合戦前
鷹条家、野句中軍の陣中では、来たる戦いは楽勝との憶測がまことしやかに広まっていたため、手柄は立て放題の上、褒美も山のようにもらえると沸き立つ兵たちの熱気にあふれかえっている。
過去に立てた戦功を自慢し、自らを誇示することに熱心な兵たちから距離を置きこそこそと話す一団がいる。
椎名軍に協力することと誓った大木村の面々である。
二郎の代わりに四葩が一員に加わり、大木村の12名に椎名軍の動きが共有された時に少しばかり話は遡る。
「陣中に付け火を行い、山上の陣地跡に旗を立てた後、逃げるだけだよ。」
無表情に四葩が語った時、全員が一様に渋面を作った。
「椎名軍は俺たちを舐め過ぎだ。」
「逃げるだけとは、言ってくれる。」
「そう言われても仕方ないのかもな。主君の無念すら果たせず、国落ちした身だしな。」
憤りと悔しさ、諦めの声の中、この一員のまとめ役である橋爪勘兵衛が声を励ます。
「我らはいかに身をやつしても武士なのだ。武士たる我らが沙魚丸様と言う新しい主君に胸を張ってまみえるために一手柄あげなくてどうする。今、話し合うべきは過去のことではない。この戦でどのように手柄をたてるかだ。」
橋爪の朗々たる声に表情から暗さを払った全員の考えがまとまる。
「功を立てるには、敵のことを知らなければいけない。」
意気込んだ彼らは陣中を探るために小一時間ほど思い思いの方向へと姿を消した。
しばらくたってから戻って来た彼らは車座となり顔を突き合わせ、功を立てるための話し合いを始めたのである。
椎名軍との窓口であり、戦の中で重要な役割を果たすであろう一郎に口火を切るように橋爪が促す。
「火をつける場所を決めたので、4組に分かれて行いたい。」
一郎の言葉に、大木村で最年長の弥助が反対の声を上げた。
「儂は反対じゃ。あの雲を見よ。この先、雨がきつくなる。火を使うのは無理じゃ。」
じいさまと村の者から呼ばれている弥助は老いを理由に、数年前に生命の危険を伴うような活動からはすっぱりと手をひき、現在は農作業に従事している。
陣夫や普請などの夫役と言われる労働課役を代官より村へと命じられた時には、
「暇な儂が行くのがいい。」
と言って村のために率先して働くありがたい老人である。
元は忍びとして動いていた弥助は、一郎たちに忍びの何たるかを教えた上忍の一人であった。
「常から言っておろう。忍びは観察力を磨かねばいかんと・・・」
弥助は一郎に忍びとしての心構えを説こうとするが、長くなりそうな気配を察した橋爪は説教を中断させようと慌てて弥助に話しかけた。
「じいさま、そうは言っても椎名軍からの命令だ。火をつけんとあちらも困るだろうし、少しぐらい燃やすのは可能なのではないか。」
「少しばかり火がついたとしてもすぐに消されるのが関の山じゃ。とりあえず、燃やしておけば命令違反にならんとか、お前はいつからそんなしょうもない考えをするようになったのじゃ。そんなことなら、端からやらん方がええわい。」
気圧された橋爪は、救いを求めるように一郎に尋ねた。
「1つでも勢いよく火をつけれそうなところはあるのか、それならば・・・」
一郎に尋ねる橋爪の言葉を遮り、弥助の低い声が響いた。
「火攻めにこだわらんかったらええんじゃ。椎名軍が儂らに火をつけさせたい理由は、何なのじゃ。」
弥助が村の者たちをじろりと見渡す。
「椎名軍が一撃を与える前に鷹条軍を混乱させたいのじゃろうが。であればじゃ・・・」
にたりと笑った弥助が指を一本立てる。
「いっそのこと、ここの大将を討ち取るなど、どうじゃ。椎名軍の目的も果たせるし、儂らの大手柄になろう。」
悪人さながらの顔で話す弥助の言葉に、全員が手を打った。
「さすが、じいさまだ。誰か大将のことを調べておったよな。」
