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退却のこと

一面のススキの中へと踏み込む前に針間が言った。


「まともな道には見廻りの兵が配されています。時間もありませんし、少し危険ではありますが、ここを突っ切って参ります。」


次五郎のあやふやな記憶に頼れないことが判明した今、鶴山城への道を知っているのは針間しかいない。

それに、敵兵に見つかる愚は避けなければいけない。


針間の言葉に一同は一も二も無く同意するしかなかった。

先頭に針間、次五郎、沙魚丸、最後に源之進の順番で進んで行く。


沙魚丸は足元に注意しつつ、山の斜面を進む。


〈こんなところで足を滑らせたら、恐怖のウォータースライダー行き決定だわ。最悪、ススキをつかめば大丈夫かしら。そう言えば、ススキの葉って切れるよね・・・〉


前を行く次五郎に聞いてみようかな、と目線を上げると、先頭を行く針間の姿が目に入った。

今にも美しい羽が背中に生えて天高く飛んで行けそうなぐらい針間の姿は優雅に見える。


〈私ってダメね。美しいものに弱すぎる。また、魅入ってしまったわ。〉


開いた口から涎が出ていないか、沙魚丸はしっかりと確認した。

そして、四人で行動を共にするようになってから抱くようになった疑問をおずおずと沙魚丸は口に出した。


「時間が無いって、どういう意味なんですか。」


針間と源之進の二人は時間がないことを前提に行動しているように沙魚丸には見えていた。


沙魚丸の疑問を聞いて、不思議そうな表情に変わった針間が源之進に尋ねた。


「沙魚丸様はご存じないのですか。」


源之進はバツが悪そうに答える。


「まだ、お知らせしていない。」


「お伝えしない理由があるのですか。」


眉をひそめた針間の口調が少し詰問するように変わる。


「沙魚丸様に余計なご負担をおかけするのも、どうかと思ったのだ。」


源之進は弱々しい声を針間に返すと、針間は不快感をあわらにする。


「沙魚丸様はこの御役目にすでに命をかけておいでと言うのに、傅役の貴方がいまさら何を言っているのです。沙魚丸様を子ども扱いするのは止めなさい。」


「お前の言う通りだ、すまん。」


源之進が表情を歪め、押し黙った。


〈やめて、私のために争うわないで・・・。って、乙女ゲーの主人公やってる場合じゃないわ。〉

しょげかえった源之進に何か言葉をかけるべきか沙魚丸が悩んでいると、針間が立ち止まり、沙魚丸の前に腰を下ろした。


「沙魚丸様。三日月様との交渉の時間はこの線香が燃え尽きるまでです。この線香は三本あり、一本は雨情様が、一本は私が、もう一本を源之進が持っております。この線香が燃え尽きると雨情様は撤退を始めることになっています。」


針間は懐から鉄箱を取り出し、ふたを開け中で燃えている線香を沙魚丸に見せた。

〈お寺で使っている長寸線香ね。燃焼時間は確か2時間30分ぐらいだったよね。高校の時、お寺で線香が燃え尽きるまで写経をやらされたけど、あれは本当に長かった。普通の線香って30分ぐらいなのに・・・〉


「お分かりいただけましたか。」


針間の心配そうな言葉に沙魚丸は我に返る。


「はい。時間がないのは分かったのですが・・・」


沙魚丸は頭を捻った。

〈撤退かぁ。そもそも、なんで戦うのかが分からないんだよねぇ。〉


「源之進さん、教えてもらいたいことがあるのですが、聞いてもいいですか。」


源之進の表情が明るくなる。


「何でございましょう。私に分かることでしたら、何なりと。」


針間と次五郎が兎のように聞き耳を立てているのを沙魚丸は敏感に感じ取った。


〈やっぱり、私の質問に興味津々だよねぇ。〉

沙魚丸はどうすべきか悩む。


〈やたら私の評価が高いからなぁ。そんな弱気なことを考えてたのですか、幻滅しました、とか言われるかもしれないし・・・。ダメよ、私。立派な武将になるためにマスターしておかなければいけないことなの。〉


