵たちは雨が顔にかかろうと拭う者など一人もいない。
道端に転がっている石のように身動き一つすることなく、あぐら座りに腕を組み、野句中軍を睨みつけ、ただひたすらに雨情からの閧の声を待つだけである。
肝心の雨情はと言うと、やはり身動き一つしていないのだが、頭の中はどうしてどうして忙しい。
雨情の頭の中を駆け巡るのは、果たして、作戦か、外交か、それとも治政のことか。
残念ながら、いずれのことでもない。
雨情の頭の中を占めているのは和歌のことである。
当時の武将は、皆、和歌をたしなんだ。
和歌ができなければ、他家はおろか、朝廷や幕府との交渉ができないと言っても言い過ぎでは無いだろう。
だから、と言うのもあるが、雨情の場合は、単純に和歌が好きであった。
雨情の日常は、領主としての激務におわれ、和歌をじっくりと詠む時間があろうはずもない。
故に、この静寂は雨情にとって、天の配剤とも言うべき至福の一時なのだ。
目を閉じた雨情は、和歌を詠もうとするが、ふっとある一首が思い浮かぶ。
『嵐吹く 三室の山の もみじ葉は
竜田の川の 錦なりけり』
脳裏に浮かんだ和歌を心の中で繰り返すと、雨情はこの和歌が今の状況におあつらえ向きの和歌ではないかと思いつく。
〈儂らが嵐とすると、嵐吹くは、儂らが鷹条軍に急襲をしかけると言うことか。と言うことは、鷹条には神への生贄となってもらい、麓に流れる川に真っ赤な紅葉とも錦ともなってもらうとするか。後は、あれだな。儂らが勝ったら、戦勝記念に麓に流れる川を竜田川と改名してやろう。〉
さぁ、楽しくなってきたぞと、雨情はニヤリと笑う。
〈この和歌を詠んだ、えーっと、あれ、何とか法師だと思うんだが・・・。うーむ、やはり、年だな。若いころに覚えていたことが、まったく思い出せん。何とか法師よ。儂流に解釈を改めてすまん。まぁ、坊主だからな。煩悩は毛とともに剃り落としているから、多少のことは気にすまい。〉
興が乗ってきた雨情は、何かこう、今までにない会心の句が頭の中に閃きそうな予感に襲われる。
事実、『雨の音』と発句が浮かんだ時、素晴らしい一句が出来上がったのだ。
だが、響き渡る法螺貝の音に雨情の会心の一句は露と消え果てた。
深く深くため息をついた雨情は、ほんの少しだけ惜しんだ後で、すっと切り替える。
〈よし、和歌の時間は終わりだ。ところで、今、何度鳴ったのだ。〉
雨情は木蓮に顔を向ける。
木蓮はしっかりと頷き、小声で話す。
「若。おめでとうございます。三度鳴りましたな。」
〈おう。三度であったか。沙魚丸め、やるではないか。〉
内心の喜びを隠したまま、雨情はしみじみと返事をする。
「あぁ、三度だったな。」
おや、と訝し気な表情をした後、木蓮は何か気づいたかのように軽く笑う。
笑ったことを雨情に睨まれて、慌てて木蓮は口を開く。
「沙魚丸様のお手柄でございますね。」
表情は変わらないのだが、明らかに雨情は嬉しそうに話す。
「今は儂ら二人しかおらんのだ。どうせなら、もっと褒めてやれ。我が甥の大手柄であろう。」
「そうでございました。何しろ、若は、この交渉は必ず失敗すると思っていたのですからな。例え、交渉が決裂したとしても三日月家は沙魚丸様を保護するであろうとお考えになった若が、沙魚丸様を戦から遠ざけるために源之進殿と次五郎殿をつけて送られたのです。交渉の成功に私も驚いております。」
得意気に話す木蓮に雨情がいら立った声を返す。
「二人だからと言って、いらんことをぺらぺらと話すな。相変わらず、ずけすけと言うやつだ。」
「失礼いたしました。ですが、針間殿が三度吹き鳴らしたと言うことは・・・」
「そうだな。三日月家は儂らの突撃に同調せずに様子見をすると言うことだ。何か腑に落ちんがな。」
「はい。三日月武蔵様のお噂とは、少々そぐわぬものがございますな。」
「武蔵の噂と言えば、敵対する者は皆殺しというあれか・・・」
「どうやら、ただの噂だったようでございますね。」
木蓮の言葉に、雨情がうーん、と唸り声を上げる。
「火のない所に煙は立たんだろう。鷹条が三日月に何か仕掛けているのかもしれんな。」
「なるほど。大いにありそうですな。」
「まぁ。よい。三日月が城から出て来ないのであれば、この戦、もらったな。」
雨情と木蓮は顔を見合わせ、ニヤリと笑う。
木蓮は副将の役目とばかりに、雨情に注意を促すことを忘れない。
「ですが、一応は警戒しておいた方がよろしいのでは。」
「源之進もおるから大丈夫だとは思うが、野句中軍に一当てしたら深追いはしないでおこう。」
「かしこまりました。おっ、線香がちょうど燃え尽きました。」
木蓮は懐から線香を取り出し、雨情に見せる。
燃え尽きた線香をじっと見た雨情は、木蓮に告げる。
「馬は置いていく。突撃後に連れて来るように伝えよ。」
「それでは、口取りは旗をたてた後、馬を引いて降りて来るように命じます。」
頷いた雨情は、木蓮と言うより、自らに言い聞かせるように話す。
「儂らをコケにしてくれた御礼参りと行こうではないか。」
蓑を脱ぎ捨てた雨情は、槍を手に立ち上がった。




