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羽蔵とお辰

赤茶けた土壁の上に板葺き(いたぶき)の屋根をのせた塀が続く道をすたすたと歩く沙魚丸はご機嫌である。


〈女神様の神社の塀は築地塀(ついじべい)がいいわよね。でも、漆喰(しっくい)を塗った白壁も素敵だし・・・。悩むなぁ。〉

などと、これから挑まなければいけない交渉とは無関係なことに頭を使っている。


沙魚丸は、お偉いさんと会うのは好きではない。

はっきり言えば、緊張してお腹も痛くなるので嫌いである。


そのため、鶴山城の城主を味方につけると言うような難題についてあれこれと考え続けるより、好きなことに思いを巡らし現実から逃避行することで精神の安定を保とうとしていた。


そんな涙ぐましい小市民の生活の知恵は、仁平の声によって中断させられる。


「あそこが羽蔵様のお屋敷ですよ。」


仁平が指をさした先には、木造りの薬医門があった。

門を目にした沙魚丸は、再び逃避行に入ることにした。


吸い寄せられるように門に近づいた沙魚丸は、開け放たれた門の本柱をそっと撫でる。

前世の沙魚丸はお城の部位の中でも門が好きと公言していたこともあり、門に向けた目をギラリと光らせる。


〈屋根は茅葺(かやぶき)なのね。葺き替え(ふきかえ)たばかりなのかしら、茅色がス・テ・キ。さすが、三番家老様のお屋敷だけのことはあるわ。本当に立派な薬医門よねぇ。本柱はがっしりしていて、これは、そうだわ、きっと(けやき)を使ってるのよ。なんか、いかにも高そうな木だし・・・。〉


いかにも分かったように、うむうむと頷く沙魚丸だが、もちろん木を見極めることなどできない。

しばらくの間、屋根下の板蟇股(いたかえるまた)に目を凝らしていた沙魚丸は、こてんと小首をかしげる。


〈でも、ここの城下には瓦職人がいないのかしら。搦手門もそうだったけど、瓦が一枚も見当たらないのよね。えーと、確か、瓦がお城に本格的に使われるようになったのは、信長が使ってからだったかしら。信長と言えば鉄砲!転生してこの方、鉄砲の『て』の字も無かったし、ここは鉄砲伝来前の世界と思ってよさそうね。〉


鉄砲伝来前の異世界に転生したことに気づいた沙魚丸は我知らず、「よっしゃぁ。」と奇声を発し、拳を握りしめた。


〈鉄砲が伝来する前に今から対策を取れば・・・、やだ、一人勝ちの予感がする。12歳にして、人生薔薇色って最高だわ。〉


明るい未来予想図に思いを馳せてニタニタと笑い出した沙魚丸だが、急に真顔となり、手を口に当てた。


〈ん、ちょっと待って。応仁の乱が終わったのが1477年でしょ。鉄砲伝来が1543年だから、今が1490年ぐらいだとすると、1543-1490でいいよね、まぁ、53年もあるのね。すると、今12歳だから、鉄砲が来る頃には65歳じゃない!〉


口に当てていた手を頭に持って行き、沙魚丸はわしゃわしゃと頭をかき始めた。


〈天下人の家康だって死んだの73歳よ。長生きの尼子経久で84歳でしょ。信長なんて47歳・・・。万全の用意をしても、鉄砲きたー、はい、死んだーってなるよね。それどころか、その前に死亡っていうのもあり得るわ。しかも、ここ地球じゃないから、鉄砲が伝来するかどうかも謎なのよね。人生初のビッグウェーブが来たと思ったのに、私の人生薔薇色計画が速攻で終わったのね・・・〉


