武神・秋夜叉姫
すっかり油断した沙魚丸に光る球が声をかけた。
「あぁ。すまん、すまん。玉の姿が楽なのでな。それに人の前に顕現するのも久々じゃから人型になるのを忘れておった。許せよ。」
溌溂としていて透き通るような清冽な声で語る光る球は金平糖の様にデコボコを繰り返し段々と玉から形を変え大きくなっていく。
沙魚丸と同じぐらいに大きくなった光る球は人へと姿を変え、光は背後に集まり放射光となり更に輝きを増す。
〈仏像の光背っぽいよね。また眩しくて目が開けられません。〉
目を覆いながら沙魚丸は、神聖なものを前にしている気がして姿勢を正す。
「すまんな。神々の決まりでな。人の前に顕現する際は、光背を燦然と輝かせ荘厳な雰囲気を醸し出し、圧倒的に威厳のある登場をすることになっておるのじゃ。今、切るからな。」
〈切るの?何を?〉
頭をひねる沙魚丸を気にする様子もなく、人型になった球は、透明感のあるハイトーンな声で語る鎧姿の女性となって顕現した。
切れ長で涼やかな目元と知的でクールな薄い唇は端正な顔立ちを引き立たせ、妖しく光る赤い瞳は濃艶な色気を感じさせる。
〈確かに、光背は消えたけど、美麗すぎてキラキラなオーラが見えるよ。〉
沙魚丸は、女性武者の美しさに顔を真っ赤にして俯いた。
「なんじゃ、もう眩しくはないであろう。はよう面をあげい。」
女性武者は沙魚丸の気持ちを無視し急かす。
沙魚丸はおずおずと顔を上げると、女性武者のシュッと伸びた立ち姿の麗しさに同じ空間に存在することへの恐れ多さを感じ、心臓を止めてしまう。
「沙魚丸よ。とく聞けい。」
女神の一括に沙魚丸は現実に引き戻された。
沙魚丸の目にようやく力が戻ったのを見た女は、サッと髪をかき上げる。
「妾は、当世界の女神が一柱、武神、秋夜叉姫じゃ。沙魚丸よ。これより其の方は椎名家の第五男、沙魚丸として生きるのじゃ・・・・」
始めが肝心とばかりに気合を入れて話し始めた女神だったが、途中で黙らざるを得なかった。
なぜなら、女神の話を聞く沙魚丸は、ポカーンと大きい口を開け呆けていたからである。
沙魚丸は自分の身に何が起きたのか全く分からないあまりに思考を放棄したのではない。ただ単に目の前の美女の髪をかき上げる所作に心を奪われてしまったのだ。
女神は黒髪を無造作にかき上げると、ファサッと空中を舞いながら艶めかしく背中に落ちる。
周囲には清冽な香りを漂わせながら。
沙魚丸は、今までにこれほど髪のかき上げる所作が美しい同性を見たことがない。
これほど清浄な香りを嗅いだことがない。
魅惑されきった沙魚丸の口は顎が外れたかのようにだらしなく開けっぱなしになり、口の端からぽたりぽたりと涎が垂れ落ち続ける。
落ちる涎が小さな水溜りを作ったころ、女神が指をパチンと鳴らした。
「おい、沙魚丸よ。いい加減に口を閉めて涎を拭かんか。幾ら妾が美しいと言え、少々大げさすぎやせんか。」
まんざらでもない顔で言う女神にようやく我に返った沙魚丸は女神をじっくりと観察し始めた。
女神が纏う朱漆塗緋糸威の当世具足に用いられている二色の朱。落ち着いた朱漆塗の甲冑の上にきめ細かく威された紅緋の糸が色鮮やかく目に眩しい。
甲冑の上から半身を包む濃紺のペリースには金糸で施された刺繍がキラキラと光り輝き、こだわりと洗練された上品さを感じさせる。
さらに、細かいところまで整えられた意匠に沙魚丸は嘆息を漏らす。
緋糸威の佩楯に籠手、脛当と全てを朱漆塗で揃えられた甲冑は、女神の赤い瞳をよく引き立てている。
腰に佩いている太刀は春日大社にある国宝の金地螺鈿毛抜形太刀かと思わせる名物に見え、金や螺鈿が光を受け七色に光っている。
右手には石突を下に向けた赤柄の巴形薙刀を持ち左手を置いている腰刀も色鮮やかな朱塗漆の鞘である。
すらりと伸びた背に程よい胸とくびれた腰が甲冑の胴を纏った状態でもよく分かる。
〈美しすぎる。触りたい。〉
女神の容姿に目を奪われた沙魚丸は女神に近づこうと、一歩前に足を踏み出す。