「おう、俺が調べて来た。」
「どうだ、討ち取れそうか。」
「やってやれんことは無いが、全員が死ぬことになる。」
「それほどの剛の者なのか。そんなに強そうに見えなかったが・・・」
「違う。やたらと護衛の兵が多いのだ。どこに行くのにも、常に十人以上に囲まれておる。今の儂らでは、一人一殺としても、ちょっと足らん。誰かの突撃が必要になる。」
うーむ、と揃って悩む声を上げる中で、一人が手を上げた。
「ここの大将は戦のことは素人らしい、と何人かが言っておった。誰か聞かなんだか。」
「そう言えば、俺も聞いたな。」
「俺も聞いたぞ。その割にこの軍の統率は取れていると思い聞き流したのだが・・・。」
「俺が聞きこんだところでは、この軍の半数が傭兵らしい。四葩もここへ来る道でちょっかいをかけられたのであろう。」
「その通りだ。ここの兵は、カスの集まりだ。」
からまれていた四葩を救った一郎が侮蔑混じりの口調で言った。
「ということは、この軍をまとめているやつの力量がすごいのか。」
「軍奉行のことだろう。あの男の話になると、どいつもこいつもほめそやしていた。敵ながら大したものだとすっかり感心してしまったわい。」
「そういうことならば・・・。そいつを殺すと、この軍は崩壊するのか。」
「崩壊とまではいかんだろうな。だが、椎名軍の一撃によっては、面白いものが見れるのではないか。」
「俺はその案に賛成だ。ここにいるのは、勝ち戦と浮かれて腰の軽い傭兵どもだ。攻撃を受けただけで一目散に逃げ出すに違いない。軍奉行がいないあの大将では、崩れた傭兵をまとめるのは難しいだろう。」
「軍奉行だけでよいのか。副将も相当にやる男だと噂されておったが。」
「副将のことは考えんでいい。功を焦ったらしく、一軍を率いて前に陣取っていると聞いた。変事に対応するには、少しばかり遠いところに陣があるのを確認した。街道を進んで来た椎名軍の後を取って、本軍と挟み合わせて全滅にするつもりなのだろう。」
「よし。方針は決まったな。どうやって、軍奉行を討ち取るかだが・・・」
「そいつは大丈夫だ。武器はかっぱらっておいたから、身を隠しつつ弓で狙えばいい。あの軍奉行は憐れなほどに働き者で一人で陣中をあっちこっちと走り回っている。」
「椎名軍の狼煙が合図と聞いていたが、雨がひどくなるなら狼煙は無理だな。一郎は椎名軍へ行って、このことを伝えてくれ。だが、戻って来る前に戦は始まるだろう。俺たちへの知らせは何とかしてくれ。」
一郎が頷くと、四葩が不満げに話した。
「あたいが行くよ。あたいは沙魚丸様の御身を守らないといけないんだから。」
「ダメじゃ。お前は歩くだけで質の悪い兵どもが悪さをしてくるんじゃろう。もし、刃傷沙汰にでもなったら、今までの話がご破算になりかねんのじゃぞ。」
弥助の叱責に四葩はしゅんと黙り込んだ。
「では、行って来る。沙魚丸様の前で堂々と会おう。」
一郎は微笑んで場を後にした。
◆◆◆
城下にある二番家老の三宅家屋敷では、本丸の領主屋敷にいなければいけない武蔵の近習、木下秀俊が三宅寛流斎に向かって、武蔵のもとに風体の怪しい二人の商人と子供が訪れたと報告をしていた。
「そなたは、商人ではないと思うのか。」
「はい。ちらと見ただけで分かりました。二人ともに鍛えぬいた体をしており、あのような者たちが商人であるわけがございません。」
「その子供と言うのは何なのかな・・・、そなたはどう見たのだ。」
「商人の子供には似つかわしくない脇差を差しておりました。おそらくではございますが、二人はこの子供の護衛ではないかと・・・」
「子供か。今回の椎名軍の大将は、確か椎名龍久と聞いているが、子供と間違えるような年ではないし、まさか大将自ら変装して城に来るとは考えられん。とすると、何者なのか、想像がつかんな。」