「うわぁぁぁ。」と奇声を発し、一人で奇態を演じる沙魚丸をいつの間にか周囲を取り囲んだ皆が不安げに見ていた。

沙魚丸は皆の視線に気づき、取り乱すのを止め、笑顔で言う。


「どうかしましたか。さぁ、早く次五郎さんのお父上にご挨拶しましょう。」


歩き出そうとした沙魚丸に仁平が声をかける。


「沙魚丸様。私はここで失礼いたします。色々とご無礼を働いて申し訳ありませんでした。これから、お役に立つよう頑張って参ります。」


不敵に笑った仁平は、沙魚丸の返事を待つことなく一礼すると踵を返し走って行ってしまった。


「仁平、しっかりやれよ。」


仁平の遠ざかって行く後姿に一声かけた次五郎の横にそっと沙魚丸は近づいた。


〈仁平さんの今後を応援したのかな。次五郎さんは優しいねぇ。と、言うのは置いておいて私の疑問にしっかり答えてよね。〉


「次五郎さん、聞いてもいいですか。」


「何でも、どうぞ。」


次五郎が自信満々に胸を叩いた。


「仁平さんとの会話では五郎って名乗っていたけど、どうしてですか。」


キョトンとした顔をした次五郎が、真面目な顔に変わる。


「聞きたいですか。」


〈えっ、何。もしかして、出生の秘密とかスキャンダラスな感じの話。やだ。次五郎さんにそんな秘密があったなんて・・・〉


「ぜひ。」


沙魚丸はごくりと生唾を呑み込んだ。


「分かりました。沙魚丸様がそこまで申されるなら、お話しいたしましょう。」


次五郎は、過去を思い返すように少し目を閉じた。

次五郎が話し出すまでに一拍あったため、沙魚丸の期待値は高まっていく。


「実は、私は瓜生家の五男坊でして、それで五郎と名付けられました。ここまでは、よろしいでしょうか。」


「大丈夫です。」


〈五男で五郎って、そのまんまね。さぁ、ここから何かあるのね。〉

握った手が少し汗ばんでいたが、拭く間すら惜しいと考えた沙魚丸は次五郎に次を話すように目で合図した。


「茄子家に養子に行った時、既に兄の太郎がおりました。私は二番目の子と言うことで次郎と名を変えることになったのですが、五郎とくっつければいいだろうと義父が言いまして、それで、次郎五郎となったのです。」


沙魚丸は、なるほどと頷き、続きを促す。


「それから・・・」


次五郎は不思議そうな顔をして答えた。


「それから、とは。」


「だから、続きを教えてください。もっと、こう何かあるんですよね。人に言えない秘密とか何かが・・・」


沙魚丸が指をわきわきと動かして迫ってくる姿に次五郎が大笑いする。


「俺にそんなものあるわけないでしょう。」


「じゃぁ、どうして、話す前にあんなに真剣な顔をしたんですか。」


「そりゃぁ、沙魚丸様が思いつめた表情をされているので、俺もそうしないといけないのかなと気を使ったのですが。ダメでしたか。」


沙魚丸は小次郎に言われたことを思い出す。


〈なるほど。私の表情に合わせてくれたのね。小次郎さん、すいません。すっかり忘れてました。人の上に立つ者はアルカイック・スマイルですよね。努力します。〉


簡単に自らの感情を見せちゃダメよねと落ち込む沙魚丸であったが、突然、背後からかかった声に沙魚丸は驚いてビクッとなる。


「人の屋敷の前で大勢で騒ぐとは無礼であろう。」


不機嫌な重々しい声と共に門の中に初老の男が姿を見せた。


〈次五郎さんが年を取ったら、きっとこんな感じになるんだろうなぁ。〉

沙魚丸が男に対する感想を抱く横で、次五郎が両手を大きく広げる。


「親父殿、久しぶりです。矍鑠(かくしゃく)たるご様子、重畳(ちょうじょう)に存じます。」


門から出て来た男に次五郎が嬉しそうな声で挨拶をした。

次五郎が親父殿と呼んだ男、瓜生羽蔵は次五郎を見るなり眉をしかめた。


「どこのどなた様かな。私の息子は全員、御役目のために出払っていて留守なのだが。」


「茄子家に養子に行った五郎ですよ。ボケたふりをしても面白くないですぞ、親父殿。」


「お前、本当に五郎なのか。」


「目でも患われたのか、親父殿。どこからどう見ても、親父殿が溺愛した愛息の五郎ではないか。」


「よく見れば、儂に似ている気がしないでもない。それに、その厚かましさ。母さんにそっくりだな。ということは、やはり、五郎なのか。」


〈なんか、さっきもこのくだりをやった気がするけど・・・。父親ですら分からないなんて、次五郎さんの小さいころ見たいわぁ。〉


親子の会話を物珍し気に眺めている沙魚丸たちに羽蔵が注意を向ける。


「こちらの方たちは。」


何かを言いかけて口を閉ざした次五郎は首をぐるぐると振り、大きな声で独り言ちる。


「うーん、親父殿には、言っていいのか。どうするか。」


「五郎。そういうことは、心の中で言え。この方たちも鷹条家の方なのか。お前は三日月家の家臣ではないのだ。他家の者が断りも無しにここまで入ってくるなど、三宅様にバレたら大目玉を喰らうぞ。」


「相変わらず、親父殿はいつも正しい。三宅様とは誰のことだか知らんが、無許可入城の件は親父殿が適当にごまかしておいてくれれば大丈夫だ。そんなことより、聞いて驚くなよ、親父殿。」


