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ひそむのは誰

うふふ、と思い出し笑いをする沙魚丸を周囲の者は温かい目で見守っている。


源之進も小次郎も、沙魚丸がどのように育ってきたのかを大木村で聞いた次五郎も微笑みを浮かべて馬を駆っている。

愛馬烈風も機嫌よくいななき沙魚丸を背に乗せ、足取りも軽々く進んで行く。


〈スピーチのスキルを知らない内に会得してたのね。あんなに感動してくれるなんて。〉


人生初とも言うべき演説を歓喜の渦で終わらせたことで、沙魚丸は少なからず興奮状態にあった。


沙魚丸に臣従を誓おうとした儀作と村人二十名は、近くを流れる川で身を清め、幕府が正装と定めた直垂を着用し、沙魚丸の前に(かしこ)まった。

沙魚丸の演説は、次五郎ですら感動し涙するほど素晴らしいものだった。


〈欧米だったら、間違いなくスタンディングオベーションものだったよね。〉

自画自賛が止まらない沙魚丸だが、演説が上手くいったことに思い当たる節もある。


最新の経営学をマスターすると豪語し社会人大学院に入学した社長のことを沙魚丸は思い浮かべた。


「沙魚丸さん。今度、講義の中でスピーチしなきゃいけなくなったから、ちょっと手伝ってよ。」


月次の締めを終え一息ついていた沙魚丸の机に資料らしき束を社長がばさりと置いた。


〈総務経理って、他の部門ができないことをする部門だから自信を持って仕事をしなさいって教えてくれた社長だからこそ言うわ。それに、男の人が言う『ちょっと』って全部って聞いたことがあるし・・・。〉


「スピーチなんて聞いたことないから無理です。それに、完全に業務外です。失礼します。」

勇気を振り絞った沙魚丸は、きっぱりとノーと告げ、急ぎの仕事があるので失礼します、と席を立って社長から逃げようとした。

だが、無理だった。

あえなく、席に戻された沙魚丸に社長は優しく話す。


「絶対に沙魚丸さんの役に立つから、手伝った方がいいって。スピーチは、この動画を見れば大丈夫。」


〈出た。『絶対』、証券マンが営業中に使うことを禁止された言葉。今日の社長は、危険ワードだらけじゃない。すまじきものは宮仕えとは、今の私のためにある言葉よね。〉


沙魚丸の心中を見透かしたかのように笑った社長が、英語なんかこれっぽちも分からない沙魚丸に欧米のスピーチ動画を見続けさせた。

さらに、社長が行うスピーチを社員の前で行わせ、皆の反応を確かめたりした。


〈一年後には、私のスピーチの方が社長のより社員の受けはよかったのよね。何だかモヤモヤするけど、色々と経験させてくれたから今となっては感謝した方がいいのかな・・・〉


過去の様々な思い出すべてが薔薇色に変わるほど、沙魚丸の心は弾んでいた。


誰かに聞いて欲しい。

成功談と言う自慢話を聞いて欲しい。


人であれば、そういった気持ちを抱くのが普通である。

もっとも、実際に人に語るかどうかは、人それぞれだが・・・。


目上の人間が目下の人間に自慢話をするのは、基本的に行わないことが望ましいと沙魚丸は思っている。


聞かされる人間は、ぼーっと聞くだけではダメで、合いの手やスマイル、絶妙なタイミングで頷くなど、相当なスキルが要求される。

スキルが無い者は、遠ざけられるのはいい方で、露骨に嫌われる場合もある。


沙魚丸は前世で知っていたし、嫌になるほど経験していた。


だが、嬉しさのあまり、禁忌を破り沙魚丸は語ってしまった。

元沙魚丸の分まで自慢しなければいけないとも感じた。


沙魚丸の優しい供回りは笑顔で沙魚丸の話を聞いた。

溌溂と話す沙魚丸を見て小次郎はしみじみと思う。

〈亡き沙魚丸様が認めた御方だけのことはあります。これほど自分を持ち上げずに楽しそうに話されると、もはや自慢話に聞こえないですね。〉


前世で散々、自慢話を中小企業の社長たちから聞かされた沙魚丸は、ニコニコと作った笑顔の中で考えていた。

〈私だったら、こういう風に話すと楽しく聞けるんだけどなぁ。〉

沙魚丸は、知らず知らずのうちに自慢話に聞こえない話し方をもマスターしていた。


独り笑みをこぼす沙魚丸は不意に何者かに体を包まれたことに気づく。

沙魚丸を包んだ者が、耳元で甘くささやく。


「沙魚丸様、もう少し進んだところで軍が止まっています。」


沙魚丸の自慢話を嬉しそうに聞き終わった後、前の様子を見て来ると言い、目の前から消えた四葩(よひら)が何の衝撃も無く沙魚丸の馬に飛び乗り沙魚丸の背後に騎乗している。


