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交渉開始

雨情のもとへと急いだ一郎が椎名軍にたどり着いた時、雨情は山賊を思わせるような顔の男と話している最中であった。


「仁平とか申したな。お前が瓜生家の配下であり、沙魚丸のために働くよう次五郎から命じられたと言うのは分かった。さぁ、ここに来た理由を教えてもらおうか。」


三日月家当主よりも雨情の方が格上であると針間からねっちりと教えられた仁平は、雨情の問いかけに身を硬くし、口ごもりながら答えた。


「五郎様と針間様のお二人から伝言を頼まれました。」


「針間からもか。」


雨情が驚きの声を上げたのには理由がある。

針間が雨情に仕えて以来、初見の者に用事を頼むことなどついぞ無かったからである。

目の前で恐縮しきっている仁平に興味を覚えた雨情が短く言った。


「申せ。」


仁平が次五郎の口振りをまねて話し始めた。


『鷹条軍の大将は野句中寒山と言って、内政の手腕を非常に評価されております。理由は分かりませんが、五郎様に対抗心を燃やしていて暇さえあれば突っかかって来る鬱陶しいやつなのです。』


仁平が懸命に話すのを雨情が手を上げて制止し、こらえ切れないように吹き出して笑い始めた。


「仁平、次五郎の口まねはやめろ。話が全く入って来んではないか。」


そして、仁平から寒山のことを聞き取った雨情が寒山について列挙した。


・頭は非常にいい。だが、至極残念なことに、出世の邪魔者を消すことだけにその頭脳を使っているため、一部の者からは蛇蝎のように嫌われている。

・物事がうまくいかなくなると不機嫌になり、場合によってはキレて暴れ出す。

・実戦経験が無く、快弁武者と呼ばれている。

・今回、大将になったのは、戦働きもできる文武兼備の者と鷹条家内で評判を得たいからと思われる。


「仁平、次五郎が申したのは、これぐらいか。ところで、快弁は快便とかけているのか。」


「その通りでございます。言葉巧みな話術でご自身はすっきりとなりますが、残された相手は不快になると言うこととお聞きしました。」


「洒落ているのか、何とも言えんな。野句中と言えば、狸顔をした鷹条家の重臣がいたと思うが、そいつなのか。」


雨情はちらりと木蓮を見た。

頷いた木蓮が流暢に話し始めた。


「野句中家と言えば、数代にわたり治政に秀でている者が輩出されております。若が想像されたのは、現当主でしょう。寒山と言うのは現当主の後継ぎで鷹条家の中でも将来を嘱望(しょくぼう)されている一人と聞いております。されど、戦で活躍したことなどついぞ聞いたことがございませんから、大将になった理由としては納得できます。」


「そうか。では、儂なりに敵将の人物像をまとめると、陰険で腹黒く奸智に長けているが逆境に弱いと言うことだな。やはり、子供をかわいがり過ぎてはいかんな。子がかわいいのであれば、谷に落とすぐらいして、世の中と言う荒波に()まれるべきだな。」


しみじみと語る雨情に木蓮が微笑んだ。


「若のお考えは、いつも両極端に行き過ぎます。厳しすぎてもかわいがり過ぎてもダメなのかと愚考いたします。」


木蓮からの反論に雨情は肩をすくめて見せた。


「子育ては奥が深い。という訳で、子育て論はこの辺で終わりにしよう。さて、針間は何と言っていた。」


「針間様からは、この先、雨が強くなると思われるため、狼煙の代わりに法螺貝で知らせたい。つきましては、陣中の法螺貝を一つ、あっしに預けて欲しいとのことでございます。」


「分かった。木蓮、仁平に法螺貝を渡せ。それから、仁平は城に戻る前にあっちの男の話を聞いておけ。」


そう言った雨情は、一郎を招き寄せた。


「一郎、何かあったのか。四葩と共に野句中の陣中で火をつけるための準備で忙しいと思っておったのだが。」


「忍びの中でも一二を争う者が雨が強くなると予測いたしましたため、火を使うのは中止したくお願いにあがりました。その代わりに、別のやり方で野句中軍の陣中を混乱させるべくご許可をいただきに罷り越した次第でございます。」


