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三日月武蔵、登場

沙魚丸が決意を新たにしている頃、本丸の門、通称「一の門」で待つように三人に告げた羽蔵は一足先に主君、三日月武蔵の元へ向かうことにした。


武蔵の屋敷に着いた羽蔵は、大声で到着を告げる。


「瓜生羽蔵、武蔵様にお目通りを願いたく参上した。取次を頼む。」


屋敷の中から驚いた様子の近習の大山崎重吾が現れ、羽蔵に頭を下げた。


「武蔵様がお待ちです。どうぞ。」


「そうか。では、刀を頼む。」


羽蔵は腰に差した大刀を大山崎に渡し、縁側にどっかりと座った。

大山崎の驚いた表情を思い出し、羽蔵は反省する。


〈そう言えば、武蔵様へのお目通りを緊急ながら頼むと従者を使いに出しておったな。いかんな、大声を出して取次を頼むなどと。大山崎が目を丸くしておったではないか・・・。少し落ち着かねば。〉


緊張しているからなのか、手が細かく震え草鞋がなかなか脱げない。


〈あの子供の方が、儂よりよほど肝が太いな。〉

笑顔で柱をさする沙魚丸を思い出した羽蔵は自嘲の笑みを浮かべ、深呼吸を繰り返す。


そうしている内に、下女のおみつが満面の笑顔で(たらい)を持ってきた。


〈おみつの笑顔は、いつ見ても(なご)むのう。〉

おみつの笑顔に救われた思いの羽蔵は、そう言えばと思い、懐をまさぐる。


「おみつはよく働いてえらいぞ。ほれ、柿をやろう。」


羽蔵が差し出した柿をおみつはぺこりと頭を下げ受け取った。


「羽蔵様、嬉しい。羽蔵様の柿は、どこの柿よりも甘いのですが、なぜでしょう。」


柿を大事そうに両手で持ったおみつが不思議そうな顔で尋ねる。


「簡単なことだ。儂の妻のお辰が愛情いっぱいに育てているからだぞ。」


大真面目な顔をして話す羽蔵から顔を露骨にそらしたおみつは全身でため息をついた。


「聞いて損しました。羽蔵様は何かって言うとお辰様、お辰様だから、もう聞き飽きました。」


「と言われても、本当にそうなのだがな・・・。ところで、儂が敬愛する武蔵様のご様子はいかがだ。」


「それがですねぇ、鷹条様が勝手に陣替えをしたとか何とかで、弟君の伊織様からご報告を受けてからずっとご機嫌ななめなのです。という訳で、屋敷の下女たちはみんな息を吸う音をたてるのもダメだって言って、武蔵様の前では息を止めているので、死んじゃうかもって大騒ぎしてるのです。」


息を止めようと手で口に蓋をしたおみつは、途中から苦しくなって目を白黒させている。

おみつを困ったように見た大山崎がおみつを軽くたしなめた。


「おみつ、武蔵様のことを軽々しく口にしてはならぬといつも申しておろう。」


「ごめんなさい。」


首をすくませ謝るおみつの頭を撫でた羽蔵は、大山崎の手を持ち上げ柿を置いた。


「儂が武蔵様のことを聞いたのが悪かったのだ。そう怒ってやってくれるな。これでも食べてくれ。」


「私は、そのようなつもりでは・・・」


「よいよい。武蔵様もお前のような忠臣が近習でさぞ喜んでおられよう。さて、家老の儂が武蔵様のご機嫌を良くしなくてはいかんな。」


大山崎がぱぁっと表情を明るくし、言った。


「はい。是非ともお願いいたします。」


足を(すす)ぎ終わった羽蔵は、大山崎の明るい声を背中で聞きながら、おみつが語った武蔵が不機嫌である理由を呟き、

〈沙魚丸という子供には運がある。〉

と、密かに思った。


沙魚丸たちの目的の真意、『鷹条家からの離脱』を源之進から聞かされた時、頭がおかしいのかと思った。


〈1500の兵が待ち伏せしている上に海徳の兵まで来ると言う。椎名軍は500。我らが味方しようと勝てるわけがない。武蔵様に会わせるまでもない。この二人を鷹条家へ差し出し、どのような恩賞をもらうかを交渉すべきだ。〉


次に羽蔵は沙魚丸と源之進をどのように捕らえるか悩ませた。


しかし、次五郎が鷹条家に誅殺されそうになっており、沙魚丸を主君と選んだことを聞くに及んで、考えをガラッと変えた。


そもそもの話、茄子家へ幼き五郎を養子に出したのも、五郎を愛しているからこその決断だった。

幼少の頃から五郎が引く弓は強かったため、今為朝と囃され、羽蔵はこのまま瓜生家にいるのは五郎には惜しいと考えた。

だからこそ、弓の名門として名高い茄子家へ養子に出したのだ。


それが、久方ぶりの再会を喜ぶ間もなく、あろうことか主君より誅殺されようとしていると聞いて、羽蔵は怒りで目の前が真っ暗になった。


〈鷹条家許すまじ。守護代を海徳が継いで以来、三日月家への風当たりも強い。二人の話が真実であれば、三日月家も早晩、滅ぼされるに違いない。ここは武蔵様を説得し、鷹条家から椎名家へ鞍替えするべきだ・・・。〉


