食あたり
名主の屋敷の一室を占拠した海徳は、近習と共に座っていた。
うずくまるように座った海徳は今にも涙が出るのではないかという顔をしている。
〈龍禅様がお倒れになったと聞いてから、一言もお話にならない・・・〉
〈何というお辛そうな表情をされているのか。〉
〈我が殿が、これほどお優しい御方であったとは・・・〉
顔を見合わせた海徳の近習たちは、皆一様に海徳の情け深さに初めて気づかされたかのように感動していた。
不良が偶に見せる優しさに心を打たれた人たちと近習たちは同じ心境になったのかもしれない。
なにはともあれ、近習たちは海徳が見せた優しさに胸が一杯になっていた。
「ただいま、もどりました。」
静かな声とともに幽鬼のような顔色をした十六夜が海徳の前に座り、頭を下げた。
「龍禅様のお加減は、どうであった。」
不安そうな表情をした海徳が十六夜に尋ねた。
◆◆◆
丸根城を出立した海徳の軍は、鶴山城へ向かう途中で見つけた村で休憩をとることにした。
昼食を取るには時間も早かったが、戦が長丁場になると予想した海徳が
「腹が減っては戦ができぬ」
と言って、兵に昼飯を食べるよう指示を出したためである。
〈なかなか美味しそうなご飯ができたぞ。この出来栄えなら、龍禅様にお喜びいただけるはずだ。〉
鷹条家の御膳番の一人、三浦某は初めて龍禅に食事を用意する誉に興奮していた。
村の者に手伝わせ、少ない材料ながら会心の料理ができたと喜び勇んでいた三浦某だが、思わぬ事態に遭遇する。
龍禅の前に昼食を置こうとした三浦某に龍禅が気だるそうな声を出した。
「じい。この者は、もしかして余に昼餉を用意しようとしておるのか。」
「そのようでございます。そこの者、龍禅様は昼餉はいらぬと雨情殿に伝えたはずだが。」
三浦某は慌てて膳を置き、額づいた。
「申し訳ございません。私は、龍禅様にお昼の用意をするよう申し付かっておりまして、必要ないとは初めて聞きました。」
「せっかく用意してくれたのだが、大将たる者が戦の前に飯を食うなどと、西蓮寺家の家法にはないのだ。分かったら下げてくれるか。」
「はい。直ちに。」
三浦某は悲しかった。
〈せめて、一口だけでもお召し上がっていただきたかった・・・〉
がっくりと肩を落とした御膳番は、膳を持って龍禅の前から退こうとした。
その時、呻き声と共にどさっと言う音が聞こえたため、三浦某は何事かと音がした方を見た。
そこには、なんと、龍禅が床に突っ伏して苦しんでいる姿があった。
「龍禅様。だから、言ったではございませんか。」
悲しげな顔をした『じい』こと由良吹風が龍禅を抱き起こす。
「私は医師を連れて参ります。」
三浦某はすぐに医師を連れて来るべく走った。
三浦某が用意した料理を食べた者が倒れることが時折あったため、非常事態にも関わらず三浦某が冷静に行動できたのは龍禅にとって幸運だったのかもしれない。
◆◆◆
駆けつけた医師が龍禅を診察し、容体を聞き終えた十六夜が海徳のところへ戻って来た。
「医師が申しますには、食あたりとのことです。しばらく安静にされることが必要と申しておりました。」
「そうか。大事に至らなくて何よりだ。そちも大変であったろう。少し休むがよい。」
「ありがとうございます。ですが、これからのことをお話いたしませんといけないのでは・・・」
憂いに満ちた顔の海徳が小さく首を縦に振る。
「そうであったな。儂らは二人で密議を行うから、皆は下がるように。分かっておるとは思うが、ここには決して誰も近づけるでないぞ。」
沈痛な面持ちをした二人に対して、静かに頭を下げた近習たちが座敷から出て行った。
周囲の様子をうかがった十六夜が海徳に話しかけた。
「殿。大丈夫です。もう、誰もおりません。」
「そちの計画通りだな。この村で、龍禅が食あたりをおこし、軍が立ち往生し、出立の時間を調整する。そして、病気を理由に龍禅を館へ送り返す。しかし、龍禅が飯を食わんと言い出した時は、肝が冷えたわ。」
先程までの心配そうな様子は何だったのかと思うほど、朗らかな声で海徳が話す。
薄ら笑いを浮かべた十六夜が答える。
「丸根城にいる間に仕込んでおりましたので、ご心配には及びません。念のため、食あたり名人と呼ばれる料理人を龍禅様の御膳番とし、昼餉を作らせ持って行かせましたが、不要だったようです。」
「そちの薬学の知識は、まことに見事だ。我が父も・・・」
惚れ惚れと話す海徳を慌てた様子で十六夜が制止する。
「海徳様。どうか、その辺りでお止めください。それより、龍禅様もお辛かったでしょうに・・・。この村に至る道半ばで既に顔色が悪くなっておりました。この村までよく耐えられたことです。由良様はお気づきだったようですが・・・」
悲しそうな顔で話す十六夜を見て、海徳が冷笑する。
「自分でやっておいて、よくまぁ、そんな顔ができるものだ。」
