次五郎の決意
朗々として頼もしい声の主は次五郎だった。
明るく笑いかけてくる次五郎に沙魚丸の目は我知らず潤んでいく。
〈不肖の弟子が乙女心を揺らすセリフを言うなんて・・・。師は嬉しいよ。危地へ一緒に行くなんてかっこいいこと言うなんてねぇ。次五郎さんがイケメンの座を奪うとはこれっぽっちも想像していなかったわ。〉
沙魚丸は、うっすらと目に浮かぶ涙を取り出した手拭いでそっとふき取った。
そして、手拭いをぐっと握りしめると、沙魚丸は心の中で女泣きに泣く。
〈でもね、違うでしょ。師を思うなら、こんな無謀な命令に反対するべきなのよ。次五郎さんが強いのは分かるけど、あなたって、どこからどう見ても潜入工作が得意に見えないの。大船じゃないわ、泥船にしか思えない。あなたの大好きな師匠が死んじゃうかもしれないのよ。〉
手拭いを目にあてた沙魚丸を見た次五郎は、沙魚丸がうれし涙を浮かべたのだと思いっきり勘違いした。
「大手柄を立てる機会が到来したと喜び勇んでお泣きになるとは・・・。次五郎めは、師匠もとい沙魚丸様に惚れてしまったようです。」
高らかに笑って告白する次五郎に組頭たちが歓声を上げる。
そんな男たちを見ながら沙魚丸の胸に熱いものがこみ上げてきた。
〈もしかして、これが、男が男に惚れるって言うやつなの。なんか、男同士っていいわね。待って、待って。興奮して鼻血が出そう。〉
慌てて手拭いを鼻下にあてがった沙魚丸を見て不思議そうな顔をした木蓮が話し始めた。
「次五郎殿。これからの進退をどうお考えですか。」
さっきまで晴れ晴れとしていた表情を暗転させた次五郎は頭をガリガリとかく。
「難しいことは分かりませんが、俺は鷹条家から見捨てられたのでしょう。」
次五郎がぽつりと呟いた。
気の毒そうな顔になった木蓮が答える
「恐らくですが、そうかと思われます。丸根城で龍禅様が次五郎殿を沙魚丸様のお供にと仰せになった時、海徳様はそれを是とされた。私たちと行軍中の次五郎殿もまとめて葬る気なのでしょう。」
哀愁漂う次五郎の背中を見た沙魚丸の心は不意に締め付けられる。
〈何、この胸キュンは。沙魚丸君が不静脈とは女神様から聞いてないし・・・〉
迷いが吹っ切れたような表情で次五郎が笑った。
「お許しいただけるなら、沙魚丸様にお仕えしたい。鷹条家では常に愚痴ばかり言っておりましたが、沙魚丸様と出会ってから、私の心は晴れ晴れとした秋空のように澄み渡り、爽快なのです。私のような常軌を逸する者でないと沙魚丸様の家臣になれないでしょう。断言できますが、普通の人間には務まりません。」
女心も秋の空。
沙魚丸の機嫌は傾斜角90度近いジェットコースターのごとく急降下した。
〈普通の人じゃダメってどういうこと。まるで私が変な人みたいじゃない。源之進さんだって、小次郎さんだって。あれ、その通りかも・・・。いいえ、そんなことないわ。新しく家臣になった四葩さんは・・・。あの人も、結構、癖のある人だったわね。〉
もしかして、私のせいなのかしらと疑念を持ち始めた沙魚丸にとどめを刺すのは、いつものように雨情だった。
「そうだな。沙魚丸の考えを理解しようとするには、ぶっ飛んだ者でないとやっていけないだろうな。此度の道中で沙魚丸の破天荒さを儂もつくづくと思い知らされた。『同声相応じ、同気相求む』だな。沙魚丸がお前を家臣としたいと言うなら許可しよう。」
雨情が楽し気に答えた。
次五郎は雨情に対して一礼をしてから、沙魚丸にひざまずく。
上目遣いに沙魚丸を見てくる次五郎の眼差しは実に心細げで乙女のように見える。
次五郎と目を合わせた沙魚丸は吹き出しそうになるのを必死でこらえる。
〈似合わない。ゴリラみたいな立派な図体で、子犬みたいに目を潤ませても何か違う。やばい。ここで笑ったら、絶対に一生、人非人認定されてしまうわ。三太君とも仲よさそうだったし、家臣になってくれるのもいいのかも。そうだ、二人はどうなんだろう。〉
源之進と小次郎を見ると、二人は満足気にうんうんと頷いている。
「はい。分かりました。私の家臣になってください。国に戻ったら弓を教えてくださいね。」
沙魚丸としても次五郎が家臣になってくれるのは嬉しかったので、はずんだ声でで言った。
「もちろんです。これからは、沙魚丸様を敬って参りますので、よろしくお願いいたします。」
頭を下げた次五郎に、沙魚丸は次五郎の無防備な頭頂にゲンコツをくれてやろうかと思った。