「御家の御法をそんなこと呼ばわりするとは、お前と言うやつは・・・。」


羽蔵はこめかみを押さえて、不安げに尋ねる。


「お前、その調子で茄子殿にご迷惑をおかけしておるのではないだろうな。」


〈話が全然進まないわね。親子で漫才して楽しいのかしら。〉

おほん、とわざとらしく沙魚丸が咳払いをしてみた。


気づいた次五郎が沙魚丸に大きく頷く。


「まぁ、聞け。親父殿。こちらにおわす御方は恐れ多くも、守護職使者の沙魚丸様である。そして、俺は沙魚丸様の護衛役を西蓮寺様から直々に命じられたのだ。」


次五郎が誇らしげに語る様子を沙魚丸は複雑な思いで眺めていた。


〈何かどっかで聞いたことのある口上ね。えっとね、次五郎さん。確かに私が初めに嘘をついたわ。でも、西蓮寺様の使者ってずっと言い募っていて、いいのかしら。次五郎さんは、何だか故郷に錦を飾ってる感じだし・・・〉


「なんと、西蓮寺様の御使者様でござりましたか。どうりで高貴なお姿を・・・。随分と汚れておいでですな・・・。本当に御使者様なのか。」


羽蔵の声は次第に沙魚丸を疑う響きが混ざっていったが、急に大きな声を発した。


「五郎。お前が守護様の使者の護衛に選ばれたのか。瓜生家始まって以来の快挙ではないか。いや、茄子家だから違うのか。それはさておき、さすが儂の息子だ。後で、お前の好きな鮎を釣ってこよう。今日は泊まって行くのだろう。酒もあるぞ。」


羽蔵が次五郎の両肩をばしばしと叩いて喜んでいる。

次五郎もまんざらでもない顔と言うより、得意げな顔になっている。


しかし、喜びを体全身で表現していた羽蔵の動きがピタリと止まる。


「御使者と言うことは、お前、もしかして公用中なのか。」


一転して、羽蔵の口調が厳しいものとなった。

次五郎は羽蔵の口調の変化など気にもせずに答える。


「そうそう。公用中なのだ。親父殿、まぁ、聞いてくれ・・・」


と、次五郎が言ったところで、羽蔵が次五郎の頭頂に手刀を落とした。


「馬鹿者。公用中に実家帰りを優先する武士がどこにいるのだ。さっさと用事を果たしてこい。それまでは、この門をくぐるのは許さん。」


〈えぇーっ。お父さん、堅物だわ。次五郎さんみたいな適当な男じゃないのね。〉


息子の次五郎から想像できないことを羽蔵が言ったために沙魚丸は驚きを隠せなかった。

痛さのあまり頭を抑えて次五郎が地面にうずくまっていると、柔らかい声が門の内からした。


「まぁ、お父さんたら、何てことを言うの。せっかく、五郎が帰ってきたと言うのに。」


門の内側から、小袖に細い絎帯(くけおび)を締めた女性がひょっこりと姿を見せた。


〈まぁ、かわいい人。あれ、この人、羽蔵さんをお父さんって言ったわ。すると、羽蔵さんの娘さんかしら。じゃあ、次五郎さんの姉か妹ってことよね。うーん、次五郎さんと似てないわねぇ。〉


「母上。お久しぶりです。五郎、帰って参りました。」


女性に駆け寄った次五郎は女性の手をつかみ、ぶんぶんと振っている。


二人を見比べた沙魚丸は唖然とした。


〈母上って言ったよね。えっ、この人、次五郎さんのお母さんなの。美っ、美魔女がいるわ。いやいや、ちょっと待って。どうやったら、この人から次五郎さんが生まれるの。似てないにもほどがあるでしょ。それにしても、羽蔵さんの血が強すぎるのかしら、お母さんの要素がどこにもないじゃない。〉


脳をフル回転させた沙魚丸は、ぽんと手を打った。

〈容姿は父親譲りで、性格はお母さん譲りなのかしら。だとすると、羽蔵さんは間違いなく尻に敷かれているわね。〉


「こら、五郎。早く公用を済ませて来い。話はそれからだ。」


羽蔵が怒鳴ると、小袖姿の女性がすかさず言葉を返した。


「何を言ってるの、お父さんたら。五郎が帰って来て嬉しいくせに!どうしてそんな心にも無いことを言うの。本当に瓜生家の男は外面ばっかりで困るわ。」


「お辰。よそ様の前で、そんなことを堂々と言うものじゃない。」


羽蔵がしどろもどろに言うのを遮って、お辰と呼ばれた女性が沙魚丸を見て微笑んだ。


「ようこそいらっしゃいました。公用中とのことですが、一先ず、我が家で旅装を整えていかれてはいかがですか。」


〈ありがとうございます。お辰様。正直なところ、褌まで濡れていて気持ち悪いんです。是非とも、着替えを貸してくださいませ。〉

沙魚丸はお辰に哀願の笑みを返した。

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