福の神
村人が神輿を揉んでいる頃、雨情のもとへ来た木蓮は何があったのかを報告した。
沙魚丸の様子を笑いながら聞いていた雨情は、儀作の反応をうかがう。
〈随分と驚いているではないか。まぁ、無理もない。心身ともに疲弊した村人が、沙魚丸を中心に生まれ変わったようにはしゃいでいるのだからな。推測だが、磔にされた忘れ形見とやらを沙魚丸に重ねているのかもしれん・・・〉
儀作は放心状態で沙魚丸を囲む楽しげな村人たちを見ていた。
輿をゆっくりと置いた村人たちは沙魚丸を中心に手締めを行い、一斉に沙魚丸にひざまずく。
輿から降りた沙魚丸は、口までこみ上げて来た胃液を飲み込むのに必死で周囲を見る余裕などない。
〈ここまで我慢してきたのよ、今更、吐けるもんですか。〉
沙魚丸は小次郎の言葉を思い出す。
みっともない真似はしないでください、という言葉が頭の中をぐるぐる走り回る。
〈これだけ注目されているところでゲーゲーしてみなさい・・・。小次郎さんに無理やり沙魚丸君と再会させられるに決まってるわ。〉
がくがく震える足に活を注入し、無理やり笑顔を作る沙魚丸の前に、儀作が歩み寄って来た。
「沙魚丸様に一つお聞きしたいのですが、よろしいですか。」
今にも飴玉をくれそうな優し気な顔をした儀作に沙魚丸は笑顔を保ったまま頷いた。
〈思わず頷いちゃったけど、もうちょっと待って欲しいかも。今、口を開くとだぱーって出ちゃうかもしれない。〉
今まで好々爺然とした風貌から古強者らしき精悍なものへと様相を変えた儀作が問いかける。
「沙魚丸様を戴けば、いつの日か、私たちの故郷を取り戻していただけますか。」
〈なんか、やくざの親分みたいな感じになっちゃったわね。でも、叔父上で慣れたから平気よ。故郷かぁ。故郷ってここじゃないのね。どこなのかしら。椎名の領内なら叔父上に頼めば何とかなるかも・・・〉
故郷のことを聞こうとした沙魚丸に今日一番の吐き気が押し寄せて来た。
〈ヤバイ。〉
口を押さえ、酸っぱいものが周囲にほとばしらないように空を見上げる。
ぎゅっと閉じた目からは涙がこぼれた。
美しい立ち姿だった。
陽光が沙魚丸を美しく輝かせる。
仰ぎ見る村人たちが沙魚丸の美麗な姿にときめくほどに。
沙魚丸が自分たちの故郷のために泣いてくれている、と村人の誰もが思った。
希望に飢えていた大木村の人間は、沙魚丸が行うことすべてが良く見える魔法にかかったのかもしれない。
〈私たちのために泣いてくれる優しきお心を持つこの御方にならば、喪った忠義の心を今一度、捧げよう。〉
感極まった儀作がひざまずき、潤んだ瞳で沙魚丸を見つめ口を開いた。
「沙魚丸様に私たち大木村の者一同は忠誠を誓います。」
「誓います。」
村人たちは儀作の後に続々と誓いの言葉を述べていく。
嬉々とした村人たちの様子に沙魚丸はパニック状態に陥る。
〈ちょっと待って。私、何にも返事してないわよ。こんなに大勢の人から忠誠を誓われても困ります。〉
困惑と恐怖が入り混じった表情の沙魚丸を見た雨情が、源之進の肩を叩いた。
「国に戻ったら、領主教育が必要だな。」
「よろしくお願いいたします。」
目にうっすらと涙をたたえた源之進が深々と頭を下げる。
豪快な笑い声を上げ、雨情が沙魚丸の横に立った。
「叔父上、私は・・・」
引き攣った顔を雨情に向けた沙魚丸のほっぺたを雨情はつかみ、小声で話した。
「儂に任せておけ。お前はにっこりと笑っておけばよい。」
〈ほっぺたがちぎれそうなほど痛いけど、優しいのね。でもね、叔父上。笑えって言われたけど、痛くて涙が出てるから、もう離してください。〉
沙魚丸のほっぺたを引っ張りながら、雨情は村人に声を張り上げた。
「其の方たちが沙魚丸の領民となること、実にめでたい。この中から武士として沙魚丸に仕えたい者がいるなら、儂が試してやるから喜ぶがよい。さて、祝いの酒を配るのだ、笹屋。手持ちの酒は全て振舞ってしまえ。」
信じられないものを見ていた表情をしていた笹屋は、雨情の声に我に返り動き出す。
笹屋は手下と共に次々と村人たちに酒を配っていく。
もちろん、主役の沙魚丸にも。
〈うひょー。私も飲んでいいんだ。修羅戦国だから、未成年も飲酒は大丈夫なのね。〉
ほっぺたの痛さで吐き気が消し飛んだ沙魚丸の調子は、絶好調である。
酒が注がれたかわらけを手にウキウキ顔の沙魚丸は、乾杯の音頭を今か今かと待っていた。
待っている間に、沙魚丸は閃いた。
〈私が主役だから乾杯の音頭は私がするのかしら。任せなさい。こういう時は、長話は嫌われるって知ってるから、「では、乾杯!」ってだけがいいよね。〉
沙魚丸が心の準備を整えた時、ぬっと雨情の手が横から伸び、沙魚丸の酒を取り上げた。
「元服もしておらんのに、お前に酒は早い。お前はこれでよい。」