〈やっぱり。今までは敬ってなかったのね。〉
「次五郎、養父の波切殿はいいのか。」
雨情の声に沙魚丸は慌てて握りしめた拳を緩める。
「養父含め私以外の茄子家の者は海徳様から愛されておりますので、私が裏切ったからと言って連座させられることはないでしょう。茄子家のことは、生きて帰ってから考えることにいたします。それより、私を軍議に参加させたのは、私の実父が三日月城にいるからでしょう。」
「察しが良くて助かります。次五郎殿がついていって下されば、大手を振って鶴山城に入ることも可能だと考えております。」
表情を緩ませた木蓮が答えた。
「そうですね。鷹条が三日月殿に俺を討ち取ることを告げていないのであれば、俺は今でも鷹条家の家臣ですし、実父にさえたどり着くことが出来れば、三日月殿に謁見するのも容易かと思います。」
〈あらら。次五郎さんって本当に大船だったのね。泥船とか思ってごめんなさい。〉
密かに冷や汗をかく沙魚丸を放置し、話し合いは続く。
「そうか。茄子家へ養子に行ってから、たまにでも実家に顔は出しておったのか。」
次五郎の心強い返事にほっとした様子で雨情が次五郎へ問いかけた。
「いいえ。鶴山城を出て以来、一度も帰ったことはありません。」
なぜ、そんなことを聞かれたのか分からない顔をする次五郎。
一方で、質問をした雨情の表情がにわかに曇っていく。
「数年来、帰ってもいない割に自信があるようだが、手紙のやり取りでもしていたのか。」
「手紙など一度も認めたことがありません。今回が初めての帰郷となりますので、父も母も私を見るなり飛び上がって喜ぶでしょう。」
雨情は朗らかに話す次五郎に微苦笑を送った。
次の言葉が見つからない雨情の後を木蓮が引き取る。
「そうですね。お父上の瓜生羽蔵様もきっと喜んでくれましょう。念のため、源之進殿にも一緒に行ってもらいたいと思うのですが、若、いかがでしょう。」
放心状態だった雨情は木蓮の言葉に何かを思い出したかのように、源之進に言った。
「新しい御役目として各国に出向き探索を行っていたのは大殿より聞いているが、鶴山城や城下には行ったことがあるのか。」
「一度もございません。三日月家を探索することは清柳様より禁じられておりましたので。」
首を横に振る源之進に、雨情は苦々しい表情で話す。
「ここでも、あいつの名が出るか。まぁ、いい。お前たち三名は、鶴山城へ出向き、三日月殿に我が方へ味方するよう説得しろ。四葩は儂に貸せ。鶴山城へは儂の忍び頭の針間に案内させる。」
黙って聞いていた沙魚丸は、ふと思った。
〈いつの間にか大役に代わってる・・・。でも、これって、私、必要なのかな。こんな子供がいても邪魔だと思うんだけど・・・〉
怪訝な顔をしている沙魚丸に雨情が近寄り、頭に手を置いた。
「お前はこの軍の大将であり、椎名家の血筋だ。言いたいことは分かるな。」
沙魚丸の全身に電流が走った。
〈この軍の中で最も価値があるのが、私ってことね。この体が沙魚丸君ってことを忘れてたわ。転生した私は庶子と言えども貴種の一人。任せて、叔父上。〉
沙魚丸の目に覚悟の火が灯ったのを見た雨情の口調が優しいものへと変わる。
「三日月家にお前を人質として差し出す。堂々と振舞えよ。最後の最後まで生を諦めてはならんが、死ぬときは笑って死ね。情けない叔父から勇敢な甥へ華向けの言葉だ。」
雨情が沙魚丸の肩を一つ叩いた。
雨情の言葉に隠されている優しさに気づいた沙魚丸はどうしようもなく泣きたくなったが、心の動きと反対に笑顔をこぼした。
前世も含め今までに一度もしたことのない透き通った笑顔ができたと思った。
だが、周りの反応は違っていた。
不敵に笑う沙魚丸を見て雨情と周囲の者は確信した。
沙魚丸は三日月家を味方につけ、この戦は必ず勝利すると。
「よし。この戦、必ず勝つぞ。沙魚丸は城へ向かう準備をしろ。源之進と次五郎は残れ。話すことがある。他の者は出立の用意をしろ。」
雨情の声に全員が立ち上がり、鬨の声を上げ、座を後にしていく。
「言うのを忘れておった。槍組頭の内畑雷には別命を与え、既に動かしておる。残りの槍組の者は木蓮が差配する。槍組に何か連絡があれば、木蓮に言え。」
背後から追ってくる雨情の声に組頭たちは思う。
〈雨情様ともあろう御方が忘れていたわけがない。万が一にも内畑の動きが漏れるのを恐れたのだろう。〉
組頭たちは、楽しくなってきたぞ、と高揚し始めた。