羽蔵は鷹条軍が陣替えをしたことを聞いた時、武蔵が不機嫌になった理由が手に取るように分かった。


〈鷹条に従うと言えども、ここは三日月家が支配する地。この地で勝手気ままに振舞うとは野句中の倅も何を考えているのか・・・〉


呆れた表情をした羽蔵はフッと笑う。

〈五郎を亡き者にせんと企んだことも含めて、海徳には目にもの見せてくれる。ついでだ。忠臣のふりをしている悪賢い狐を城から追い出し、瓜生家が二番家老になっておくか。さて、どうしたものかな。〉


右腕をぐるんと回した羽蔵は、三日月武蔵がいる座敷へと一直線に突き進む。


武蔵があぐらをかいている座敷の前で、着座した羽蔵は平伏する。

座敷には面白くなさそうに杯を傾けている武蔵がいた。


「羽蔵、危急の件で罷り越しました。」


「羽蔵、遅い。早くこっちへ来い。一緒に呑むぞ。お前も聞いていると思うが、俺は鷹条にムカついているのだ。黙って俺の話を聞け。反論は許さん。ほれ、お前が来るからと酒を用意したのだからな。」


羽蔵は武蔵に分からぬように苦笑した。

〈私が来ようと来るまいと呑んでいたくせに・・・。まぁ、こういうところが憎めない方ではあるのだが。〉


武蔵の前に座りなおした羽蔵は、近習から渡された杯に酒を注いでもらい、駆けつけ三杯とばかりにぐっと呑みほした。


「お前なぁ。これは、いい酒なのだから、そんなにぱかぱか呑んだらすぐに無くなってしまうだろうが・・・。もう少し、味わって呑まんか。」


武蔵が悲し気に言うのを無視して、羽蔵は切り出した。


「実に珍しきモノを手に入れました。人目につかないようお見せいたしたく、なにとぞ、場所を変えていただけますようお願いいたします。」


杯を折敷(おしき)の上に置いた武蔵は、にやにやと笑う。


「お前が俺に内緒の相談などと、お辰のこと以来ではないか。」


武蔵は何かに気づいたように大きく手を振る。


「待て。お前、もしかして、お辰に言えぬことを俺に相談するのではないだろうな。夫婦喧嘩なら俺は知らんぞ。お辰に怨まれるのはご免だ。そんな相談は、伊織が得意だぞ。あいつに言え。」


お辰がらみの事件を思い出し、すっかり酔いが覚めた顔になった武蔵は酒を呑みなおそうとする。

そんな武蔵に対して、羽蔵はこれみよがしに大きなため息をついた。


「お辰に隠し事など、私には一つもございません。お辰と結婚して以来、喧嘩などしたことも一度もございません。私たち夫婦のことに一点の曇りもございません。よって、武蔵様に相談することなどあり得ません。」


胸を張ってきっぱりと言い切った羽蔵をちらりと見た武蔵はつまらなそうに杯を持ち上げる。

近習に酒を注がせた武蔵は、杯に口をつけ、ぼそりと言った。


「お前と言うやつは、本当に面白みのないやつだな。そんなことだから、お辰の尻に敷かれているのだぞ。」


「武蔵様に、お辰の尻に敷かれる良さは分かりません。」


鼻高々に言う羽蔵に武蔵はうんざりした顔で言った。


「お前、その年にもなって、よくもまぁ、己の主君にそれだけ惚気(のろけ)られるよな。心から感心する。まぁ、よい。場所は・・・、内緒話であれば、姉羽の間でよいか。」


「お聞き届けいただき、ありがとうございます。つきましては、新しく当地を訪れました商人3名を連れて参りますので、ご承知ください。」


武蔵が杯に残った酒を一息にあおる。


「今日は、雪でも降るのではないか。お前が新規の商人を連れて来るとは。どんな商人だ。」


「都から来た商人です。武蔵様に繁栄をもたらす商人と見ました。」


羽蔵の言葉を聞いた武蔵の目がぎらりと鋭く光る。


「お前、熱はあるまいな。正気で言ってるのだな。俺にとって福の神となる商人であると。」


「もちろんでございます。きっと、お楽しみいただけるかと。」


「よかろう。酒がいるな。その商人は酒が好きであろう。」


「ご明察の通りでございます。しかし、あまり時間がございませんので、酒は次の機会がよろしいかと。」


「よほどに急ぎなのだな。よし、俺はすぐに姉羽の間に行く。早く連れて来い。」


「ありがとうございます。では、早速に。」


急いで立ち上がろうとした羽蔵に武蔵が声をかける。


「待て。その者たちは、どこにいるのだ。」


「一の門で待たせております。」


座りなおした羽蔵が答えると武蔵は満足気に言った。


「羽蔵のくせに対応が早いではないか。せめて、香の物でも用意してやろう。急ぐぞ。」


精悍な顔となった武蔵は、立ち上がり台所へと足を向けた。

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