一郎は陣中で企図したことを雨情に残らず語った。

話を聞き終わった雨情は大いに笑う。


「木蓮、聞いたか。こちらの意図を読み取り、さらに上回ることを見せてくれるそうだ。」


「実に頼もしい援軍かと。惜しむらくは、当方の兵の少なさですね。1000名もいれば、私どもだけで野句中軍を蹴散らせたでしょうに。」


「まぁ、そう言うな。この兵数も鷹条に仕組まれたのだ。そこから儂らは負けている。どうだ、儂らの人数を増やしてみるか。」


にたにたと笑う雨情を見た木蓮が露骨に嫌そうな顔をする。


「あれをするおつもりですか。」


「そんな嫌な顔をするな。此度の陣夫に鎌持ちが多いと来ている上に、竹がいい具合に生えておるから旗印を増やすのにうってつけであろう。それに、引き上げの際にも追手への目くらましになるではないか。」


「かしこまりました。では、針間から連絡のあったすすき野原に立てることにいたしましょう。着物を脱ぐのは、口取などの非戦闘員でよろしいですか。」


「いっそのこと、ぱーっと槍兵と弓兵も脱がせるか。どうせ返り血で汚れるのだ。戦の間、雨で着物を洗濯していると思えばよかろう。」


「若もお忘れでは無いでしょう。前にふんどし一丁での戦をした時、敵方から乞食兵と散々に馬鹿にされ、兵の士気が下がったことを・・・」


「あー、そうだったな。あれは失敗した。儂の周りもふんどし甲冑と言うのはかなり見目が悪いか・・・」


「沙魚丸様が交渉に成功したとしても、私たちの有様を見て、三日月殿が心変わりされるやもしれません。」


「確かに。第一印象は大事だからな。儂が三日月の立場であれば、期待が失望へと変わるな。」


「では、前列に家紋の旗印を掲げ、次に、着物で作った旗印、その後ろには切った竹を立てておけばよろしいかと考えます。強い雨となれば、視界も悪くなるでしょうし、こちらの兵数を多く見せるぐらいにはなるでしょう。」


「それでいこう。着物を脱いで旗印を作った者には、後で褒美をやると言え。それから、張り切ってふんどしで旗印を作ったやつは罰金にすると付け加えてくれ。丸出しで戦う者は儂の軍にはいらん。」


「それがよいかと・・・。それも前の教訓ですね。では、急ぎ用意させます。」


承知した合図に軽く手を上げた雨情は、仁平へと顔を向けた。


「仁平。法螺貝を持ったな。では、急いで城に戻れ。今の話を針間に伝えよ。沙魚丸にも伝えたいところではあるが、本丸への出入りをお前は許可されておるのか。」


「いえ、二の丸まででございます。」


「まぁ、そうだろうな。ならば、針間の指示に従え。お前は儂の前にいる時点で、三日月家を裏切っているからな。分かるか。」


「はい。次五郎様にも(さと)されました。」


「良い心がけだ。三日月家が儂らと組み、鷹条とのつながりを断てば、いいだけだ。」


難易度が高い問題でございますねぇ・・・、と言いそうになった口を仁平は笑顔でごまかす。

仁平の気持ちを読み解いたかのように雨情が何かを差し出した。


「これは儂からの褒美だ。黙って受け取れ。」


金が入った袋を渡された仁平は、ありがたく頂戴いたします、と小声で言って走り去った。


「一郎、野句中の陣中に戻るのは無理であろうから、槍組頭の内畑に伝令をしてもらいたい。」


「私は、内畑様のことを知りませんが・・・」


「お前の弟の二郎がいるから、大丈夫だ。」


「そういうことでしたら。」


「副将は野句中本軍が攻撃を受けたら、本軍の救援に行かず、ひとまず様子見をするはずだ。儂らが優勢であった場合、本軍を放置し必ず逃げ出す。逃げ道を開けておき戦うことなく、逃げていく兵の背中に石を投げるぐらいにしておけ、と伝えてくれ。」


「本軍への救援に駆けつけた場合は、いかがいたしましょう。」


「ありえん。副将は手柄欲しさに本軍から離れたと言っておったが、儂が思うに、野句中に負け戦の匂いを嗅いだのであろう。なので、逃げやすいところに陣を構えたというところだな。」


