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赤いのぼり旗

〈あれ、聞き間違いかな・・・〉

沙魚丸の脳は、武蔵の返事を受け取るのをきっぱりと拒否している。


〈ここで私だけハミゴにするとかありえないよね。どう考えても、力を合わせて「エイエイオー」って叫ぶ場面だし・・・。ここで不参加のお願いをしてくるとかって、人としてあり得ないわよね。〉


沙魚丸は心の中で聞き間違いだよね、と断定したのだが、万が一と言うことも考えられるので逃げ道を用意した感じで聞くことにする。


「あの、私がいらないって聞こえた気がしたんですけど、そんなわけ無いですよね。あはは・・・」


沙魚丸の自信なさげな問いかけに言い淀む武蔵。

弟の不甲斐なさにいらっとしたお辰が、小田籠手をはめた手で武蔵の肩をがっしりとつかみ、武蔵を無理やり横に押しやった。


よろめきつつもホッとした表情となった武蔵は、これ幸いとばかりに源之進の方へ身を(ひるがえ)し、沙魚丸の視界から姿を消した。


突然、目の前からいなくなった武蔵に返事をもらおうと慌てる沙魚丸にお辰が優しい声で話しかける。


「私たちは、決して貴方様のお力が不要などと思っておりません。」


「じゃぁ、私も・・・」


一緒に戦います、と言おうとするが、なぜか沙魚丸はその言葉が口から出なかった。

うつむいた沙魚丸の頭をお辰が優しく撫で始めた。


「あまり焦ってはなりません、沙魚丸様。」


沙魚丸はお辰の顔をじっと見る。

〈お辰さんって、優しい目をしてるのね。何だろう、泣きそう・・・〉


「沙魚丸様が鍛錬に励まれたことを私も知っております。いいえ、私だけではありません。源之進様も五郎も知っておりましょう。その鍛えられたお体は一朝一夕にできるものではございません。戦に出ればきっと皆が想像もできないほどの素晴らしいご活躍をなされるでしょう。」


〈そうなんです。私は沙魚丸君のためにも活躍しなきゃいけないんです。〉

沙魚丸は二人の立派な家臣が活躍するのだから、自らも活躍しなければいけないと思っている。


『トップが身を粉にして働くからこそ、人はついて来る。』と言う教えの沙魚丸は信奉者でもある。


「そのように張りつめた御心で戦に出れば、きっと良くないことがおきます。五郎の兄も勇み足のために戦死いたしました。」


沙魚丸の心を見透かしたようなお辰の言葉が続いた。

そして、にっこりと笑ったお辰が紅を塗った唇の前に人差し指を立てた。


「これは秘密のお話です。もしも、貴方様が当地で怪我をなされると、椎名家は間違いなく三日月家のせいにするでしょう。そんな訳で、私たちから沙魚丸様にこの戦に参加して欲しいとお願いすることはできないのです。」


〈えーっと、冗談なのかしら。ここで私が怪我をすると三日月家のせいになると。なんだか、すごいイチャモンな気がするけど、恫喝外交ここに極まれりね。私が怪我したら、それを口実に椎名家が威嚇してくる・・・のかしら?〉


沙魚丸は椎名家にとって自身がそれほどの価値があるのかな、と首を捻っていると、背後で次五郎が笑いながら声をかけてきた。


「母上。私が沙魚丸様のお供をいたしますから何も心配いりません。私の命に代えても沙魚丸様をお守りいたします。」


「来るのが遅いのです。最初からあなたがそう言っておけば、武蔵殿の見苦しい姿を沙魚丸様に見せなくて済んだと言うのに。」


「沙魚丸様、文句の多い母は放っておいて戦の準備をいたしましょう。先ほども言われたでしょう。覇気を身に着けると。それには、実戦経験を積むのが一番です。」


〈やっぱり、あなたはお辰様に似てるよね。〉

沙魚丸は今まで落ち込んでいたことが嘘のように笑ってしまった。


あらためて、沙魚丸は思った。

〈気持ちだけが先走ってたのね。ダメね。みんなに迷惑かけちゃった。よし、ほどよく頑張ろう!〉


次五郎はそんな沙魚丸の様子に目を細め、姉羽の間に入る前に近習に取り上げられていた千駄櫃(せんだびつ)(商人が背負った箱)から少年用の甲冑を取り出し、沙魚丸に着せ始めた。


〈何が入っているかと思ったら、甲冑を入れてたのね。って、これ誰のかしら。〉

不思議そうな顔をしている沙魚丸にてきぱきと着用を進める次五郎が答えた。


「俺が着ていた甲冑が蔵に残っていたので持って参りました。椎名家のような逸品ではありませんが、こいつの縁起の良さは俺が保証します。幾度となくこいつを着て戦いましたが、怪我をしたことがありません。しかも一度も負けたことがないのですよ。」


大袈裟に身振り手振りで話す次五郎にくすっと沙魚丸は笑う。


〈次五郎さんも随分と気をつかってくれるのね。何だか通販のテレビに出てる人っぽいけど・・・。あれ、次五郎さんって、もしかしたら実演の売り子に向いているんじゃないかしら。なんかのお店を作ったら、やってもらおうかしら。〉


実現したら、きっと次五郎はとっても嫌がるだろうな、と想像している沙魚丸を次五郎がわしわしと揺すった。


「沙魚丸様。聞いてますか。」


「えっ。あぁ、すいません。なんでしたっけ。」


「なんか、いらんことを考えていたでしょう。まぁ、いいです。」


あごひげをさすった次五郎が甲冑の腹を指で押さえて話す。


「もう一度、言いますよ。こいつの小札(こざね)は牛革を(にかわ)で加工し漆で仕上げているので、強弓でなければ貫通はしません。なんと、それだけではありません。勇猛なる私が沙魚丸様の前に立ちますので、沙魚丸様に届く弓は一本も無いのです。」


