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御出座

出立前、鼻を摺り寄せて来る愛馬をよしよしと撫でた雨情は、儀作との話を思い出していた。


◆◆◆


小座敷で向かい合って座った儀作が一枚の紙を雨情に差し出した。


紙を広げた雨情は描かれたものを見てぎょっとする。

大木村を中心として、山や川、周囲の村、小道から大道、近隣の城だけでなく砦のことまでがびっしりと描かれている。


雨情は密かに唸った。

〈とんでもないな、こいつら。農作業のかたわら、この辺りのことを調べつくして、これほどの地図を作ったのか。うーん、どうやら、沙魚丸の領民にしたのは早まったかもしれん。〉


心の中で苦笑した雨情だが、顔色一つ変えず木蓮に地図を渡す。

地図を見た木蓮の眉が軽く動いたが、そのまま何かを確認するようにじっと見入った。


「私たちが調べたことをまとめたものです。鶴山城まででしたら、元の道に戻るより山道を使う方がよろしいかと思います。村人の中から忍びであった者三名を道案内におつけいたしますので、お使いください。」


「手厚すぎて、いささか不安になるのだが。」


薄ら笑いを浮かべる雨情に儀作はにこりともせず答えた。


「我らが主君、沙魚丸様を後見する雨情様に力添えするのは当たり前でございます。できましたら、三名の内の四葩(よひら)と申す者は、沙魚丸様のお近くにおいていただけますでしょうか。」


〈後見と言われるほど、大層なことはしていないんだがな・・・〉

自嘲気味に笑った雨情は、よひら、と独り言を言い、ぽんと膝を打った。


「四葩と言うのは、紫陽花のことだな。紫陽花の別名は、確か、七変化だったか。何やらいわくありげな名前だが、もしかして、女忍者ではないだろうな。」


驚いたと言わんばかりに儀作は頭を下げた。


「ご賢察の通りでございます。」


「色仕掛けで沙魚丸を(とりこ)にするつもりか。だとずれば、無駄だなことだ。これは儂の勘なのだが、あいつ、女に興味がないぞ。いい男を見る時のあいつの目は、何と言うか、妖しく光るのだ。」


困り果てた顔となった雨情に儀作がほのかに笑った。


「お戯れを。敬愛する主君を姦淫によって堕落させる忠臣がおりましょうか。四葩は飯炊きから毒見、暗殺まで沙魚丸様のお役に立つ者でございます。」


儀作の言葉に雨情は首をかしげる。


「それほどの者が沙魚丸に忠を尽くすかな。儂が言うのも何だが、あいつはかなり間抜けだぞ。」


「三太は忍びの手ほどきを四葩から受けておりました。四葩にとって三太は弟のような存在。三太を危機から救い、近臣とすることを約束して下さった沙魚丸様には特別な思いを持って仕えましょう。」


「そうか。儂の周りに女忍者はおらんから、よく分からんが女心は難しいことは知っておる。儂からも沙魚丸には、女の扱いには注意するようよくよく言っておこう。」


「ありがとうございます。」


女性に対して色々と苦労してきたと言わんばかりに、二人は顔を見合わせ、ため息混じりに笑った。


「儀作殿。よろしいか。」


雨情との会話がひと段落したと考えた木蓮が儀作に尋ねる。


「何でございましょう。」


「この地図を見て、どう思う。」


木蓮は十六夜から渡された地図を儀作に渡した。

地図を見た儀作は首を捻り、考え込み、口を開いた。


「これは、・・・」


◆◆◆


雨情の思考が中断された。

いつの間にか、馬を撫でる雨情の横に立った沙魚丸が一緒に馬を撫でていた。


「叔父上、私たちも出立の用意が出来ましたので、後陣に入ります。」


〈相変わらず、すっとぼけた顔をしておる。〉

沙魚丸の笑顔を見た雨情は、指で沙魚丸のおでこをバチンと弾いた。


「お前たちは、後から来い。儀作と村人たちが沙魚丸に話があるらしい。道案内は四葩という者がするらしいから、後で紹介してもらえ。」


〈いったぁー。何すんの、いきなり。〉

涙目でおでこを押さえた沙魚丸を可笑しそうに見た雨情は笑顔のまま騎乗した。


子供のいたずらのようなことをして楽しむ雨情を呆れ顔で見ていた源之進が、雨情を見上げて返事をした。


「できるだけ、早く追いつきます。」


同意したとばかりに雨情は軽く首を縦に振る。


「源之進、儀作たちは沙魚丸に対して正装での目通りを願っておる。沙魚丸に恥をかかせぬようにしっかりやれよ。」


雨情が何を言ったのか信じられなかった源之進は、ぽかんと雨情を見つめていた。

再度、雨情から同じことを言われ、理解した源之進は目に涙をにじませ深々と雨情にお辞儀をした。


〈言葉を失うのも無理はない。沙魚丸を正装で迎えたいと言う者など、椎名には一人もいないしな。しかし、『涙之進(るいのしん)』とは誰が言い始めたか知らんが、無様な二つ名をつけられおって。泣きすぎなのだ。お琴の方がよっぽど男らしいではないか。〉