しばらく考え込んだ三宅寛流斎は、木下に尋ねた。
「他に気づいたことはあるか。」
「申し訳ございません。屋敷に入るや否や武蔵様と共に姉羽の間に入ってしまいましたので、これ以上は分かりかねます。」
「そうか。いや、貴重な話を教えてくれて助かった。私が城を奪った暁には、そなたをしかるべき地位にするので、もうしばらく、武蔵様の監視を頼むぞ。」
「はい。お任せください。鶴山城には、三宅寛流斎様こそ城主に相応しいと誰もが申しております。」
「はっはっは。私もそう思う。では、引き続き頼んだぞ。」
頭を下げ、三宅寛流斎の前を退いた木下秀俊は、足取りも軽く本丸へと戻って行った。
三宅寛流斎は祐筆を呼ぶと、すぐに書状の用意をするように命じた。
「鷹条軍の野句中様に出す。内容は、椎名軍と思わしき者が武蔵様のもとへ訪れたので、注意をするように、と。」
すらすらと書状を作成する祐筆を見て、三宅寛流斎はこれまでの鷹条家とのやり取りを思い出しわずかながら不安がよぎった。
〈今までのやり取りは十六夜様と行ってきたが、眼前に陣取った野句中様からは一度も連絡がない。今回の策略のことを考えて、あえてこちらへ連絡を取らないようにしているのか・・・。すると、こちらから書状を送るのは避けた方がよいか。〉
祐筆に書くのを止めるよう考えた三宅寛流斎だが、思い直す。
〈蟻の穴から堤も崩れると言うし、こちらの動向を野句中様にしっかりとお伝えしておくのも必要だ。それに、私から野句中様に一度も連絡していないから、逆に疑われているのかもしれない。〉
「もう一点、付け加えよ。鷹条軍が椎名軍を打ち破った時、呼応して鶴山城主三日月武蔵の首を獲り、開城する手はずは予定通り進行している、と。」
小さく頷いた祐筆は、すらすらと書き進めていく。
できあがった書状に目を通し、急いで野句中軍へ届けるように申し付けた三宅寛流斎は、一つ大きく息を吐き出した。
三宅寛流斎は武蔵とのこれまでのことを振り返り、決意の炎を目に宿す。
〈武蔵様。私はこの国に住む民のために最善の行動を取りますぞ。武蔵様がなされようとする国づくりでは、滅亡が見えています。私がこの国の領主となり、鷹条様の旗下として大いに国を発展させましょう。私の手腕を地獄で黙って見ていなされ。〉
「殿。いかがなさいました。」
三宅寛流斎の家臣の中でも忠義に厚い大島新兵衛が物思いにふけっている三宅寛流斎を心配して声をかけてきた。
「武蔵様とも今日でお別れかと思うと、少々寂しくなってな。いらんことをあれこれと考えてしもうた。」
「武蔵様のお考え通りに進めておりましたら、三日月家はとっくに滅んでおりましたことは、皆存じております。殿が縁の下の力持ちとなって三日月家を支えて来たと言うのに、いつまでたっても夢のようなことばかり申される武蔵様に殿が取って代わらなければ、民が苦しみます。」
憤然と話す新兵衛の顔がひょっとこを見ている様で三宅寛流斎は笑い出してしまう。
「新兵衛の申す通りだ。武蔵様に任せておけば、この国は亡び、民たちは塗炭の苦しみを味わうことになる。鷹条家と連携できる今こそ、武蔵様を討ち取る機会だ。新兵衛、先ほど来た者は、本丸の兵はすべて立ち退かせたと言っていたが、本丸に遣わした槍奉行から知らせはあったか。」
「はい。ございました。計画は順調に進んでおります。」
頷いた三宅寛流斎は、武蔵のもとへ訪れた商人のことがのどに刺さった骨のように気になる。
〈商人か。しかも、立派な脇差を差した子供と言うのが、腑に落ちないが・・・。ここまで来たのだ。後は力押しするのみ。本丸を一気に制圧し、武蔵様の御首級を頂戴するだけだ。〉
三宅寛流斎は浮かんだ違和感を無理やり消し去り、新兵衛に甲冑の準備を申し付けた。