沙魚丸は思わずパチパチと拍手をする。

にやりと笑った次五郎が拳を固め、沙魚丸の胸にあてた。


「ですので、安心して沙魚丸様は戦の流れを感じることに集中してください。」


「了解です。」


沙魚丸は興奮した口調できっぱりと答えた。



武蔵が源之進に話しかけた時、実は武蔵が何を言っているか源之進は全く聞いていなかった。

源之進としては、落ち込んだ様子の沙魚丸にどのような言葉をかけるべきかが大事なことであり、武蔵の声など片言すら入る余地は無かったのである。


だが、次五郎が俺に任せろとばかりに目配せを送って来たので、ようやく武蔵との話し合いに集中することができた。


「源之進殿と五郎の甲冑は、姉上が持ってきたらしいのでここで着用してください。私も急ぎ準備いたします。」


「ありがとうございます。ついては、両家の話し合いがうまく行ったと雨情様へお知らせするために、本丸内に旗を立てたいのですが、よろしいですか。」


「どんな旗なのですか。」


興味深げに聞いて来る武蔵に千駄櫃から赤い幟旗(のぼりはた)を次五郎が取り出し、さっと広げた。


「ほう、赤い幟旗ですか。ところで、これを立てるとどうなるのですか。」


「お辰様の話に出た針間と言う者が、雨情様へ合図を送ることになっております。」


頷いた武蔵は、鎧櫃(よろいびつ)を運んできた近習に幟旗用の竹を持ってくるように命じる。


「ふむ。合図と共に鷹条家の土手っ腹に椎名軍が突撃と言う流れですか。俺が言うのも何ですが、実に惜しいですな。そこに三日月家が加わわれば、鷹条を粉砕していたでしょう。源之進殿たちを当方の防衛戦に巻き込んでしまい詫びる言葉もありません。」


「雨情様なら、単独で問題ありません。私たちは三宅様とやらを早々に片付けてしまいましょう。椎名軍はすべて赤い鉢巻をつけることになっております。できれば、皆さまにも赤い鉢巻をしていただきたいのですが、いかがでしょうか。」


膝を打った武蔵が大きな声で答える。


「ありますとも。早速、つけさせましょう。」


「この鉢巻、気に入っていたのですけどね。」


武蔵の隣にやって来たお辰が残念そうに浅葱色の鉢巻を外した。


「今度、近習の者には浅葱色の鉢巻をつけさせるので、それで勘弁してください。」


「約束ですよ。武蔵殿。」


「私が約束を破ったことがありますか。」


「まぁ、白々しい。幼少の頃から何度も破っているくせに。」


憤懣やるかたないと言った顔のお辰に、額に冷や汗を浮かべた武蔵がしどろもどろに答える。


「姉上、そこは私を立ててくれるべきでしょう。」


「何事も嘘で始めると、ずっと嘘をつく羽目になるのです。お分かりでしょう、後悔するのは武蔵殿であると。」


ぴしゃりと言われ、武蔵は口ごもる。


「それはそうと、伊織には、このことをどう知らせますかな。」


「大丈夫ですよ。仁平と言う小者が伊織殿のもとへ走ります。」


お辰が続ける。


「仁平は瓜生家の小者ですが、三宅様に我が家の出来事をこっそりと話していたらしいのです。ですから、難なく正門まで行けるでしょう。」


「世間では、それを間諜と言うのです。そのような者を信じて大丈夫なのですか。」


ため息とともに武蔵が言った。


「逆でございます。そのような者が、こちら側に味方することを約束したのです。つまり、三宅様に勝利の目がないと判断したのです。」


お辰が微笑むと、武蔵は肩をすくめた。


「姉上は、いつも男前ですね。」


驚いた顔となったお辰が言う。


「今さらですか・・・。さぁ、無駄口を叩いている暇は無いですよ。」


「そうでした。姉上。これを仁平とやらに持たせてください。」


武蔵はお辰に木彫りの小さな仏像を渡した。


「まぁ、ちゃんと持っていたのですね。」


「当たり前でしょう。肌身離さず持っております。姉上に作っていただいた観音菩薩像です。失くしたら絶対に呪われますから。(そろ)いで作っていただいた勢至(せいし)菩薩像を伊織も常に帯同しております。これを見せれば、私の使いと分かるでしょう。まぁ、仁平とやらがよほどに人相が悪いと疑われるかもしれませんが。」


そう言って、笑ったのは武蔵だけであった。

仁平の人相は悪さを知っている一同は、武蔵から顔をそむけ口を閉ざした。


◆◆◆


針間は、赤い幟旗が本丸に立つのを見た。

幟旗は半分が縦に折りたたまれた状態で半分の長さであったが、針間の目にははっきりと見えた。


立てたのが源之進であることも一目で分かった。

針間に届けとばかりに何度も右に左に振る源之進の様子に思わず笑みがこぼれる。


〈やりましたね、沙魚丸様。〉

ぐっと拳を握りしめた針間は密かに喜びを嚙みしめた。


沙魚丸が滑り落ちて行き忽然と目の前から消えてしまったことは、護衛対象を見失うという針間にとって任務の大失敗であった。


任務という話以上に、沙魚丸の身を守れなかったことに針間は一人になってからもずっと忸怩たる思いでいた。


しかし、幟旗を見た瞬間、鬱屈したものすべてが吹き飛んだ。


針間は手にした法螺貝を高らかに三度鳴らすと、城内へ駈け込んだ。

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