沙魚丸は勇気を振り絞って源之進に尋ねる。


「待ち伏せがあると分かったのなら、軍議をした場所から国に戻ってもよかったのではないですか。戦をする理由を教えて下さい。」


沙魚丸の質問が予想外だったのか、源之進が驚いた表情となり、うーんと唸る。

その隙を狙ったように次五郎が口を出してきた。


「俺は沙魚丸様にお詫びしなければなりません。貴方様が猪突猛進の武将と思っておりました。」


〈脳筋ゴリラに猪突猛進って言われた・・・。悲しい。ショックが半端なさ過ぎて、嫌味すら言えない・・・〉


「次五郎さんにお詫びされてもねぇ・・・。」


ため息をつく沙魚丸に次五郎が目を輝かせる。


「沙魚丸様が退くことにご理解があると分かり、お仕えすることがますます楽しくなってきました。俺の変幻自在な用兵を一日も早くお見せしたくて(たかぶ)りますな。」


「次五郎さん。私はできれば戦うのは避けたいと思ってます。貴方みたいな戦闘狂は無視です。」


沙魚丸はしっしっと手で払う仕草をしてみた。


「俺を仲間外れにするなど悲しいことを言わないでください。」


〈私、この人とちゃんとやっていけるのかしら。〉

次五郎がわざとらしく泣きまねをするのが、沙魚丸を余計にいらっとさせる。


沙魚丸が脱力した笑いを浮かべると、先頭を歩き始めた針間が妙に明るい口調で言った。


「そういうことなら、私もお話に入れて下さい。」


針間が話に加わると言ってきたことに、沙魚丸は少しびっくりした。


〈針間さんは必要なこと以外は話さない人かと思ったけど、そうでもないのかしら。まぁ、歴戦の猛者たちが色々と教えてくれるんだから、ありがたいことです。〉


「では、皆さん。私が分かるように、どうぞ!」


沙魚丸の宣言に口火を切ったのは、源之進だった。


「退却は可能でしたが、国に帰るためには丸根城近くの道を通らなければなりません。私たちを見つけた鷹条軍は戦を仕掛けて来ると思われます。」


「ということは、海徳さんは丸根城に戻ったのですか。」


沙魚丸が投げた質問に次五郎が早速、話に割り込んで来た。


「いや、龍禅様に鶴山城を攻めると宣言していますので、城攻めをすることなく丸根城に戻ることはありえません。おそらく丸根城には守備兵が少しいるぐらいでしょう。」


「そういうことなら、退却の方がよかったのではないですか。」


「大木村のことを雨情様はお考えになったのだと思います。」


雨情の話だからか、針間が得意げに話す。


〈大木村が退却と関係あるの。さっぱり分かんないです。〉

頭から湯気を出しそうな沙魚丸を見た針間が話を続けた。


「鷹条家は椎名軍がどうやって罠をすり抜け逃げて行ったのかを戦が終わったら調べるでしょう。そこで、浮かび上がるのが大木村なのです。」


話を引き取った次五郎がしたり顔となる。


「俺は鷹条家の家臣でしたから分かりますが、調べ方が陰湿なんですよ。肉体的にも精神的にも追い詰めるのに()けた奴らが調べて、挙句の果てに、やってないことまでやったことにされるのです。盗賊討伐がいい例ですが、鷹条家の私兵を椎名軍と大木村が共同で騙し討ったことにされるでしょうな。」


「それで、大木村はどうなるんですか。」


沙魚丸は唾を呑む。


「椎名軍を逃がしたのは、全て大木村のせいと言うことになって、村全員が鷹条家領民の見せしめのため罰を受けるでしょう。良くて、年貢が増える。最悪、村長は磔、残りは奴隷ってとこですかね。」


「ひどすぎる。」


沙魚丸は唇をかみしめる。


「大木村は今や沙魚丸様の家来であり領民です。だから、大木村を通過する退却を雨情様はお選びにならなかったのです。」


沙魚丸は言葉を失った。


「盗賊は一人残らず片づけましたし、椎名軍が大木村に立ち寄ったことを知る者は鷹条家にはおりません。なぜなら、私が率いる雨情家忍び衆が周囲を徹底的に調べましたし、今も見張りを置いておりますから。唯一ご存じの次五郎殿も沙魚丸様の家臣となられましたし、椎名家と大木村を結び付けることは難しいでしょう。」


針間が誇らしげに言う。


「叔父上は、素晴らしい方ですね。」


はにかんだような笑顔の沙魚丸に針間が優しく答えた。


「沙魚丸様には特別お優しいのです。雨情様をご信頼なさいませ。」


沙魚丸はこくりと頷いた。

〈沙魚丸君も雨情さんのことは叔父上って尊敬しているのよね。行動がオジサンなのが玉に(きず)ね。〉


「もう一点、椎名家内部の力関係のことがあります。」


源之進が話し始めたので、沙魚丸は相槌を打った。


「大人の世界ですね。」


沙魚丸の言葉に源之進は微笑んで、そのまま話を続ける。


〈その微笑み止めて。意味が通じてないのに分かったように微笑まれると余計に傷つくのよ。〉

沙魚丸は静かにさめざめと心の中で泣く。


「現状を整理すると、雨情様は敵地で騙された馬鹿者というお立場です。このまま、すごすごと国へ退却すると、敵を前に一戦もせず尻尾を巻いて逃げた臆病者が追加されてしまいます。」


「叔父上が悪い訳ではないのでしょう。」


沙魚丸が憤る。


「大人の世界と言うのは、弱みを見せた者をよってたかって徹底的に潰します。ですので、雨情様が戦を仕掛けることなく帰国すれば、椎名家での立場は無くなります。」


源之進が答え、針間が続く。


「雨情様の立場が無くなれば、沙魚丸様は坊主にされるでしょう。大木村との約束は反故にされ、大木村は恐らく不幸になります。」


「私が交渉に失敗すれば、退却すると言うのは・・・」


「雨情様は三倍ぐらいの鷹条家の兵であれば何とかするでしょうが、背後から海徳が率いている本軍が来ております。それに三日月殿が俺たちの敵になった場合、考えるまでも無いでしょう。」


次五郎が肩をすくめる。


「分かりました。何としてでも成功させましょう。」


沙魚丸は拳を天高く突上げた。


「その意気でございます。沙魚丸様は国に帰ったら雨情様のもとで領主教育をされることになっておりますから。」


源之進が笑った。


「えっ、それ何ですか。私、聞いてないですよ。」


源之進に抗議をしようと振り返った沙魚丸は足をずるっと滑らせた。


〈えっ、ここでフラグ発生なの。〉


そんなことを思う暇なく、あっという間に沙魚丸は山肌を滑っていく。


〈ここって、こんなに斜めだったの。ひぃー。止まらない。ススキ、つかめないー!〉


勢いよくススキの茂みを滑り落ちた沙魚丸は、気がつくと何も無かった。


「わたし、飛んでるわ。」


沙魚丸は勢いがついたままスロープ状の土溜まりにつっこみ、宙を舞っているのだった。


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