雨情の推測に、一郎は首をかしげる。


「しかし、あの位置から逃げようとするなら、本来であれば街道を進んで来た椎名軍と対峙することになりますが。」


「副将は儂らの兵数を500と知っているのだろう。ならば、突っ切れば多少は被害があるかもしれんが、十分に逃げ切れると計算済なのだろう。」


一旦、話を切った雨情だが、少し考えて話し始めた。


「逃げたことを戦の後で追及されたとしても、前方の椎名軍(内畑軍)を追い払ったと言えば、それで追及は終わりだ。何が悲しくて、戦を知らぬ大将を守って死ななければいかんのだ、ぐらいのことは考えているだろう。大将が鷹条の血筋であれば、別の話だが。」


得心がいった顔つきとなった一郎が頭を下げる。

頭を上げた一郎は気合のこもった目で雨情に尋ねた。


「もう一つ、お教えください。雨情様の軍が劣勢の場合は、いかがいたしましょう。」


雨情の軍が負ける前提で投げられた一郎の質問は、木蓮のこめかみにびきっと青筋を立てさせたが、当の雨情は笑顔で手を叩いた。


「お前は聞きにくいことを平然と聞けるのだな。沙魚丸の器量に見切りをつけたら、いつでも儂が使ってやる。さて、劣勢と言うか、まぁ、負けた場合は簡単なことだ。内畑もさっさと逃げる。儂の軍の掟だ。」


雨情の答えに驚いた一郎が問い返した。


「雨情様を助けず、逃げることが許されるのですか。」


「椎名家の中で逃げ足が早いのは、何を隠そうこの儂だ。だから、儂の家臣は安心して自らが率いる軍のことだけを考え逃げることができる。それに、儂を守ってくれるのはここにたくさんおる。中でも木蓮と言う男は殿(しんがり)をやらせれば、当代随一だから儂は何も心配しなくていいのだ。」


「ありがとうございます。深いお話をいただき、感謝いたします。」


「沙魚丸にも儂の秘伝『逃げ足』を授けるから、安心して仕えるがいい。あいつは簡単に死ぬようなタマでは無いからな。」


「沙魚丸様に一刻も早くお会いしたくなりました。では、失礼いたします。」


一郎が立ち去ると、雨情は兜の目庇(まびさし)から垂れ落ちそうな水滴を払った。

〈よし、これでこちらの段取りは終わりだ。後は沙魚丸の交渉次第だな。見事に三日月を口説き落とし、こちらに引っ張り込むのだぞ。〉


◆◆◆


武蔵の言葉を受けて、源之進が沙魚丸の紹介を始めた。


「こちらは、守護職の西蓮寺様の使者、沙魚丸様でございます。」


げぇっと言う顔をした武蔵が、羽蔵を軽く睨む。

その目の意味するところは、「お前、何で西蓮寺様の使者とか大事なことを言わないんだよ。後で覚えてろよ。」だろう。


「西蓮寺様の御使者でございましたか。これは、知らぬこととはいえ、ご無礼をつかまつりました。さぁ、こちらへお座りください。」


深々と一礼した武蔵は立ち上がり、沙魚丸に上座を譲ろうとした。


〈上座とか下座ってやつね。急いでるし、どうでもいいし、立ったり座ったり面倒だよね。うん、断ろう。〉


「このままで結構です。」


にっこり笑って断った沙魚丸に武蔵は驚愕した。

いや、武蔵だけではない。

源之進も次五郎も沙魚丸が上座に行くだろうと思い立ち上がっていたが、沙魚丸が断るなどとあり得ない発言をしたため、茫然とした視線を沙魚丸に向けた。


重苦しい沈黙を破って、ようやく武蔵が口を開いた。


「御使者がそのように仰せなら、従わぜるを得ませんな。それでは、このまま失礼いたします。」


武蔵はどっかりと座り込んだ。


さっきまで友好的だった視線が一転し、沙魚丸を疑わし気に見つめる武蔵に対して沙魚丸はひきつった笑みを浮かべるのが精一杯であった。

〈この重たい空気・・・。また、やらかしたのね、私・・・〉

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