「ではな。」


雨情が木蓮と合流したのを見届けた沙魚丸たちは、屋敷へと急ぐことにした。


屋敷に向かう途中で雨情と儀作の間で決まったことを源之進が話す。

細かなことも決まったらしいが、沙魚丸に関係するのは次の二つ。


・沙魚丸が領地を授けられるまでの間、大木村に雨情の家臣数名が村人に化けて住むこと。(源之進の旧臣も住むらしい。)


・沙魚丸の臣下になると鼻息の荒かった三太は、沙魚丸と一緒に戦に行くつもりだったようだが、多くの村人に諭され仕方なく諦めたこと。


屋敷の前で沙魚丸を待っていた三太が沙魚丸を見つけ、駆け寄って来た。


「沙魚丸様のお役に立てるよう、たくさん修行します。だから、絶対においらのことを忘れないでください。」


最初に出会った時、三太の顔は血と泥で汚れていたのだが、水を浴び着替えを済ませた三太がつぶらな瞳で沙魚丸を仰ぎ見る姿に、沙魚丸の心は射抜かれる。


〈はうっ。この子は、子犬系男子だったのね。笑顔がかわいいのは分かっていたけど、耐性の無い私には危険すぎるわ。それでなくても、イケメンが多いって言うのに・・・。そうね。戦は危ないし、私の心も危ないし、一緒に行かなくて大セーフよ。〉


「三太君。大丈夫。あなたが来る前に耐性をつけておくから安心してください。」


「たいせい?」


不思議そうに呟いた三太だが、聞き返すのは失礼と思ったのかにっこりと笑う。


「お願いします。」


頭を下げた三太は、作業の手伝いに戻りますと去って行った。


屋敷に入ると、源之進に身なりを整えさせられる。

とは言っても、戦に向かう前なので、小具足姿であるが。


〈これは、蓮華一文字。無くしたらいけないからって、取り上げられていた私の大事な脇差。今こそ抜くチャーンス。〉

鯉口を切ろうとした沙魚丸に源之進の声が飛ぶ。


「沙魚丸様。それでは、作法をお教えいたします。」


「はい!」


突然、源之進に話しかけられた沙魚丸の背筋がぴんと伸びる。


沙魚丸の様子を眺めていた次五郎が、くっくっと笑い、源之進に話しかけた。


「源之進殿。私は、この場にいるより、広間で控えていることにしましょう。雨情様から沙魚丸様と一緒にいることを許可いただきましたが、内輪の話に入るのも失礼かと思いますので。」


「お心遣いありがとうございます。」


頭を下げた源之進に手を振り、次五郎は広間へ向かった。


「沙魚丸様。領主としてどういう治政を行うのか語ってください。できれば、彼らの心にトドメを刺すようなものをお願いいたします。」


真面目な顔で迫る源之進に沙魚丸の目は泳いだ。


〈無茶ぶりが過ぎる・・・。沙魚丸君なら、できるわね。そうね。私が十二歳の頃はできないけど、沙魚丸君はできるよね。アラサーの私と十二歳の沙魚丸君が同じってことかぁ。そう言えば、誰かの本に書いてあったわね。戦国時代の人は、現代人より早熟だって。死と隣り合わせだから、しっかりせざるをえないもんね。〉


「分かりました、がんばってみます。」


「秋夜叉姫様からご神託をいただいたことを話しましょう。」


沙魚丸の呼吸がひゅっと止まる。

〈あぁ、源之進さんも思っていたのね。あなたのせいで、もう作戦は中止すべき、と。〉


「いいんですか。」


源之進の目をじっと見つめ、沙魚丸は尋ねた。

〈本当にいいのね。あなたが狂戦士と認めるのね。〉


「はい。沙魚丸様が何かされるたびに、衆目の目を引いてしまうのです。ですので、こそこそとするのは諦めましょう。」


意気揚々と話す源之進のおでこに沙魚丸は危うく人差し指を突き立てるところだった。


〈私だけじゃないでしょ。あなたもよ。あなたも相当に目立ってたわよ。やばい。私の周りにいる人って、みんな、ねじが一本はずれてるんじゃないの。領地をもらう前にまともな人を募集しないといけないわね。〉


考え込んだ様子の沙魚丸に源之進は微笑む。

〈しっかりとお考え下さい。沙魚丸様の家臣となる者たちの心を揺さぶるお言葉をお願いいたします。〉


そして、源之進は沙魚丸を広間へといざない、声を上げた。


「沙魚丸様、御出座。」


小次郎が太刀持ちとして沙魚丸に従う。

板敷きの広間に入った沙魚丸は、一枚だけ敷かれた畳の上に座った。


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