「すべては、海徳様のためでございます。龍禅様を心配される海徳様のご様子に、近習の者は皆、感動のあまり目に涙をためて座敷から出て行きました。海徳様こそ役者の資質がおありなのでは。」
「今ごろ気づいたのか。儂に出来ぬことはない。」
楽し気に笑う海徳を見て、十六夜は柔らかな笑みを浮かべ答えた。
「鶴山城の前で待ち伏せしている野句中様が、雨情様を討ち取った後に到着するように、ここを出立する手はずとなっておりますが、よろしいでしょうか。」
「今のところ、順調だ。その後の段取りも大丈夫そうか。」
「はい。すべて計画通りに動いております。雨情様の軍を滅ぼした後、海徳様の軍と野句中様の軍が合流し鶴山城を攻めます。攻城戦の途中で鶴山城の中から私どもに味方する者が突如として出現。あっという間に鶴山城を海徳様が手に入れる段取りになっております。」
「三日月家の二番家老が我らに味方するのであったな。そちの離間の計は、ことごとく上手く行くので、新たに褒美を出さないといかんな。」
「放浪していた私を拾って下さった海徳様への御恩返しでございます。褒美など結構でございます。」
微笑む十六夜を疑わし気に見た海徳は、十六夜が心の底から褒美をいらないと言ってることが分かり、ほっとした顔で話す。
「いい心がけだな、十六夜。拾ってやった儂の恩を忘れてはならんぞ。ところで、清柳は、儂らの計画通りに動いておるか。」
「もちろんでございます。椎名の一門衆である清柳様が椎名家中の裏で色々と動いて下さったので、雨情様がわずかな兵を引き連れ、のこのこと今回の戦に出ていらっしゃったではございませんか。」
「うむ、そうであったな。雨情の憎らしい顔とも、今日でおさらばかと思うと実に清々しい。残念なのは、儂の手で雨情にとどめを刺せんことだな。さんざっぱら儂を馬鹿にしおった雨情の首は塩漬けにして我が元へ送るように言っておいてくれ。城下に晒して鳥どもに突かせてやるわ。」
「かしこまりました。すぐに手配いたします。」
「それにしても、椎名の血を引く者は、儂を苛立たせる体質なのか。あの小僧がすんなりと死なんかったせいで、余計な手間が増えたわい。」
突然、怒り出した海徳を十六夜がなだめる。
「そうおっしゃいますな。矢つかみの儀で沙魚丸様を射殺した罪で次五郎様を打ち首にする予定でしたが、沙魚丸様が矢を防ぐとは思いもよりませんでした。」
静かな笑い声を上げた十六夜が話を続ける。
「龍禅様が次五郎様は沙魚丸様のお供をせよと仰せになった時は笑ってしまいました。なにしろ、海徳様のお心を騒がせる者たちを野句中様がまとめてきれいさっぱりと片付けくれるのですから。」
十六夜の言葉に次五郎の名が出て、海徳の声はわずかに湿り気を帯びる。
「次五郎がこれまでの無礼を泣いて謝罪すれば、許してやろうと思ったがな・・・。あいつの養父、茄子波切には裏切り者ながら立派に戦って討ち死にしたと言ってやるか。」
しんみりとした雰囲気を嫌ったのか、十六夜が話題を変える。
「それはそうと、私、野句中様の将才をお聞きしたことが無かったのですが、雨情様を相手にできる御方なのですか。」
「あいつは、戦に出たことは無いので将才はよく分からん。儂が見込んだのだ、きっと大丈夫であろう。」
十六夜の疑問に答えるのも馬鹿らしいと言った顔で答えた海徳が、ニヤリと笑う。
「ここだけの話だが、手柄を立てさせて欲しいと寒山の父親が頼んで来たのだ。かなりの大金を積んで来たので、今回の大将にしてやったのよ。雨情の三倍の兵に待ち伏せだ。誰がやっても負けるわけがないであろう。加えて、副将に手練れの中石川をつけてやったのだぞ。」
どうだ、すごいだろう、と言わんばかりの得意げな顔をした海徳を見て、十六夜は目眩がした。
〈中石川様は確かに手練れとは聞いていますが・・・。つい先日、海徳様にお仕えしたばかりの御方の言うことを、重臣のご子息と言う立場を振りかざす野句中様が素直に聞き入れるでしょうか・・・〉
「野句中様は戦の機微がお分かりになるのでしょうか・・・」
不安そうに話す十六夜の顔を見た海徳が手を振り答えた。
「心配いらん。野句中には、何事も中石川に相談して戦を進めるように言っておいた。二人ともに気骨溢れる者たちだから、安心せい。」
「殿がそこまで信頼をお寄せのお二人であれば、私ごときが何を言うことがございましょう。」
十六夜の返事に満足した海徳は明るい声で言った。
「では、そろそろ、龍禅を見送りに行こうか。」
「殿。思わぬところで普段の言葉使いが出てしまいますので、龍禅様を呼び捨てになされるのは避けた方がよろしいかと。」
雷に打たれたように驚いた顔の海徳が十六夜を見た。
「儂は、龍禅様を呼び捨てにしておったのか。早く言わぬか。心の声が駄々洩れとは恐ろしい。」
「何と、無意識でございましたか・・・」
ほんの少し苛立ったような表情を見せた十六夜が、いつものように微笑みを浮かべる。
「では、私は兵たちに出立を告げて参ります。」
軽く頷いた海徳は、龍禅が寝込んでいる座敷へ別れの挨拶のため向かった。




