姉羽の間
三日月家の領主屋敷には、主殿の奥に渡り廊下で結ばれた小さな部屋がある。
「激務でお疲れになった武蔵様には一人になるお時間が必要でございます。」
武蔵が領主となった頃、周囲との軋轢により武蔵の体調が悪くなるのではないかと心配する大山崎は、三人の家老に号泣しながら武蔵のための部屋が必要だと訴えた。
孫とも言っていい年齢の大山崎が切々と訴える姿を困惑顔の家老たちと共に疲労困憊のふりをして眺めている武蔵は内心でにやついていた。
〈俺の演技指導もなかなかのものではないか。能作者になっても、結構いい線いっていたかもしれんな。それにしても、大山崎の多才さにはいつも驚かされる。あいつ、泣きまねがうますぎないか・・・〉
武蔵が大山崎を要注意人物と考えた時、三宅の甲高い声が座敷に響いた。
「武蔵様の小部屋を造ることは、百害あって一利なし、金の浪費でしかありません。無用でござる。」
三番家老の三宅は頑として首を縦に振ろうとしない。
三宅の憎々し気な言い方に、
〈こいつ、そこまで言うか。百害ってなんだ。おら、100言ってみろ。〉
と、武蔵はむかっ腹を立てるが、心の声を顔に出すことなく笑顔を保つ。
すると、大山崎の涙にほだされたのか、一番家老の吉永と二番家老の佐々木が
「小部屋ぐらい造ってもいいのではないか。さほどに金もかからんであろう。」
と、賛成へと意見を変えた。
〈よっしゃぁ!おら、三宅、どうすんだ。何とか言ってみろ。〉
表面上は笑顔の武蔵は三宅に対して心の中で煽りまくる。
二人の意見を聞き、苦渋の表情へと変化した三宅を見た武蔵は、三宅の前に躍り出て腹踊りでもしたい欲望に襲われるが、これも笑顔でこらえた。
「御両所が、そうおっしゃるなら、某が反対する道理はございません。」
三宅もしぶしぶではあるが賛意を示し、ここにようやく武蔵用の小部屋が造成されることが決まった。
大山崎の苦労の末、できあがった小部屋は武蔵が溺愛する一人娘のお江により姉羽の間と名付けられた。
姉羽の間を見る度に武蔵は思う。
〈引きこもるための部屋だったはずなのに・・・〉
武蔵は、父が領主であった頃を思い出す。
武蔵の父は気前がいい上に配下の人気取りをするのが好きであったため、家臣たちの口車に乗せられ、新たに開拓した土地のほとんどを家臣に配分してしまった。
気がつくと、三人の家老が手を組めば、三日月家を滅ぼすのに十分な実力をつけていた。
下手をすれば、二家でも可能なぐらいに・・・
そのため、武蔵の父が家督を譲る前に負け戦で戦死した時には、父の遺言だけでは武蔵が父の跡を継ぐのに十分ではなく、三人の家老の賛同を得なければならなくなっていた。
三人に頭が上がらない武蔵に、吉永、佐々木、三宅の三人の家老は、年若の武蔵が国政を担うのは難しいと言って結託し、武蔵と三人の家老との合議によって政治を行うことを要求し、武蔵は仕方なく従った。
この決定に不服であった武蔵だが、力をつけるまでは唯々諾々と従うことにする。
ある時、吉永と佐々木が些細なことで争いを始めた。
これ幸いとばかりに吉永と佐々木の争いを拡大させた武蔵は、両家が内乱を起こしたと領内に宣言し、三宅と瓜生、弟の伊織に二家を征伐するよう命令し、褒美として三家に彼らの領地を配分した。
空席の家老の席に、一番家老から伊織、三宅、瓜生と任命し、武蔵の権力を強化した。
とはいいつつも、領内の者が武蔵の命令一下で動くかと言うと、そこまでにはならなかったのだが・・・
特に、二番家老となった三宅が褒美の分配から家老の席次にまで武蔵の行った論功行賞に不満を持ち、武蔵の命令に対して事あるごとに反抗するようになる。
三宅は武蔵に疑いの目を向け、領主屋敷に自らの息がかかった配下を公然と送り込み、武蔵の動静を探るようになった。
武蔵の身辺警護と言っているが、武蔵の寝首をいつでもかけるのだ、という示威行為でもあった。
この三宅の威しに対して、まともにぶつかり合えば三日月家が負けると分かっている武蔵は笑顔で三宅の懐柔を繰り返し、三宅の機嫌をそこねないようにしている。
一人の部屋が欲しかっただけの武蔵であるが、『壁に耳あり障子に目あり』と言う状態に苦しんだ結果、姉羽の間を内緒話をするための部屋として使うようになった。
◆◆◆
姉羽の間に行くと羽蔵に告げた武蔵であったが、大山崎を人気のいないところまで引っ張っていき、ひそひそと話し出した。
「商人が姉羽の間に入ったのを見届けたら周りを囲め。部屋の鐘を3回鳴らしたら、姉羽の間にいる者を残らず討ち取れ。」
「かしこまりました。商人が3名と言うことでしたので、短槍でよろしいでしょうか。」
「羽蔵の物言いだと、商人では無いな。念のため、完全武装で人数も多めにしておけ。」