〈びっくりしたぁ。走ってる馬に音も無く飛び乗るって人間業じゃないわ。〉

驚く沙魚丸と、身構える源之進たち。


「忍者だから、登場の仕方は無礼でもいいですか。」


と四葩に聞かれたので常識の範囲内で了承していたが、歴戦の勇者たちにも非常識の登場だったようで、小次郎が無礼者と怒っている。


四葩。

儀作から四葩を紹介された時、沙魚丸は財政的に無理ですとお断りを述べた。


儀作が頭を下げる。


「沙魚丸様は私どもの故郷を取り戻すと断言してくださいました。それだけで、今は十分です。まだ、数名の者しかお供にできませんが、お許しください。」


そうまで言われて断れば、女が(すた)るとばかりに儀作の手を取り沙魚丸は誓った。


「私は必ずあなたたちの希望となります。もう少し待っていてください。」


儀作と感動のやり取りをして、新しく沙魚丸の家臣となった女忍者の四葩。

二人きりとなった時、本当の容姿を見せてくれた四葩に沙魚丸は飛びつきそうになった。


〈天使すぎる。〉

はにかんだ笑顔に整った顔立ち。

素晴らしいプロポーション!


女が女に抱き着いても、まぁ、許される。


だが、今は男だ。

〈いっそのこと、権力で抱きついてやろうかしら。〉

不埒な考えがよぎった沙魚丸だが、さすがに実行する勇気はない。


村から出る時には、四葩はごく普通の農民の女性となっていた。

顔だけでなく、体形も変わっている。


「あなたって、本当に色々と凄いのね。」


感心した声を出す沙魚丸に、四葩は嬉しそうに答えた。


「光栄です。」


馬から降りろと横から叫んでいる小次郎を軽く無視した四葩は、小次郎に見せつけるように沙魚丸を抱く力を強くし、烈風を走らせる。


休止している軍に追いついた沙魚丸たちに待っていた使い番が近寄って来た。


「急ぎ、雨情様のもとへ参られるようにとのことです。なお、次五郎様もご一緒下さい。」


「俺もか。」


不思議そうな声を発した次五郎に使い番が、はい、と言って戻って行った。

他家の者でもあり、これまで一度も軍議に呼ばれたことはない次五郎が参加するように言われたことに次五郎が疑問の声を上げた。


「俺、なんかしたかな。」


「もしかすると、三日月家のことかもしれません。」


自信なさげに答えた源之進に次五郎が唸った。


「いや、それはないでしょう。まぁ、とりあえず、雨情様のところへ行きましょうか。」


馬を飛ばし、沙魚丸たちは雨情のもとへ向かった。


◆◆◆


大木村を出発し、山道を進む雨情は木蓮と馬を並べ話していた。


「十六夜の地図、儀作の話、儀作の地図、道犬とか言う盗賊の話、何を信じていいのやら・・・」


うんざりした顔で話す雨情に木蓮が笑顔で答えた。


「いずれにしろ、物見が帰ってくれば分かりましょう。」


「疑ってばかりの人生は嫌だのう。早う隠居したくてたまらんわ。」


「若。私の隠居願を握りつぶしておいて、ご自分だけ隠居なさるのはいかがなものでしょうか。」


ちらっと木蓮を見た雨情は、大きく首を回す。


「それにしても、沙魚丸は遅いな。いつまで、主従の誓いをやっとるんだ。」


文句を無視され、ため息をついた木蓮だったが、先を行く者から知らせを受け表情を引き締める。


「若。戻った様です。」


「そのようだな。とりあえず、軍を止めるぞ。」


馬から降りた雨情は用意させた床几に腰を下ろした。

草むらから姿を現した物見が雨情に片膝をつき、報告を始める。


「お見せいただいた地図に間違いはございませんでした。このまま山道を進むと、途中で分岐する地点が幾つかありますが、鶴山城へたどり着くかと思われます。」


雨情は訝しげな視線を物見に向けた。


「思われますとは、どういうことだ。鶴山城の道を最後まで確認できなかったのか。」


「はい。川向うにひそむように布陣している軍勢を発見し、報告のために私は急ぎ戻ってまいりました。大木村で加わった二人を含め、残りの者が更に探っております。」


「他に気づいたことはあるか。」


「針間から言伝がございます。ひそんでいる軍は、三日月家の軍ではない可能性があるとのことです。」


「そうか。では、引き続き、頼んだぞ。」


頭を下げた物見が雨情の前から去った。


「どうやら、謀られたようですね。」


普段通りの木蓮の声に雨情が静かな声で応じた。


「まだ、分からん。次の知らせを待つしかないが・・・。儀作が言うには、この道は三日月も鷹条も知らぬ道らしいが、念のため、兵たちには見つからぬように木々の間に隠れ、休息を取るように伝えよ。」


木蓮が静かに頷き、各組頭へ使い番を飛ばす。

雨情は儀作の地図を眺め、ちっと舌打ちし、十六夜の地図をぐしゃりと握りつぶした。


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