雨情は、水に一滴だけ酒を滴らせた液体が入ったかわらけを沙魚丸に渡した。
沙魚丸はじっとかわらけを見つめた。
〈ひどい。こんなの酒じゃないじゃん。〉
悲嘆のあまり、沙魚丸の意識が曖昧となる。
隣で長々と何かを話す雨情が、一拍あけると、かわらけを持つ腕を高々と掲げた。
「乾杯!」
雨情の朗々とした声に沙魚丸は愕然となる。
〈叔父上の馬鹿。私が乾杯って言おうとしたのに・・・〉
「さぁ、お前もぐいっとやれ。」
沙魚丸の恨めしそうな顔を見た雨情がニヤリと笑う。
「さて、儀作よ。儂らはもう少し話し合うぞ。」
「よろしくお願いいたします。」
「沙魚丸は、出立の準備をしておけ。すぐに出るからな。」
沙魚丸に手をひらひらと振った雨情が儀作と共に遠ざかっていく。
〈お酒は元服後のお楽しみってことね。それにしても、叔父上のやることなすこと嵐みたいね。しんどいわぁ。〉
ため息混じりに出立の準備をしようと歩き始めた沙魚丸の耳に誰かを呼ぶ声が聞こえる。
「若君様。お待ち下さい。」
〈あぁ、若君様って、私か。沙魚丸君も若君様って呼ばれた記憶が無いから、気づけないよ・・・〉
立ち止まった沙魚丸は、声がする方に顔を向けた。
「えーっと、誰か呼びました。」
「あっしらも若君様にお仕えすることをお許しください。」
声の主は、道犬だった。
道犬をじっと見た沙魚丸は、無表情になる。
〈あなたたちは、もう、笹屋さんに売られちゃったから、私にはどうしようもないのよね・・・。さて、何と言ってあげればいいのかな。奴隷ごときが私に声をかけるなんて身の程を知りなさい。おーほっほっほ。って悪役令嬢じゃないし・・・。〉
「何を言っているのだ、こいつは。」
儀作と屋敷に消えて行った雨情が、いつのまにか怪訝そうな表情で立っていた。
後に控えていた木蓮が話し始めた。
「ご報告が遅くなり申し訳ございません。この者は盗賊の頭で道犬と申します。今回は鷹条様の傭兵として雇われたそうですが、合流地である鶴山城のふもとに向かう途中にあったこの村を襲うことに決めたようです。笹屋に始末を任せるよう申し付けました。」
「盗賊が沙魚丸に仕えてどうするというのだ。沙魚丸を盗賊の親玉にする気か。」
雨情がぎろりと道犬を睨む。
雨情に睨まれれると、普通の人間ならば声を出すのも辛いのだが、道犬もここが生死の境目とばかりに必死に訴える。
「あっしらも普段は農民でございます。鷹条様の税が高いため、傭兵やら盗賊やらまで手を出しております。どうか、沙魚丸様のもとでやり直す機会をお与えください。」
縛られたまま地に額をこすりつける道犬を見て、道犬の手下も同じように額づく。
「この者の言ってることに嘘はないと思います。刈り取りも上手でしたし、鷹条様の税に苦しんでいるのは私たちも一緒ですから。」
これまた、いつの間にか現れたのか、儀作が口を挟んだ。
沙魚丸はそんな儀作を見て確信した。
〈儀作さんは、武士じゃないよね、絶対に忍者だわ。私の家臣になったら忍者部隊を創ってもらおう。どんな名前がかっこいいかな。今から考えておかないとね。〉
頭を数度かいた雨情が、笹屋を呼んだ。
「こいつらを売るのは、少し保留にする。」
「保留でございますか。」
不思議そうな表情を笹屋は浮かべた。
「一旦、儂の領地で働かせる。大丈夫そうなら沙魚丸に面通しさせするが、ダメなら奴隷としてお前に任せる。」
「承知しました。あちらの盗賊もですか。」
笹屋は道犬の助っ人として来た盗賊を指さす。
「あれは、クズですな。血の匂いしか致しません。」
儀作がぼそりと呟いた。
「だそうだ。卑怯者の顔をしておるな。儂もいらん。お前の好きなようにしろ。」
「ありがとうございます。それでは、今回はあの者たちを引き取らせていただきます。こちらの道犬と言う者たちは、戦に連れて行かれるのですか。」
「いや、こいつらも一緒に連れて行ってくれ。木蓮から聞いたが、手勢五十名を警護としてつけよう。」
「かしこまりました。それでは、私はこれで失礼させていただきます。」
「ではな。」
「道犬とやら。そういうことだ。とりあえず、儂の領地に連れて行く。嫁や子のことは儂が帰ってから考える。」
「ご温情に感謝いたします。」
笹屋が盗賊を連れて常盤木家の領地を目指して出発した。
儀作との話し合いが終わった雨情は、大木村から出発を全軍に告げる。
先頭が進み始めるのを見ながら、雨情が木蓮に話しかけた。
「沙魚丸が一欠けらの土地も持っておらんのに領民二百近くを抱える領主様になってしまったぞ。」
「福の神まで招かれたようですね。鷹条様の領内から村人が逃散したとなると、鷹条様は烈火のごとくお怒りになりましょうなぁ。」
顔を見合わせた二人は静かに笑った。