武蔵の言葉に黙って頷いた大山崎は懐に入れた柿を着物の上からそっと触れた。
そして、できるかぎり普段通りの声で武蔵に尋ねる。
「羽蔵様は、いかがなされます。」
あー、と唸り声のような上げた武蔵は、大山崎の懐に手をぐいっと差し込んだ。
驚く大山崎が避ける暇もなく、懐の柿を取り出した武蔵は柿をじっと見つめた後、両手に力を入れ二つに音を立てて割った。
一つを大山崎に放り投げ、一つにかぶりついた。
「羽蔵も何かを企んでいるのだろうが、俺が鐘を鳴らすような者を連れて来たのだ。そのような間抜けの頭は、胴とおさらばでいい。俺の知らぬところで、ごそごそと動いているのだ。それぐらいの覚悟はしておろう。」
武蔵は柿を頬張りながら自らに言い聞かせるように言った。
柿を両手で受け取った大山崎は、目から感情を消しきれずに答える。
「討ち手ですが、羽蔵様が含まれておりますので、三宅様の息のかかった者たちを集めてよろしいでしょうか。」
右足で左脛をかきはじめた武蔵は、がくっと頭を下に落とした。
「大山崎。勘違いするなよ。俺は羽蔵を殺そうとしているのではないからな。最悪の場合に備えているだけの話だからな。例えば、あいつが、御屋形様ご免とか言って、俺を殺そうとするかもしれないだろ。」
大山崎の顔には見る見るうちに文字が浮かび始めた。
『あれだけ忠義を尽くされている羽蔵様が武蔵様を殺そうとするなんて、どう考えたってありえないでしょう。』
という文字が武蔵にははっきりと見えた。
武蔵は苦笑する。
「お前の考え通りだ。だがな、人と言うのは、いつでも自分のことしか考えておらんのだ。それこそ、生まれた時から朱子学漬けにでもすれば、いいのかもしれんが・・・。」
食べ終わった柿の残骸を懐紙で包んだ武蔵は、独り言を言うように呟いた。
「さて、あいつが言う繁栄をもたらす商人とやらは、三宅にとって、益があるのか無いのか、どちらだろうな。とりあえず、羽蔵の話は、できる限り三宅の耳に届かないようにする。と言っても届くのだが・・・」
武蔵の言葉に大山崎は一言も無くうなだれた。
腕を組んだ武蔵は、近習の顔を思い浮かべながら指を1本、2本と立てる。
「三宅の息がかかっていない者は・・・、ほとんど、おらんな。改めて考えると、すごい状況だな。」
武蔵が笑い、大山崎も苦笑し答えた。
「残念ながら。」
「伊織が正門を守っているのだったな。」
「はい。ご承知かと思いますが、念のため申し上げます。三宅様のご命令で本丸の兵もほとんどが正門に行っております。」
「ちょっと待て。そんな話は聞いておらんぞ。」
大山崎がひゅっと息を呑む。
「武蔵様が許可されたと言って、先ほど、三宅様の奉行の方が兵を引き連れて行かれましたが・・・」
「なるほど。それで、いつもと違って静かに酒を呑めたわけだ。事の真偽は後だ。お前は正門に行って、伊織の配下30名を本丸に連れて来い。伊織に言うのだぞ。」
大山崎は勢いよく頷き、正門へと走って行った。
「どいつもこいつも、俺を軽んじおって。今に見ておれ。必ず叩きのめしてくれる。」
武蔵の口から自然と決意の言葉がこぼれ出た。
誰にも聞かれていないよな、と慌てて左右を見渡した武蔵は台所へ立ち寄り、暇そうな下女に一番いい酒を用意するよう命じた。
酒を持った武蔵は、さて、どんな輩が来るのやら、と胸を弾ませ台所を後にした。
◆◆◆
「武蔵様、羽蔵様がいらっしゃいました。」
姉羽の間にかかった渡り廊下の前に控えていた近習が羽蔵たちが到着したことを伝えた。
「おう、入れ。」
羽蔵が障子を開けると、見るからに機嫌が良さそうな武蔵が上座であぐらをかいていた。
沙魚丸は前もって注意があったように背筋を伸ばし堂々とした姿勢で部屋へと入っていく。
〈背筋は伸ばして、視線は前。胸を張って。〉
と、心の中でお経を唱える様に繰り返しながら。
武蔵は、沙魚丸が部屋に入って来た時、理由は分からないが何とも言えない親しみを感じた。
〈商人の小僧のくせに、風格が感じられるな。やはり、ただの商人ではないか。羽蔵め。どこで、こんな面白そうなのを見つけて来たのだ。〉
沙魚丸をしげしげと眺めていた武蔵は、次に入って来た源之進と次五郎を見て吹き出しそうになった。
〈この面構えで商人とは笑わせる。小僧は商人と言っていいとしても、この二人は商人の姿が似合わな過ぎて笑えるな。ダメだぞ、ここで笑ったら領主として取り返しがつかんからな。〉
大きく深呼吸をした武蔵が着座した沙魚丸たちに微笑んで言った。
「よくぞ、参られた。鶴山城主、三日月武蔵と申す。羽蔵から時間が無いと聞いている。礼儀は無用だ。さぁ、用件を述べよ。」




